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4日目は、いよいよ帰る日です。<br />長野県は広いので、南信・中信には何回か行きましたが、北信はあまり来たことがありません。<br />そこで、最近、人気のある小布施に寄ってみることにしました。<br />小布施のキャッチフレーズは「栗と北斎と花の町」「歴史と文化の町」・・・<br />長野県で一番小さなこの町は、千曲川と松川が合流する所にあり、二つの川が合う「逢う瀬」が「小布施」になったとも言われています。<br />静かなこの町も、今は多くの観光客を惹きつけており、行ってみるとその良さが分かります。<br />写真は、北斎館から高井鴻山記念館の裏に続く「栗の小径」。

志賀高原の夏休み<4> (小布施)

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2014/08/18 - 2014/08/21

133位(同エリア283件中)

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ペコちゃん

ペコちゃんさん

4日目は、いよいよ帰る日です。
長野県は広いので、南信・中信には何回か行きましたが、北信はあまり来たことがありません。
そこで、最近、人気のある小布施に寄ってみることにしました。
小布施のキャッチフレーズは「栗と北斎と花の町」「歴史と文化の町」・・・
長野県で一番小さなこの町は、千曲川と松川が合流する所にあり、二つの川が合う「逢う瀬」が「小布施」になったとも言われています。
静かなこの町も、今は多くの観光客を惹きつけており、行ってみるとその良さが分かります。
写真は、北斎館から高井鴻山記念館の裏に続く「栗の小径」。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 4日目。<br />5時前の景色・・・笠ヶ岳は何回見ても飽きません。

    4日目。
    5時前の景色・・・笠ヶ岳は何回見ても飽きません。

  • 一望閣さんには、4日間お世話になりました。<br />スタッフの皆さんも、明るく感じの良い方でした。

    一望閣さんには、4日間お世話になりました。
    スタッフの皆さんも、明るく感じの良い方でした。

  • 最後の朝食。

    最後の朝食。

  • 帰りは、再び「道の駅・北信州やまのうち」に立ち寄り、果物・野菜類などをお土産に。<br />その後、小布施に向かい、先ず「岩松院」へ。

    帰りは、再び「道の駅・北信州やまのうち」に立ち寄り、果物・野菜類などをお土産に。
    その後、小布施に向かい、先ず「岩松院」へ。

  • 岩松院は1472年に開山された曹洞宗のお寺です。 <br />戦国の武将・福島正則や葛飾北斎、俳人・小林一茶ゆかりの古寺でもあり、 境内には福島正則の霊廟や、一茶が「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」という句を詠んだ蛙合戦の池があります。

    岩松院は1472年に開山された曹洞宗のお寺です。
    戦国の武将・福島正則や葛飾北斎、俳人・小林一茶ゆかりの古寺でもあり、 境内には福島正則の霊廟や、一茶が「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」という句を詠んだ蛙合戦の池があります。

    岩松院 寺・神社・教会

  • 参道の中ほどにある仁王門。<br />総ひのき造りの仁王門は入母屋の四柱門で、左右一対の金剛力士像が置かれています。<br />この奥に、岩松院の本堂が見えます。

    参道の中ほどにある仁王門。
    総ひのき造りの仁王門は入母屋の四柱門で、左右一対の金剛力士像が置かれています。
    この奥に、岩松院の本堂が見えます。

    岩松院 寺・神社・教会

  • 岩松院の本堂。<br />堂内には、有名な天井絵「八方睨み鳳凰図」があります。

    岩松院の本堂。
    堂内には、有名な天井絵「八方睨み鳳凰図」があります。

    岩松院 寺・神社・教会

  • 境内にある小布施観音。

    境内にある小布施観音。

  • 本堂の入り口で靴を脱ぎ・・・

    本堂の入り口で靴を脱ぎ・・・

  • 300円払って堂内へ・・・お寺の自動券売機は、初めて!<br /><br />

    300円払って堂内へ・・・お寺の自動券売機は、初めて!

