2013/02/16 - 2013/02/23
5306位(同エリア17050件中)
masaboさん
- masaboさんTOP
- 旅行記75冊
- クチコミ10件
- Q&A回答1件
- 263,262アクセス
- フォロワー8人
JALパックを利用してのロンドン・パリ旅行、結婚35周年を記念しての旅だったが、35年前には、羽田〜ロンドン(2泊)〜マドリッド(1泊)〜ローマ(2泊)〜パリ(2泊)〜アムステルダム(1泊)〜ロンドン〜羽田という旅程での新婚旅行であった。しかしこの新婚旅行も、終盤の訪問地パリで大雪に見舞われ、最終宿泊地のアムステルダムへのフライトがキャンセルになってしまったことから、結果的にアムステルダムを訪問することが不可能になってしまった。この日は午前中にパリを発ってアムステルダムに入る予定だったが、大雪のため夕方まで空港内に閉じ込められた状態になり、翌日のロンドン発の帰国便に間に合わせるため、急きょ、われわれ夫婦を含む約20人のパック旅行参加者は、確か午後7時頃だったと思うがパリ北駅から列車でカレーに向かったのだ(余談だが、大雪というハプニングで乗った列車の中が、たまたま、映画で見たことのあるコンパートメント仕様になっていたので、これに大いに感動を覚えた)。そしてカレーからフェリーでドーバー海峡を渡り、その船内で、深夜、イギリスへの入国手続きを行なった。翌朝、ドーバーからロンドンまで列車で移動してヒースロー発の帰国便に何とか間にあったという、そんな思い出深い新婚旅行であった。帰国後、そのパック旅行に参加していた数組の”新婚さん”仲間と文通をしていたが、いつの間にか遠い存在になってしまい、今では、その消息は全く分からなくなった。
あれから35年・・・。当時、ローマから空路パリ入りしたのが2月18日だったが、偶然にも35年後の同じ2月18日、われわれは、フェリーではなく海底トンネルを抜けて、列車(ユーロスター)でパリ入りしたのだった。前回のローマからではなく今回はロンドンからではあったが・・・。残念ながら、当時宿泊したパリの「日航ホテル(現在はノボテル・パリ・トゥール・エッフェル)」には泊まらず、オペラ座に近い「ホテル・スクリーブ・パリ」を宿泊先として選んだ。
この日、われわれは午前10時25分ロンドン発パリ行きの「ユーロスター」に乗車したが、ロンドンを発ったのは約30分遅れの午前11時前後だった。ロンドンのセント・パンクラス駅(あのハリーポッターの物語に登場したキング・クロス駅のすぐ隣)では、「出発が遅れます」「何時何分発車予定です」「出発は何番線です」なんてアナウンスは全くなく、ただただ、駅構内の電光掲示板を見るのみであるため、油断していたら置いて行かれてしまう。そのため何度も何度も電光掲示板を見て、出発ホームの番号や出発時刻を確認せざるを得なかった。当初、パリ到着は13時47分の予定だったが、出発が遅れた分、パリ北駅へも午後2時過ぎの到着となった。
ところで、この表紙のここからは投稿した2015年の記述となるが、この旅行記の表題にも使用した「SKY SUITE 777」は、日本航空が導入したのが2013年1月、つまり、この旅行の1か月余り前であり、それも成田〜ロンドン線が最初だった。それ故に、あえて往路を成田発ロンドン行きとして「SKY SUITE 777」のビジネスを利用・体験した訳だが、印象は、さすがに座席空間が広く、機内に自分の”プライバシー空間”が登場したように感じられたのだ。そのこともあって、わが家では「SKY SUITE 777」が”お気に入りに追加”となった。そして、そのゆったり感よ今一度!という訳で、われわれ夫婦は益々、その居心地の良さに乗じて、とうとう「SKY SUITE 777」の「ファーストクラス」に搭乗してみることにしたのだ。それも今回のロンドン・パリ旅行から僅か4カ月後のことだ。この旅行記への投稿、次回は「SKY SUITE 777・ファーストクラス搭乗記」としたいと考えている。ぜひ早い時期に投稿したい。行き先は…?
