2014/04/16 - 2014/04/17
126位(同エリア363件中)
おしどりさん
4月16日舞鶴引揚記念館へ行きました。
昭和20年第二次世界大戦終結時、海外に残された日本人は660万人以上と言われています。これらの人々を速やかに帰国させることを引揚といいました。
舞鶴港は政府が指定した引揚港の一つとして、昭和20年10月7日の引揚第一船の入港から、昭和33年9月7日の最終船まで13年間の使命を果たしました。昭和25年以降は唯一の引揚港となりました。
舞鶴では主に旧ソ連、中国などの大陸からの引揚者を迎え入れました。13年間で66万4531人の引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れています。
終戦時、大陸に残された日本人約57万人がソ連へ送られ、その内の約47万2000人がシベリア各地のほか、コーカサス、北極圏等の収容所で長い年月辛い抑留生活を強いられたのです。このような辛く悲しい集団生活の様子や抑留生活についても展示しています。
何とも悲しく遣る瀬無い気持ちになります。
終戦間際まで赤紙で徴兵し無念の死を遂げられた英霊の方々、戦地で終戦を迎えられた兵隊さん。残酷にも捕虜となった方々・・・。どれだけ苦労をされたか。日本政府はもっと謙虚にこれらの事実を受け止めるべきでしょう。
日本は敗戦したことを忘れてはいけません。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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引揚記念館です。
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案内図
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入口です
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料金は大人一人300円です。
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引揚船の興安丸です。この船で多くの人々が戻られました。
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ユネスコ世界記憶遺産登録を目指しているそうです。
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展示室内です。
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ラーゲリー(収容所)の様子です。冬は−30℃にもなる極寒のシベリアで木造バラックの建物で多くの日本人が亡くなっていきました。
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引揚げてこられた有名人、三波春夫さん、宇野宗佑さん等。
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引揚に使われた船です。
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引揚に結び付いた出来事や当時の社会の出来事です。
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引揚方面が書かれています。
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舞鶴市民の皆様の引揚に対する支援の様子です。
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”岸壁の母”の端野いせさん
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シベリアで亡くなられた人々の日本人墓地です。
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カリオンモニュメントです。
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展望広場の平和の群像と望郷慰霊之碑
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平和の群像
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望郷慰霊之碑
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舞鶴湾です。
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展望桟橋から見た舞鶴湾。引揚船が来るたびにこの桟橋から祈る気持ちで帰りを待っていました。
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平引揚桟橋です。
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異国の丘と岸壁の母の歌詞です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 墨水さん 2014/04/26 23:51:06
- 忘れては居ない。
- おしどりさん、今晩は。
>日本政府はもっと謙虚にこれらの事実を受け止めるべきでしょう。
日本は敗戦したことを忘れてはいけません。
日本政府も国民も、忘れては居ません。
日本の敗戦により、持たざる者(戦勝国)が持つ者(日本)に対する収奪が始まりました。
当時のソビエトは技術が欲しかったので、日本人を根こそぎシベリア開発の為の作業者として収奪した。
当時の日本は、GHQ(当時)により外交権を失っていて、どうにも成らない状況でした。
そのような状況の中に有っても、日本は粘り強く交渉をしてきています。
極東軍事裁判が結審してから米国政府(当時)の方針が変わり、日本の独立に向けた施策に舵を切り出しますが、予期せぬ事態が起こってしまいました。
それが朝鮮戦争です。
当初の計画では、国連軍の早期勝利で決着のはずでしたが、中共が介入するに及び長期化し、且つ停戦で合意した為に、GHQ支配が長期化してしまいました。
当時のソ連もGHQに参加しています。
手足をもがれた日本政府が、それでも抑留問題を交渉してきた事実を知って欲しいと、節に願う者です。
ソ連の最初で最後の大統領ゴルバチョフによって、シベリア抑留問題に対しての遺憾の意が表明されました。
特に、抑留者に対しての「スパイ罪適用者」に対しての、当時のソ連政府から名誉回復が為されています。
日本は韓国と違って、媚びる事はしません。
「なぜいまさら、許しを請う事を受け入れなければ往けないのか?。」
「日本人として、日本の為に行動したのみ。」だと。
ここが韓国と違う所で、誇り高き日本人です。
外地における墓については、ほそぼそと引き上げを行っております。
手続きが難しい事と、ソビエトが崩壊してしまってので、当時の抑留地の特定が難しい事。
また、墓に眠る故人の特定と日本側遺族の特定とが困難を極めている事が上げられています。
それなりの努力をしている事を、御理解いただければ幸いです。
墨水。
- おしどりさん からの返信 2014/04/28 09:04:06
- RE: 忘れては居ない。
- 墨水さん。
広島の原爆記念館、沖縄の姫ゆり平和祈念資料館、鹿児島の知覧特攻平和記念館、舞鶴引揚記念館は学校の行事として絶対に行くべきだと思います。
たった1枚の赤紙で徴兵され戦地へ。正確な数さえ分からない位の戦死者、終戦直前まで徴兵し続け、特攻隊を飛ばしていました。終戦になっても引揚げて来られず止む無く地獄の捕虜となり無念の死を遂げられた人々の無念を思うと怒りさえ覚えます。
これらを踏まえ二度と戦争はいけません。お坊ちゃんの安部に振り回されてはならないと思います。
いつの世も戦争になれば戦死していくのは最前の兵士です。防空壕の一番奥から指令するものは最前の兵士の困難を理解しません。
これからも投稿頑張って下さい。楽しみにしています。
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