2009/01/01 - 2009/01/01
147位(同エリア412件中)
ヴェラnonnaさん
- ヴェラnonnaさんTOP
- 旅行記609冊
- クチコミ85件
- Q&A回答214件
- 684,480アクセス
- フォロワー92人
2009年1月1日。満員電車に揺られ フィレンツェからシエナに 到着。 個人旅行では 何かしらアクシデントが あるものですが とりあえず時間をロスしながらも シエナに着きました。
旅の行程
2008年12月30日、アリタリアで ローマへ。
12/30ローマ1泊
12/31.1/1.1/2 フィレンツェ3泊(シエナ日帰り)
1/3 ローマ1泊 の5泊7日
お正月休みに 目一杯駆け抜けた イタリア記 です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
バスを降りたマッテオッティ広場から 標識に示されている矢印どおりに ドゥオーモへと歩きます。
-
-
シエナは 貿易で富を蓄えた ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィア等の港湾都市との金融取引によって 栄えました。
13世紀までには 西ヨーロッパ最大の金融都市として繁栄します。 -
1472年に創業の モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(モンテパスキ銀行)です。
現存する中で 世界最古の歴史を持つ銀行です。 -
-
13世紀から14世紀に 金融業で栄えたシエナは 16世紀には同じく金融業で力をつけたフィレンツェに併合されます。
-
シエナがフィレンツェに敗北した要因の一つ、ハプスブルク家(神聖ローマ帝国・スペイン)とヴァロワ家(フランス)がイタリアを巡って繰り広げた戦争により 勝者側のスペインが シエナを メディチ家支配のフィレンツェに 併合させた、ということらしい。
-
16世紀、メディチ家支配のフィレンツェに併合され それまで繁栄していたシエナ商人は 税金などで 徹底的に差別されるようになり 経済は 沈滞、
それ以後 街の発展は止まります。
時代の流れから 取り残されたシエナは 幸か不幸か 中世そのままの 姿を留めるに至りました。 -
フィレンツェに ルネッサンス芸術が起こった15世紀ころ、シエナでは 中世的なイタリアゴシック建築、シエナ派絵画が全盛を迎えます。
街並みの雰囲気が フィレンツェとシエナで 違うのは 栄えた芸術の違いにも あるのでしょうね。 -
-
建物の下を潜ると・・・
-
カンポ広場 です。
中世の広場としてはヨーロッパで最大のもののひとつであり 美しい広場と言われています。 -
傾斜のある扇状の広場敷地は 市庁舎から放射線状に 9分割されているのが 敷石の目印で 見て取れます。
13世紀後半、ピッコローミニ、サリンベーニ、トロメイなどの力をたくわえた富裕市民たちが 都市の代表として 市政を司っていました。
敷地の9分割は、その 「9人体制」 を示しています。 -
夕刻の カンポ広場の写真です。
敷地の 9分割の区割りが はっきりと判ります。
右奥に ガイアの泉。 -
柵の向こうにあるのが ガイアの泉。 残念ながら 正面の写真を 取らず・・
1347年に 完成したカンポ広場。大規模な地下水道も 整えられて 丘の上まで新鮮な水が供給されるようになりました。
噴水の除幕式が行われた 1348年、(同年にペストの大流行)水を待ち望んでいた人々が、噴水から水が上がった瞬間、歓喜 (ガイア) の声をあげたため、この名がついたと 言われています。 -
カステルヴェッキオと サン・マルティーノ、カモッリーア の3つの丘が 形成した窪地に 広場が作られています。
上から見ると 扇のような形状をしたカンポ広場。
マンジャの塔は この日は上がれませんでしたが 広場に立っていても その傾斜と 扇状の広がりが 良くわかります。 -
市庁舎に向かっての 下り勾配を利用して 市庁舎の建物の 足元部分に 雨水を地下水道に流し込む為の排水溝が作られているそうで 後日 写真を拡大してみました。
-
ステージが組まれているその足元部分に それが ありました。
-
これです。
観光客が 入れ替わり立ち代り この前で記念撮影をしているので 何だろう と思っていましたが 謎が解けました。 -
起伏の激しい土地に この都市は作られ そして その起伏が 最大限に 利用されていると 感じました。
広場からの 傾斜を上り ドゥオーモへ 歩きます。 -
チッタ通り。
かつて 金融の街として 繁栄した シエナの銀行や 宮殿が 立ち並んでいた 通りです。 -
-
カーブする そのチッタ通りに沿って建つ キージ・サラチーニ宮。
-
この建物には現在 キジアーナ音楽院が 入っています。
-
ちょっと 中に入ってみます。
-
井戸のある 美しい中庭。
-
-
ゴージャスな フレスコ画の天井。
-
天井の装飾からも シエナの 繁栄が 想像できます。
-
-
-
上り坂を ドゥオーモへと 歩きます
鐘楼が見えてきました。 -
-
-
アーチを潜ると 無骨な壁が建っています。
フィレンツェの ドゥオーモに対抗して計画された 大聖堂の拡張工事は 財政的に縮小しつつあったシエナに ペストの大流行が追い討ちをかけ
1356年、資金不足により建設は 途中で放棄されてしまいます。 -
この 中途半端な壁も 今は観光名所の中の一つとして 歴史を物語っています。
-
さぁ ドゥオーモを 見学しましょう。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ヴェラnonnaさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
37