2014/08/01 - 2014/08/01
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chiaki-kさん
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今日は1日チェコ共和国の首都プラハ市内観光。
表紙の写真は聖ヴィート大聖堂にあるミュシャのステンドグラス。チェコ民族の歴史をテーマに、ミュシャはこのステンドグラスを作成したが、一番目立つ中央左の人物が聖リュドミラ、そのひざに寄りかかった少年がチェコの守護聖人聖ヴァーツラフなのだが、聖ヴァーツラフのモデルはミュシャの息子だそうだ。
なお、ミュシャという呼び方はフランス語で、チェコ語ではムハ。日本ではミュシャの方が一般的なので、以降ミュシャで統一する。
2024/03/03 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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8/01
6:00 連泊したホテルの目の前はプラハ国際空港の玄関。空港まで徒歩30秒! -
せっかくなので空港内の見学。玄関を左折、サブウェイなどのファーストフード店の先にあったのが BILLA というスーパー。空港なのでちょっと高めな感じはしたが、パン、果物、水、ワイン、チーズなど旅行者に必要なものは、殆ど並んでいたので、明日の朝に買い物に来ることとした。
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7:00 ホテルに戻って朝食。パン、ソーセージ、野菜、チーズなど種類も多く、今回泊まったホテルの朝食ではNo1。
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8:30 ホテルを出発。最初にバスを降りたのはプラハ城の裏。写真はプラハ城の案内看板。プラハ城はこうやって見ると小さいが、実際は巨大。ちなみに我々は青い↑から入場する。
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堀の上に架けられた橋の上から聖ヴィート大聖堂の屋根や尖塔が見える。
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やがて城の横門に近づく。
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サングラスを掛けた衛兵さんが2人両側に姿勢良く立っているが、写真はOKとのこと。
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横門から入城後、一旦正門から外へ出ると・・・・
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プラハ市街が眺められるポイントがあった。
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プラハのことを百塔の街とも言う。
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社会主義時代に造られた高さ216mのタワーパーク・プラハという名のTV塔なのだが、市民の間では評判はいまいちのよう。
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右側の丘の上にエッフェル塔のようなタワーがあるが、Rozhledna という名の高さ60mの展望台。ちなみに丘全体がペトシーンという名の公園になっている。
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正門に戻り再びプラハ城に入城。正門は当然衛兵さんが門を守っている。後ろの門の上にある像は悪意を持ってこの門を入った者はこうなるぞ。という脅しの像らしい。ちなみに右側の男は棍棒で殴られ・・・
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左側の男は剣で刺されようとしている。棍棒や剣は登場しないが日本のお寺にある仁王門のようなものか。
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正門から入るとこんな感じ。
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さらにもう一歩入ると聖ヴィート大聖堂の尖塔が見えてくる。
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聖ヴィート大聖堂なのだが、正面からは18mmレンズでも尖塔が入らない
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精一杯後ろへ下がって、さらに仰角をつけてやっと尖塔を撮影。
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ガーゴイルが一杯。
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入場。96.6mという高い天井に圧倒される。
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この大聖堂の特徴はステンドグラス。これは祭壇の後ろ。
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これは右側。
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イチオシ
そして左側にミュシャのステンドグラスがある。(再掲)
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チェコ民族の歴史をテーマに、ミュシャはこのステンドグラスを作成したが、一番目立つ中央左の人物が聖リュドミラ、そのひざに寄りかかった少年がチェコの守護聖人聖ヴァーツラフなのだが、聖ヴァーツラフのモデルはミュシャの息子だそうだ。
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左下の文字は"BANKA SLAVIE"、"スラブ銀行"の意味。この教会を完成させるために、チェコ国民やチェコの企業からたくさんの寄付が集まったそうだ。
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聖ヴィート大聖堂を出て第3の中庭と言われる南側広場より大聖堂を眺める。18mmレンズにやっと全体が収まった。
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今朝入ってきたプラハ城の横門をくぐり、バスを降りた場所まで戻る。そこはトラム(路面電車)乗り場になっており、なんとこれに乗るとのこと。
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我々が乗り込んだのは9280という車体番号を持った新しいトラム。ちなみに古いのは”タトラ”という愛称を持つトラムで市民から愛されている。