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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宿泊先の「ホテル・スクリーブ・パリ」の写真。ロケーション的には、オペラ座のすぐ近くであり、人通りも多いことから、夜遅くまで賑わう交通至便の所に位置している。結果的にも、われわれはルーブル美術館やサントノーレ通りなどは徒歩圏内だとして、急ぐ場合を除いては、ほぼ徒歩で移動した。
ロンドンからパリ北駅に「ユーロスター」で到着したわれわれは、女性の親子連れ2人とともにJALパックの送迎車でホテルまで案内されたが、車の中では、女性スタッフから「パリではひったくり等々に十分気をつけるように」と厳しく注意喚起された。夫婦としては35年ぶり、私自身は、たまたま「フランス革命200周年」で賑っていた1989年7月以来だから、24年ぶりのパリ訪問だが、当時も、友人がモンマルトルの丘で、少年に囲まれて財布をスラれたという話があったのを思い出した。「そうか。24年経っても、まだ犯罪は減っていないのか?」と、車窓からホテルまでのパリの街並みを眺めながら、少々寂しさを覚えたものだ。そういえば24年前の「フランス革命200周年」では、あのシャンゼリゼ通りの、とあるビルから、凱旋門の上に上がる、記念の花火を見たことを思い出した。出張先での日本人の皆さんの歓待で、花火を見ながら”日本酒”を飲ませて頂いた。あの頃の人たちは元気でいるのだろうか?あの頃といえば、この「ホテル・スクリーブ・パリ」の建物は、ものの資料によると1860年に建てられたそうで、それこそ150年以上もの間、パリの街を見守り続けてきたことになる。そういえば、フランスやイギリス、ドイツなど、アルプスより北のヨーロッパには大きな地震がほとんど起きていない。だからこそ、こうして、古く良き建築物が長年にわたって建ち続けていられるのではないかと、個人的に、建物の伝統を感じながら思った。 -
「ホテル・スクリーブ・パリ」にチェックインした後、早速、パリ市内に出かけたが、最初に訪れた所は「奇跡のメダイ教会」。この「奇跡のメダイ」とは、1830年代、パリでコレラが大流行し2万人が死亡したとされる中、この教会のメダルが配布されたことでコレラ渦が収まったと言われており、以来、この教会のメダルを「奇跡のメダル(メダイ)」と呼ぶようになったと、ものの資料に書かれている。やがて、このメダルが幸運を招くとして世界各地の人々に人気を集めるようになり、今回、私の妻も、このことを初めて知り、早速、訪問していくつかのメダル(メダイ)を購入し、おみやげとして持ち帰ることにしたのだ。ここにはキリスト教団体のメンバーとして日本人女性がおり、会の趣旨などを説明して貰った。このメダルが1人でも多くの人に行き渡るようにという願いから?メダル(メダイ)は相当、安価で販売されており、私の記憶では、確か1ユーロ台から2ユーロ台だった筈だ。この「奇跡のメダイ教会」は、パリ地下鉄メトロの「セーブル・バビロン」駅近くにあり、有名なデパート「ボン・マルシェ」の裏側に位置している。
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「奇跡のメダイ教会」からは徒歩で、サン・ジェルマン・デ・プレを目指した。直線距離にすれば500メートル程度だろうか?「カフェ・ドゥ・マゴ」でお茶でもということで向かったのだが、結局ここで、有名な「クロック・ムッシュ」を食べようということになり、時間的にも「夕食」になってしまった。「クロック・ムッシュ」は12ユーロだったが、私はビールを飲み、妻は珈琲、娘はワインを注文した。写真の「カフェ・ドゥ・マゴ」は、まだ外が明るいが、食べ終わって店を出ると、さすがに真冬のこの時期、間もなく夕闇が迫ってきた。さすがにこの日は、旅の移動日でもあり、疲れているからということで、早めにホテルに戻った。
