2014/04/25 - 2014/04/27
8位(同エリア571件中)
norisaさん
- norisaさんTOP
- 旅行記417冊
- クチコミ874件
- Q&A回答14件
- 1,304,846アクセス
- フォロワー626人
南東北旅行の締めは著名な神社、寺院のハシゴ参拝です(失礼)
冗談抜きに茨城県から千葉県には日本有数の神社仏閣がひしめいています。
ここを素通りしては一生の不覚。
水戸に宿泊したのもそのためです!
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ホテルからの朝の風景。
今日も良い天気です。
(掛け値なしに晴天確率が高い夫婦です!??) -
朝食は和風バイキング。
もちろん水戸納豆も頂きます。 -
最初の目的地は水戸の偕楽園です。
駐車場に車を停め、まずは茨城県護国神社に参拝します。 -
階段を上ります。
-
お社に至る参道は八重桜をくぐっていくという風情ある演出。
明治維新以後の茨城県の戦没者に祈りをささげますーー。 -
そこから橋を渡り偕楽園へと向かいます。
この橋、梅桜橋といいますが、いかにも偕楽園に向かうにふさわしい命名ですねーー。 -
偕楽園の周囲はもちろん新緑のオンパレード。
この時期の緑色、とても油彩でも水彩でも表現不可能です。
これだけの彩度は再現できませんーー。 -
南門から本園に向かいます。
-
斜面には赤いツツジが!
-
そして斜面を登りきると見晴らし広場にでます。
ここには大ぶりのツツジが沢山あります。 -
そこから東に向かい東門をいったん出てみます。
そこにはーー、ニセアカシアの大木がーー。 -
そして東門の内側に広がる梅園を歩きます。
2月〜3月の時期は梅の花が見事でしょうーー。 -
おっと、梅の実です。
まだカワイイ大きさ。 -
さらに歩くと藤棚がありました。
-
まだ五分咲きから七分咲きでしょうか。
-
ここから南に歩き好文亭に向かいます。
-
好文亭は東日本大震災でかなりの被害を受けましたが現在は修復もされています。
-
好文亭の周囲は鮮やかなツツジが新緑の緑、そして好天の青空を従えて輝いています。
鮮烈な色の対比はデジカメのCCDを故障させそうです(笑) -
脇には偕楽園記の碑があります。
ご存じながら水戸偕楽園は第九代水戸藩主である徳川斉昭が命じて造園させ、命名も彼がしたそうです。
民と共に楽しみたいとのことで偕楽園と名付けられた広大な庭園は元々の敷地と拡張部分を合わせると300haにも及ぶそうで、都会にある公園としては世界で二番目に広いそうです。
広いと思ったシドニーの王立植物園が30haですからその広さがわかります。
周囲を全てまわろうとしたら3時間以上かかるでしょうかーー?
なお、この偕楽園は岡山の後楽園、金沢の兼六園とともに日本三大庭園と呼ばれていますが、お庭に入るのがタダなのはこの偕楽園だけですーー!(嬉しー!) -
この道から好文亭に入りますが今日は時間の関係でスルーさせていただきます。
-
しばらくあるくと密度の濃い竹林がーー。
そしてーーー! -
カワイイ竹の子が顔を出しています。
食するには既に手遅れ(苦笑)
そして、さらに放置するとーー。 -
こうなってしまうようです。
反抗期の男の子の風情といったところでしょうか(笑)
いや、反抗期の女の子も決してあなどれないかもしれません(苦笑) -
こちらはかなりの樹齢の木々。
-
これは吐玉泉という水場です。
飲用ではないとの表示があります。 -
坂を下り偕楽園を後にして鹿島神宮に向かいます。
-
これはーーー、たぶん鹿島アントラーズの本拠地でしょうか。
サッカーファンには一喝されそうな知識のなさですーー。 -
駐車場に車を停めて参道を歩きます。
寄進者の名札?がずらりと並んでいます。
地獄の沙汰も金次第、神様のお計らいも寄進次第ーー!??? -
鹿島神宮は和銅6年(713年)成立の『常陸国風土記』に鎮座が確認されて以来重きをなしてきた、東国随一の古い神社です。
主祭神はタケミカヅチとして知られています。
日本書紀では天孫降臨に先立つ葦原中国平定においてフツヌシ(経津主)(鹿取神宮祭神)とともに出雲へ派遣され、大国主命と国譲りの交渉を行なったということです。
つまり大物中の大物です。
さらに、藤原氏、中臣氏から強力なバックアップがあり、古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏の氏神として崇敬されました。
そして、中世に武家の世に移って以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬され、今現在も武道では篤く信仰されています。 -
この大物神様が何故この鹿島に鎮座しているのか?
