2014/04/22 - 2014/04/22
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ペコちゃんさん
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以前、ゴールデンウイークの時期に根津神社に行ったことがありますが、その時はツツジはもう終盤・・・もう一度、見頃の時期に見に行きたいと思っていましたが、前日のニュースでかなり咲いていることを聞き、出掛けました。
どうせ行くのなら、最近テレビでよく紹介している「谷根千(やねせん)」の散歩コースを歩くことにし、西日暮里から根津まで春の下町散策を楽しみました。
西日暮里は荒川区ですが、谷根千は台東区の谷中から文京区の根津・千駄木にかけての一帯を指す総称で、この地域は山手線内側にありながら、戦災をあまり受けず、また大規模開発を免れたため、一昔前の風情ある街並みが残っている所です。
最近は、このあたりも外国人観光客が多く、昔からの庶民文化に触れて写真を撮っている姿を見ると、日本の良さが世界に広まるんじゃないかと嬉しくなります。
谷中を訪れるのは初めてですが、多くのお寺があり、江戸の風情を残す寺町になっています・・・あちこち立ち寄りながら散策を続け、根津神社のツツジまで辿り着くと、この時期なので、かなりの人出が・・・根津神社のツツジの美しさと品種の多さに圧倒されながら、沢山の写真を撮り、楽しい春の一日を過ごしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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西日暮里駅で降りて「谷根千」散策のスタート。
駅に沿った細い道に入ると、「荒川区ウォーキングロードルート」の表示が路上に・・・これは、荒川区に3つあるウォーキングロードの1つで、出発点は、日暮里駅と鴬谷駅の中間にある、日暮里南公園。
この公園をスタートして、西日暮里駅をぐるりと回り、小高い丘で景色を展望し、日暮里南公園に戻ってくる、一周3.9Kmのルートだそうです。西日暮里公園 公園・植物園
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諏訪台通りの急な坂道を、駅のホームの高さまで一気に上りますが、ここは、まだ坂全体の1/3のところ。
この先の坂道がすごい・・・いきなり、バテ気味です。 -
諏訪台通り沿いにある、荒川区立第一日暮里小学校・・・彫刻家・詩人の高村光太郎(明治16年~昭和31年)が卒業した学校でもあります。
この校門の下は階段になっており、降りた所に校舎がありました。 -
諏訪台通りを日暮里の方に登った先にあるのが「諏方(すわ)神社」。
長野の諏訪大社と違い、なぜか「訪」にゴンベンがない・・・「諏方」の字は古来の表記で、昔は多くの「すわ神社」がこの諏方の字を使っていましたが、現在では全国でも数社しかありません。 -
ここの手水は、龍口に近づくとセンサーの反応で水が出る仕組みになっています・・・これまで、いろんな神社に行きましたが、これは初めて!
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諏方神社は、全国におよそ25,000社ある諏訪神社(諏訪大社を本社とする諏訪信仰の神社)の一つで、鎌倉時代の武将・豊島佐衛門尉経泰によって、1202年に諏訪大社より勧請されたのが始まりと伝えられます。
鳥居には鮮やかな朱色で、江戸火消し「れ組」の文字が刻まれています。諏方神社 寺・神社・教会
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拝殿前には「れ組」が奉納した、一対の石造の狛犬が鎮座しています。
「れ組」は江戸時代、大岡越前守忠相が火事の多かった江戸の町を守るために結成させた、町人による火消し組織「いろは48組」の中の1つ。 -
拝殿横の奥を覗くと、御嶽山大神が祀られていました。
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1816年に作られた神輿倉前の狛犬。
狛犬の台座には、奉納した町火消「れ組」の文字が刻まれています。 -
昔、このあたりは、日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守として崇敬を集めただけでなく、日暮(ひぐらし)の里として、江戸有数の景勝地としても有名だったそうです。
ひぐらしの里は、人々が日の暮れるのも忘れて、四季折々の景色を楽しんだところから、新堀に日暮里の文字をあてたと言われています。
現在は建ち並ぶビルに遮られて、かつての面影は全くありませんが、山手線・京浜東北線・新幹線・高崎線・京成線・日暮里舎人ライナーなどが望める眺望スポットとして、鉄道ファンには知られています。
線路に面したビルの壁には、ボルダリングの可愛い広告が・・・ -
神社のある諏訪台は、筑波山や日光の山々が見晴らせる眺めの良い景勝地として、文人墨客や風流人が集った所。
特に桜の咲く頃は多くの花見客で賑わい、安藤広重の江戸名所百景「日暮里諏訪の台」にも、花見に興じる人々が描かれています。 -
諏方神社から少し歩いて行くと、富士見坂があります。