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オペラ座の夜景も美しく、こうした到着初日のパリの夜景をカメラに収めながらホテルに戻ったのだが、早めに帰宿したのには、もうひとつの理由があった。実は翌朝、まだ暗い午前7時過ぎにオペラ座隣のデパート「ギャラリー・ラファイエット」前に私だけが行かねばならないからだった。なぜか?実は私だけが「モン・サン・ミッシェル1日観光」の申し込みをしていたのだ。妻と娘は、過去に行ったことがあり、2度も同じ行程では勿体ないということから私の単独行動と相成ったのだ。正直なところ、女性陣にとって一日観光が155ユーロ(現在のレートでは2万円以上!)ということは相当な高価であり、むしろ、その金額を”買い物”に費やした方が良い!と割り切ったと、私は理解したのだった。
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ライトアップされている「オペラ座」とは異なり、こちらはライトアップされていないが、写真はオペラ座の隣にある「ギャラリー・ラファイエット」。翌朝7時頃、まだ本当に暗い中だったが、この建物の前に集合して「モン・サン・ミッシェル1日観光ツアー」に参加したのだ。私一人で。この日の予定は、私一人が、このツアーに参加、妻と娘は”買い物”と、女性陣が勝手に決め込んでいた。私が参加したツアーは「ミキ・ツーリスト」が運営するオプショナル・ツアー会社の「みゅう」の商品「モン・サン・ミッシェル1日観光(昼食付き)」というものだった。集合場所には「みゅう」という文字が書かれた上着姿のスタッフがいたが、なぜか私もスタッフの一員とみられたようで「大阪からの者ですが、私たちの乗るバスは、これでいいんですか?」なんて尋ねられてしまった。肩に2台のカメラをぶら下げていたのに、ツアー参加者には見られなかったということか?
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「ホテル・スクリーブ・パリ」の宿泊は、毎日、朝食付きだったが、朝食はバイキング方式でホテルの地下で食べることになる。会議室のような部屋の仕切りを取り部屋の中いっぱいにテーブルなどが置かれていたが、最初のここでの朝食は到着した翌朝、私の「モン・サン・ミッシェル」行きのため、早朝6時半からの食事となった。朝食会場への到着はもちろん一番乗り、盛りつけられたばかりのハム・ソーセージ類、フルーツ、パンなどを食べたが、ここでは珍しく、自分で”茹でたまご”を作って食べるシステムになっていたのだ。生卵が用意されており、その横に鍋が置かれ、お湯が沸騰しているのだが、そこに、ちょうど卵1個が入る金属製の網が用意され、その中に生卵を入れて鍋に入れるという仕組み。10分程度はかかるので、ついつい忘れてしまいそうだが、卵を入れて10分後に取りに行った、娘は、誰かに盗まれてしまったと怒りながら帰ってきた。そ、リュックサックとカメラ2台を持って「ギャラリー・ラファイエット」前の集合場所へ急いだのであった。
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「カメラ2台」という表現にこだわっているが、実は、これには理由がある。われわれ3人のうち「モン・サン・ミッシェル」に行くことになったのは私一人で、妻と娘はショッピングを楽しむことになったと書いたが、”シャイ”な私は、こうした”バスツアー”に一人で参加するなんて、努々思っていなっかったのだ。とはいえ”一度行ったのに、また高いお金を払って行くなんて、勿体ないでしょう?”なんて、妻に言われれば、私としても頷かざるを得ない。とははいえ一人での参加に、激しい抵抗感を覚える・・・!そこで思いついたのが”カメラ撮影旅行”だ。カメラ好きのオジさんが、写真を撮りたいがために「バスツアー」に参加した。そう思われるなら、まっ好いか?って感じで、あくまでも写真撮影のための参加を強調する意味で、カメラを2台ぶら下げて一人の参加としたのだ。写真のバスに乗って「モン・サン・ミッシェル」に行ったのだが、参加者の多くは若者で、どうやら時期的に”卒業旅行”の大学生が多かったように思った
