2011/07/02 - 2011/07/04
226位(同エリア333件中)
倫清堂さん
房総半島を1周する旅を計画しました。
房総半島南端への旅は、以前にも一度計画したことがありましたが、その時はちょうど風邪を引いてしまい、計画の半分しか実行できませんでした。
その時に断念した経験から、房総半島はかなり広いという教訓を得たため、今回は移動にレンタカーを利用することにしました。
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仙台駅から東北新幹線はやぶさ号に乗って東京に向かい、総武線に乗り換えて船橋駅で降ります。
船橋でレンタカーを借りたのは、高速道路への入り口が近いという理由からです。
京葉道路から東関東自動車道へと進み、途中で渋滞に遭うこともなく、茨城まで足を伸ばして最初の目的地の鹿島神宮に到着しました。鹿島神宮 寺・神社・教会
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鹿島神宮への参拝はこれで2回目。
東日本大震災で大鳥居が倒壊するなど、大きな被害を受けた神社の一つです。鹿島神宮 寺・神社・教会
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鹿島・香取の両神宮も、以前に電車移動を中心とする旅で参拝したことがありました。
その時は常に時間に追われ、いくつもの見どころを通り過ぎてしまい、あとで後悔したものでした。
鹿島神宮の鹿園もそのひとつです。
かつては周辺の森に多くの鹿が生息していましたが、現在は檻の中で飼育されており、決められた餌なら与えることもできます。
御祭神の武甕鎚大神は、イザナギが妻を死に至らしめたカグツチを斬った時にその剣から生まれた神で、天照大御神は出雲平定のため、使者として鹿を遣わしたことから、武甕鎚大神を祀る神社では鹿を大切にしています。 -
県の天然記念物にも指定される鹿島神宮樹叢を先へと進むと、奥宮が見えてきます。
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極彩色の本殿に対し、こちらは素木造りの質素なたたずまいですが、うっそうとした森の風景に溶け込んでいます。
徳川家康公が関ヶ原の戦勝の御礼に慶長10年に本宮として奉納したのですが、元和5年の秀忠公による社殿造替の際に奥宮として移築されたのでした。
前回も確かに参拝したはずですが、ここへ再び訪れるまで奥宮のことは記憶に残っていませんでした。
急ぐ旅は損なものなのかも知れません。 -
奥宮から坂道を下ると、御手洗池へとたどり着きます。
パワースポットの流行の影響か、複数の若い女性の姿があり、この地の気を感じるために精神を研ぎ澄ませている様子でした。
パワースポットなる片仮名の流行が始まるよりも何百年も前から、この地が聖域であったことは間違いありません。
この地方で飲用できる唯一の湧水がこんこんと湧き出で、水面には鳥居や樹の姿が映っています。
かつて参拝者はここで禊をしてから、神域へと進んだのでしょう。
ここで笛を吹いている人がいたことが記憶に残っており、今回はその人の姿は見えませんでしたが、どこからか笛の音は聞こえてきました。 -
鹿島神宮の参拝を終え、次の目的地へ向かう途中、気になる標識を見つけたので寄ってみることにしました。
そこには鎌足神社と書かれており、中臣鎌足が祀られていることは間違いまりません。
鹿島神宮の御祭神である武甕鎚大神は、中臣氏(後の藤原氏)の守り神でもあります。 -
大化の改新によって一気に国の頂点に登りつめた中臣鎌足は、出身地の神を大和に勧請し、春日大社を造営したのでした。
その出生の地がここ中臣鎌足神社の境内地で、勧請した神が武甕鎚大神なのです。
日本の歴史を変えた大化の改新の立役者は、都から遥か離れた田舎で生まれ育っていたのでした。
なお、出生地を大和国とする説もあります。 -
霞ヶ浦を眺めながら、車は佐原市へと向かいます。
佐原は、香取神宮に納める浅原(サワラ)という土器を作っていたことから名付けられたと言われており、江戸時代には利根川を利用した水運の町として栄えたため、多くの古い建物が残されています。
しかし今回の巨大地震によって、それらの建物も瓦などに甚大な被害を受けていることが、車から見ても分かりました。
佐原では、伊能忠敬記念館を見学しました。伊能忠敬記念館 美術館・博物館