富士山が見えるから、富士見坂・・・関東・東海地方に沢山あります。
ここ西日暮里の富士見坂も、空気が澄みわたった時には、遠く富士山を望むことが出来ました。 -
「富士山、見えないねー」と、案内の看板を読んでいると、地元の男性が「去年までは見えたんだよ。あそこにマンションが出来て、反対したけどダメだった」と、寂しそうに笑っていました。
先程の第一日暮里小学校の前でも、地元の男性が話しかけてきて、付近の説明をしてくれました・・・やはりここは下町、皆さん、とてもフレンドリーです。富士見坂 名所・史跡
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諏訪台通りの沿道には寺院が多く、その1つ「養福寺」に立ち寄ってみました。
八重桜の花びらが、ピンクの絨毯を作っています。養福寺 寺・神社・教会
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山門をくぐり境内に入ると仁王門があります。
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本堂や観音堂など、ほかの建造物は戦災で失われましたが、宝永年問(1704~1711)建立と伝えられるこの仁王門は焼失を免れて、江戸期の木造建造物として現在に至っています。
門の表側には一対の仁王像が安置され、金字の扁額は山岡鉄舟の書によるものだそうです。 -
養福寺は真言宗豊山派の寺院で、1620年に法印乗蓮が創建。
現在の本堂は昭和40年、客殿は昭和45年、鐘楼堂は昭和48年にそれぞれ再建されました。 -
本堂右前には弘法大師像があります。
養福寺 寺・神社・教会
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境内の庭園には、牡丹やハナミズキなどが綺麗に咲いていました。
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次に行ったのは「経王寺(きょうおうじ)」・・・日蓮宗大黒山・経王寺は、山梨県の身延山久遠寺末寺で、1655年の開創です。
私の実家は日蓮宗で、本山の身延山には何回かお参りに行きました。
心を込めて、お参りを・・・経王寺 (浅草) 寺・神社・教会
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1836年に建てられた山門には、複数の弾痕が残っています。
1868年の上野戦争で敗走した彰義隊を匿ったとして、経王寺が新政府軍に包囲され、銃撃戦となった時のものです・・・まるで、誰かの悪戯のような穴。
20人程の団体をガイドしていた男性の説明を聞き、 ” へー、なるほど! ” ・・・改めて穴を鑑賞(?)しておきました。経王寺 (浅草) 寺・神社・教会
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山門をくぐると、右手にあるのが大黒堂・・・日蓮聖人作と伝えられる大黒天が祀られています。
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本堂の前には、藤の花やツツジが綺麗に咲いています。
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本堂からの雨樋に続く雨桶には、日蓮宗の寺紋である「井筒に橘」が。
因みに、私の実家の家紋は「二重亀甲に橘」です・・・橘の寺紋に、懐かしさを感じつつ(?) -
経王寺を出ると、醤油やダシの美味しそうな匂いが漂って来ました・・・つくだ煮・中野屋のお店です。
ハゼや甘えびなど、新鮮な魚介類を使っていろんな佃煮を製造・販売しています。中野屋 グルメ・レストラン
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元気な女将さんが、 ” 創業してまだ90年だよ。ここらは、みんなもっと古いよ。百年以上じゃなきゃ、老舗じゃないよ! ” ・・・この店で、お土産をゲット。
優しい味の佃煮屋さんで、一品一品、丹念に作られた香ばしい佃煮は、日本食文化の真髄といえます。 -
経王寺の先には、有名な「谷中銀座」が・・・ここから台東区を歩きます。
平成に入り、谷中・根津・千駄木の界隈が「谷根千」と呼ばれ、注目されるようになりました。
平成8年にNHKのテレビ小説「ひまわり」(主演:松嶋菜々子)の舞台にもなった、どこか懐かしい商店街・・・包丁研ぎのおじさんが、お客さんを待っています。経王寺 (浅草) 寺・神社・教会
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「夕やけだんだん」・・・ここから眺める夕焼けは絶景だそうです。
「夕やけだんだん」の名称は、平成2年に石段が改装された際に、公募で選ばれた名称・・・40段ほどの階段を降りると、商店街が広がります。
また、このあたりは、谷中猫と呼ばれる野良猫の遊び場でもあります・・・お店の前に、ごろんと横になって寝ている猫ちゃんを、若い女性たちが「可愛い!」と見ていました。夕やけだんだん 名所・史跡
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ここを初めて訪れた人は、「東京にもまだこんな景色が!」と、古き良き時代の懐かしさを感じます・・・東京下町レトロと言われる所以です。
