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時々は三重県にお墓参りに行くのですが、神奈川に引っ越したので奈良に住んでいた時のように日帰りというわけにはいかなくなりました。そこで今回は車で途中休憩や観光もしながらの2泊3日の墓参旅行を計画しました。1日目は長距離ですが東名、東名阪を走り三重県まで行き松阪で1泊することにしました。<br />以前松阪を訪れた時、本居宣長の旧宅鈴屋が閉館していて見学できず、残念な思いをしたので今回再訪します。

松阪再訪 本居宣長旧宅 鈴屋へ

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2014/05/06 - 2014/05/08

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エトランゼ

エトランゼさん

時々は三重県にお墓参りに行くのですが、神奈川に引っ越したので奈良に住んでいた時のように日帰りというわけにはいかなくなりました。そこで今回は車で途中休憩や観光もしながらの2泊3日の墓参旅行を計画しました。1日目は長距離ですが東名、東名阪を走り三重県まで行き松阪で1泊することにしました。
以前松阪を訪れた時、本居宣長の旧宅鈴屋が閉館していて見学できず、残念な思いをしたので今回再訪します。

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  • 高速道路は渋滞もなくスムーズに三重県まで来ました。松阪に着いて鈴屋のある松阪城を目指します。<br />松阪城と言えばこの美しい石垣です。1588年に蒲生氏郷が築城した折の穴太衆積みの石垣。時を経てもその強固さと美しさは際立っています。

    高速道路は渋滞もなくスムーズに三重県まで来ました。松阪に着いて鈴屋のある松阪城を目指します。
    松阪城と言えばこの美しい石垣です。1588年に蒲生氏郷が築城した折の穴太衆積みの石垣。時を経てもその強固さと美しさは際立っています。

  • 石工集団、穴太(あのう)衆により作られた石垣の特徴は加工しない自然石を大小うまく組み合わせ奥行き深く積むものです。近くで目にする大小の石積みはパズルのようにきれいに組み合わされています。

    石工集団、穴太(あのう)衆により作られた石垣の特徴は加工しない自然石を大小うまく組み合わせ奥行き深く積むものです。近くで目にする大小の石積みはパズルのようにきれいに組み合わされています。

  • 松阪城址には大きな藤の木があるのを思い出し行ってみましたが残念ながら見頃は過ぎていました。<br />

    松阪城址には大きな藤の木があるのを思い出し行ってみましたが残念ながら見頃は過ぎていました。

  • 僅かながらまだ花をつけている房もありました。広い藤棚いっぱいに枝をひろげるこの藤の木は樹齢300年を越えているそうです。

    僅かながらまだ花をつけている房もありました。広い藤棚いっぱいに枝をひろげるこの藤の木は樹齢300年を越えているそうです。

  • 藤棚のある城址公園からは城下町松阪が一望できます。城のすぐ下に見える長屋は御城番屋敷です。後程行ってみます。

    藤棚のある城址公園からは城下町松阪が一望できます。城のすぐ下に見える長屋は御城番屋敷です。後程行ってみます。

    御城番屋敷 名所・史跡

  • ツツジは今が盛りです。

    ツツジは今が盛りです。

  • ツツジの先にある門の奥に本居宣長記念館と移築された鈴屋があります。

    ツツジの先にある門の奥に本居宣長記念館と移築された鈴屋があります。

  • 門をくぐり抜け新緑のきれいな庭に入ります。

    門をくぐり抜け新緑のきれいな庭に入ります。

  • この庭からも御城番屋敷がよくみえます。

    この庭からも御城番屋敷がよくみえます。

  • 本居宣長記念館では宣長の著書や遺品、版木、関連資料などを展示していて本居宣長をより身近に深く知ることができます。<br />入館料は 400円で鈴屋との共通券になっています。

    本居宣長記念館では宣長の著書や遺品、版木、関連資料などを展示していて本居宣長をより身近に深く知ることができます。
    入館料は 400円で鈴屋との共通券になっています。