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伊能忠敬は歴史の教科書には必ず登場する人物で、下総国小関村の名主の家に生まれ、17歳の時に佐原の伊能家に養子として入り、商人として手腕をふるいました。
50歳の時に家督を長男に譲り、自らは隠居して測量や天文観測など趣味に生きることになるのですが、彼の偉大な業績はここから始まるのです。
寛政12年、忠敬56歳の時に第1次測量を開始し、幕府の援助を受けながら71歳の第10次まで続け、ついに日本全土の測量を終えたのでした。伊能忠敬記念館 美術館・博物館
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しかし残念なことに伊能忠敬は地図の完成を見ることなく亡くなってしまい、死後に弟子たちの手によって完成したのでした。
この大日本沿海輿地全図はかなり完成度の高い地図で、それまでの絵画のようないい加減な地図とは全く違い、現在の国土地理院が発行する地図と比べても遜色のない精度を誇ります。
あまりに詳細に書かれているため、幕府はこの地図の流通を禁じた程でした。
なお、忠敬の測量の師匠であった高橋至時の子の景保は、忠敬とともに測量を行い、死後は仕上げ作業の監督を行いましたが、シーボルトに贈ったことが幕府に知られたために獄死となったのでした。
伊能忠敬は明治16年に正四位を追贈されました。
記念館では、このことも特に詳しく紹介しており、他に正四位に叙せられた吉田松陰や杉田玄白などの功績に比肩する功績と賞賛しています。
平成22年には、伊能忠敬関係資料2345点が国宝に指定されました。
記念館を出て、小野川にかかる樋橋を渡ると、17歳から50歳まで暮らした伊能忠敬旧宅があります。 -
門をくぐって敷地に入ることはできましたが、震災の被害により内部の公開は中止されていました。
伊能忠敬旧宅 名所・史跡
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次に向かったのは香取神宮。
こちらも以前に参拝したことがあり、タクシーを拾うつもりで香取駅で降りたものの人影すらなく、長い道のりを歩いて裏参道から入ったことや、神職の方にタクシーを呼んでもらったこと、佐原駅から出る電車には間に合ったにもかかわらず、結局故障で動かなくなってしまったことなど、よい思い出です。
確かあの時は天気が悪かったはずで、傘を片手に社殿などをじっくり見る余裕もなく、要石を見たことだけはっきりと記憶に残っています。香取神宮 寺・神社・教会
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今回は駐車場から表参道を通って参拝することができました。
それにしても、立ち並ぶ石灯籠のほぼ半数が倒壊している姿は、とても痛々しいものでした。
異常な風景よいうものは、ごく当たり前の風景に比べると何倍も強い印象を残すものです。
石灯籠に刻まれた奉納者の名前を見ては、その真心が災害によって砕かれたことを気の毒に感じます。 -
参道を進むと赤い総門が見え、その先に国の重要文化財に指定される楼門と拝殿があります。
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拝殿では御祈祷が行われており、ちょうど終えて出て来たのは黒人の男性とその家族でした。
香取神宮の御祭神は経津主大神。
記紀神話によると、雷の神である武甕鎚大神と剣の神である経津主大神は、ともに出雲の大己貴神に国譲りを承諾させます。
また、経津主大神は神武天皇の御東征に際しても、高倉下が夢のお告げによって手にし、神武天皇に献上した剣として登場しています。 -
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高速道路を利用して、宿泊地の茂原に向かいますが、時間があったので成田山新勝寺に立ち寄ることにしました。
これといった行事に当たっていないためか、道路は思ったよりもすいていました。
さすがに初詣の参拝者数全国2位を誇るだけあって、境内には様々な施設があり、全てを見るだけでもかなり時間がかかりそうでした。成田山 紅葉
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まるで仏教テーマパークのようで、ありがたみを感じられませんでした。