谷中銀座商店街は、昭和20年頃に自然発生的に生まれ発展してきましたが、これまで、大型スーパーの進出やコンビニの大量出店などによる危機を乗り越えて、逞しく生き続けてきました。谷中銀座商店街 市場・商店街
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商店街には、昔ながらの個人商店など約70店舗が、全長170mほどの短い通りに立ち並んでいます。
左側の江戸民芸「雨彦」には、鯉のぼりが・・・ -
決して大きな商店街ではありませんが、現在はその特徴を生かした戦略がメディアに取り上げられて、日本はもとより、世界各地からも観光客が訪れます・・・今日も、カメラ片手の外人さんを何組も見かけました。
谷中銀座と言えばメンチカツ・・・昔風の市場にある「肉のサトー」のメンチカツは、お肉と玉ねぎのバランスが絶妙で、しかも値段は一個150円!!・・・お婆ちゃんも買ったかな? -
谷中銀座を突き当たったT字路は「よみせ通り」・・・よみせ通りと谷中銀座通りは、夜7時を過ぎると大方の商店は店じまいをし、かわりに居酒屋や食事処などの明かりが灯ります・・・夜、一度来てみたいですね。
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よみせ通りにある「ツーリストインフォメーションYANESEN」は、外国人向け文化体験・観光案内の施設で、外国人向けに、日本語教室や書道・水墨画教室等を開催し、3階には歌舞伎体験スタジオもあります。
中に入りたかったのですが、鍵がかかって中には誰もいません。
隣のお店の女性に ” いつ、ここは開いていますか? ”
” 人がいる時といない時があるけど、分からないわねー。ホームページで見て頂戴 ”
” はい、分かりました ” ・・・谷根千マップを貰い損ねました。 -
谷中銀座の近くにある「初音小路」は、戦後の闇市が起源の飲み屋通り。
入口には「都せんべい」の看板がありますが、奥に入ると、居酒屋・バー・スナックと、大人のお店が軒を連ねるレトロな雰囲気の小路です。 -
初音小路を少し行った所に「朝倉彫塑館」があります。
彫塑とは、あまり聞きなれない言葉ですが、粘土などで形作っていく『modelling』という手法で、西洋から日本に入ってきた時に「彫刻」と「塑造」を合わせて「彫塑」という言葉が生まれました。 -
朝倉文夫(明治16年~昭和39年)は大分県で生まれ、19歳の時に上京し、東京美術学校(現、東京藝術大学)を卒業した後、本格的に創作活動を始めます。
官展で受賞を重ね、日本の彫塑界をリードする中心的な存在として活躍し、昭和23年には、彫刻家として初めて文化勲章を受章しました。台東区立朝倉彫塑館 美術館・博物館
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朝倉彫塑館は朝倉文夫のアトリエ兼住居を改装した美術館で、昭和61年に台東区に移管されました。
入口は、鉄筋コンクリート作りの旧アトリエで、その奥には丸太と竹をモチーフにした数寄屋造りの旧住居があります。 -
切符を買おうと思ったら、ここと書道博物館・一葉記念館・下町風俗資料館の4施設の「共通入館券」があるので買いました。
割引料金で1年間有効なので、他の3館は別の機会に行こうと思います。 -
パンフレットの表紙にある代表作「墓守」(明治43年)は制作の転機となった作品で、以後、徹底して自然主義的写実を貫きます。
館内は撮影禁止なので、以下の写真はパンフレットとHPより。 -
展示室は、左側にある大隈重信像など、彫塑作品を展示する旧アトリエ部分を中心にして、遺品や蔵書を納めた書斎、コレクション品などを収めた応接室等があります。
蔵書の数が、凄い! -
朝倉文夫は動物、中でも身近に多くいた猫をこよなく愛し、多い時には自宅に15~6匹の猫を飼っていたそうです。
この「吊るされた猫」(明治42年)など、猫の作品も沢山展示されていました。 -
展示室を進むと、中庭の池を中心とした日本庭園があります。
池は谷中の湧水を利用しており、四季折々必ず白い花をつける木が植えられ、儒教の五常「仁・義・礼・智・心」を造形化した5つの巨石が配されています。 -
アトリエと和室に囲まれた中庭は、「五典の水庭」と呼ばれ、朝倉文夫が自己反省の場として構成したといわれる、日本的で潤いある空間です。
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平成13年に、彫塑館の建物4棟(アトリエ棟、旧アトリエ、住居、東屋)が国の登録有形文化財に登録され、2008年に中庭と屋上庭園が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました。
台東区立朝倉彫塑館 美術館・博物館
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1967年から一般公開を始めた彫塑館は老朽化に伴い、2009年11月から4年かけて修理・補強を行い、昨年10月にリニューアルオープンしました。
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彫塑館は、入館時に靴を袋に入れて持ち歩くことになっています。
