2014/08/10 - 2014/08/15
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■夏の車旅、広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
恒例となった夏の長距離車旅、全走行距離は2030kmでした。5泊6日のひとり旅日記、第15編です。
◆赤穂城/兵庫県赤穂市上仮屋
浅野長直の指示によって慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。
藩の家臣で軍学師範の近藤正純が設計し、そのうち二之丸門虎口の縄張は、当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられたと伝えられています。
赤穂城跡は軍学に従って築かれた城であり、徳川幕府が始まって約50年後に築かれたにも関わらず、その構造は戦を強く意識しており、複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長があります。
城地は三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある舟入は船が出入りできるようになっています。
昭和46年に国史跡指定を受け、平成14年には本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定され、文化財の修復・復元はもちろん、都市公園としての整備も進むなど、赤穂市のシンボルにふさわしい城跡として蘇りつつあります。赤穂観光協会より
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
大正元年赤穂四十七義士並びに中折の烈士萱野三平を主祭神として赤穂城三の丸大石内蔵助、藤井叉左衛門両家老屋敷跡に鎮座。
その後浅野家三代の城主長直・長友・長短の三侯、浅野家断絶後の城主森家の遠祖、本能寺の変で亡くなった森蘭丸等七代の武将を合祀している。
ご祭神大石内蔵助を始め四十七義士が1年10ヶ月の間苦労を重ねお殿様の仇を討ったことにより「大願成就」「心願成就」の神として全国の方々より崇敬を集めている。
現在の社殿を始め神域は平成14年の赤穂義士討入り満三百年に際しその記念事業としてすべて一新した。赤穂観光協会より
≪夏の車旅、旅行6日目≫
▼赤穂城/兵庫県赤穂市加里屋
▼大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
▼山陽自動車道「吉備SA」/岡山県岡山市北区
▼世羅高原農場/広島県世羅郡世羅町
▼帰宅
【手記】
今回は(も)老体にムチ打って、広島から備中高松・福井・金沢・城端・能登半島・井波・富山・北アルプス方面(白馬岩岳ゆり園・松本市・飛騨高山)・郡上八幡・京都・赤穂・世羅高原などをウロチョロして参りました。
夏以降、直近の旅行記を優先してアップしていましたので「夏の車旅京都編・赤穂編」があとまわしになって、いつのまにか忘却の彼方へー^^。旅行時期が前後しますが、ご容赦のほど。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
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■夏の車旅、広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
・赤穂城跡へ/兵庫県赤穂市上仮屋
夏の車旅京都編のつづきです。 am6:30 赤穂駅前のHを出発、赤穂城跡&大石神社へ向かいました。 -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
・赤穂城の隅櫓
夏以降、直近の旅行記を優先してアップしていましたので「夏の車旅京都編・赤穂編」があとまわしになって、いつのまにか忘却の彼方へー^^。旅行時期が前後しますが、ご容赦のほど。 -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
・赤穂城の大手門 4年ぶりの訪問
浅野長直の指示によって慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。
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◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
藩の家臣で軍学師範の近藤正純が設計し、そのうち二之丸門虎口の縄張は、当時の著名な軍学者であった山鹿素行の手が加えられたと伝えられています。
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◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
赤穂城跡は軍学に従って築かれた城であり、徳川幕府が始まって約50年後に築かれたにも関わらず、その構造は戦を強く意識しており、複雑に折れ曲がる石垣、角度を違える諸門に特長があります。
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◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
城地は三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある舟入は船が出入りできるようになっています。
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◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