  • 21畳敷もある、葛飾北斎の晩年の大作「八方睨み鳳凰図」・・・本堂の天井を、実際に舞っているかのような鳳凰の鋭い目は、どこからみてもこちらを見据えているような気がします。<br />完成は嘉永元年(1848)、北斎は89歳でした。(堂内は撮影禁止のため、写真はHPより)

    21畳敷もある、葛飾北斎の晩年の大作「八方睨み鳳凰図」・・・本堂の天井を、実際に舞っているかのような鳳凰の鋭い目は、どこからみてもこちらを見据えているような気がします。
    完成は嘉永元年(1848)、北斎は89歳でした。(堂内は撮影禁止のため、写真はHPより)

  • 160年以上経っていますが、塗り替えは1度もしていないとのこと・・・鮮やかな色彩に心を奪われます。(写真は絵葉書より)<br />間口6.3m、奥行5.5mの大画面を12分割し、床に並べて彩絵した後、天井に取り付けられたそうです。<br />北斎は83歳の時から4回小布施を訪れ、4回目の滞在時に約1年をかけて鳳凰図を描き、翌年江戸に戻って90歳で亡くなりました。

    160年以上経っていますが、塗り替えは1度もしていないとのこと・・・鮮やかな色彩に心を奪われます。(写真は絵葉書より)
    間口6.3m、奥行5.5mの大画面を12分割し、床に並べて彩絵した後、天井に取り付けられたそうです。
    北斎は83歳の時から4回小布施を訪れ、4回目の滞在時に約1年をかけて鳳凰図を描き、翌年江戸に戻って90歳で亡くなりました。

  • 岩松院の庭園と池。

    岩松院の庭園と池。

    岩松院 寺・神社・教会

  • カエル合戦の池・・・桜の頃、産卵の時期になると、少ないメスをオスが奪い合い、合戦が始まります。

    カエル合戦の池・・・桜の頃、産卵の時期になると、少ないメスをオスが奪い合い、合戦が始まります。

  • 小林一茶がこの地を訪れ、「痩せがへる まけるな一茶 是に有」と詠んだ石碑。

    小林一茶がこの地を訪れ、「痩せがへる まけるな一茶 是に有」と詠んだ石碑。

  • 本堂の裏には・・・

    本堂の裏には・・・

  • 福島正則公の霊廟があり、この中には遺骨と大五輪塔があります。

    福島正則公の霊廟があり、この中には遺骨と大五輪塔があります。

  • 福島正則(1561~1624)は、豊臣秀吉の重臣として賤ケ岳の戦いでは「七本槍の第一」と称せられ、また関ケ原の合戦でも勇名をはせ、広島城(49万8千石)の大大名になりましたが、大坂落城後に広島城の無断改修を咎められて、1619年に信州川中島(4万5千石)に国替えさせられ、在信5年で悲運を嘆きつつ、64歳で死去しました。

    福島正則(1561~1624)は、豊臣秀吉の重臣として賤ケ岳の戦いでは「七本槍の第一」と称せられ、また関ケ原の合戦でも勇名をはせ、広島城(49万8千石)の大大名になりましたが、大坂落城後に広島城の無断改修を咎められて、1619年に信州川中島(4万5千石)に国替えさせられ、在信5年で悲運を嘆きつつ、64歳で死去しました。

  • 霊廟の周りの墓石。

    霊廟の周りの墓石。

  • 小布施は栗や丸なすが有名ですが、果物も豊富です。<br />岩松院から駐車場に戻る途中には、こんな立派な巨峰や・・・

    小布施は栗や丸なすが有名ですが、果物も豊富です。
    岩松院から駐車場に戻る途中には、こんな立派な巨峰や・・・

    岩松院 寺・神社・教会

  • 色づき始めたリンゴ畑があります。<br />小布施は周りに山が少ないので、日照時間が長く、夜は気温が下がるため、甘くて糖度の高い果物が出来ます・・・さすが、フルーツ王国・信州ですね。

    色づき始めたリンゴ畑があります。
    小布施は周りに山が少ないので、日照時間が長く、夜は気温が下がるため、甘くて糖度の高い果物が出来ます・・・さすが、フルーツ王国・信州ですね。

  • 小布施町は、長野県の北東に位置する人口11,000人ほどの小さな町ですが、葛飾北斎をはじめ、歴史的遺産を活かした街づくりで人気があり、年間80万人もの観光客が訪れます。<br />町内には6カ所の駐車場があり、森の駐車場に止めて中心街に歩いて行くと、お土産屋さんなどが綺麗に軒を連ねています。

