2007/04/27 - 2007/05/04
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gyachung kangさん
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今から10年前の2007年4月、私はイスラエルに渡航した。
旅の目的は永遠の都エルサレムをこの目で見てみたい、ただその一点のみ。そしてこの頃、イスラエルとパレスチナの緊張は和らぎバランスは保たれていた。
行くなら今、絶好のチャンスかも知れない。
ゴールデンウィークを控え私にとってチケット代はかなりの高額であったが躊躇なく購入した記憶がある。今再び、当時の写真の記録に頼りながら10年前の旅を思い出してみた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ブリティッシュエアウェイズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イスラエルへの渡航はタイミングの見極めが難しい。パスポートにイスラエルのスタンプが押されてしまうと多くのアラブ諸国への入国が事実上困難になってしまうからである。私はこの時、まさにパスポートの切り替え時を迎え千載一遇のチャンス。この機に乗るしかなかった。
航空券のチケット代は普段なら手を出さない金額であったがブリティッシュエアウェイズのチケットを購入しロンドン経由でテルアビブに入った。ベングリオン空港に到着し入国審査に向かって歩く途中、他のどの国でも経験したことがない独特な緊張感を味わった。 -
空港からバスに乗ること小一時間、エルサレムの旧市街にたどり着いた。
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目の前に広がっている旧市街の景色。
黄金に輝く、あの岩のドームが目に飛び込んできた。
これが、あのエルサレムかあ。
それまで話しでしか聞いたことがなかった特別な場所に本当に来れたという実感が湧いてきて大げさじゃなく、ちょっと泣きそうになる感覚に陥った。 -
これはエルサレムの街の成り立ちを表したジオラマ。
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旧市街の中に入って行く。
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ヤッフォ門からすぐ近く、聖墳墓教会がある。建立は336年。
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床に置かれた大理石。その周りに集まり大理石に触れる巡礼者。
この石板はイエスが磔にされた十字架から引き降ろされたまさにその場所を示しているとのこと。 -
イエスとマリア
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マリア像
今にも何かを語りかけてきそうな表情 -
これはイエスの復活を描いた場面だろうか
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教会内部に入った右側に刻まれているこの文字。ゴルゴダ、と書かれている。
イエスが磔の刑に処せられた終焉の地であるゴルゴダの丘、つまり聖墳墓教会はイエス最期の場所に建てられた教会ということになる。 -
観光客も熱烈な信者もやってくる聖墳墓教会。この時も教会内はたいへんな人だかり。集う人が途切れることは一年中無いだろう。
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聖墳墓教会から東方向に歩くと神殿の丘に突き当たる。そこを右手に折れると現れるのが嘆きの壁。
ユダヤ教徒が壁に向かって一心不乱に祈りを捧げるあの場所である。 -
椅子とテーブルが並びテーブルの上には山積みとなった旧約聖書。
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男性と女性の場所は別々に分かれていたと思う。女性の専用ゾーンは確か写真の奥側だったか。
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そして。
嘆きの壁の左、モロッコ門から神殿の丘に上がると岩のドームがある。
ここはもちろんモスレムにとっての神聖な場所。普通ほとんどのモスクは信徒でなくても入れるが岩のドームはモスレム以外は内部に立ち入ることは出来ない。 -