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最近、フランスとしてもテーマを絞って観光客の誘致に努めているようだが、その中のひとつ、フランスの田舎に点在する小さな村も人気を集めており多くの観光客が訪れているという。われわれのツアーもノルマンディー地方の小さな村「ポン・レヴェック」に立ち寄るというコース設定がされていた。この村の入り口で”トイレ休憩”として、高速道路のICを降りてすぐレストランに立ち寄った。「Les Tonneaux」という店で、店の目の前にあったリンゴ酒(シードル)を蒸留させて作るという「カルヴァドス」酒の蔵元直営の店だそうだ。ワインの美味しそうなお店だと拝察したが、料理は”チーズフォンデュ”が有名だそうだ。何しろわれわれはトイレ休憩に立ち寄っただけなので、私にはここで、暖かいコーヒーを一杯飲んだだけであった。この店から「ポン・レヴェック」の中心街まではバスで約5分。”撮影”のため一人で参加したオジさんは、ここぞとばかり持参のカメラを駆使して村の中の風景・建物に向かってシャッターを押し続けたのであった。
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小さな村「ポン・レヴェック」では、到着後、約1時間の自由時間が設定されていた。カップル、グループで参加している人たちは、三々五々、お土産店や飲食店などを廻り始めたが、なにせ単身参加のオジさんは、この1時間が実に長い!村のメインストリートはあっという間に端からは端まで歩き終えるし、かといって一人でカフェに入ろうという気もなく、とはいえ清涼飲料水だけは買い求めたが・・・。そのペットボトルを手にしながら、あとは、だただ村の中の路地という路地を歩き回って写真を撮り続けたのであった。それにしても、こうしたフランスの田舎の村には、必ず、村民と深いつながりを持ち続けているであろう素晴らしい水の流れが、より一層、農村情緒というか田園風景というか、地方の「村」としての風情を見事に演出してくれている。本当に美しい景色だ。さすがにこの景色を目にした時は、歩くことも忘れて、暫し、立ち止まったまま、その景色を十分に堪能したのだった。
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「見えたぁー!」「」来たぁー!」って感じで、あのモン・サン・ミッシェルが車窓から見えてきた。というところで、突然、野暮な話になるが、実は今回のロンドン・パリ旅行で、私は高齢のせいか、それとも寒さのせいか、相当重い肩痛に悩んでいたのだ。とにかく肩が痛くて、鎮痛剤を服用しても、さほどの効果が見られず、この日帰りツアーのバス車内でも、その痛みを少しでも和らげたいという思いで、ずーっと肩を窓際に押し付けていたのだ。「どうして、こんなに痛いんだろう?」とその苦しみに耐えながらのモン・サン・ミッシェル見物日帰りツアーだったが、車窓からモン・サン・ミッシェルを目にしてからというもの、しばし、肩痛を忘れてしまっていたのだ。このことは到着してバスを降りた時に気付いたのだが、やはり、この日の目的の物を目にした喜びからだろうか、本当に、痛みを忘れさせてくれたのだ。写真は、ツアーバスを降りて、シャトルバスに乗る前に昼食を摂った場所から写したもの。このツアーでは、モン・サン・ミッシェル内の有名な「プラールおばさんのオムレツ」で知られる「ラ・メール・プラール」でオムレツを食べるのではなく、手前のホテル「ルレ・サン=ミシェル」のレストランで「オムレツ」を食べるのだ。きっと、その方が安価であルからだろうが、わが家の妻や娘も、以前、ここを訪れた際「プラールおばさんのオムレツ」を食べたものの、えらく料理が出来上がるのが遅く、また高価だったと愚痴をこぼしていたので、もしかしたら、手前のホテル・レストランでの「オムレツ」で良かったのかもしれない・・・。ここからの景色も素晴らしかった。
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モン・サン・ミッシェル見学者は、基本的に「シャトルバス」を利用することになるが、「シャトルバス」は日中は、ほぼ5分間隔程度で、頻繁に運行されている。無料。手前のホテル等々のある場所からモン・サン・ミッシェル島までは約3キロあるとされており、徒歩でも行けるものの、ほとんどの人は、この「シャトルバス」を利用する。ただ、これを寄稿しようかという時期(2014年7月)に、工事中であったモン・サン・ミッシェル島への橋の落成式が行なわれたというニュースが入った。当面は歩行者用として供用されるものの、9月には、この橋を「シャトルバス」が通行できるようになるとのことで、今後、アクセス方法に変化が生じそうだ。いずれにしても、最近は「海に浮かぶモン・サン・ミッシェル」の姿がなかなか見られなくなったようで、砂州が島の周りを取り囲むとようになったことから、改めて「モン・サン・ミッシェル島」が海に浮かぶ姿を取り戻すべく、川の流路を変更するなどして、かつての潮流を取り戻すのだと説明があった。