    小布施町は、長野県の北東に位置する人口11,000人ほどの小さな町ですが、葛飾北斎をはじめ、歴史的遺産を活かした街づくりで人気があり、年間80万人もの観光客が訪れます。
    町内には6カ所の駐車場があり、森の駐車場に止めて中心街に歩いて行くと、お土産屋さんなどが綺麗に軒を連ねています。

  • 昭和51年開館の「北斎館」に入ってみました。<br />この館が起爆剤となって、多くの観光客が小布施に来るようになりました。<br />葛飾北斎(1760~1849)は、『富嶽三十六景』や『北斎漫画』などで有名な江戸時代後期の浮世絵師。<br />小布施の豪農・豪商の家に生まれ、江戸や京都に遊学した高井鴻山〈1806~1883〉が、江戸で北斎と知り合ったことが縁で、北斎が83歳の時(1842年)に小布施の鴻山屋敷を訪れました。<br />鴻山は感激し、アトリエ「碧般軒(へきいけん)」を建てて厚遇・・・以来、北斎の当地への訪問は4度にわたり、岩松院の天井絵や祭屋台の天井絵などを完成させます。

    昭和51年開館の「北斎館」に入ってみました。
    この館が起爆剤となって、多くの観光客が小布施に来るようになりました。
    葛飾北斎(1760~1849)は、『富嶽三十六景』や『北斎漫画』などで有名な江戸時代後期の浮世絵師。
    小布施の豪農・豪商の家に生まれ、江戸や京都に遊学した高井鴻山〈1806~1883〉が、江戸で北斎と知り合ったことが縁で、北斎が83歳の時(1842年)に小布施の鴻山屋敷を訪れました。
    鴻山は感激し、アトリエ「碧般軒(へきいけん)」を建てて厚遇・・・以来、北斎の当地への訪問は4度にわたり、岩松院の天井絵や祭屋台の天井絵などを完成させます。

    北斎館 美術館・博物館

  • 北斎館は、小布施で描かれた肉筆画・画稿・書簡などを元に開設しました。<br />富嶽三十六景をはじめとした木版浮世絵(錦絵)の他にも、素晴らしい作品が展示されています。

    北斎館は、小布施で描かれた肉筆画・画稿・書簡などを元に開設しました。
    富嶽三十六景をはじめとした木版浮世絵(錦絵)の他にも、素晴らしい作品が展示されています。

    北斎館 美術館・博物館

  • 1階の展示室には、北斎直筆の天井絵が飾られた二基の祭屋台を展示しています。(写真はパンフレットより)

    1階の展示室には、北斎直筆の天井絵が飾られた二基の祭屋台を展示しています。(写真はパンフレットより)

  • 東町祭屋台の「龍・鳳凰」図は、85歳の時の作品。

    東町祭屋台の「龍・鳳凰」図は、85歳の時の作品。

  • 上町祭屋台の「男波・女波」の怒涛図は、86歳の作品。

    上町祭屋台の「男波・女波」の怒涛図は、86歳の作品。

  • 北斎館のすぐそばに、栗羊羹など栗菓子で有名な「小布施堂本店」があり、入口に北斎の「傘風子(さんぷうし)図」が飾られています。<br />仙人が傘に乗って天の河を渡るというユーモラスな図・・・小布施堂のシンボルで、20cm角の原画を3m角に拡大し、信楽焼で作成したものです。<br />栗子工場は、傘風舎と呼ばれています。

    北斎館のすぐそばに、栗羊羹など栗菓子で有名な「小布施堂本店」があり、入口に北斎の「傘風子(さんぷうし)図」が飾られています。
    仙人が傘に乗って天の河を渡るというユーモラスな図・・・小布施堂のシンボルで、20cm角の原画を3m角に拡大し、信楽焼で作成したものです。
    栗子工場は、傘風舎と呼ばれています。

  • 小布施堂は、明治30年代に桝一市村酒造場で栗菓子の製造を始め、大正12年に株式会社として創業。(家は、末裔)<br />こちらが、小布施堂・本宅の正門・・・宝暦年間(1750年代)に高井鴻山の祖父・市村作左衛門が建てた門で、北斎も天保13年にこの門を叩きました。