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トラムはお客を乗せると何も鳴らさずに走り出す。一般車両は旧市街のような狭い所や右左折時以外はトラムの路線に入ってこないので、かなり速い。
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よく世界のトラムを紹介するTV番組のシーンに登場するヘアピンカーブ。ほとんど専用軌道のようなもの。
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9280は坂を下るとマラー・ストラナ(小地区)と呼ばれる古い建物が多い地区の広場で停車。現地ガイドさんの合図で下車する。写真はマラー・ストラナの風景と反対側から来た新型トラム。旧型の「タトラ」は撮り逃がした。
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マラー・ストラナからカレル橋方面へゾロゾロ。前方にマラー・ストラナ橋塔が見えてきた。
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橋塔をくぐるとカレル橋。車両進入禁止なので観光客で大賑わい。カレル橋はカレル4世の命により1357年に完成した石造の橋。それ以前にあった橋は洪水等で何度も流されたが、この橋は当時の最高水準の技術で造られた為、600年近くも健在である。
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カレル橋には30体の聖人像が建てられているが、これは北側一番目の「救世主と双子の聖コスマスとダミアヌス像」。
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反対側にあるのが「聖バーツラフ像」という感じに、全像の写真を撮影してはきたが、以下紙面の都合で、主要な像以外は省略。
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「聖ヤン・ネポムツキー像」はカレル橋の像で一番人気。
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ヤン・ネポムツキーは14世紀、プラハの司祭であったが、司祭として知りえた王妃の告解の内容を王に明かすことを拒んだことから、王を怒らせ、拷問を受けた後、カレル橋の上から投げ捨てられ殺されたが、18世紀になってから聖人に加えられた。
カレル橋には聖ヤン・ネポムツキーの像があり、台座部分のレリーフに刻まれた聖人をなでると幸運が訪れると信じられているため、この部分だけピカピカとなっている。 -
「聖フランシスコ・ザビエル像」日本でも有名なザビエルの像もある。
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ちなみにザビエルを担いでいる人々は東洋人っぽい。
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橋の上はこんな感じ。遠くにプラハ城と聖ヴィート大聖堂が見える。
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「ブロンズの十字架像」
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「ピエタ像」
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ブルタヴァ河(モルダウ河)は南から北へと流れる。
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現代に600年持つ橋なんてあるのだろうか。
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イチオシ
白鳥さんが泳いでいた。
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イチオシ
聖ヴィート大聖堂のUPです。
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橋のたもとに立つカレル4世の像。
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そして、観光客の皆さん。
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毎度お馴染みですね。
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旧市街橋塔とカレル4世像。塔には登ることも出来る。(90CZK(チェコ・コルナ):約450円)
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旧市街広場へ向かうカレル通りは真っ直ぐには出来ていない。
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途中にマリオネットを扱っている店あり。ちなみに左上からオバマ大統領、プーチン大統領、もしかして安倍首相?
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やっと旧市街広場に到着。前方の教会はティーン教会。左側の時計は旧市庁舎と天文時計。時刻は10:55。ということは。
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11:00 まず、右上のガイコツが紐を引くと。
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鐘が鳴り、上の2枚の窓が開いて12使徒が次々に顔を出す。左の聖人は×字架を持っているので聖アンドレか。
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本を持っているのは多分聖マタイ。
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ドクロをもっているのは聖ヒエロニムスか。
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最後に金のニワトリが時を告げて終了。まあ、”光陰矢のごとし”ということか。
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これで終わりか、と思ったら塔の一番からトランペットが鳴る。特別サービス? 観衆大拍手。
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この後、お約束のボヘミアンガラスの店へ入店。