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「モン・サン・ミッシェル」の7中に入ると、まず最初に注目する店舗がこの「プラールおばさんのオムレツ」で知られる「ラ・メール・プラール」だ。最近では、東京や横浜にも店舗が出来て、結構、身近に感じる店となったが、われわれは、ここにくる直前に、バスで到着した所のホテル「ルレ・サン=ミシェル」のレストランで「オムレツ」を食べたので、この店に寄ることはなかった。この日帰りツアーには「食事と施設内で日本語ガイド付き」「到着後、自由行動」「到着後は解散」等々、いくつかのパターンがあり、それぞれの利用者が往路のバス一台の車内に混在していたが、バスの中では、日本人の男性ガイドが実に親切丁寧に説明したり、利用客のための割引チケットの販売等、細やかなサービスを行っていたのが実に印象的だった。この男性の案内であれば、私は「この日帰りツアーに参加して良かった!」と思ったほどだ。現地オプショナルツアーの「みゅう」さん、なかなかの人材をお持ちだと、本当に感心した次第だ。いかにこの男性が凄いか・・・、まずは、この店「ラ・メール・プラール」の前で、偽の関係者と思われる青年がスパスパとたばこを吸っていたが「この人はこの店の御曹司さんです」とわれわれに教えてくれたり、少し中に入ると、カフェの前で店主と思われる白髪の男性といきなり握手してフランス語でペラペラと話していたが、すぐにツアー客のわれわれに「この人は、ここの元市長さんです」と紹介してくれるなど、本当に、この男性は何でも知っている凄い人だと思った。モン・サン・ミッシェルそのものについての知識は言うまでもない。
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「モン・サン・ミッシェル」の中に入って最初に説明されるのが、この跳ね橋「王の門」と呼ばれているようだが、これは、何者も侵入することが出来ないようにするために造られたとか・・・。写真の真ん中、頭の後ろ部分が見えている男性が、先述の、何でも知っているガイドさん。単独参加の私は、この人の説明を聞き漏らすことのないように、とにかく、ずーっと後ろについて回ったのだった。この施設の中では、各国語でガイドしてくれるサービスもあるようでその男性は、施設内を見学して回る途中で、この女性が、通訳ガイド会社の社長さんだと紹介してくれた。誰とでも顔馴染みだ。
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私は専門家でも何でもないので、詳しいモン・サン・ミッシェルについての説明は不可能だが、聞くところによると、ここは8世紀初頭に創られて以来、さまざまな形で修道院としてその役割を果たしてきたそうだ。現在は「世界遺産」として登録されていることは言うまでもない。写真は大きな聖堂だが、説明では、聖堂の一方が中世ロマネスク様式であり、もう一方はゴシック様式になっているそうだ。つまり一つの聖堂で2種類の建築様式を見ることが出来るのだが、石の柱等々に刻まれている装飾の数々は、例えば、動物であったり、星であったり、日本の菊のご紋のようであったりと実に多彩だと説明があり、その度にきょろきょろと見上げるので、相当、首が疲れてしまった。
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建物の上に広がる緑地。回廊形式なっており青空も見えるので、石造建築の中をぐるぐる歩いた後だけに、ほっとする瞬間だ。ほっとするのは、われわれ現代人だけではなく、かつてここに居住した僧侶たちも、ここが、祈りの合間に散策したり瞑想、会話の場所として使われたということから、きっと、ほっと一息つける場所だった筈だと勝手に想像してしまった。ラ・メルヴェイユ回廊と呼ばれているとか・・・。本当に、草花の緑と、回廊の木造建築が、石の建物であることを忘れさせてくれた。「ここにはミッキーマウスもいますよ!」とは、件の日本人男性ガイドさんの説明だが、よく見ると
回廊の石面に、上に2つ、下に1つ、合わせて3つ、円形がくっついた形で彫られており、説明の通り、まるでミッキーマウスのシルエットのように見えた。憩いの場所だ。 -
