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長野県木曽町日義の義仲館を訪ねました。日義は木曽義仲が幼年から、平家追討の旗揚げをするまで過ごした所です。木曽義仲の一生を分りやすく展示してあり、歴史好きな人にはたまらない魅力があると思います。

木曽旧日義村の義仲館

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2014/04/26 - 2014/04/26

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yuhondaさん

長野県木曽町日義の義仲館を訪ねました。日義は木曽義仲が幼年から、平家追討の旗揚げをするまで過ごした所です。木曽義仲の一生を分りやすく展示してあり、歴史好きな人にはたまらない魅力があると思います。

旅行の満足度
4.0
観光
3.5
交通手段
JRローカル

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  • 義仲の里のウォーキングコースマップが義仲館の前に立っていました。約4.6Kmのコースで1時間余りで回れます。

    義仲の里のウォーキングコースマップが義仲館の前に立っていました。約4.6Kmのコースで1時間余りで回れます。

    義仲館 美術館・博物館

  • 右は木曾宣公舊里碑の拓本です。碑そのものは旗挙八幡宮に有ります。木曽宣公とは木曽義仲に贈られたおくり名です。尾張家の木曽九代代官山村良由が、義仲の旧館跡を訪ねた時、義仲の偉業を偲んで建てたものです。漢文なので内容は分りませんが、義仲のことを「業遂げられずといえども、万世に畏敬せられる」と讃え結んでいるそうです。<br />左は朝日将軍木曽義仲公遺跡の碑の拓本です。碑は、滋賀県大津市の義仲寺境内にあり、建立者は義仲の末裔の葦原検校義長です。

    右は木曾宣公舊里碑の拓本です。碑そのものは旗挙八幡宮に有ります。木曽宣公とは木曽義仲に贈られたおくり名です。尾張家の木曽九代代官山村良由が、義仲の旧館跡を訪ねた時、義仲の偉業を偲んで建てたものです。漢文なので内容は分りませんが、義仲のことを「業遂げられずといえども、万世に畏敬せられる」と讃え結んでいるそうです。
    左は朝日将軍木曽義仲公遺跡の碑の拓本です。碑は、滋賀県大津市の義仲寺境内にあり、建立者は義仲の末裔の葦原検校義長です。

  • 義仲の里のジオラマの上に、各所の写真が掲示されています。

    義仲の里のジオラマの上に、各所の写真が掲示されています。

  • 後白河法皇の第二皇子以仁王の、平家追討の令旨を受ける場面です。

    後白河法皇の第二皇子以仁王の、平家追討の令旨を受ける場面です。

  • 巴御前は几帳の後ろに控えています。

    巴御前は几帳の後ろに控えています。

  • これからの6枚の絵は、義仲の生涯の主要な場面を描いたものです。<br />「駒王丸」<br />生母の小枝御前が養父となった中原兼遠に、駒王丸のちの木曽義仲を育ててくれるように頼んでいる場面です。

    これからの6枚の絵は、義仲の生涯の主要な場面を描いたものです。
    「駒王丸」
    生母の小枝御前が養父となった中原兼遠に、駒王丸のちの木曽義仲を育ててくれるように頼んでいる場面です。

  • 「元服」<br />駒王丸は13歳になり、館の隣りに有った八幡宮で元服し、名を木曽源次郎義仲と改めました。

    「元服」
    駒王丸は13歳になり、館の隣りに有った八幡宮で元服し、名を木曽源次郎義仲と改めました。

  • 「挙兵」<br />以仁王の平家追討の令旨を受けた木曽義仲は、宮ノ越の館で旗挙し、八幡宮で戦勝祈願しました。それで八幡宮は旗挙八幡宮と呼ばれるようになりました。

    「挙兵」
    以仁王の平家追討の令旨を受けた木曽義仲は、宮ノ越の館で旗挙し、八幡宮で戦勝祈願しました。それで八幡宮は旗挙八幡宮と呼ばれるようになりました。

  • 「倶利伽羅の戦」<br />木曽義仲は、夜に雄牛の角に松明を括り付け、峠の上から平家の陣に追い落とし、約七万の大軍を打ち破ったというのは、有名な話です。

    「倶利伽羅の戦」
    木曽義仲は、夜に雄牛の角に松明を括り付け、峠の上から平家の陣に追い落とし、約七万の大軍を打ち破ったというのは、有名な話です。

  • 「征夷大将軍宣旨」<br />平家を京の都から追い払った木曽義仲は、順調に出世し征夷大将軍にに任ずるとの宣旨を受けました。

    「征夷大将軍宣旨」
    平家を京の都から追い払った木曽義仲は、順調に出世し征夷大将軍にに任ずるとの宣旨を受けました。

  • 「木曽義仲の最後」<br />平家を滅ぼした源氏の中で、大義名分を貫こうとした木曽義仲は、源氏の棟梁になろうとしていた源頼朝と対立し、粟津原の戦いで源義経の軍に敗れ戦死しました。