その理由は定かではありませんが、ヤマト朝廷が勢力を東へ北へと伸ばす際に最も要となった地点だった可能性が指摘されています。
今を去ること2000年前後の昔ーー。
真相はどうなのでしょうかーーーー。
いずれにしろ大和朝廷が盤石な支配を固めた時の最大のイベントが大国主の命の征伐(降伏)だったわけですが、次に重要なのは関東、東北、北海道という東日本の制圧だったようです。
その重要な戦いにも派遣されたタケミカヅチさんとフツヌシさん。
彼らの戦功はとてつもなく大きなものだったことでしょう。
というのもその後の室町幕府、鎌倉幕府、江戸幕府、明治維新という日本統一/征服の歴史を振り返れば、小さな島国とはいえ長さ2000kmにも及ぶ日本をまとめあげるのは相当大変だったことが実感できるからです。
彼ら二人、現在なら勲一等はもちろん、国民栄誉賞や高額褒賞(年収数十億?)、AKBの誰とでも握手券などのご褒美が思いのままだったことでしょう(笑)
(いやいや、このコメントを書いている数日前にAKBの美女2名とスタッフが暴漢に襲撃されました!一刻も早い3人のご回復を祈願しますーーー) -
さてーーーこれは?
神道にくわしくないので(苦笑)
(というか仏教にもキリスト教にも詳しくありませんーー) -
丁度お祓いを受けている方々がいます。
-
伊勢神宮や出雲大社ほど大きくはありません。
この拝殿でお賽銭の千倍くらいものお願いを(例によって)させていただきます。
余りに多いのでかえってバチが当たりそうです(苦笑) -
これから奥の方に足を向けてみます。
-
かなり樹齢のある大木が林立しています。
境内は70ha、20万坪にも及ぶ広大な敷地です。 -
これはさざれ石。
国歌、君が代で有名なあの石ーー。 -
神社にはおきまりのように鹿がいます。
-
こちらは重要文化財の奥宮です。
-
さらに進むと御手洗池(みたらしいけ)があります。
この池は、神宮境内の東方に位置する神池で、本来はこの池でみそぎをして参拝したようです。
日本人はかなり省略が好きなので、本来は神に祈る時は斎戒沐浴してから、という固い決まりだったものを、手を洗い口をすすげばOK!としてしまいました。
まあ、確かに参拝の度に水で全身を清めて、着替えて、髪の毛をヘアドライアーで乾かしてーーというのでは順番待ちで飢え死にしてしまいますね(笑) -
その池に倒れかかる大木。
このいわれは書いてありませんーー。 -
こちらは重要文化財の仮殿です。
鹿島神宮を後にして香取神宮に向かいます。 -
こちらのエントランスは少々趣きが違います。
沿道にはお土産物屋さんがズラリ。 -
まずは大鳥居をくぐります。
-
新緑のトンネルを歩きます。
-
灯籠がズラリと並んでいます。
-
そして本殿が見えてきます。
-
香取神宮は関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社ですが、鹿島市の鹿島神宮、神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社として知られています。
茨城県に重要な神社が集中している理由は定かではありませんが、古代の関東東部には、現在の霞ヶ浦・印旛沼・手賀沼を含む一帯に内海が広がっており、これらの神社はその出入り口にあたる重要地であったためという説があります。 -
香取神宮の主祭神はフツヌシ(経津主)といわれています。
日本書紀では天孫降臨に先立つ葦原中国平定においてタケミカヅチ(鹿島神宮祭神)とともに出雲へ派遣されました。
そこで大国主命と国譲りの交渉を行なったということです。
ただし古事記ではフツヌシは登場せず、なんらかの作為的操作があったのかは不明です。
いずれにしろ国造り神話の中では超大物です。 -
やがて奥に拝殿が見えます。
-
ところでこの香取神宮は鹿島神宮、伊勢神宮とともに神社でなく神宮と呼ばれます。
これは平安時代の延喜式にこの3社だけが神宮と記されていることに由来するそうです。