昭和46年に国史跡指定を受け、平成14年には本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定されました。 -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
・本丸門
文化財の修復・復元はもちろん、都市公園としての整備も進むなど、赤穂市のシンボルにふさわしい城跡として蘇りつつあります。赤穂観光協会より -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
・本丸門
本丸の表玄関となる本丸門は長方形の内枡形がたを備え、高麗門と櫓門の2門から構成されています。 -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
・本丸門
この本丸門は廃城後に取り壊されていたが、発掘調査成果・絵図・古写真等の資料をもとにして平成4〜8年(1992〜1996)にかけて復元されました。 -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
枡形石垣とともに壮大な虎口を構成しています。 -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
・本丸御殿
本丸内の大部分は藩邸である御殿が占めていました。 -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
・本丸御殿
御殿は表・中奥・奥から構成され、表御殿は政務を行う公的な場、中奥は藩主の私的な場、奥は女中達の部屋として使用されました。 -
◆赤穂城跡/兵庫県赤穂市上仮屋
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
大石神社は、赤穂義士たちが吉良邸に討ち入りを果たした事で有名な、赤穂四十七義士などを祀る神社で、大願成就に御利益があると言われています。 -
◆赤穂城 大石内蔵助の屋敷門
■忠臣蔵のあらすじ■
今からおよそ300年前(1702年、元禄15年12月14日)、お江戸で仇討ち事件がありました。場所は両国は松坂町、回向院裏の「吉良邸」。播州赤穂浅野家の浪士四十七名が吉良上野介の屋敷に討ち入り、その首級を挙げたというおなじみのお話です。 -
◆赤穂城 大石内蔵助の屋敷門
■忠臣蔵のあらすじ■
元禄14年3月14日江戸城中「松の廊下」において刃傷沙汰がありました。折しも京都からの勅使饗応の儀式の最中、接待担当の大名で播州赤穂(兵庫県)五万三千石の殿様、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、なんと儀式儀礼を教える先生役の吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけたのです。 -
◆赤穂城 大石内蔵助の屋敷門
■忠臣蔵のあらすじ■
「この間の遺恨覚えたるか」こう叫んだそうですが、何を意味するのでしょうか。
幸か不幸か、吉良上野介は死ぬほどの大事には至らなかったのですが、浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はお咎めなし。喧嘩両成敗の鉄則に反したばかりに、これから1年9ヶ月にかけて一大ドラマが展開することになるのです。 -
◆赤穂城 近藤源八宅跡長屋門
■忠臣蔵のあらすじ■
この年の勅使饗応の儀式は単なる年始の挨拶の返応だけではなく、特別の意味合いがあったそうです。
時の将軍綱吉の生母、桂昌院(けいしょういん)という方の官位従一位(皇族以外の女性としては初の)の贈位が朝廷からもたらされる手はずになっていたのです。ですから親孝行の将軍綱吉はこの大事な日を血で穢されて許せなかったのでしょうか。 -
◆赤穂城 大石内蔵助の屋敷門
■忠臣蔵のあらすじ■
原因はハッキリされていないのですが、朝廷接待の儀礼を教えてもらうべき吉良さんに賄賂を贈らなくて意地悪されたからだとされていますが、他にも色々あるのです。
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・西日本最大級の骨董市
この二人、実は同業者なのです。双方とも領地に塩田を持っていたのですが、瀬戸内の赤穂の塩の方が、三河の吉良の塩より品質が良く、たくさんとれた。その辺の嫉妬や羨望もあり、意地悪を続けたという説もあるのです。
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■
まだたくさん説はあるのですが、とにかく浅野の殿様は切腹、赤穂の城は没収、家臣は失職離散。
一方、吉良上野介はあくまでもお咎め無し。これじゃあ片手落ちだと仇討ちとなるのですが、実に1年と9ヶ月を要することになります。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・神門(義芳門)
家老の大石内蔵助はあくまでも恩赦特赦によるお家再興を働きかけ続けたのですが、虚しく日が過ぎていきます。家臣達からの仇討ちの督促や想像以上の世論の期待に耐えきれず、ついに内蔵助は決断をすることになります。
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・大石神社参道47名の義士像
元禄15年12月14日、大石内蔵助率いる総勢四十七名は殿様の命日に討ち入ります。めざすは両国松坂町「吉良屋敷」へ 。
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・大石神社参道47名の義士像
翌朝4時、まだ暗い。激闘2時間の末、見事、御首を挙げた四十七士は、主君の眠る高輪泉岳寺まで凱旋し、墓前に首級を供えたのです。
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・大石神社参道47名の義士像 〜大石内蔵助
