2009/01/01 - 2009/01/01
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ヴェラnonnaさん
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2009年1月1日。大聖堂見学の後 サンタ・マリア・デッラ・スカラ救済院を見学します。
救済院の始まりは・・・ローマへの巡礼者の世話をしていた靴直し屋、ソローレの母親が見た夢。 幼子たちが 天国への梯子を上り 聖母に迎えられる、その夢の場所に 巡礼者のための宿が作られ 病院の役目も果たすようになった、と 語り継がれているそうです。
伝承は伝承として 救済院の名前は 目の前にある大聖堂の階段に由来するとも考えられています。
ともあれ 入り口 入ってすぐの 広間の壁面に描かれている 壁画は とても興味深いです。
15世紀の画家 ヴェッキエッタによる 「幼子たちが 梯子を上って 天へ向かっていく画」や
ドメニコ・ディ・バルトロ作 「病人の看護」
どれも 当時の様子が 伝わってきます。
旅の行程
2008年12月30日、アリタリアで ローマへ。
12/30ローマ1泊
12/31.1/1.1/2 フィレンツェ3泊(シエナ日帰り)
1/3 ローマ1泊 の5泊7日
お正月休みに 目一杯駆け抜けた イタリア記 です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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入り口の横に 掲げられた 救済院のシンボル、梯子とシエナの紋章。
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入ってすぐの 大広間の壁画。
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入り口の方。
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天井のフレスコ画も 素晴らしい色彩。
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小さな巡礼宿から 始まった スカラ病院は 12世紀から13世紀にかけて 飛躍的に発展します。
これらの壁画が示すとおり救済院は 病人の世話だけでなく 死者の埋葬や ホームレスに宿やパンを提供したり 貧しい娘の持参金の工面など あらゆる社会事業に携わるようになります。 -
中世の都市 シエナの人々にとって キリスト教は 愛国心と一体となり平和と繁栄を祈る 共同体の宗教、実際の市民生活に 重要な活動の一部 となっていきました。
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地下へと降りていきます。
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ちょっとした 吹き抜けの 小さな中庭です。
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地下の礼拝室へつながる 廊下の壁に ドクロが 飾られていました。
ギョッとして 走りこんだ この礼拝室です。 -
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聖カテリーナの祈りの祭壇
聖女カテリーナ(1347年3月25日 - 1380年4月29日)
裕福な染物屋の娘としてうまれたカテリーナは 10代後半から 自らの意思で修道女になり病人や貧者を援助することに人生を捧げます。 -
聖女カテリーナは アヴィニョン捕囚の最後の教皇、グレゴリウス11世を ローマに戻すために尽力。グレゴリウス11世が ローマに帰還した翌年になくなった後は 後継者ウルバヌス6世に呼ばれ ローマに滞在、そして33歳で亡くなります。
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救済院に 入館するときに いただいたパンフレット。
二部入っていましたが 歩いているときに 一部を 落としてしまいました(;;) 落としたほうに 梯子を上る幼子たち を描いた 壁画が載っていたので 返す返すも残念。 -
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