参拝に来ていた地元の女子学生。
岩のドームとアルアクサー寺院の間あたりで撮影したと記憶。 -
エルサレム旧市街は多くの宗教、宗派が一同に会して共存している。
ここはコプト教の教会。キリスト教オーソドクスの一派である。代表的なコプト教徒と言えばガリ元国連事務総長。 -
ここは私がランチをとったレストランの内部。アルメニアンの店であったが驚くほどセンスに溢れていたので思わず写真を撮った。このあたり、旧市街の南側はアルメニア人の居住地区である。
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これはユダヤ人地区の様子。
男の子の頭の上、ユダヤ帽子のキッパーですぐ見分けがつく。 -
パレスチナ人の小学生。
旧市街の北側一帯がモスレムクォーターになっている。 -
もう一枚、パレスティニアンボーイ。
パレスチナ人は男子も女子も開放的な印象。男の子は活発で女の子はおしゃま、という感じだ。
ちなみにパレスチナはアラビア語ではファレスティーンになる。 -
街中では至るところでごく当たり前にイスラエル兵士の姿を見かける。イスラエルは国民皆兵の国である。
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兵士の姿はあっても旧市街市民の日常生活は当然のごとくある。シーシャを楽しむ人たちの風景は他のアラブ圏の街で目にするそれと何も変わらない。
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ダマスカス門。
その名前の通りモスレムクォーターへの入り口になっている代表的なゲート。旧市街の中で一番活気に溢れている場所がこのダマスカス門と言っていいかも知れない。 -
エルサレム旧市街から南に10キロ程離れた郊外にパレスチナ自治区がある。
私は路線バスに乗ってパレスチナ自治区へ入った。ここはあの有名なベツレヘムの街である。
ちなみにこの時私が乗ったバスはアラブバスと呼ばれるパレスチナ人向けのバスであった。テロの対象になる可能性があるユダヤ人向けのバスのリスクとイスラエル軍の攻撃の対象になるアラブバスのリスクとでどちらがより低リスクか?という究極の天秤である。日本国内ではこんな二択に迫られることは無いだろう。 -
ベツレヘムのマーケットの様子
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風にたなびく旗は青と白のイスラエル国旗ではなくパレスチナ国旗
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私の目の前に現れた、ある空間へ通じる入り口。嘘ではなく身をかがめて実際にここから入った。
そしてこの中は..... -
左右を大理石の柱によって支えられた空間があった。
もうお察しの通り、ここがベツレヘム生誕教会。イエスが生まれた歴史的聖地である。 -
あの入り口の狭さからは想像がつかない高い天井。両サイドの大理石柱の黒ずみが全てを物語る時の経過。今の教会建物は火災による消失後6世紀に再建されたものだという。
私が訪れたこの日はちょうど日曜日。
ギリギリ日曜礼拝の終わり頃に間に合ったようだ。 -
壁の最上部に空いた明かり採りから正面祭壇にレーザーの如く射し込んでくる太陽の光線。演出でもここまでは決まらない。
これって生誕教会のマジックなのか。 -
あのベツレヘム生誕教会で日曜礼拝に参加する。旅行者としてこれ以上望むべくもない体験をした。今年のクリスマスにもきっと世界中から巡礼者がここにやって来て祈りを捧げるであろう。
この5年後、2012年にイエス生誕の地ベツレヘム生誕教会として世界遺産登録となった。 -
生誕教会のすぐ近くにはもう一つ、伝説的な場所がある。
名前はミルク・グロット。
その名の由来通り、イエスを連れてエジプトへ逃れようとしたマリアがこの地で母乳を地面にこぼし、地面は瞬く間にミルク色に染まったという逸話だ。
今は言われなければ通り過ぎてしまうくらいの小さな構えの教会として残っている。 -
生誕教会を出てさらにベツレヘムの街を歩いてみた。よくよく見ると街中の家屋は廃れメンテナンスの手が及んでいないことに気がついた。エルサレムの新市街やテルアビブとは比較にならない。
そして目に留まったのが長らくパレスチナの独立運動を率いた伝説的指導者ヤセル・アラファトのポスター。
死後3年経過しても剥がされていないのは偶然なのかはわからない。 -
パレスチナ独立運動で殉教した少年民兵のポスターと思われる。
-
