2014/03/30 - 2014/04/03
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しんちゃんさん
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1000万ドルの夜景が見たくて、1日目立山公園、2日目風頭公園、3日目稲佐山の三方面から夜景が眺望できる宿を選びました。
3日目日程
矢太樓→長崎ハタの館→龍馬之像・司馬遼太郎文学碑→若宮稲荷神社→亀山社中記念館→龍馬のぶーつ像→寺町通り→眼鏡橋→オランダ坂・東山手住宅→中華街→ホテル清風泊
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
宿のサービスで、矢太楼の従業員さんが眼鏡橋まで案内をして下さいました。
2名だけでしたが快く案内してくださり、有りがたいことです。
宿泊した矢太楼から風頭公園は歩いて5分位で、直ぐ近くに「長崎ハタの館」があります。
知らなかったのですが、長崎凧は歴史があり毎年風頭公園で凧揚げ行事が行われるそうです。 -
長崎凧の歴史
歴史はおよそ1500年代半ばまでさかのぼり独特の文様は唐、南蛮、紅毛の異国船が発生の動機。昔は桃の節句また男児の生まれた家庭に親族、知人、出入り人がハタを贈る習わし。長崎のハタ揚げは野山で他のハタと掛け合い切り合うのを合戦。現在では長崎三大行事(ハタ揚げ、精ろう流し.くんち)の一つに数えられ、春の風物詩。と 店内に説明書がありました -
仕事場には竹を細工する刃物類やあまり見たことがないような道具などが所狭しと並べられていました。
-
店内には多数の日本の絵柄では無いようなものがあります。
凧に描かれて空に舞い上がったら鮮やかな配色でどんなに綺麗なことでしょう〜か。 -
さらに、坂道を下った所に、龍馬之像があります。
長崎は、龍馬が最も活躍した時期にその本拠を置いたところであり、今もゆかりの史跡が
数多く残されています。
背景の桜が満開でした。 -
龍馬之像と向かい合うように司馬遼太郎文学碑がある。
船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、
「長崎は、わしの希望じゃ」と陸奥陽之助にいった。
「やがて日本回天の足場になる」ともいった。 司馬遼太郎「竜馬がゆく本書より抜粋され刻まれています。 -
長崎港、山、海、風光明媚です。
-
「龍馬通り」と書かれたレリーフが。
長崎市寺町通りの禅林寺と深崇寺にはさまれた路地(長崎市寺町)から、亀山社中跡(亀山社中記念館)を経て風頭公園(かざがしら公園)(長崎市風頭町)に至る、石段の坂道は、坂本龍馬をはじめ幕末の若き志士たちが登り下りした道で、「龍馬通り」と呼ばれています。
この説明からすると、下から上りが正当コース??
急な坂道と階段なので上りはちょっとキツイかも。
下りの楽ちんコースでよかったです。 -
若宮稲荷神社は 「勤皇稲荷」とも呼ばれています。
これは、当稲荷が南北朝の武将・楠木正成(1336没)の守誰神であっlたことにちなみ、幕末に来崎した諸藩の志上が多く参詣したためと言われています
幕末当時、頼山陽の日本外史等の影響により、柚木正成の人気が高まり、勤皇の志士たちの厚い尊敬を集めていました。坂本龍馬(1835〜1867)も正成を崇拝していたらしく、正成の最期の地である神戸、湊川では「月と日の むかしをしのぶ みなと川 流れて清き 菊の下水」という歌を詠んでいます。また、今も残る写真には、正成所持の刀を摸して作らせたと言われる脇差を、腰に差した姿でおさまっています。
若宮稲荷神社は、龍馬の創設した亀山社中や、盟友角々木三郎と会飲した料亭・藤屋にも近いことから、たびたび参詣して、日本の維新回天が一日も早く成就する事を祈っていたのではないでしょうか。(現地案内板より) -
若宮稲荷神社の龍馬像です。
「慶応元年(1865年)幕末の風雲児坂本龍馬は、伊良林・亀山に日本最初のカンパニー「亀山社中」を創設。
亀山社中は、商業活動のかたわら倒幕運動にかかわり維新回天の事業を推しすすめ、日本の近代化に大きな役割を果たしました。
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この銅像は、風頭山頂に立つ坂本龍馬之像の原型であり、龍馬ゆかりの地・亀山社中の一層の発展を願って制作者山崎和國氏から寄贈されたものです。
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靴を履いたまま、ブーツを履いて記念撮影できるようになっているのか、かなり大きいブーツです。
ここからの眺めは、長崎都市景観賞を受賞していて、さすがぁーと思う景観! -
亀山社中記念館は、亀山社中、坂本龍馬に関する資料を展示しています。
慶応元年(1865年)坂本龍馬は、ここに日本初の商社を設立し「亀山社中」と称しました。
亀山社中の事業は、航海・海運・貿易などでした。
慶応3年(1867年)亀山社中は土佐藩直属の海援隊となり、坂本龍馬は隊長に任命されました。 -
日本で最初にぶーつをはいたといわれる男、坂本龍馬。
当時土佐では身分制度がきびしく下級武士の家に生まれた龍馬は、ぞうりしか履けなかった。
自由の地・長崎に来て、龍馬はブーツを履いて大いに張り切ったという。 -
亀山社中の21名の名簿です。
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おなじみ龍馬の写真と刀。
身長は、6尺近くあったといわれる。
170センチ以上はあったので、当時にしては背が高い。 -
亀山社中記念館からさらに坂道を下ります。」
寺町と名がつくくらい多くの寺が並んでいます。
どのお寺も大きくて造りも立派そうです。
ここは興福寺です。創建351年だそうです。 -
眼鏡橋まで1時間30分歩きました
アーチ式石橋で日本橋、錦帯橋と並び日本3名橋 -
ハートの石を見っけ。あと3か所ありました。
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ここは異国情緒あふれる東山手にあるオランダ坂
オランダ坂とは「オランダさんが通る坂」という意味で居留地にある坂すべてオランダ坂と呼ばれていたそうです。 -
石畳が美しい
日本で最初の女学校や洋風住宅群などがある。 -
東山手十二番館
アメリカ、ロシア領事館として使われたもの。国指定重要文化財 -
東山手十二番館で(昔の味)のダッチコーヒーで一休み
普通に美味しいです -
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東山手洋風住宅群
外国人向きの借家として建てられ7棟ある。 -
どこを見てもよく手入れされてます。
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高台から東山手洋風住宅群を撮るとその先に孔子廟・中国歴代博物館の朱色の屋根が見える。
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江山楼でちゃんぽんを食べます。 海鮮の出汁が濃厚で具がいっぱい入ってます。
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皿うどん 2時半なのに店内にはいっぱいの人が。2階の座敷に案内されました。
3時にオダースットプになったのでギリギリ食べることができ幸運でした。 -
3日目の観光、食事を終え本日の宿泊先のホテル清風へバスでいきます。
稲佐山の中腹になります。夕食は創作卓袱料理でした。お鰭椀からはじまります。
卓袱は2回目になるのでびっくりしません。そのあとお刺身や豚角煮や牛陶板焼き
シュウマイなど13品がでました。 -
部屋からの夜景です
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宝石箱をひっくり返したような夜景
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女神大橋を入れてみました
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夜明け前に撮影
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