普通の神社とは格が違うということでしょうねーーー。 -
御神木も立派です。
-
ここでもお賽銭に見合わないお祈り内容でお参りさせて頂きましたーー。
神代の神様にとっても手ごわい参拝客でしょうか!??(笑) -
ひたすらよろしくお願いいたしますーー。
-
なお、楼門の裏の狛犬はーー。
やはり阿とーー。 -
吽ですね。
阿吽の呼吸で神様をお守りしているのでしょう。
さて、香取神宮を跡にして、向かったのはーー。 -
佐原重要伝統的建造物群保存地区です。
(これは模型です) -
ここは隆盛を極めた商都の面影が残り「北総の小江戸」と呼ばれています。
この佐原の町並みは江戸と結ばれた舟運で栄えた商家が利根川に通じる小野川沿いに500m、川と交差する香取街道沿いに400mの範囲で軒を連ねています。 -
確かに実物も古そうです。
-
川は昔は運河として活躍していたのでしょう。
-
この中には、伊能忠敬旧宅1793年に建てられた(国指定史跡)のほか県指定文化財も8件(13棟)含まれ、平成8年には関東地方で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
-
タイムスリップしたような感覚。
-
伊能忠敬記念館に入ってみます。
(内部は撮影禁止です、グスン)
あらためて伊能忠敬の偉大さが実感できます。
伊能忠敬は元々は名主の小関姓だったが跡取りのいない伊能家の婿養子になりました。
商才があり家は繁盛しましたが、家督を息子に譲り50歳くらいから本格的に暦、天文、測量の知識を江戸で学び、高橋至時と間重富という専門家に弟子入りします。
このあたりのバイタリティはトロイ発掘に情熱を燃やしたシュリーマンと似ています。
(彼も最初はビジネスに精をだし、功なり名を遂げてから本来の自分のライフワークに集中しました)
寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにしたわけですが、気管支炎をこじらせた肺炎で亡くなった時には最終版の完成には間に合いませんでした。 -
なお、生涯、内縁を含めて4回結婚した。はじめの3人の妻は全て病死してしまったそうで、当時の平均寿命をはるかに長く生きた努力人だったようです。
彼がなしとげたことは明治維新動乱でも我が国に有利に働いたようですーー。 -
佐原の街並みを楽しんだんあとはーー。
一路成田山新勝寺に向かいます。
巡礼街道(かってに名付けました)の最後の目的地ですーー。 -
成田山新勝寺は成田空港からほど近いところに位置します。
-
広大な敷地にはそろそろツツジが咲きはじめていました。
-
成田山新勝寺は2008年4月に開基1070年を迎えました。
正月の初詣客数は常に200万人以上となっており、明治神宮に次ぐ数を誇ります。
真言宗智山派の寺であり、大本山のひとつですが、朱雀天皇の密勅により寛朝大僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つそうです。 -
もっともずっと隆盛を極めたわけでもないそうですが、江戸時代、歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことも重なって成田不動は庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んとなったそうです。
げに恐ろしきは庶民の流行と人気ですね。 -
広場を通り国の重要文化財である三重の塔へ。
-
大本堂には御本尊である不動明王がまつられています。
ここでも相場をはるかに下回る?お賽銭でそれに見合わないお願いをします(苦笑)
大多数の神仏からやっかいもの扱いされそうですーー。 -
こちらは聖徳太子堂。
-
この三重の塔は1712年に建立されたそうです。
-
大本堂の裏手には小高い丘がありそこにさまざまな仏像が置かれています。
-
大きなものではありませんがそのバリエーションはかなりのものーー。
-
その下にはやはり寄進者の石板がびっしりと!