この快挙に江戸市民はやんやの喝さいをしました。この時代は、ご存知犬公方様の“生類哀れみの令”で庶民はビクビク暮らしており、又、貨幣改鋳という悪政によるインフレにも喘いでいたのです。
この事件は、そういう息詰まり状態を一挙に晴らした一大爽快事だったのです。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・大石神社参道47名の義士像 〜大石内主税
この後、赤穂浪士たちは幕府に自主します。ただ一人、寺坂吉右衛門だけは途中で離脱します。内蔵助に国元の内匠頭の一族の人々に今回の討ち入りの事を細かく報告するように命を受けてのことと言われています。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・神門(義芳門)
翌年2月、大名家(熊本細川家、松山松平家、三河水野家、長門毛利家の四つの下屋敷)にお預けとなっていた全員が名誉ある切腹を命ぜられました。この時点で四十七士は義士とみとめられたのです。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・神門(義芳門)
浪士の切腹と連座して、吉良家も改易、生き残った上野介の子・義周も信濃国高島城に配流になりました。上野介を討ち、吉良家は改易。赤穂浪士の悲願は達成されたのでした。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
■忠臣蔵のあらすじ■ ・大黒様 開運招福 夫婦円満
以後、今日まで、日本人好みのこのお話は、芝居に映画にと語り継がれています。地元では立派なお殿様だったという吉良さんも、こんなにハッキリ悪役にされてしまっては、なんだかかわいそうな気もします。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・大黒様 開運招福 夫婦円満
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・恵比須様 社運隆昌 商売繁昌 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・高さ6m、幅7mもある巨大絵馬 「大願成就」「心願成就」 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・手水舎
神門(義芳門)を入りしばらく進むと右に手水舎があります。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・本殿
ご祭神大石内蔵助をはじめ四十七義士が1年10ヶ月の間苦労を重ね、お殿様の仇を討ったことにより「大願成就」「心願成就」の神として崇敬を集めています。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・本殿
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・義士宝物殿
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・義士宝物殿 忠臣蔵陣太鼓
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・義士宝物殿 記念撮影用顔抜き -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・忠臣蔵ものがたり大絵馬
本殿の周囲に大きな忠臣蔵ものがたり絵馬が掛けてあります。 -
◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・忠臣蔵ものがたり境内大絵馬
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・忠臣蔵ものがたり境内大絵馬
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・忠臣蔵ものがたり境内大絵馬
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◆大石神社/兵庫県赤穂市上仮屋
・神門(義芳門) 4年ぶりの訪問でした。
昭和17年、神戸の湊川神社の神門を移築したものです。義士の忠芬義芳を千歳までも伝える意味で「義芳門」と呼ばれています。 -
■夏の車旅、広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
・山陽自動車道 吉備SA/岡山県岡山市北区
赤穂城跡から世羅高原へ移動です。160kmの道のり。疲れていたのでちょっと休憩です。 -
■夏の車旅、広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
・山陽自動車道 吉備SA/岡山県岡山市北区
OKAYAMA NEW PIONE お土産にひとつ -
■夏の車旅、広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
・山陽自動車道 吉備SA/岡山県岡山市北区
たこ焼きを食べながら、のんびりと広島県世羅高原へ向けて車を走らせました。
アブナイヨー! -
■夏の車旅、広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
・山陽自動車道 吉備SA/岡山県岡山市北区
ももたろう市って言うんですね。
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■夏の車旅、広島〜岡山〜福井〜能登半島〜北アルプス〜京都〜兵庫〜広島
次の旅行日記は、「夏の車旅最終編・世羅高原農場のひまわり」です。
THE END. つづく・・・
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