3階で靴を履いて、屋上に出ると・・・谷中霊園の先に、ア~?、スカイツリーが見える!
屋上は日本で最初の菜園で、当初は大根やトマト、東洋ラン等が育てられていましたが、現在は花壇となっています。台東区立朝倉彫塑館 美術館・博物館
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東屋の屋根にも彫刻が・・・でも、隣にある家の洗濯物が見えるのは、チョットねー。
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この後は「観音寺」に行きました。
新義真言宗の観音寺は、1611年に神田北寺町で創建され、もとは長福寺という名称でしたが、のちに現在地に移転し、現在名に改称しました。
山門の横にある案内板には『赤穂浪士ゆかりの寺』の説明があります。観音寺 寺・神社・教会
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境内に入ると、赤穂浪士供養塔である宝篋印塔があり、「宝永4年(1707年)3月吉日、長福寺六世朝山」の名が刻まれています。
赤穂浪士討入りに名を連ねた近松勘六行重と奥田貞右衛門行高が、当寺第6世・朝山大和尚の兄弟であったことから、赤穂浪士討入りの会合にもよく使われ、討入り後には供養塔が建立されました。 -
境内にある楠の巨木。
家康が入府する前、谷中には2~3の寺しかありませんでしたが、現在は71の寺があります。
<谷中に寺が多い訳>
①江戸城から北東の方角で、山になっている所は鬼門封じに好適な場所で、1625年に建立された上野の寛永寺や、風光明媚な地形だった小高い丘になっている谷中は、この条件にピッタリだったこと。
②江戸中心部の密集を緩和するため、1650年頃、神田から沢山の寺が谷中に引っ越してきたこと。
③明暦の大火(1657年)で焼け出された寺々が、大火の被害がなかった谷中に越してきたこと。
などが、理由のようです。観音寺 寺・神社・教会
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観音寺路地に面して、都内で唯一残された、美しい築地塀(ついじべい)があります。
この景観は、「平成4年度台東区まちかど景観コンクール」で「まちかど賞」に選ばれました。観音寺 寺・神社・教会
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瓦と土を交互に積み重ねた土塀に、屋根瓦を葺いた造りで、長さは37.6m、高さ2.06m・・・関東大震災で一部が崩壊しましたが、修復を重ねて往時の姿を留めています。
この築地塀を見ていると、江戸の寺町の風情がそのままに。 -
少し歩くと「谷中霊園」の入り口があったので、入って見ました。
ここは明治7年に開設した都立霊園で、明るく静かな約3万坪の園内には約7,000基の墓があり、多くの著名人も眠っています・・・朝倉文夫(彫刻家)、河内桃子(女優)、獅子文六(小説家、劇作家)、長谷川一夫(俳優)、森繁久彌(喜劇役者)、横山大観(日本画家)、15代将軍・徳川慶喜や鳩山一郎・渋沢栄一などなど。谷中霊園 寺・神社・教会
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私の故郷である、広島・福山の初代藩主・阿部正邦公以下、第2代から8代までと第10代の藩主が、ここに眠っているとは知りませんでした。
私の母校・福山誠之館高校は、第7代藩主・阿部正弘公によって創設された藩校「誠之館」が起源で、正弘公は江戸末期(1854年)に日米和親条約を結び、開国政策を進めた人物・・・お墓に手を合わせました。 -
霊園から戻って少し行くと「赤塚ベッ甲店」があります。
ここは、親子二代にわたってべっ甲製品を製作・販売している、東京都指定の伝統工芸「江戸べっ甲」のお店・・・店内には、メガネのフレームをはじめ、さまざまな、べっ甲製品が並びます。
タイマイの甲羅を材料とする「べっ甲」は、希少価値のため、とても高価。 -
ショーウィンドウには、ネックレスやブローチなどがありましたが、私は沖縄で買ったネックレスやブレスレットがあるので、ここは見るだけ。
最近、全く身に着けていませんが、ウインドウで覗いていると、改めて心惹かれました。
ベッ甲は軽くて良いアクセサリー・・・久し振りに着けてみようかな。 -
谷中に煎餅屋が多い理由は、お寺の法事に出しやすい茶菓で、傷みが少なく、前のお客が手をつけなければ、またそのまま出せるからという話も聞きますが・・・外人さんも「嵯峨の家」で煎餅を買っています。
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しばらく歩いて、下町風俗資料館付設展示場の「吉田屋酒店」へ。
明治43年に建築され吉田屋酒店は、江戸商家の建築様式を今に伝える建物で、昭和61年まで営業していました。
館内には、酒を量売りしていた時に使用した、大きな棹秤・枡・樽や徳利などの資料を展示しています。
ここは谷中6丁目ですが、すぐ隣は東京芸術大学・・・ですから、谷中の街にも芸術の匂いが・・・?下町風俗資料館付設展示場旧吉田屋酒店 美術館・博物館
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吉田屋酒店を、右に曲がって根津方面に向かう途中にあるマンションも、谷中の風情に相応しいエントランス・・・