ここから茂原までは一般道を通りましたが、途中で夕食を取ろうにも、見かける店はことごとく営業していませんでした。
震災の影響でもないでしょうが、まったく活気が見られず、日本の未来が心配になりました。 -
翌朝、房総半島を南下して鴨川へと向かいました。
いくつものトンネルを出たり入ったりしていると、左手に海が見えて来ます。
東北の太平洋側の海岸は、先の大津波によって壊滅状態ですが、千葉の海岸は無事だったようです。
東北も、はやく以前の美しい風景と、人々のにぎわいを取り戻してほしいと思います。
向かった先は、鴨川シーワールド。
東日本では最大級の水族館で、海洋生物の飼育だけでなく繁殖でも、学術的に価値の高い功績を残しています。
大津波で被害を受けた東北の水族館の動物が、ここへ一次避難していたというニュースもありました。
入ってみると、ちょうどベルーガのパフォーマンスが始まっていました。
水中でいろいろな芸を見せてくれました。鴨川シーワールド 動物園・水族館
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パフォーマンスタイムは、30分ごとに4種類の動物のうちのどれかが見せてくれるスケジュールになっています。
ベルーガの時間が終わり、次はイルカの場所に移動。
イルカは屋外のプールでのショーとなります。
計4頭のイルカが2頭ずつ組になって、跳んだり泳いだりと様々な芸を見せてくれました。
その動きがピタリと合っていて、知能と高さを物語っています。 -
30分ごとに新しい会場へと移動しますが、そのたびに観客が増えて来ている気がします。
次はシャチの時間。
シャチは体が大きく、跳んだ後に水面に落ちると、客席の前から5番目くらいまでは水をかぶってしまいます。
見ている子供たちも大喜びをしてはしゃいでいます。
シャチと人間でのコンビで、迫力のある芸を見せてくれました。 -
最後に4頭のアシカによるパフォーマンス。
父・母・兄・弟の4人による家族ドラマという筋立てで、ユーモアたっぷりのドラマを演じてくれました。
お父さん役のアシカは、最後にニッコリ笑うのですが、それが本当に笑っている顔で、とても愛嬌があります。
この笑うアシカとの撮影の他、色々な動物とのふれあいが可能ですが、全て予約制で、受付開始から間もなく定員に達してしまうようです。 -
全4種のパフォーマンスを見終わったので、売店でお土産を買ったり、水槽の展示を見たりしました。
サンゴ礁魚類の展示は、沖縄で見たような色鮮やかな魚たちが泳ぎ回っていて、それを様々な角度から見ることができます。
一通り見終わって外へ出ると、ペリカンのお散歩タイムが始まっていました。
6〜7羽のペリカンが行列を組んで歩き、子供も大人もそれを追いかけて行きます。
体は大きいが体重は10キログラムほどしかないと、飼育員が説明していました。
その後、鴨川シーワールドを出て、少しだけ海岸を散歩しました。
海からすぐの場所なので、千葉県沖の津波が発生したら、被害が出そうなのが心配です。
施設の方たちには、お客さんはもちろんですが、飼育されている動物や魚たちにも被害を出さないよう、しっかりと対策を取ってほしいと思います。 -
鴨川で昼食をとり、千葉県の最南端、安房に向けて出発しました。
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「アワ」と呼ぶ国名は日本には2つあります。
ひとつはここ千葉の南部ですが、もう1つははるか離れた四国東部、現在の徳島県です。
もともと徳島県を本拠としていた忌部氏が、黒潮に乗ってここへ移住してきた際、ふるさとの名前をつけたとされています。
その忌部氏の祖である天太玉命をお祀りするのが、安房国一之宮の安房神社です。
白い鳥居の先には両側に桜の木が立ち並ぶ参道があり、その先には吾谷山を背にして社殿が建てられています。安房神社 寺・神社・教会
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社伝によると、御創建は神武天皇による日本建国から間もない頃で、御東征に従った天富命が祖先神をお祀りしたのが始まりです。
安房に移住した忌部氏は、阿波から持ち出した麻や穀などを栽培し、天皇に献上する祭器などを製作して来たため、現在は日本産業の総祖神として崇敬されています。 -