六道輪廻もなんのその、できるだけ畜生道や地獄道には落ちたくないのが人情ですね!
やはりお金次第ーーー!?
もう一度お賽銭をはずんでやり直そうかしらーー!??(苦笑) -
大本堂の裏手には小さな大日如来様がーー!
このフォーメーションは良くわかりませんーー。 -
今日一日茨城護国神社を皮切りに、鹿島神宮、香取神宮、成田山新勝寺を巡ってきました。
この茨城、千葉にはこうした大きな神社仏閣がありますがこの二県のみならず日本全国には実に数十万の神社仏閣があるそうです。
それだけ多くの人々の祈りがあるというわけですねーーー。
現在の日本は中国との軍事的緊張、中韓の反日運動、相変わらずのアメリカの締め付けなど国難なしとは言えません。
しかし、南北朝鮮、中国少数民族テロ、中越摩擦、シリア内戦、ウクライナ分裂など世界中でより深刻な戦争や殺戮、衝突があるこを考えれば相対的に平和だあるとも言えます。
それが、この多くの神仏のおかげと考えるのも不自然ではないかもーーー。
そうしたより高次の願いごとはおこがましいわけですが、庶民の代表である?我々のささやかな個人的希望も少しでも取り入れられることを祈願しつつ神奈川への帰路につきましたーーー。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (14)
-
- hot chocolateさん 2014/06/10 07:17:43
- 弾丸参拝!
- norisaさま、おはようございます。
水戸に宿泊したとはいえ、1日にこんなに参拝されたのですか〜?
1か所でも参拝するとなると、結構時間がかかりますよ。
それに移動の時間。
弾丸参拝とも言えそうですね。
水戸の偕楽園、2月に行ったことがありますが、梅もまだ1分咲き位で
寒々しかったのを覚えています。
4月も末になると、ツツジや藤が咲き、新緑も目に鮮やかになり、ずいぶん印象が違いますね。
神宮や寺院への拝みまくり、そのうちキリスト教会やイスラムのモスクにも
顔出しするのではないでしょうか…心配です。(ウソです)
hot choco
- norisaさん からの返信 2014/06/10 17:05:17
- RE: 弾丸参拝!
- hot chocolateさん
こんにちは。
そうなんです。
本当は鹿島、香取両神宮と成田山のハズだったのですが、せっかく水戸に泊まったのなら偕楽園もいかなくては、せっかく香取に行くのなら佐原もいかなくてはーーー。
そういうわけで盛りだくさんになりました。
しかもその日に神奈川に帰るので見学は16時くらいまで。
ということでお昼もファストフードで済ませ休憩なしで回りました。
このくらい密度高く参拝すればご利益大??(笑)
逆に神様にあきれられたかもしれません。
でもとても充実した2泊3日の旅行でしたーーー。
norisa
-
- fuzzさん 2014/06/04 07:44:50
- おはようございます。
- norisaさん、このたびは岩手の旅行記に
ご訪問&投票して頂き、本当にありがとうございました(*^▽^*)
あまちゃんの里、岩手県久慈市のウニ採りは七月からはじまります。
あまちゃんの番組で有名になった久慈市ですが、まだまだ街の中は
あまちゃんの雰囲気が沢山あり楽しかったです。
岩手に住んでいるので、時々岩手情報を旅行記で出しています。
最近も「奇跡の一本松」を見に行ったばかりなのですが、
3月に行ったインドネシアの旅行記が完成していないので
後回しになりそうです。
ありがとうございました<(_ _)>
fuzz
- norisaさん からの返信 2014/06/04 08:54:59
- RE: おはようございます。
- fuzzさん、
おはようございます。
ご丁寧にメール頂き恐縮です。
投票時にコメントもせずに失礼しました。
最近のニュースで三陸鉄道の再開を流していたので、その関連で拝見させていただきました。
fuzzさんは現在はインドネシア旅行記にかかりきり?ですね(笑)
我々の新婚旅行先がバリ島だったので、こちらも興味深々です!