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妙泉寺の「貧乏が去る像」・・・貧乏神の頭を撫でた後で、頭上の猿を撫でて祈念すると、家は富み幸福が来るという、大変縁起が良い石像です。
早速、撫でましたので、これで老後も大丈夫?・・・よろしくお願いします。 -
谷中の三浦坂を登りきった高台を歩いていくと、お寺に囲まれた三叉路に聳える、15mもある大きなヒマラヤ杉。
ここは、よくTVでも紹介される谷中の代表的な風景で、近くに行くと、そのヒマラヤ杉の大きさに圧倒されます・・・幹に触ってパワーを頂きました。 -
ヒマラヤ杉に並ぶ「みかどパン店」は、谷中に古くからあるパン屋さんで、建物も古く、明治後期に建てられた長屋と言われています。
三叉路にあるから「みかど(三角)」という店名です。
今はパンは売っていませんが、飲み物やお菓子・カップヌードルなど、何でも売っていた昔の駄菓子屋さんって感じですね。
このヒマラヤ杉は、戦前、今の店主のおじいさんの代に鉢植えで育てていたものが、いつの間にか大きくなり、今のような大木になったということです。 -
平成24年3月に、この一画の土地売却があり、この風情の将来が危ぶまれている・・・という内容のポスターがありました。
この地に根を張る大木のように、古きよき暮らしぶりや、豊かさ溢れる場所を、これからも守り育み続けて欲しいものです。 -
ヒマラヤ杉の少し先に「蓮華寺」があります。
1630年に創建された日蓮宗のお寺で、門が赤いので赤門寺とも呼ばれています。
門の所で、入ろうかどうか迷っていたら、ご住職が優しく「どうぞ入ってご覧下さい」・・・有難うございます。蓮華寺 寺・神社・教会
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境内に、学業成就のお祖師様(日蓮上人)の銅像が鎮座していました。
夫がすぐ、 ” 孫達を連れてこよう! ” ・・・そうね、二年生になったばかりの孫が、算数の宿題手こずっていたしねー。 -
手入れが行き届いた境内には、牡丹の花が咲いています。
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ヒマラヤ杉を見て同じ道を引き返すと、途中で右に入る細い道があり、歩いて行くと、長運寺のお墓が目に留まりました。
日蓮宗では、生前にお墓を建てた場合、墓石に赤文字で名前を刻み(=生きている証として名前を赤にしておく)、亡くなってお墓に入りると、赤色を消します。 -
更に歩いて行くと、最近見かけなくなった、手押しポンプのある懐かしい風景がありました。
この古井戸は、現在でも使用できる現役井戸・・・ただし、個人所有(野田家専用)のため、勝手に使うとダメですよ。玉林寺 寺・神社・教会
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谷中は、お寺も街の中も緑が多い所・・・こんな細い小径の真ん中に、大きな木が育っています。
この景色、雰囲気がありますねー! -
小径を進んで「王林寺」へ・・・王林寺は、1591年に創建された曹洞宗のお寺です。
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巨木に囲まれた広い境内・・・ここにもヒマラヤ杉がありました。
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山門を進んで本堂へ。
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平成23年に境内に建立された「千代の富士」の像・・・このお寺には、平成元年に亡くなった千代の富士の三女「愛ちゃん」が眠っています。
玉林寺 寺・神社・教会
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雨が少しパラついてきたので、根津神社に急ぎます。
根津神社 寺・神社・教会
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今年の『つつじまつり』は、1か月(4/5~5/6)のロングランです。
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根津神社は、今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社・・・文明年間(1469~1487)には太田道灌が社殿を奉建しています。
根津神社 寺・神社・教会
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天気はイマイチですが、ツツジの見頃を迎え、沢山の観光客で混雑しています。
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日本テレビまで来ています。
” エーッ! 今夜のニュースに映ったらどうしよう ” ・・・なんて考えたのは、私だけ? -
表参道から歩いて行くと「楼門」があります。
今日は神社のお詣りよりも、ツツジがメインです。 -
御社殿(重要文化財)。