    「木曽義仲の最後」
    平家を滅ぼした源氏の中で、大義名分を貫こうとした木曽義仲は、源氏の棟梁になろうとしていた源頼朝と対立し、粟津原の戦いで源義経の軍に敗れ戦死しました。

  • 木曽義仲の陣太鼓の複製と平安時代の甲冑です。陣太鼓は木曽福島の長福寺に寺宝として保存されていましたが、昭和の大火で焼失してしまいました。

    木曽義仲の陣太鼓の複製と平安時代の甲冑です。陣太鼓は木曽福島の長福寺に寺宝として保存されていましたが、昭和の大火で焼失してしまいました。

  • 木曽氏系譜と歴代の肖像画です。

    木曽氏系譜と歴代の肖像画です。

  • 木曽義仲の四天王の楯六郎親忠と根井大弥太光親です。

    木曽義仲の四天王の楯六郎親忠と根井大弥太光親です。

  • 木曽次郎源義仲と愛妻で義仲軍の大将も務めた巴御前です。

    木曽次郎源義仲と愛妻で義仲軍の大将も務めた巴御前です。

  • 木曽義仲の四天王の樋口次郎兼光と今井四郎兼平です。

    木曽義仲の四天王の樋口次郎兼光と今井四郎兼平です。

  • 木曽義仲上洛ゆかりの地の絵図です。木曽から北陸を回って、京都に至った戦跡が示されています。

    木曽義仲上洛ゆかりの地の絵図です。木曽から北陸を回って、京都に至った戦跡が示されています。

  • 木曽義仲ゆかりの地の写真や絵が展示されています。

    木曽義仲ゆかりの地の写真や絵が展示されています。

  • 木曽義仲ゆかりの品や遺跡などが展示されています。

    木曽義仲ゆかりの品や遺跡などが展示されています。

  • 続きです。

    続きです。

  • 続きです。

    続きです。

  • 続きです。

    続きです。

  • ガラスケースの中には、肖像画や文書が展示されています。

    ガラスケースの中には、肖像画や文書が展示されています。

  • 木曽義仲のお墓のある徳音寺は、義仲館のすぐ近くに有ります。参道の桜が綺麗でした。山門を右に入った奥には「宣公資料館」があり、木曽義仲にまつわるいろいろな史料や民具などが展示されています。

    木曽義仲のお墓のある徳音寺は、義仲館のすぐ近くに有ります。参道の桜が綺麗でした。山門を右に入った奥には「宣公資料館」があり、木曽義仲にまつわるいろいろな史料や民具などが展示されています。

    義仲館 美術館・博物館

  • 徳音寺の本堂の前には、馬に乗った巴御前の銅像と「つらぬきいし」が有ります。

    徳音寺の本堂の前には、馬に乗った巴御前の銅像と「つらぬきいし」が有ります。

  • 「つらぬきいし」は巴淵を巴御前が馬で飛び越した際に、勢い余って馬の蹄が巌を貫いてしまったと言われていますが、それを移設したのだそうです。

    「つらぬきいし」は巴淵を巴御前が馬で飛び越した際に、勢い余って馬の蹄が巌を貫いてしまったと言われていますが、それを移設したのだそうです。

  • 木曽義仲の霊廟で、天明年間に建立されたものですが、八百年祭を記念して一部改築されています。

    木曽義仲の霊廟で、天明年間に建立されたものですが、八百年祭を記念して一部改築されています。

  • 霊廟の中です。昭和50年に奉納された義仲像が中央に安置され、木曽一族郎党の位牌が祀られています。

    霊廟の中です。昭和50年に奉納された義仲像が中央に安置され、木曽一族郎党の位牌が祀られています。

  • 木曽義仲一族のお墓です。左から樋口次郎兼光、巴御前、中央奥が木曽義仲、前列右は義仲の母小枝御前、今井四郎兼平のお墓です。

    木曽義仲一族のお墓です。左から樋口次郎兼光、巴御前、中央奥が木曽義仲、前列右は義仲の母小枝御前、今井四郎兼平のお墓です。

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