2013/07/10 - 2013/07/10
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ミズ旅撮る人さん
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2013年に北海道を周遊した旅行記です。
コースは、帯広・阿寒湖・北見・名寄・旭川・旭岳カムイミンタラ・富良野・留萌です。
観光地を巡りながら、各地のSLを訪れます。今回の観光地のメインは帯広の紫竹ガーデン・
旭岳のカムイミンタラ散策と、幌新のほたる狩り、定番ですが富良野のファーム富田です。
SL探訪は、幸福・愛国・北見・留辺蕊・遠軽・丸瀬布・名寄・士別・和寒・旭川(神居古潭)・
富良野・赤平・滝川・深川・幌新・追分・札幌(苗穂工場)です。
4では、旭川の北、士別と和寒そして旭川郊外にある神居古潭(かむいこたん)でSLを訪れます。
今回はSL探訪ばかりの内容になりますが、次は旭岳の高山植物を堪能する回になります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
旭川から道央道を北に向かい、終点のICが士別剣淵です。士別市の郊外にある「つくも水郷公園」にこのSLはあります。
広い野原にぽつんと佇んでいました。 -
D51−397です。野ざらしなので、随分と傷んでいますが、さすがはD51、堂々としていますね。
このD51は、先程の名寄のキマロキ編成にいたD51のすぐ上のお兄さんです。
D51は1,100台以上生産されていますから、連番で、しかもこんな近くに残っているのは珍しいです。
昭和15年1月22日日本車輌により製造。昭和51年3月10日廃車。
走行距離2,714,233.1km。函館・五稜郭・滝川・追分の機関区配属。 -
こうして見ると傷みが目立ちます。単線区間を走行したのでしょう、運転席の窓の下にタブレット閉塞方式のタブレットを引っ掛ける装置があります。
単線区間では、一つの線路内に別方向の列車が進入しないように、タブレットと呼ばれる通行手形のようなもの(実際には金属製の円盤)を持っている列車のみが通行権を持つようになっています。
このタブレットは大きな輪っかに取り付けられたポシェットに入っており、運転手や駅員はこの輪の部分を肩に掛けて持ち運びました。写真の装置は、その輪っかを引っ掛けて受け取るようになっています。 -
唐突ですが、近くの道の駅「絵本の里けんぶち」のレストランで食べたパスタです。
クリーム系で、ごろっとブロッコリーが入っているのはいいとして、皮付きのジャガイモにかぼちゃまで入っていました。さすがは北海道。
旅行中は野菜不足になるので、大層嬉しかったです。 -
士別市の隣、上川郡和寒町の郷土資料館に設置されているD51−337です。
頑丈な屋根の下にいました。 -
D51−337です。昭和14年12月27日日立製作所により製造。昭和51年9月1日廃車。走行距離2,294,956.8km。岡山・吹田・旭川・名寄機関区に所属。
北海道仕様の2前照灯。足元には障害物除けも付いています。写真ではわかりづらいと思いますが、向かって左側には大きく個体番号が刻まれています。 -
たまたま撮ったアングルですが、この写真だと、タブレットを引っ掛ける装置(名称は知りません)がよくわかります。
所属を表す札を入れる枠の上に丸と槍のようなものの組み合わせがあります。この槍部分でタブレットの輪っかを引っ掛けて装置の輪の中に収納します。
使ったところを見たことはないですが、元運転助手の方に教えてもらいました。 -
足回りの個別番号の刻印です。こんなにはっきり見えるのは珍しいです。43.7.19に所属が変わったのでしょうか。普通は番号だけなのですが・・・。
反対側の同じ部品にも番号の下に46.3.6.とあります。同じ形式で刻んでありますが、数字は違うんですね。修理交換した日付でしょうか。
その下のNH(OM)は?不思議な車体です。 -
JR宗谷本線の和寒駅です。立ち寄らなかったので、有人駅かどうかは不明です。
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和寒ICから道央道に乗って旭川へ向かう途中の空です。この空の広さ、そして地上の広さも相まって「でっかいどう」です。こういう風景に出会えるのが北海道の魅力です。
ただ一つ困ったことに、秋が近づくと周りが田畑の地域では、車に虫が当たってものすごく汚くなります。水で洗ったくらいでは落ちないんです。
体液がこびり付いてべったり・・・特に高速道路では、たいへんな目に合います。
フロントガラスにトンボが当たるとコツっと硬い音がします。虫は嫌いではありませんが、ちょっとホラーです。 -
旭川の西の外れに神居古潭(かむいこたん)と呼ばれる場所があります。神居古潭とは神の村という意味です。
「舟が唯一の交通手段だった時代、両岸から奇岩怪石が迫る激流のこの地は、神(カムイ)に祈りを捧げて通らなければならない所でした。」
国道12号線から側道に入り、この橋を渡った先になります。 -
旧神居古潭駅舎です。旭川市の指定文化財になっているそうです。
「当駅は明治34年12月3日に神居古潭簡易停車場として設置、明治36年
5月15日に神居古潭駅となった。(中略)昭和44年9月30日、函館本線の
納内〜伊納駅間がトンネル化されたことにより、神居古潭駅は廃駅となったが、
平成元年に廃駅当時の姿形をもとに復元を行った」 -
ここはもと函館本線が走っていた場所のためか、3両ものSLが展示されています。
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旧神居古潭駅舎です。木造の洋館風で、緑色の柱が洒落ています。中には当時の記録や写真が展示されていました。
裏のホームがあった場所は、現在サイクリングロードに整備されていますが、どうも使用されていないようで、まったく人気がありませんでした。 -
かつての鉄橋の基礎部分です。古い煉瓦がなんともいい風合いで、歴史を感じさせます。
29638。9600形式の239号機。国鉄以前の鉄道院時代の主力貨物用標準機関車です。昭和2年製造。走行距離2,321,407km。 -
2台目のSL、C57−201。この3輌の中では一番若く昭和22年三菱重工により製造。C57の最後に製造された車輌です。
走行距離2,213,717km。最高速度が100km/hです。さすがにD51より軽いので早いですね。 -
機関車は少しカーブを描いた線路の上にいるので、前から見ると2両しか見えません。でも、ちょっと離れた後方にもう1両います。これらの車輌のすぐ隣をサイクリングロードは走っています。
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D51−6です。1,115輌作られたD51の中で、最も初期のタイプです。
SLは、同じD51でも、時代によって改善が施され、どんどん姿形が変わっていきます。また、同じ車輌でも改修を受けるので、年代によって違うこともあります。
昭和11年川崎車輌製造。走行距離2,213,718km。C57−201と1kmしか違わないんですね。 -
サイクリングロードのトンネル。一応電気が点いています。歩いて抜けてみましたが、ただの山の中で何もありませんでした。どうもその先が繋がっていないような雰囲気です。
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暑い一日に、ひとときの静寂を。
この当たりは、川があるせいか少し涼しいです。
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