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このシャンデリアは89880CZK(約450,000円)。無料のチェコ・コーラを飲んで時間をつぶす。アジア系の方が花瓶のようなものをお買い上げ。興味の無い人(我々も)には無駄な時間だが、アジアの国のように、しつこい店員はいないので、助かる。
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ボヘミアンガラス店を出た後、ビロード革命(後述)時に市民が集結したヴァーツラフ広場を横切って・・・
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行った先はミュシャ・ミュージアム。入場料240CZK(約1200円)。
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館内は撮影禁止なので、入り口にあったポスターを撮影。アルフォンス・ミュシャ(1860年 - 1939年)は、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。代表作として20枚から成る連作『スラヴ叙事詩』が挙げられる。
なお、『スラブ叙事詩』は国立美術館のほうにあるので、お間違いなく。 -
「Rose from the Four Flowers」という1898年の作品。油彩画も数点あったが、ほとんどはリトグラフ。(絵葉書を撮影)
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「Eclat du Jour. From the Four Tmes of the Day」という1899年の作品。( 〃 )
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美術館を出て、昨日夕食を食べた市民会館まで戻ってきた。
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市民会館の隣には火薬塔と呼ばれる建物があるが、今日の昼食は塔をくぐってすぐの場所にあった。
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CELETNA通りの角にあるレストランへ吸い込まれるが、名前は忘れた。
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まずは野菜サラダ。いつもと同じキウリ、トマト、そしてパプリカ。
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そしてチェコビールを注文。チェコは国民一人あたりのビール消費量が世界一の国だけあって、レベルも高く、文句なしにまいう。何杯でもいけそう。
後で解ったがこのビールはPilsner Urquell社のビール。チェコのトップメーカーだそうだ。 -
メインはポーク料理、蒸しパンのようなものが付け合わせで付いてきた。
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支払いはユーロでもコルナでも良いとのことで100CZK(250円×2)を支払う。目玉の王様?が怖い。なお、コインは50CZKだが支払いとは別。
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昼食後は3時間ほどフリータイム。最初に向かったのは目の前にある火薬塔。火薬塔は15世紀に建てられ、もともとは旧市街の城壁の門のひとつだった。17世紀に火薬庫として使用されたのでこの名になった。現在内部はギャラリーとして利用されている。塔の高さは65m。入場料は90CZK(450円)。
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塔の最上階は展望台となっており、プラハ旧市街の向こうにプラハ城、そして聖ヴィート大聖堂が見える。
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市民会館の屋根
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この後向かうショッピングセンター・パラディウムも見えた。
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共和国広場に面した場所にあるショッピングセンター・パラディウムに入る。
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最初に目指したブースは地下1階の靴売り場。写真はサンダルを選ぶカミさん。実は足が痛くなったのはカミさんも同じだった。このあと、同階にあったスーパーマーケットでグヤーシュスープの素などを大量に購入する。
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この日も結構な暑さだったので無理に町歩きはせず、すんなりと集合場所近くの旧市街広場へ戻る。写真は広場の中央にあるヤン・フスの像。敬虔なキリスト教徒だったヤン・フスはカトリック教会の堕落を厳しく批判した為、1415年、異端として火刑にされてしまった。フスの死に抗議する信奉者たちによりフス戦争にまで発展してしまったのだが、この像は1915年に造られたもの。
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時間つぶしの為、広場に面したカフェへ。注文はもちろんチェコビール。
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何も言わなくてもブドヴァイゼルがきた。うんまい。あとでお替わりする。
ここでブドヴァイゼルについてスタディ。興味の無い方は飛ばしてね。
Budweiser(バドワイザー)と言うと、USA・アンハイザー・ブッシュ社製の販売量世界一のビールになってしまう。しかし、Budweiser Budvar(ブドヴァイゼル・ブドヴァル)となると、チェコ共和国・南ボヘミアに本社を持つブジェヨヴィツェ市民醸造(株)のビールである。
何でこんなややこしいことになったのか、事の起こりはチェコとは無関係のドイツ系アメリカ移民のアドルファス・ブッシュが、ビール名産地の「ブドヴァイゼル」にあやかろうと、自らが発売したピルスナータイプのビールに「バドワイザー・ラガー・ビール」(Budweiser Lager Bier)と勝手に命名したことに由来する。アドルファス・ブッシュはアメリカ国内で「バドワイザー」の商標登録を行ったため、1871年以降「ブドヴァイゼル」ブランドビールの対米輸出を行っていたブジェヨヴィツェ市民醸造およびチェコ合同醸造との間で商標を巡る訴訟に発展、1911年および1939年に、チェコ側が北米および米国保護領に限り商標権を放棄することで合意した。(これもおかしな話)
この合意に基づき、現在もヨーロッパの主な国でアンハイザー・ブッシュ社は商標「バドワイザー」を使うことが認められず、 製品は「Bud」(バド)「Busch」(ブッシュ)の名前で販売されている。逆にアメリカ、カナダでは、ブドヴァイゼル・ブドヴァルは「Czechvar」(チェコヴァル)、又は(BBベルゲブロイ)の名前で販売している。アンハイザー・ブッシュ社は全世界でのバドワイザー販売を実現するため、ブジェヨヴィツェ・ブドヴァルに商標の買い取りを申し出たものの、ブドヴァル社側は現在もこれを拒否している。(Wikipedia参照)