    本居宣長記念館 美術館・博物館

  • 鈴を好んだ宣長ゆかりの鈴の数々。右端にあるのは「柱掛け鈴」で勉学の合間にその音色を楽しんだものです。

    鈴を好んだ宣長ゆかりの鈴の数々。右端にあるのは「柱掛け鈴」で勉学の合間にその音色を楽しんだものです。

  • 宣長61歳の自画像。<br /><br />国学者として有名な本居宣長ですが本業は医者でした。松阪の木綿商人の裕福な家に生まれますが家業には興味なく生計をたてるため医者になりました。<br />昼間は医者として患者を見、夜を勉学や近隣の人々や門人への講釈の時間としていました。<br /><br />

    宣長61歳の自画像。

    国学者として有名な本居宣長ですが本業は医者でした。松阪の木綿商人の裕福な家に生まれますが家業には興味なく生計をたてるため医者になりました。
    昼間は医者として患者を見、夜を勉学や近隣の人々や門人への講釈の時間としていました。

  • 宣長34歳の時(1763年)念願の国学者、賀茂真淵との対面がかないます。たった一夜ではありましたがこの後師弟関係となり手紙で指導を受けることとなります。<br />賀茂真淵からはからは主に「万葉集」の指導を受けていたようです。<br /><br />

    宣長34歳の時(1763年)念願の国学者、賀茂真淵との対面がかないます。たった一夜ではありましたがこの後師弟関係となり手紙で指導を受けることとなります。
    賀茂真淵からはからは主に「万葉集」の指導を受けていたようです。

  • 「万葉集」や「源氏物語」の研究を続けていましたが、日本人本来の世界観や価値観を探求しようと考え、「古事記」の解読に着手します。そして35年の歳月をかけ 「古事記伝」44巻を著しました。

    「万葉集」や「源氏物語」の研究を続けていましたが、日本人本来の世界観や価値観を探求しようと考え、「古事記」の解読に着手します。そして35年の歳月をかけ 「古事記伝」44巻を著しました。

  • 本居宣長自筆の「古事記伝」です。まるで活字印刷のような整った美しい文字です。このページは因幡の白兎の場面ですね。

    本居宣長自筆の「古事記伝」です。まるで活字印刷のような整った美しい文字です。このページは因幡の白兎の場面ですね。

  • 「万葉集」の研究のため書き込まれた本。宣長の門人の書き込みも見られます。

    「万葉集」の研究のため書き込まれた本。宣長の門人の書き込みも見られます。

  • 記念館を出て宣長旧宅に入ります。宣長が12歳から72歳で亡くなるまで住んでいた家を保存のため明治42年にここ松阪城跡に移築しました。<br />この建物の2階書斎が「鈴屋」ですが2階部分は公開されていません。<br />

    記念館を出て宣長旧宅に入ります。宣長が12歳から72歳で亡くなるまで住んでいた家を保存のため明治42年にここ松阪城跡に移築しました。
    この建物の2階書斎が「鈴屋」ですが2階部分は公開されていません。

    鈴屋 名所・史跡

  • 店の間<br />玄関からすぐのこの部屋で患者の診察をしていました。また往診にもよく出かけていたようです。<br />

    店の間
    玄関からすぐのこの部屋で患者の診察をしていました。また往診にもよく出かけていたようです。

  • 中の間<br />店の間に続くこの中の間も診察室や待合室として使われていました。

    中の間
    店の間に続くこの中の間も診察室や待合室として使われていました。

  • 中庭

    中庭

  • 奥の間<br />宣長が53歳の時、2階を増築し書斎とするまでは、この奥の間が書斎として使われていました。<br />新しくできた2階の書斎を宣長は「鈴屋」と名付け勉学の合間に好きな鈴の音色を楽しんだようです。<br />

    奥の間
    宣長が53歳の時、2階を増築し書斎とするまでは、この奥の間が書斎として使われていました。
    新しくできた2階の書斎を宣長は「鈴屋」と名付け勉学の合間に好きな鈴の音色を楽しんだようです。