以下は、パリ市内の観光を時系列的に綴って行く。パリ到着の翌日、私は、妻と長女をパリに残して、ひとりモン・サン・ミッシェルを訪ねたが、その翌日は、早速パリ市内観光を始めた。まずはあ「凱旋門」だ。まだ朝の早い時間であったが、さすがに世界の観光名所、時間を追って、徐々に徐々に人が増えてくる。私は、まだ凱旋門の屋上に上がったことがないので、今回は、それを実現させようとしたが、今回も、あえなく二人の女性に却下されてしまった。いつか必ず上ってみせるぞと、自らに誓いながら凱旋門からシャンゼリゼ通りを下り始めたのであった。
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続いて訪れたのは「エッフェル塔」。実は、このエッフェル塔にも上ったことがない。行くと必ず長い列が出来ているのだ。ひょいと行って、ひょいと上がるのが理想的だが、なかなか、そういう訳にはいかず、今回も、相当数の観光客が並んでいたので、時間的に無理だと判断し見送ってしまった。
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エッフェル塔に続いては「ノートルダム寺院」だ。ここでは、36年前、新婚旅行で訪れた際、妻が風邪をひいて熱を出し、寺院内の見学を諦めてバスの座席にぐったりと休んでいたという思い出がある(その時は、たまたまツアー客の中にお医者さんがおり解熱剤を貰って治った)。その後、妻は一度、次女とこの寺院を訪れて最上階まで上がったんだそうで、その経験から、私以上に”ノートルダム寺院通”を自認しており、今回は、私の”案内役”のような顔をして、さっそうと寺院内に入って行ったのだった。
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セーヌ川のシテ島に建つこの寺院内は極めて広く、窓という窓が多彩なステンドグラスで飾られている。思わずステンドグラスの1枚1枚を撮影したのだが、さて、この写真をどこで使うのか…?ふと、そんな疑問が脳裏をかすめた。とはいえ「こんなに美しいステンドグラスを撮らずにいられるか?」って感じで次々にシャッターを押していたが、今の時代は、デジカメにより、以前の36枚撮りなんて枚数制限もほとんど気にすることなく撮影できるし、気に入らなければ、あっという間に消去出来る。完全に時代は変わった。今から37年近く前になるが、新婚旅行でこの地を訪れた際の写真アルバムにもノートルダム寺院のステンドグラスの写真が含まれているが、あの頃は、暗い堂内で一所懸命、撮影したが、技術的にも非常に稚拙な写真で、少々、ピンボケしていた。
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ノートルダム寺院見学の後は昼食だ。寺院の裏手にレストランを見つけたが、その名は「ESMERALDA」。さすがにノートルダム周辺の店、ユーゴーによる、この寺院を舞台にした物語に登場する名前「ESMERALDA」という店名だけに、訪れる客も多かった。確か、セーヌ川南岸には同名のホテルもあった。私はハイネケンビールと名物?の長パンのホットドッグを注文したが、妻や娘は、スパゲティやスープを頼んだ。
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ノートルダム寺院のあるシテ島から、今度は「オルセー美術館」に向かう。メトロに乗って一駅の所だ。いきなり余談だが、ロンドンで空港〜ホテル間の送迎担当の人から聞いた話だが、ロンドンでは地下鉄のことを「アンダーグラウンド」または「チューブ」と言い、日本やニューヨークで言う「サブウェイ」は地下道のことを指すんだそうだ。そしてパリでは、地下鉄のことを「メトロ」というんだと、その担当者からきっちり教育を受けて来た。パリ=メトロだ。そのメトロ、「RER」というフランス国鉄が運営する路線の「C線」に乗れば「サンミッシェル・ノートルダム」から「オルセー美術館」まで乗る。若干「車内環境は良くない」と感じたが、僅かに一駅、警戒しながら乗車した。