恐らく札束の山を積んだのだろうが、この申し出を一蹴したところにチェコ人の心意気、そして魂を感じた。ちなみにアンハイザー社のバドワイザーはアメリカンビールらしく軽い口当たりが特徴で、ブジェヨヴィツェ社のブドヴァイゼルはホップの苦みが効いた重厚な(私には)薫り高いビールである。なお、ブドヴァイゼルの歴史は1265年から始まり、バドワイザーは1876年からとなっている。 -
広場は人間観察には最適な場所。TVでお馴染みのビールを飲みながらみんなで漕ぐ自転車?が来たり・・・
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馬車が通ったり・・・
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モーッアルトコンサートのチケットを売る集団が来たりと飽きさせない。
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18:00 ボヘミアンガラスの店前に集合後、夕食会場まで移動する。10分ほど歩いて到着した店の名は「 STARE CASY」 読み・意味ともに不明。
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前菜はハムで巻いたアスパラのようなものと野菜が少々。
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メインはビーフ料理と付け合わせはパスタ。
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旧市街地には大型バスを駐める場所が無いとのことで、20分以上歩いてブルタヴァ河の向こうまで移動する。万歩計(スマフォ?)を持っていた方の話では、この日歩いた距離は2万歩を超えたそうだ。写真の通りは旧市街広場からチェコ橋に抜けるパリ通り。
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両側には高級なショップがあったり・・・
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つや消しのフェラーリなどが駐まっていた。
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やっとチェコ橋までやってきた。かつてプラハの春を弾圧したソ連を中心にしたワルシャワ条約機構の戦車部隊がこの辺に集結したらしい。では「プラハの春・チェコ事件」そして「ビロード革命」についてスタディ。
1968年8月、チェコスロバキア共産党第一書記のドゥプチェクを中心とした改革運動「プラハの春」が、ソビエト連邦を中心としたワルシャワ条約機構の軍事介入で潰され、フサーク第一書記の下で「正常化」路線が進められ、反体制派とみなされた多くの国民が職場から追放された。
また、1977年1月に憲章77を発表したグループに関わった知識人は、内務省国家安全保障隊の秘密警察機関、国家保安部による弾圧を受けた。さらに、他の東欧諸国より経済的に恵まれていたとはいえ、国民の生活水準は1980年代にかけて西側諸国に比べ低い状態が続き、不満が高まっていた。
1989年8月19日、ハンガリーで汎ヨーロッパ・ピクニックが成功すると、オーストリアに隣接するチェコスロバキアにも西ドイツへの越境を求める東ドイツ市民が大量に流れ込み、プラハ市民は西ドイツ大使館内にあふれる数千人の東ドイツ市民を目撃するようになった。
10月18日には東ドイツでホーネッカードイツ社会主義統一党書記長が失脚し、チェコスロバキア当局は、東ドイツ市民の西側への輸送を開始した。
ハンガリーに続いてチェコスロバキアが「鉄のカーテン」の撤去に踏み切ったことで、11月10日には冷戦の象徴だったベルリンの壁が破壊、その後11月16日までには、チェコスロバキア周辺のほとんどの共産党国家が、共産党独裁支配を放棄した。
プラハでは11月17日から民主化を要求する学生デモが、連日万単位で続き、12月にフサークが辞任、無血革命(ビロード革命)により共産党独裁政権は倒れた。
(Wikipedia参照) -
ブルタヴァ河の向こう岸にバスが駐まっている。
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カレル橋は手前にもうひとつ橋(マーネス橋)があるため、よく見えなかったが最後のプラハを目に焼き付けておいた。
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20:00 マリオット・エアポートホテルまで戻るとちょうど日が沈んでゆくシーンと遭遇。
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チェコ航空のエアが来た。
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ボヘミアの大地に沈み行く夕日。明日も良い天気になりそうだ。
これで「2014年 中欧旅行記3:プラハ」は終了です。本日も最後までご覧頂きありがとうございます。
2024/03/03 一部修正
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この旅行記へのコメント (2)
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- しどにぃさん 2014/08/18 21:02:43
- なるほどぉ
- chiaki-kさん、こんばんわ
毎度の訪問・投票ありがとうございます。
このビールの違い、以前アメリカ在住のレスラーのエッセイでさわりだけ聞いたことがありました。
ヨーロッパ遠征の際は、レスラーがみんなして「こっちのバド」を飲むのを楽しみにしているという内容でした。
今回、なりゆきが詳しくわかって「ふむふむ」と頷いてました。
しどにぃ
- chiaki-kさん からの返信 2014/08/19 09:49:02
- RE: こんにちは
- しどにぃさん、こんにちは。こちらこそ、私の旅行記に、いつも訪問と投票を
いただき、ありがとうございます。
> このビールの違い、以前アメリカ在住のレスラーのエッセイで
さわりだけ聞いたことがありました。
> ヨーロッパ遠征の際は、レスラーがみんなして「こっちのバド」
を飲むのを楽しみにしているという内容でした。
若いときに初めてアンハイザー・ブッシュ社製のバドワイザーを飲んだとき、
なんて飲みやすいビールだろう、これなら何倍でも飲めると感じたのですが、
麦やホップの香りは確かにしませんでしたね。悪く言うと限りなく水に近いとか。
今回はじめてチェコ製のブドヴァイゼルを飲んで、薫り高い麦芽とホップに
ボヘミアの風を感じました。チェコ人のひとり当たりビール消費量は世界一
だそうですが、納得ですね。
chiaki-k
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