    鈴屋 名所・史跡

  • 台所<br />1階には靴を脱いであがり各部屋を見て歩くことができますが残念なことに2階の鈴屋はその様子すら伺うことはできませんでした。

    台所
    1階には靴を脱いであがり各部屋を見て歩くことができますが残念なことに2階の鈴屋はその様子すら伺うことはできませんでした。

  • 本居宣長旧宅を後にして御城番屋敷へと向かいます。<br />槇垣と石畳が続く静かな空間です。

    本居宣長旧宅を後にして御城番屋敷へと向かいます。
    槇垣と石畳が続く静かな空間です。

    御城番屋敷 名所・史跡

  • 御城番屋敷  土蔵

    御城番屋敷 土蔵

    御城番屋敷 名所・史跡

  • 御城番屋敷<br />江戸末期に紀州藩士20人が松阪城警護の任に就いた際、藩士および家族の住居として新築された組屋敷です。当時の武士の組屋敷がほぼそのまま住居として使用され維持管理されてきた貴重な建築物群で、近世武士の長屋建築として重要文化財に指定されています。

    御城番屋敷
    江戸末期に紀州藩士20人が松阪城警護の任に就いた際、藩士および家族の住居として新築された組屋敷です。当時の武士の組屋敷がほぼそのまま住居として使用され維持管理されてきた貴重な建築物群で、近世武士の長屋建築として重要文化財に指定されています。

    御城番屋敷 名所・史跡

  • 一棟が公開されているのですがこの日は閉館されていて見ることができませんでした。どんな間取りになっているのか興味があったのですが残念。

    一棟が公開されているのですがこの日は閉館されていて見ることができませんでした。どんな間取りになっているのか興味があったのですが残念。

  • ポストに回覧板が入れられているのが見えます。実際に生活しながら 武家屋敷を昔のままの姿で維持管理しているのですね。

    ポストに回覧板が入れられているのが見えます。実際に生活しながら 武家屋敷を昔のままの姿で維持管理しているのですね。

  • 御城番屋敷からお城はすぐ目の前。すぐ駆けつけられます。

    御城番屋敷からお城はすぐ目の前。すぐ駆けつけられます。

  • 松阪のマンホールは鈴の絵柄でした。

    松阪のマンホールは鈴の絵柄でした。

  • この日は松阪泊まり。となれば松阪肉です。<br />観光案内所で聞いたお手軽に松阪牛肉をいただける「快楽亭」で夕食です。

    この日は松阪泊まり。となれば松阪肉です。
    観光案内所で聞いたお手軽に松阪牛肉をいただける「快楽亭」で夕食です。

  • 石焼松阪牛<br />とてもやわらかく美味!

    石焼松阪牛
    とてもやわらかく美味!

  • 翌朝、すっかり田植えも終わった伊勢平野を走り伊勢市に向かいます。

    翌朝、すっかり田植えも終わった伊勢平野を走り伊勢市に向かいます。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 前日光さん 2014/05/15 23:17:45
    久しぶりの関西方面ですね(^-^)
    エトランゼさん、こんばんは。

    久しぶりの関西の空気はいかがでしたか?
    (あ、でも天気予報を見ていると、三重県って関西には入ってないんですよね?でも私たち関東の人間から見れば、三重県は立派な関西なんですけどね)

    すっかり湘南夫人になってしまったエトランゼさんですが、伊勢方面の旅行記になると、俄然本領発揮の感じがしますよ。

    松坂城の石垣、美しいですね。
    確か滋賀・坂本の町も穴太衆による石積みが素晴らしかったという記憶があります。

    本居宣長旧宅ですか。
    思えば、この人が「古事記」や「万葉集」の研究をしてくれたお陰で、私は好きな古代妄想に耽ることができるわけですから、この人の旧宅を訪ねてお礼参りをしなくてはいけませんね(^_-)
    それにしても、宣長様の文字のすばらしいこと!
    この字のように、丁寧に几帳面に根気強く国学の研究に励んだのでしょうね!
    字は人なりとも言いますから、思わず襟を正したくなるような直筆文字、拝見できてうれしいです。

    松坂牛、おいしそうです!