    小布施堂は、明治30年代に桝一市村酒造場で栗菓子の製造を始め、大正12年に株式会社として創業。(家は、末裔)
    こちらが、小布施堂・本宅の正門・・・宝暦年間(1750年代)に高井鴻山の祖父・市村作左衛門が建てた門で、北斎も天保13年にこの門を叩きました。

  • 綺麗に手入れされた庭。

    綺麗に手入れされた庭。

  • 小布施堂本店の隣にあるのが「桝一市村酒造場」・・・栗菓子の小布施堂を営む市村家が、江戸時代宝暦年間より営んできた造り酒屋の屋号が「桝一」です。<br />ここは、その桝一市村酒造場の直売店。

    小布施堂本店の隣にあるのが「桝一市村酒造場」・・・栗菓子の小布施堂を営む市村家が、江戸時代宝暦年間より営んできた造り酒屋の屋号が「桝一」です。
    ここは、その桝一市村酒造場の直売店。

    枡一市村酒造場 専門店

  • 栗の里・小布施の中心部に位置する、栗ようかん等で有名な「竹風堂」の本店前の道を入って行くと・・・

    栗の里・小布施の中心部に位置する、栗ようかん等で有名な「竹風堂」の本店前の道を入って行くと・・・

  • 「自在屋」という民芸雑貨屋さんの前に、何故かカブトムシの巨大なオブジェが・・・目立つカブトムシのお蔭で、商売繁盛のようです。

    「自在屋」という民芸雑貨屋さんの前に、何故かカブトムシの巨大なオブジェが・・・目立つカブトムシのお蔭で、商売繁盛のようです。

  • 竹風堂本店の敷地内にある「日本のあかり博物館」に入って見ました。<br />この博物館は、日本初の灯火具専門館として昭和57年に開館。

    竹風堂本店の敷地内にある「日本のあかり博物館」に入って見ました。
    この博物館は、日本初の灯火具専門館として昭和57年に開館。

    日本のあかり博物館 美術館・博物館

  • 建物は、明治末の米蔵と昭和初期の倉庫を改造したものです。

    建物は、明治末の米蔵と昭和初期の倉庫を改造したものです。

  • 館内には、日本の昔のあかりから電灯が灯るまでの、いろいろなあかりの道具を展示しています。

    館内には、日本の昔のあかりから電灯が灯るまでの、いろいろなあかりの道具を展示しています。

    日本のあかり博物館 美術館・博物館

  • 中でも興味深かったのが、「ねずみの短檠(たんけい)」。

    中でも興味深かったのが、「ねずみの短檠(たんけい)」。

  • 短檠とは、背の低い灯台のことです。

    短檠とは、背の低い灯台のことです。

  • 上部に、ねずみの形の給油タンクがついており、皿の油が減ってくると空気圧の作用で、ねずみの口から自動的に皿に給油される仕組みになっている優れものです。

    上部に、ねずみの形の給油タンクがついており、皿の油が減ってくると空気圧の作用で、ねずみの口から自動的に皿に給油される仕組みになっている優れものです。

  • これも感心した「旅まくらあんどん」・・・行灯や枕だけでなく、筆記具や算盤などをコンパクトにセット・・・現代でも使えそう・・・

    これも感心した「旅まくらあんどん」・・・行灯や枕だけでなく、筆記具や算盤などをコンパクトにセット・・・現代でも使えそう・・・

  • この博物館の北側の路地が、歴史を感じさせる「陣屋小路」です。

    この博物館の北側の路地が、歴史を感じさせる「陣屋小路」です。

  • 江戸中期(1701~1715)には、この地に陣屋(代官所)が置かれていました。<br />小路に足を踏み入れると、観光地の喧騒が遠くなり、静寂の世界へ・・・何だか時代に取り残されたような気分になります。<br /><br />

    江戸中期(1701~1715)には、この地に陣屋(代官所)が置かれていました。
    小路に足を踏み入れると、観光地の喧騒が遠くなり、静寂の世界へ・・・何だか時代に取り残されたような気分になります。