そのオルセー美術館は、残念ながら絵画等の撮影は禁止。館内撮影がダメでも館外撮影なら大丈夫?と拡大解釈して、美術館自慢のシルエット大時計越しに外の景色を撮った。有名な話だが、この美術館は、かつての駅舎を改造したもので、外観上、シンボル的に大時計が掛けられているが、その大時計の裏側=美術館館内から外観が望めるという仕組みになっているのだ。つまり写真を観れば、大時計は今、午後4時になろうとしていることが分かる。 -
このパリでは、37年前の新婚旅行の際、どこかのお店にフラッと入り、ムール貝を食べたが、残念ながら、その店の店名や、どこにあるのかが全く分からない。角がオープンカフェになっている通りの路地を入ってすぐの所だったが、そのカフェも不明であり、その場所を特定することは不可能だが、今回も、やはり一度はムール貝を食べようとオペラ座近くの店に入った。大衆的な店で「レオン・ド・ブリュッセル」と看板に書かれていた。当然、ベルギーに本拠を置くチェーン展開の店だろうが、パリ市内にも多くの店舗を出しているようだ。3人で行って、写真の「シーフードとムール貝ミックス」(22.1ユーロ)とサーロインステーキ(20.6ユーロ)を注文した。
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”グルメガイド”も大詰め近くなってきたが、「一度はムール貝」と同様に「一度は和食」をと、日本のラーメン店等々が並ぶ一角に行ってみた。ルーブル美術館近くの「コメディ・フランせーズ」前からオペラ座を目指してオペラ通りを進み、その右手に広がる一帯に日本食街とも言えるラーメン店等々が立ち並んでいる。「サンタンヌ通り」と「プティ・シャン通り」か「テレーズ通り」の交差するあたりのようだ。驚いたことに、こうした日本食レストランの客のほとんどが、われわれから言えば”外国人”なのだ。つまり「パリ市民に愛される日本食街」ということになる。あちこちの店に行列が延びている。「ラーメンひぐま」「かどや」「サッポロラーメン」「IZAKAYA・TAISHOKEN」そんな店名が並び、それぞれにパリ人たちが並んでいたのだ。われわれは「うどん」と書かれた看板が気になり、その店の行列に加わった。なぜか、この行列には日本人客が多かった。看板には「国虎屋」とあった。30〜40分程度待っただろうか、通された席は地下にあった。石壁に沿って石の階段を降りるという地下室的な所だったが、われわれは「一番搾り」に「枝豆」「おでん」そして「天麩羅うどん」等を注文した。「美味しくなかったけど美味しかった」…食後の妻の感想だが、実に「言い得て妙」だった。
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ところでパリの宿泊ホテルだが、オペラ座に近い「スクリーブ」だ。ものの資料によると、ホテルのビル建設は1860年とあった。有名なカフェがあったが、最も話題性があるのは、1895年、この建物の地下で、世界で初めて”映画が上映”されたというのだ。本当にパリの建物は古く伝統溢れるものが多いことが分かる。
ところで、このホテルには日本人女性スタッフがいた。この女性スタッフには、部屋のグレードアップ等々、何から何まで本当にお世話になった。やはり宿泊ホテルに日本人スタッフがいるということは、何でも相談が出来ることもあって本当に安心出来る。個人的な感想だが、総じて海外のホテルで働く日本人は、なぜか女性が多いように思う。日本といえば、このホテルの入り口に立っていたフランス人の男性スタッフは、かつて京都のホテルで働いたことがあると、あまり上手くない日本語で話していた。
チェックインの際、ウエルカム・ドリンクのチケットを貰ったが、そのチケットでは、ホテル内のバーで1杯だけだが何を飲んでも良いと言われたが、その言葉に”甘えて”、娘は約2000円のシャンパンを頼んでいたが、私はビール。妻はホット・チョコレートをお願いした。有り難いサービスであった。 -
ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」像。このルーブル美術館は、あのオルセー美術館とは異なり、写真撮影はフラッシュ撮影はNGながら普通の撮影はOKだった。館内は一般客の他に模写をする人、団体見学をする子どもたちなどさまざまな人たちで賑わっており「モナリザ」の前では写真撮影も出来ないほどの混みようであった。印象的だったのがダビッドの「ナポレオンの戴冠式」の大きな絵の前に20人近い子どもたちが座り込んで、この絵の説明を受けていたこと…。果たして、私が小学校の頃、こうした美術館へ行って絵の前に座り、説明を受けたことがあっただろうか…?ふと、そんなことを考え、こうした”教育”が受けられるパリ(或いはパリ近郊)の子どもたちは、こうした文化面で恵まれることに誇りを持って貰いたいと思った。