今後ともよろしくお願いいたします。
norisa
-
- 前日光さん 2014/06/03 20:42:07
- 隣県にも注目しなくては(@_@)
- norisaさん、こんばんは。
香取神宮と鹿島神宮という二つの神宮が、思えば茨城県にあったのですねぇ〜
出雲大社に気をとられ、ついつい見逃しがちな身近にあった青い鳥!特に鹿島神宮には行ってみなければ!という気分にさせられました。
かつて「あをによし鹿男」という作品の中でも、鹿島神宮の重要性が語られていました。
あの大鯰がポイントなんですよね。
鯰が動くと地震が。。。
鹿は神の使いで、鹿島神宮から奈良へ…みたいなことも言われていたかも。
「鹿島」の「鹿」は、「しか」という字ですしね。
第一御祭神が「タケミカヅチ」ですから。
「国譲り神話」の中では、オオクニヌシの息子よりもタケミカヅチの方が力がありますからね。
香取神宮は、フツヌシが御祭神。
国譲りに関わったといえる神ですね。
出雲大社に入れ込むならば、鹿島・香取両神社を無視できません。
それにしましても、偕楽園から始まって、最後には佐原まで…というフットワークの軽さに驚嘆しました(>_<)
日本の神々は、日頃不信心者でも、困った時にお願い!と気楽に言えるところが好き!教会に行ったり、メッカに向かって「アッラー、アクバル」と毎日祈らなくても、困ったなぁと言う時に縋り付けるメリットを持っているのは、世の中広しと言えども、日本の神様をおいて他にはないのでは?
あまり熱心に神に祈るタイプではありませんが、必要なときには「神さまぁ〜」とすがります。
神様なんて、この程度でよろしいのではないでしょうか?
前日光
- norisaさん からの返信 2014/06/03 21:29:51
- RE: 隣県にも注目しなくては(@_@)
- 前日光さん、
こんばんわ。
いつもありがとうございます!
え!と言うか、じぇじぇじぇ!!(古いですね)
前日光さんの出雲詣でからして鹿島、香取両神宮には回数券で通い詰めているかと勘違いしていました!
まあ、灯台下暗しとも言いますが、意外さは強烈でした。
我々は今回が二度目ですが、やはり荘厳な神社だと思いました。
(スミマセン、神宮でした)
このふたつは大国主命と談判したり、北国を攻めたりと大活躍。
完全な天皇家直系かとーーー。
まあ、我々も神頼みばかりしていますが、信心レベルは低いのが恥ずかしいしだい。
でも、それが日本人らしいでしょう(笑)
この日は移動が多くて本当に疲れました。
まだまだタフです(笑)
norisa
-
- pedaruさん 2014/05/29 06:03:17
- 参拝街道?
- norisaさん お早うございます。
一日にこれだけの神社参拝は凄いですね、参拝街道と命名されたようですが、かなり複雑な道筋の街道かと思います。 一日に出来ることは限りがありますが、norisaさんは超人ではないかと、疑うくらいの行動です。すでに神がとりついているようです。
お陰で神社についての故事来歴を勉強させて頂きました。政権にとっては、神でさえも、統治の武器にしてしまう所がありますね。戦国武将が出陣の前に、何十という神仏に祈願をしていますが、必勝を願う心と、部下を鼓舞しかつ安心を与えた戦略も見えてきます。
さて、色々な写真も撮りましたね。モダンアートのようなもの、昔からあるのですか?だとしたら昔の人も侮れませんね、あの感覚!(いいとか、悪いとかでなく)
水平に立つ木、写真を回転させたくなりました。えーっ 佐原の街まで観光したのですか?ますます何かがとりついているのではないかと・・・・・。
pedaruは神社やお寺に行ってもほとんどお祈りしません。入場料の代わりにお賽銭をあげることはありますが、お祈りはポーズだけです。もともと神様を信用してませんからね。 あっ こんなこと言って、神罰が当たらないかな〜
pedaru
- norisaさん からの返信 2014/05/29 09:45:24
- RE: 参拝街道?