マーケットの物資は少なからずあるように見えた。
が、ベツレヘムの街の食堂に入り隣の地元民グループが食べているものと同じメニューを頼み、口にした時、衝撃が走った。私たちが日本で食べている米と隔絶感のある味。おそらく古古米、或いは日本だったら飼料用途米のレベルだ。
隣のグループは私に対して味はどうだい?と聞いてきた。私は、大丈夫美味いよ、と答えたが、その時の彼らの嬉しそうな笑顔が今でも忘れられない。この時、私はなぜだか申し訳ない気持ちで一杯、正直涙が出る思いだった。
複雑な思いで帰りはタクシーでベツレヘムを出た。途中、イスラエル兵による検問が二回、日本人の私は問題なくパス。だがおそらくパレスチナ人はいちいち厳しくチェックを受けるはずである。 -
さて、エルサレムから南の方角に行くべきところが3か所ある。
まずはマサダの砦。
バスを降りたその場所、私の目の前に岩山が現れた。 -
岩山の頂上にはケーブルで行ける。
が、私はマサダの砦を見た瞬間、自分の足で登りたくなった。マサダには瞬間で人を魅了する説明できないオーラが間違いなくあった。 -
真夏ではないこの季節でも中東の暑さは半端なく疲労困憊で頂上へ。
オフシーズン、砦上にいた観光客は私を含めてごく僅か。 -
遠くには死海が望める。
死海は年々縮小しているという話しを聞いていたので少なからず気になっていたのだが、この景色を見る限りどうも事実のようである。
死海の将来がかなり心配。 -
マサダの砦で死海を背景に記念撮影。
これ以上ないロケーションに大満足。
マサダの砦は紀元70年、ローマとの戦いでエルサレムが陥落し残ったユダヤ人がローマへの最後の抵抗として立て籠もったと言われる歴史に残る場所である。
残った900人のユダヤ人は最終的に自決。ユダヤ民族にとっては民族団結の証として永遠に記憶される重い重い場所と言える。
2001年に世界遺産登録。遠い過去の悲劇とイスラエル建国後の紛争の両方を考えると私はいつも複雑な心境になる。 -
マサダ砦を自力で降り、その死海へと向かう。やや遠目から見る湖面の色は独特。死海だけが放つオリジナルブルー。
-
このあたりはパブリックゾーン。
モスレムファミリーの休日。 -
観光客は当然これを目当てにやってくる。死海浮遊体験。
ビーチには塩分の濃度が高いので一回に入る時間は10~20分程度でインターバルを取るよう御達しが書かれている。
私もカラダを浮かべてみたが実際に痛いほどの肌のヒリヒリ感には驚いた。 -
この死海エリアにはもう一つ絶讃のスポットがある。
それがエン・ゲディ国立公園。
死海を見下ろしながら起伏のある岩場と緑のトレイルが楽しめるオアシス感たっぷりのトレッキングコースだ。 -
滝があって地元民も憩う。
今思い返してもホントにいいところだったなあエン・ゲディ。 -
まだ2,3才くらいのパレスチナ人の女の子。一人で水遊びにはちと早いかも。
-
この日エン・ゲディにはパレスチナ人の小学生達が学校の課外活動で訪れていた。
ふと気がつくと先生なのか民兵なのかはわからないが万一の事態に備え子ども達を守るため肩から提げられた自動小銃が覗く。
これがイスラエルの現実である。私はまたしても複雑な思いに。 -
再びエルサレムに戻る。
この写真をどこから撮影したかは今さすがに覚えていない。が、丘の上にエルサレムを二つに分断する分離壁が見えていることに気がついて撮影したことははっきりと記憶している。 -
旧市街の土産もの屋にはこんなTシャツや
-
こんなTシャツが売られていた。
考えようによってはこんなTシャツが笑われながら店先で売られている時が平穏の証しなのかも知れない。 -
旧市街をぶらぶら歩いていると偶然、パレスチナ人の小学校に出くわした。私に興味を持ったのか近寄ってくる彼らにカメラを向けるとこの元気っぷり。
撮っているこちらも楽しくなるくらい、なかなか素晴らしい笑顔であった。 -
長い歴史といくつもの要素が折り重なって今にあるエルサレムを一言で言い表すのはとても難しい。でも、2007年に私が訪れたこの時、少なくともごく普通の生活がごく普通に成り立っていた。そのバランスをわざわざ壊す必要は全くないだろうと私は思っている。
さて。エルサレム旧市街では十字架を背負いゴルゴダの丘に向かうイエス最後の歩みの道のりを歩くヴィア・ドロローサ、私はこれをやってみた。ヴィア・ドロローサは世界でエルサレムでしか体験することが出来ない無二の巡礼路、究極の聖地巡り。
人生に一度、ヴィア・ドロローサ、私よりお奨めさせていただきます。
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