  • 風の通り道になっているのでしょうか、建物の下を小川が流れ、涼しさも感じます。

    風の通り道になっているのでしょうか、建物の下を小川が流れ、涼しさも感じます。

  • 突き当たりに、陣屋跡の標柱と陣屋稲荷の石の祠があります。

    突き当たりに、陣屋跡の標柱と陣屋稲荷の石の祠があります。

  • 白壁も風情があります。

    白壁も風情があります。

  • 桝一市村酒造場がある表通りに出ました。

    桝一市村酒造場がある表通りに出ました。

  • 再び、北斎館に向かって街を歩き・・・

    再び、北斎館に向かって街を歩き・・・

  • 栗の木のブロックを敷き詰めた遊歩道「栗の小径」を通ります。

    栗の木のブロックを敷き詰めた遊歩道「栗の小径」を通ります。

  • 栗の小径の名前の通り・・・

    栗の小径の名前の通り・・・

  • 立派な栗が実っていました。

    立派な栗が実っていました。

  • 小径から入った家には、何とも涼しそうなガラスの風鈴が・・・

    小径から入った家には、何とも涼しそうなガラスの風鈴が・・・

  • 高井鴻山記念館の裏通りが「栗の小径」です。

    高井鴻山記念館の裏通りが「栗の小径」です。

    髙井鴻山記念館 美術館・博物館

  • 高井鴻山は、江戸後期の幕末に佐久間象山をはじめ当時の日本史を彩った思想家や、葛飾北斎など文人墨客たちと幅広く交流がありました。<br />高井鴻山記念館は、当時の面影を色濃く残す建物とともに、鴻山が数多く残した書画の作品を展示しています。

    高井鴻山は、江戸後期の幕末に佐久間象山をはじめ当時の日本史を彩った思想家や、葛飾北斎など文人墨客たちと幅広く交流がありました。
    高井鴻山記念館は、当時の面影を色濃く残す建物とともに、鴻山が数多く残した書画の作品を展示しています。

    髙井鴻山記念館 美術館・博物館

  • 中町南の交差点。

    中町南の交差点。

  • 小布施町には町内10ヵ所に、小布施に伝わる民話を紙芝居で観れる「物語ボックス」があります。<br />これは、中町南交差点の「まんない姫と小布施栗」。<br />徳川家康の姫が、松代の殿様に嫁ぐときの化粧料(持参金)として、小布施に栗を植えたというお話・・・観ていると、童心に帰ります。

    小布施町には町内10ヵ所に、小布施に伝わる民話を紙芝居で観れる「物語ボックス」があります。
    これは、中町南交差点の「まんない姫と小布施栗」。
    徳川家康の姫が、松代の殿様に嫁ぐときの化粧料(持参金)として、小布施に栗を植えたというお話・・・観ていると、童心に帰ります。

  • 今回、志賀高原に行く時に通過した甘楽PAの下り線で、甘楽の武家屋敷を模した建物が見えたので、帰りに上り線のPAに寄ってみました。<br />こちらは、富岡製糸場をイメージし、赤レンガ調にデザインされた建物です。

    今回、志賀高原に行く時に通過した甘楽PAの下り線で、甘楽の武家屋敷を模した建物が見えたので、帰りに上り線のPAに寄ってみました。
    こちらは、富岡製糸場をイメージし、赤レンガ調にデザインされた建物です。

  • 富岡製糸場土産や上州、軽井沢土産をはじめ、地元農家直送の新鮮野菜も販売してます。<br />トイレの前に、ヒッチハイクの若者がいました・・・同じ方向だったら、乗せてあげるんだけどネ?

    富岡製糸場土産や上州、軽井沢土産をはじめ、地元農家直送の新鮮野菜も販売してます。
    トイレの前に、ヒッチハイクの若者がいました・・・同じ方向だったら、乗せてあげるんだけどネ?

  • 甘楽の周辺には、古墳時代の集落や古墳群が沢山分布しています。<br />かつては、100基前後の円墳が点在していたそうです。

    甘楽の周辺には、古墳時代の集落や古墳群が沢山分布しています。
    かつては、100基前後の円墳が点在していたそうです。

  • 発掘された古墳・埴輪・縄文土器が、PAの広場に復元展示されています。<br /><br />涼しかった4日間の志賀高原の旅も終わりました。<br />今度は、志賀高原の紅葉を見に行きたいと思います。

    発掘された古墳・埴輪・縄文土器が、PAの広場に復元展示されています。

    涼しかった4日間の志賀高原の旅も終わりました。
    今度は、志賀高原の紅葉を見に行きたいと思います。

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