2014/05/13 - 2014/05/21
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kinomukumamaさん
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マティアス門から入りました。城の衛兵さんは大人気。
プラハ城に入り、まずは聖ヴィート大聖堂へ。
926年にヴァーツラフ1世がこの地に教会を建てたのが始まり。14世紀にカレル4世によってゴシック様式に建て替えられた。
完成したのは1929年・・気の遠くなるような年月をかけて完成したという大聖堂には圧倒されました。
ヴァーツラフ礼拝堂など見残しもたくさんあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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王宮第1広場に聖ヴィート大聖堂があります。
正面、バラ窓があります。 -
中から見たバラ窓。
テーマは「天地創造」 -
壮大さが人物との対比でも分かりますね。塔の高さは82メートル。
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それでは中へ・・
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入口のドア。
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壮大な空間は全長124メートル、高さ33メートル。
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側廊の北側でいちばん人だかりがしているところ・・
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これです。
アルフォンス・ミュシャのステンドグラス。
テーマは「聖キリルと聖メトディウス」
左2列にはキリルの生涯、右2列にはメトディウスの生涯が描かれています。 -
イチオシ
左:黒い修道服姿のキリル。
右:白ひげに冠姿のメトディウス。
2人は兄弟です。 -
右下:赤い服の少年は若い日の聖ヴァーツラフ。
左下:祖母の聖リュドミラ。 -
中央下にステンドグラス制作に資金提供した銀行の名前が書かれています。
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メトディウスの生涯1。
この聖キリルと聖メトディウスのギリシャ人兄弟は、9世紀頃、大モラヴィア帝国(現在のチェコのモラヴィア地方からスロヴァキア、ハンガリー、オーストリアにまたがる場所にあった)に布教しにきた人たちです。 -
メトディウスの生涯2。
重要なのは、彼らが聖書を当時のギリシャ語からスラヴ語へと翻訳して布教したこと。 -
キリルの生涯1。
チェコはキリル文字を採用していませんが、スラヴ諸語のキリル文字の“キリル”は、この聖キリルから付けられたのです。 -
キリルの生涯2。
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「聖キリルと聖メトディウス」最上部。
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教会中心部。
豪華な説教台の右(画像右端)に細やかな装飾フェンスに囲まれている王の廟墓。 -
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イチオシ
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聖堂の中央で聖歌の合唱が始まりました。
今夜プラハでコンサートをするグループでした。
「コンサートにも是非来てね」
今回の旅行で4つめの音楽シーンに出会えハッピーでした。 -
3000本のパイプオルガン。
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赤いビロードの天蓋の一画は・・
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ヤン・ネポムツキーの墓です。
国王ヴァーツラフ4世が王妃の不貞を疑ったとき、王妃の聴聞師だった僧侶ネポムツキーは、どんなに脅されても王妃の告解の内容を明かそうとしなかった。そこで怒った暴君は、この善良な僧侶をカレル橋から突き落として殺したのだそう。 -
銀製棺の総重量は2トン。
チェコ国民にとって彼は特別な存在でいろんなところで彼の姿を見ることが出来ました。 -
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王室礼拝堂入り口。
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あまりの人だかりに、ここまで。
聖ヴァーツラフ礼拝堂。 -
大聖堂を出ると王宮広場。
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左を見上げると・・
大聖堂南側です。
メインタワーとゴールデンゲート。 -
イチオシ
見事なモザイク壁画「最後の審判」のゴールデンゲート。
歴代君主が戴冠式の時に通る儀礼用入口。 -
聖ヴィート大聖堂裏面へ。
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旧王宮のバルコニー。
ビロード革命後、ここでハベル大統領が共産圏離脱・共和国制度へ移行する演説を行いました。
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