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「神橋」から見ると、池の手前は遅咲きの品種のため、まだまだですが・・・
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上の方は、結構咲いています。
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境内には植木市や甘酒茶屋、露店等も沢山並んでいます。
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神苑整備事業ご寄進として、巫女さんに200円払って「つつじ苑」に入ります。
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約2000坪のつつじ苑には、約100種・3000株のツツジが・・・見頃は4月中旬から下旬ですが、種類が非常に多く、開花時期が違うため、早咲きから遅咲きへと花が移り変わり、長い期間、様々なツツジを楽しむことができます。
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早咲き種は、今が最盛期で、豪華絢爛!
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愛子様のお印のゴヨウ(五葉)ツツジ・・・シロヤシオの別名で、まだ咲いていませんが白い花の枝先に5枚の葉がつきます。
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綺麗に手入れされた見事なツツジ。
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カラフネ(黒つつじ)。
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カバレンゲツツジ。
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キレンゲツツジ。
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ハナグルマ。
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ベニキリシマ。
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フジツツジ。
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ヒノデノクモ(久留米ツツジ)。
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高い所から見ると、より一層美しい!
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大した雨ではありませんが、傘をさしている人が結構多い・・・
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美しく手入れされた庭園と咲き誇るツツジ・・・見事な眺めでした。
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つつじ苑を出て、乙女稲荷へと続く参道を進みます。
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稲荷社に奉納された朱塗りの鳥居が続き、参道が真っ赤なトンネルのよう・・・神秘的な美しい光景です。
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鳥居を抜けると、乙女稲荷神社の社殿。
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1600年代に道の辻などに建てられた庚申塔が、明治以降の道路拡幅などのため根津神社に納められています。
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これは「駒込稲荷神社」・・・もとは第3代将軍・徳川家光の三男・徳川綱重の邸内社だったそうです。
手前には、狛犬の代わりに沢山のお狐様が。 -
根津神社を出て、少し横道に入ると「根津教会」があります。
大正8年に、日本基督教団の教会堂として建立され、100年近い長い年月を経て、周囲の景観にしっくりと溶け込んでいます。根津教会 寺・神社・教会
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教会のトンガリ屋根を載せた角塔は、地域のランドマーク・・・地元のキリスト教会として、下町に佇む風情はミスマッチを感じさせません。
近々、改修工事との事、風情は残してほしいですね。 -
プロテスタント教会なので、内部はシンプルです。
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今日も、よく歩きました。
帰りは、千代田線・根津駅から再び西日暮里へ。
谷根千の落ち着いた佇まいと、満開のツツジを楽しんだ一日でした。
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