境内には忌部塚という遺跡があり、昭和7年には洞窟内から22体の人骨と土師器などが発掘されました。
調査によると、古代の墓地であった可能性が高いとのことです。
あやうく見逃しそうになりましたが、天富命をお祀りする下の宮を見つけ、参拝しました。
天富命の働きによって、この地方では多くの麻が採れるようになり、そこでこの地方は「総の国」と呼ばれるようになったとのことです。
上総・下総と分かれる以前のことです。
記紀神話において天太玉命は、中臣氏の祖である天児屋命と並ぶ働きをしていますが、大化の改新で中臣氏が実権を握ってから、忌部氏の姿は歴史の表舞台から消えてしまいます。
消えたはずの忌部氏を追いかけることは、日本の歴史の見えない部分を解明する手がかりになるのではないかと考えています。 -
イチオシ
最後に、館山城跡がある城山公園へと向かいました。
ここには模擬天守が建てられており、館山市立博物館の別館、八犬伝博物館として、「南総里見八犬伝」に関する資料を展示しています。
八犬伝は滝沢馬琴による長編伝奇小説で、自分はこれを原作とする映画を見てその世界観の虜となり、中学生の時には岩波文庫として出ていた原文を、半分分からないながらも読んでいました。
館山城は、その八犬伝の舞台となったお城です。
史実では、天正8年に里見義頼公によって築城されたとされています。
里見氏は、新田源氏の流れをくむ名門。
祖父にあたる里見義堯公が、忌部氏の末裔でそれまで安房を支配していた安西氏を滅ぼし、この地方を治めることになっのでした。
八犬伝には安西景連という領主が登場し、里見を滅ぼすために出兵するも、妖犬八房によって首を取られます。
その八房に対し里見公は、安西を討ったら娘の伏姫を与えると約束していました。
伏姫は八房の霊気によって8人の子を宿しますが、畜生道に堕ちたのではないことを証明するために割腹し、その際に所持していた数珠が飛び散って、八犬士が生まれることになるのです。館山城(八犬伝博物館) 名所・史跡
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八犬伝で里見家は、八犬士の働きによって一度は隆盛しますが、その後は滅亡したことになっています。
史実ではどうかというと、里見義頼公は豊太閤の信頼を得て、今の千葉県一帯を安堵されますが、後を継いだ義康公は小田原参陣に遅れたことで、安房一国のみに減封されてしまいました。
関ヶ原の戦いでは東軍についたものの、次の当主忠義公は大久保忠隣公の孫娘を室としていたことから、大久保長安事件に連座して改易となり、安房を失ったのでした。
ほとんど配流のような扱いで移された先の伯耆国で病死した際、8人の側近が殉死しました。
彼らの墓が、館山城の搦め手口なのか、細く急な山道のふもとにひっそりと建てられています。
殉死した8人には、全て「賢」の字がつく戒名がつけられており、八賢士と呼ばれています。
滝沢馬琴が彼らをモデルに八犬伝を書いたことは、想像するまでもないでしょう。 -
館山城に登る途中で見えた神社がありました。
お城の近くに鎮座していることから、里見一族を祀っているのかもしれないと思い、城から車に戻った後に立ち寄ってみました。
この神社の名前が館山神社だということ以外、何も分かりません。
御祭神や由緒が書かれている看板もなければ、神職の方の気配もありません。
ただ、社殿の後ろに館山城がそびえている風景が印象的でした。
こうして安房への旅は終わり、富津館山道路・館山自動車道を通って蘇我に入り、レンタカーを返して京葉線で東京に入りました。館山神社 寺・神社・教会
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最終日。
新幹線が発車するまでの時間をつぶすために、建設中の東京スカイツリーを見に行きました。
あまり時間がないので、ホテルからタクシーに乗りました。
テレビでよく写される、水面に映る姿を見られる場所と言うと、さすが東京地理のプロ、しっかり連れて行ってくれました。
実はスカイツリーは、江戸時代の浮世絵画家、歌川国芳の「東都三ツ股の図」に、予言的に描かれています。
世界で1,2を争う高層建築物が、江戸時代に既に予言されていたということに、驚くばかりです。
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