2014/09/26 - 2014/09/26
211位(同エリア333件中)
滝山氏照さん
JR鹿島線鹿島神宮駅下車、鹿島神宮(かしまじんぐう、茨城県鹿嶋市宮中)は北浦と鹿島灘に挟まれた丘陵地に位置し、紀元前660年の創建と伝えられ古くから伊勢神宮・香取神宮とともに「日本三大神宮」とされ由緒ある神社として知られています。
古くは皇室、藤原氏の崇敬を受け、中世では鎌倉時代には鹿島神宮を深く崇敬していた源頼朝は社領の寄進をたびたび行う中、治承4年(1180)の北常陸の佐竹氏征伐の際当神宮に戦勝祈願をするなど歴代武家政権の信仰を得ています。
また近世では徳川家康が関ヶ原の戦勝のお礼に本殿を奉納、続く二代将軍秀忠が元和5年(1619)に本殿を奉納、そして寛永11年(1634)初代水戸藩主徳川頼房が日本三大桜門の一つとされる桜門を造営するなど数多くの武将の崇敬を集め武神として仰がれるようになります。
歴史は遡って大化5年(649)鹿島神郡が設置され、天智天皇時代には神宮の造営がなされ、以降国家的な祭事が続き併せて京都の大中臣氏から宮司が補任されてやがて土着した同族の中臣鹿島氏に受け継がれ神宮の運営がなされていました。
鎌倉時代では頼朝御家人となった常陸国豪族の中で平氏大掾氏の一族が鹿島神宮で頼朝から社領の寄進を受け、やがてそれまでの宮司の大中臣氏を抑え鹿島神宮を支配するに至ります。
上述の事情によって鹿島氏は本来の豪族と共に鹿島神宮を支配運営する宮司の立場も担う事になり、この状況の中で剣豪として塚原卜伝が登場します。
一般に承知している「塚原卜伝」は本名は幼名は朝孝(ともたか)と言い延徳元年(1489)に鹿島(現在の鹿嶋市)に生まれ、父の吉川左京覚賢(よしかわ・さきょう・あきかた)は鹿島神宮に仕える卜部氏であると同時に「鹿島の太刀」という古来からの剣法の継承者でもあり、鹿島城の家老職を勤める家柄でもありました。
朝孝(卜伝)が5~6歳の頃近隣の塚原土佐守安幹(つかはら・とさのかみ・やすもと)に養子となり姓を塚原とします。
その後元服して高幹(たかもと)と名乗り、永正2年(1505)16歳で第1回の廻国(かいこく)修業に出かけ、「真剣試合19度、戦場の働き37度、一度も不覚を取らず、矢傷6ケ所以外に傷一つ受けず、立ち会って敵を討取る事212人」と伝わる強さを誇ります。
一度鹿島へ戻り、鹿島神宮での千日参籠の修業の結果、鹿島の大神からの神示により悟りを開き、「鹿島新当流」の剣を編み出します。
卜伝は自分が完成させた「一の太刀」という国に平和をもたらす剣を広めるべく再度廻国修業の度に出て、室町幕府将軍である足利義輝や甲斐国の武田信玄などにも剣術を指南しています。
国を平和にする剣は卜伝の死後に卜伝の弟子から徳川家康に伝わり、その後江戸幕府創設後長く平和な世の中を作る礎となる剣の道として採用されています。
2022年12月7日追記
当該神社のホームページでは次のように紹介されています。
『 御由緒・御祭神
鹿島神宮の御祭神は「武みか槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降りる、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。
鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わね窮地に陥られましたが、武みか槌大神の「?霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の崇敬を集め、武神として仰がれるようになります。
現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、桜門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも重要文化財に指定されています。
鹿島神宮の祭礼は毎年9月1日に行われますが、うち6年に一度は天皇陛下の御使である勅使が派遣される勅祭となり、さらにそのうち2回に1回、すなわち12年に一度の午年には、氷上の一大祭典である御舟祭も斎行されます。』
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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鹿島神宮駅
八王子(10:04)ー 東京 ー 成田(乗換)ー 鹿島神宮(12:34) のルートにて移動します。尚 成田 ー 鹿島神宮は本数少なく1時間に1本という運転間隔ですから予め時刻を確認する必要があります。 -
鹿島臨海鉄道車輌
鹿島神宮ー水戸を結ぶディーゼル車輌として連絡しています。丁度JR車輌到着を待っての出発となっています。 -
JR成田線車輌
成田ー鹿島神宮の成田線車輌が引き返して成田方面行となります。 -
鹿島神宮駅周辺案内地図
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鹿島神宮観光案内図
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鹿嶋の神道
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塚原卜伝立像(遠景)
戦国時代の剣豪・兵法家として著名な塚原卜伝(1489~1571)は鹿島神宮の神官で「鹿島の太刀」の継承者である吉川覚賢(よしかわ・あきかた)の子として当地に生まれます。 -
塚原卜伝立像
5~6歳に塚原土佐守安幹(つかはら・とさのかみ・やすもと)の養子となり、元服した後に全国へ修業に出て「真剣の試合19度、戦場の働き37度、一度も不覚を取らず、矢傷6ケ所以外に傷一つ受けず、立ち会って敵を討取る事212人」と伝わる強さを誇ります。 -
塚原卜伝生誕500年祭記念碑
一度鹿島へ戻り鹿島神宮での千日参籠の修業の結果、鹿島の大神からの神示により悟りを開き、「鹿島新当流」の剣を編み出します。卜伝は自らが完成させた「一の太刀」の剣を広めるべく再び修業の旅に出て、室町将軍足利義輝や武田信玄などの剣の師となります。 -
塚原卜伝記事
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塚原卜伝立像
卜伝立像の右背面から捉えます。 -
鹿島神宮周辺案内地図
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鹿島神宮
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イチオシ
鹿島神宮・大鳥居
大鳥居の右脇には大規模な石柱に「鹿島神宮」と深く大きく刻されています。 -
鹿島神宮地図
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鹿島神宮・参道
歴史を感じるような逞しい左右の樹林が神社の風格を現しているようです。 -
鹿島神宮境内・案内図
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鹿島神宮・楼門(ろうもん)
寛永11年(1634)、水戸初代藩主徳川頼房(とくがわ・よりふさ、1603~1661)により奉納されましたが日本三大楼門の一つと言われています。尚 扁額は東郷平八郎(元帥)の直筆です。 -
楼門説明板
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楼門内側
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鹿島神宮・手水舎
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鹿島神宮・参道
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鹿島神宮・宝物館
刀剣の展示開催中となっています。 -
イチオシ
鹿島神宮・拝殿
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鹿島神宮・拝殿
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鹿島神宮拝殿
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鹿島神宮本殿・案内板
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鹿島神宮・本殿
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鹿島神宮・本殿
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御祭神説明板
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鹿島神宮・奥参道入口
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境内案内板
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境内案内板
写真を添えて境内案内を示しています。 -
鹿島神宮・奥参道
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更に奥参道
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鹿島神宮・奥宮社殿
奥宮は慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦い勝利のお礼として本殿として奉納したもので、二代将軍秀忠による社殿奉納した際現在の場所に移され奥宮社殿となっています。 -
奥宮説明板
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御手洗池(みたらしいけ)
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御手洗公園
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要石方向案内
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要石全景
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要石
鳥居のある玉垣に囲まれた中に要石があり、鹿島の神が座った御座石と伝えられています。 -
要石
玉垣に囲まれた中央の窪んだ石が「要石」になります。 -
要石説明板
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要石戻り通
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鹿園
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鹿園説明
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