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ルーブル美術館の「サモトラケのニケ」像の写真が2枚続くが、前者は2013年2月に撮影したもの。そしてこの写真は1978年2月に撮影したもの。前者はデジカメ、こちらはアナログカメラでの撮影だが、同じアングルで撮った写真に、35年もの隔たりがありながら、当時と今、私の横には同一人物(妻)が立ち、さらにその横に、当時は、まだこの世にいなかった娘が立っているということに、私は、身の引き締まる感慨を覚えたのだった。このニケ像の置かれている一帯は、われわれが訪れたこの年(2013年)の秋から大規模な改修工事に入るとのことだったが、2014年秋には、工事も終了したとか…。
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夜間、ルーブル美術館付近から見たエッフェル塔の夜景写真だが、ちょうど、あのシャンパンフラッシュが始まった。確か冬場は午後7時ごろから深夜0時ごろまで毎定時から5分間程度、塔全体の照明がキラキラと点滅する。これが、まるでシャンパンの泡のようだということからか「シャンパンフラッシュ」と呼ばれているようであり、別の呼称として「ダイヤモンドフラッシュ」とも言われているようだ。私の解釈に間違いがなけば、この「シャンパンフラッシュ」の電球は、塔全体で2万個だそうだ(4面あるので1面あたり5000個)。これがキラキラ輝くのだから、遠目に見ても実に美しい瞬間であり、まさに5分間のアートと言える。
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いよいよ帰国の時が来た。往路は羽田からロンドンへ飛んだが、復路はパリ、シャルル・ド・ゴール空港から羽田に向かうのだ。今回の旅は往路は「SKY SUITE 777」を利用したが、復路は、パリ発着便に「SKY SUITE 777」がなかったことから、いわゆる「ビジネスクラス」への搭乗となった。もちろん空港ラウンジは使用可能であり、シャルル・ド・ゴール空港では「エールフランス」のラウンジを使用することになった。確かエールフランスは「スカイチーム」の一員であり、日本航空の「ワンワールド」とはグループが異なるため、ラウンジ入口の立て看板には「スカイチーム」の航空会社名のみ記され「日本航空」の名前はなかった。われわれの搭乗便は、現地時間午前11時発の日本航空JL042便であり、この便がエールフランスとのコードシェア便だったことから、エールフランスのラウンジが使用可能だったということか…?
後日談だが、2014年春に羽田空港の国際線発着枠が大幅に増加され(全日空が大幅増便となったが)、これに伴っての措置だろうが、エールフランスもパリ路線の羽田乗り入れを開始した。その結果…?われわれが搭乗したJL042便は廃止になり、代わってJL046便が運航を開始したのだ。 -
私が座ったパリ発羽田行きの日本航空042便の02K席。写真のように「SKY SUITE 777」仕様の座席ではないが、とはいえ、そこは「ビジネスクラス」、ゆったりと座ることが出来て帰路も快適な空の旅となった。今回のロンドン・パリの旅は、繰り返しになるが、われわれの「結婚35周年」を記念してのもので、35年という年月を経てはいるものの、ほぼ同じ日程での旅行となった。35年前の2月の新婚旅行は10日間で、旅程は表紙に書いた通りだが、今回はロンドンとパリのみに絞って8日間の旅となった(ロンドン2泊、パリ4泊)。帰路の機内で、CAさんに「35周年」の話をした所、機内でウエルカムドリンクとして出されたシャンパンを2本「おめでとうございます」というメッセージとともに、金色の紙でパッケージして贈呈して頂いた。思いもかけぬこうした気配りには本当に心を打たれる・。ありがたいことだ。最後の最後に、嬉しいプレゼントを頂戴し、本当に良き思い出となった結婚記念旅行であった
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