    最後の写真が、何とも言えない美しさですね!
    田植えの後の水田を見ると、私などは日本人としてのDNAが騒ぎます。

    次はいよいよ伊勢市ですね。
    楽しみにしております。


    前日光

    エトランゼ

    エトランゼさん からの返信 2014/05/17 22:11:00
    RE: 久しぶりの関西方面ですね(^-^)
    こんばんは ♪


    > 久しぶりの関西の空気はいかがでしたか?
    > (あ、でも天気予報を見ていると、三重県って関西には入ってないんですよね?でも私たち関東の人間から見れば、三重県は立派な関西なんですけどね)

    三重県ってどっちなんでしょうー?
    小学校の時は三重県は近畿地方って習ったんだけどいつの間にか東海地方ができてそちらになってしまいました。
    三重県の海側(四日市、津、伊勢など)は名古屋圏、伊賀方面は大阪圏なんですよ。
    同じ県内でもテレビのチャンネルも違うんです。
    関西から見ると三重県は関西ではないし不思議な県ですね。


    > 松坂城の石垣、美しいですね。
    > 確か滋賀・坂本の町も穴太衆による石積みが素晴らしかったという記憶があります。

    蒲生氏郷が近江の穴太衆を使って築いた石垣ですから同じ石積みなんでしょうね。本当に美しい石垣ですよね。



    > それにしても、宣長様の文字のすばらしいこと!
    > この字のように、丁寧に几帳面に根気強く国学の研究に励んだのでしょうね!
    > 字は人なりとも言いますから、思わず襟を正したくなるような直筆文字、拝見できてうれしいです。

    さすが前日光さん、この直筆本の説明板に同じことが書いてありました。

    本居宣長記念館の展示物の前ではしばしば前日光さんを思い浮かべました。
    何しろ古文に関する書籍や品々が多く展示されていましたから。さらに出雲の神楽面まであったのですからね (^_−)−☆


    > 次はいよいよ伊勢市ですね。
    > 楽しみにしております。

    伊勢市ではあまり時間がなかったので両宮参拝だけになってしまいましたがなんとか旅行記にしたいと思います。


    昨日は東博の建仁寺展に行ってきました。
    すごい行列にびっくりしたのですが並んでいるのはキトラ展の方でした。
    なんと150分待ちだと言ってましたが皆さん根気強く並んでいました。
    帰りに前日光さんお勧めのイケメンのいるレストランに行ったのですがこちらも順番待ちが長そうだったのであきらめました。

    エトランゼ

    前日光

    前日光さん からの返信 2014/05/17 22:46:09
    RE: RE: 久しぶりの関西方面ですね(^-^)
    エトランゼさん、こんばんは。

    > 昨日は東博の建仁寺展に行ってきました。
    →え?建仁寺展行かれたのですかぁ〜

    > すごい行列にびっくりしたのですが並んでいるのはキトラ展の方でした。
    > なんと150分待ちだと言ってましたが皆さん根気強く並んでいました。
    →実は5月9日に、私は「キトラ展」に100分待ち(実際には120分待ちました。入館してから30分は待ったので、ほとんど150分待ちました(>_<)
    建仁寺展の方がよほど余裕を持って見ることができ、内容的によかったのでは?と思っているところです。

    私はキトラ展を見た後、また平成館まで戻る元気がなくて、芸大の「法隆寺 祈りとかたち」展の方に行きました。

    > 帰りに前日光さんお勧めのイケメンのいるレストランに行ったのですがこちらも順番待ちが長そうだったのであきらめました。
    →この日、私は相棒殿と別行動だったのですが(だから行列ができたのです。二人で行ったら、相棒殿は絶対に反発してキトラ展を見なかったと思うのです)、このカフェで待ち合わせをして、ワインを飲んで帰ってきましたよ(^_-)
    それにしても、150分待ちかぁ〜(@_@)
    みなさん暇ですよねぇ〜(人のことは言えないか(^_-))

    そのうちアップしようかな?キトラ展。



    前日光

    エトランゼ

    エトランゼさん からの返信 2014/05/17 23:24:10
    RE: RE: RE: 久しぶりの関西方面ですね(^-^)
    え〜〜〜前日光さん、あのすごい行列に並ばれたのですか!
    建仁寺展も並んでいるかと思って行ったのですが拍子抜けするくらいすんなりと入館できました。その後本館も見て(←有名な作品が多くなかなかよかったです)2時間後くらいに出たのですがキトラ展の列は延々と続いていました。
    すごい人気なのですね。元奈良県民としては嬉しい限りです。

    キトラ古墳展アップしてくださいね。

    私は写真を撮って来ませんでした。

    妹たちと行ったのですが東博の後、久しぶりの表参道をブラブラして帰ったらこの日は17000歩もあるいていました。

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