- pedaruさん、
おはようございます。
ご指摘のようにこの日の行程は我ながら無謀でした(笑)
ただ、高速道路網をフルに利用しましたのでかなり時間節約にはなりました。
偕楽園と佐原は前日に急きょ予定変更して付け加えたので、なかなかハードでしたが、これだけ集中的にお参りすれば良いことあるかとーー(爆)
我々が信心深いかというとそんなことはありません。
しかし、神道、仏教のみならず欧米豪にいけばキリスト教徒ほどではありませんが礼拝します。
まー、この良く言えば寛容な、悪く言えばいい加減&八方美人&欲深な性格、平均的日本人ではないでしょうか(うー、勝手に平均像を造ってすんません!?)
というのも初もうでに行くし、奈良京都では拝むし、クリスマスも祝うのが日本人。
厳格なイスラム教徒なら絶対にトモダチになってくれなそうです(爆)
え!pedaruさん結構無信教ですか!?
それなら平均的日本人かもしれませんのでバチは当たらないでしょう(笑)
-
- みかりさん 2014/05/29 01:29:49
- 東北旅の締めは・・・
- norisaさん、こんばんは!
新たに茨城&千葉に出掛けたんだと思ったら
東北旅の締めが、神社&お寺のハシゴだったんですね。
スタートは偕楽園。1度訪れたいと思いながら、茨城は中途半端に遠く
まだ1度も訪れた事が無いんです。日本三大庭園で訪れてないのは
自宅から一番近いはずの偕楽園だけ。しかもコチラは無料でしたか・・・。
梅の花だけの場所のイメージがありましたが、新緑も綺麗ですね。
それに鮮やかな真っ赤なツツジに、目が眩みました。(笑)
香取神宮・鹿島神宮は派手では無いけど、やはり見応えがある
素晴らしい神社ですよね。私も2011年に東国三社めぐりをしましたが・・・
鹿島神宮の大鯰を押さえていると言われている「要石」を見ながら・・・
この石が動く時は危ないよ〜なんて話しをしていた1か月後に
東日本大震災があったので、すごく印象に残っている神社です。
norisaさんはその後に佐原に行って、最後は成田山新勝寺まで
行かれたんですよね〜。そして神奈川までのドライブ・・・。
最後の1日は、帰りがてらと言っても、なかなかハードな行程でしたネ。
でも有名な寺社で拝みまくった事で、ご利益は沢山いただけたかな?(笑)
みかり
- norisaさん からの返信 2014/05/29 09:34:13
- RE: 東北旅の締めは・・・
- みかりさん、
おはようございます。
いつもありがとうございます。
え、偕楽園、未踏でしたか!
やはり近いと行かないものですよねー!
我々も神奈川の大山とか八景島シーパラダイス、行ったことありません(苦笑)
とにかくタダにしては立派ですし、全域は広いし、必見です。
鹿島神宮と東日本大震災、そういう御経験をされたのですかーー。
今回の地震でも両神宮ともかなり揺れたようですが、さすが太古からのお社なので壊滅的な被害というものは無いようでしたーー。
この日はとても忙しくて元々予定になかった偕楽園や(でも水戸に泊まったのでもったいないから再訪しました)佐原の街並みも加えたので疲れました。
もちろん鹿島、香取両神宮でも成田山新勝寺でも祈願しまくりました(笑)
みかりさんのむろろーんさんとの旅行記や大人の遠足、楽しく拝見しましたがコメントできずスミマセン。
へー!こういう方なんだとわかりました。
みかりさんの顔だしも楽しみです!?(笑)
norisa
-
- aoitomoさん 2014/05/28 22:27:33
- 鮮やかなツツジの赤と新緑の緑!
- norisaさん
鮮やかなツツジの赤は強烈ですね〜
確かにカメラのCCDが悲鳴をあげそうですね〜
本当に悲鳴をあげたら怖いですが。
鮮やかな新緑の緑も美しい。
写真を拡大して拝見させていただきましたよ。
『伊能忠敬記念館』
ここも撮影禁止でしたか。
伊能忠敬のシュリーマンとの類似性を論じるのが面白く分かりやすいです。(笑)
それにしても、norisaさんシュリーマンのことなどもよく知ってますね〜
いつも、知識の豊富さに脱帽です。
エルトゥールル号のこともよく知っているし。
今回、トルコだったのでトロイのシュリーマンは勉強仕立てでしたよ。(笑)
エルトゥールル号のこともあらためて学習しましたし・・
知識の無い私は旅行出る前にも予習が大変でした。
norisaさんのように知識が沸いて出てくればコメントもスラスラですね〜
いつも勉強になります。
楽しませていただきました〜
aoitomo
- norisaさん からの返信 2014/05/29 09:25:35
- RE: 鮮やかなツツジの赤と新緑の緑!
- aoitomoさん、
おはようございます。
帰国後で写真やらお土産やらに埋もれている?ご多忙の中でもコメント頂き超感謝です!
(そのマメさが懇切丁寧な旅行記に表れていますね!)
さて偕楽園訪問時は初夏の陽気。
ツツジも新緑もキレイでした。
(CCDがヒー!とか叫んだら売れるカメラになるかも(爆))
伊能忠敬記念館も撮影禁止でしたーー。
しかし、貴重な品々が沢山あり、元はとれました(苦笑)
やはり彼の生きざまはシュリーマンと重なります。
シュリーマンの方は青春時代から明確な目標と人生計画を立て、さらにはよき伴侶にも恵まれて一大業績を残しましたが、伊能さんはいつごろから地学、天文、測量を志したのかは定かではありません。
しかし、実業引退後の行動はとても似通っていて、まさに偉業となったわけですが、これはaoitomoさんの旅行記のようでとても真似できません(笑)
新作の旅行記、お待ちしていますよー!!
norisa
-
- rinnmamaさん 2014/05/28 22:03:49
- 茨城県は未踏の地
- norisaさん、こんばんは
梅桜橋を渡って、新緑がすがすがしい偕楽園の風景を楽しませて
いただきました〜
東京から足を伸ばせばいけない距離ではありませんが、茨城県は
未踏の地なんです・・
水戸の偕楽園は有名ですし、映像も拝見いたしますが、世界で2番目の
広さで、無料とは知りませんでした。
広いお庭のお手入れも大変だと思うのですが、太っ腹です事・・
私は無宗教ですが、海外に行けば教会の荘厳な建物に感動して、日本では
神社仏閣の木のぬくもり・繊細で優雅な佇まいに見とれてしまいます。
普段は崇めたりいたしませんが、どこかで崇高な場所としての意識は
ありますので、ささやかな願いを、都合よくお願いしたりします^^
格式のある神宮の由来も勉強になりました。rinnmama
- norisaさん からの返信 2014/05/29 09:17:53
- RE: 茨城県は未踏の地
- rinnmamaさん
おはようございます。
いつもながらのご訪問やコメントありがとうございます!
え、茨城は未踏の地でしたか!・
確かに東北ではないので有名観光地は多くないし、交通手段もそれほど良くないしとハンディがあるかもしれません。
でも偕楽園をはじめとして見どころは結構ありますし、山海の珍味も多いようですから侮れませんーー。
特に偕楽園はタダなのが嬉しいです(笑)
梅の季節は臨時電車もあって盛況でした。
日本にある3神宮のうち二つがこの地にあるのも大和朝廷にとっては最重要な軍事、精神的中心地だったような気がしますーー。
いずれお出かけになってくださいね!!
norisa
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
14
77