ヴィアンデン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 今回の旅行記のメインは、「ヴィアンデン」の町です、「ヴィアンデン」は、ガロ・ローマ時代にはすでに「要塞」が有り、11世紀には、城が建てられたという古い町、街並みも雰囲気がたっぷりの、中世風の町です・・・・但し、僕がこの町に来たのは、この町が、作家「ヴィクトル・ユーゴー」の亡命時代(1871年)の町だからと言う事も有ります、小説「レ・ミゼラブル」所縁の町を訪ねるというのも、数年前からのテーマなので、その一つですね。<br /><br /> 町は、ひと目見て、「ユーゴー」好みの町だなあ〜と言う感じです、3年前に、小説の中で、ジャン・ヴァル・ジャンが市長を務めていた町「モントルイユ・シュル・メールhttp://4travel.jp/travelogue/10661982」にも行って、その時、思ったことですけど、「お城」とか「城塞」とか、どちらかと言えば「劇的な町」が、彼は、わりと好きなようです・・・・小説も、結構「ドラマチック」ですしね・・・・いつか行くつもりの、ミリエル神父の町「ディーニュ」も楽しみです。<br /><br /> 小説「レ・ミゼラブル」は、イロイロな解釈が有るだろうとは思いますけど、僕の中ではやっぱり、この物語は「フランス革命」とは切っても切り離せない物語だと思うし、革命が無ければ、この小説も無かったと思うので、ユーゴー所縁の土地を訪ねたのを機会に、フランス革命と、その遺産(思想)について、少し書いてみたい・・・・従って、今回の旅行記は、少し理屈っぽくなる予定です・・・・今から断っときます、宜しくお願いしま〜す。<br /> <br /> 表紙の写真は、夜の闇に浮かび上がる「ヴィアンデンの城」。

ツール・ド・エウロパ 2013 ルクセンプルグ編 3 ヴィアンデン (中世の古城とヴィクトル・ユーゴーの町)

37いいね!

2013/09/11 - 2013/09/12

3位(同エリア25件中)

3

89

ももんがあまん

ももんがあまんさん

 今回の旅行記のメインは、「ヴィアンデン」の町です、「ヴィアンデン」は、ガロ・ローマ時代にはすでに「要塞」が有り、11世紀には、城が建てられたという古い町、街並みも雰囲気がたっぷりの、中世風の町です・・・・但し、僕がこの町に来たのは、この町が、作家「ヴィクトル・ユーゴー」の亡命時代(1871年)の町だからと言う事も有ります、小説「レ・ミゼラブル」所縁の町を訪ねるというのも、数年前からのテーマなので、その一つですね。

 町は、ひと目見て、「ユーゴー」好みの町だなあ〜と言う感じです、3年前に、小説の中で、ジャン・ヴァル・ジャンが市長を務めていた町「モントルイユ・シュル・メールhttp://4travel.jp/travelogue/10661982」にも行って、その時、思ったことですけど、「お城」とか「城塞」とか、どちらかと言えば「劇的な町」が、彼は、わりと好きなようです・・・・小説も、結構「ドラマチック」ですしね・・・・いつか行くつもりの、ミリエル神父の町「ディーニュ」も楽しみです。

 小説「レ・ミゼラブル」は、イロイロな解釈が有るだろうとは思いますけど、僕の中ではやっぱり、この物語は「フランス革命」とは切っても切り離せない物語だと思うし、革命が無ければ、この小説も無かったと思うので、ユーゴー所縁の土地を訪ねたのを機会に、フランス革命と、その遺産(思想)について、少し書いてみたい・・・・従って、今回の旅行記は、少し理屈っぽくなる予定です・・・・今から断っときます、宜しくお願いしま〜す。
 
 表紙の写真は、夜の闇に浮かび上がる「ヴィアンデンの城」。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
自転車
航空会社
フィンランド航空
旅行の手配内容
個別手配

PR

  •  9月11日(水) Vianden ルクセンブルグ<br /><br /> 夕方(PM6時過ぎ)に到着しました、「ヴィアンデン」の町、丘の上の城が、ちょっと「ドラマチック」、ファースト・インプレッションは、五つ星です。

    イチオシ

     9月11日(水) Vianden ルクセンブルグ

     夕方(PM6時過ぎ)に到着しました、「ヴィアンデン」の町、丘の上の城が、ちょっと「ドラマチック」、ファースト・インプレッションは、五つ星です。

  •  ヴィアンデン<br /><br /> 「ヴィアンデン」は、ドイツとの国境を成す「ウール川」沿いの町、ルクセンブルグの多くの町や村と同じで、その周辺を、深い森が取り囲んでいます。

     ヴィアンデン

     「ヴィアンデン」は、ドイツとの国境を成す「ウール川」沿いの町、ルクセンブルグの多くの町や村と同じで、その周辺を、深い森が取り囲んでいます。

  •  ヴィアンデン 町並み<br /><br /> 町の入り口です、別荘でしょうか? カフェやレストランも多くて、かなり華やかな「観光地」と言う感じの街並みです。

     ヴィアンデン 町並み

     町の入り口です、別荘でしょうか? カフェやレストランも多くて、かなり華やかな「観光地」と言う感じの街並みです。

  •  ヴィアンデン<br /><br /> とりあえず、無事到着を祝して・・・・銘柄は「Bofferding」、ルクセンブルグでは、わりと「メジャー」なビールの様で、あちこちのカフェに看板が出てます・・・味は、すっきりとした「ラガービール」で、後味も良いです。

     ヴィアンデン

     とりあえず、無事到着を祝して・・・・銘柄は「Bofferding」、ルクセンブルグでは、わりと「メジャー」なビールの様で、あちこちのカフェに看板が出てます・・・味は、すっきりとした「ラガービール」で、後味も良いです。

  •  ヴィアンデン ユース・ホステル<br /><br /> 先ずは、宿を確保、ヴィアンデンのユースホステルです、一泊・17.50ユーロ(朝食付き)、フランスやベルギーの相場より安いかも?<br /><br /> 宿の評価 ★★★★★ 観光地の割には、結構ヒマそう・・・もう、9月だからでしょうか? 受付の女性は若くて可愛い、好感度100%です、部屋はドミトリーだったけれど、誰も入ってこなかったので、ゆっくり眠れました。

     ヴィアンデン ユース・ホステル

     先ずは、宿を確保、ヴィアンデンのユースホステルです、一泊・17.50ユーロ(朝食付き)、フランスやベルギーの相場より安いかも?

     宿の評価 ★★★★★ 観光地の割には、結構ヒマそう・・・もう、9月だからでしょうか? 受付の女性は若くて可愛い、好感度100%です、部屋はドミトリーだったけれど、誰も入ってこなかったので、ゆっくり眠れました。

  •  ヴィアンデン<br /><br /> ユースの前からの「シャトウ」の眺めです。 

     ヴィアンデン

     ユースの前からの「シャトウ」の眺めです。 

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 元々は、9世紀の「要塞」を起源とする「中世の城」。

     ヴィアンデン城

     元々は、9世紀の「要塞」を起源とする「中世の城」。

  •  ヴィアンデン<br /><br /> ヴィアンデンの町の裏通りです、何処か適当なレストランを探して、町をウロウロ・・・・中世風の「塔」が有ります、多分昔は、町を取り囲んでいたであろう「城壁」の一部、今も一部「城壁」は残っています。

     ヴィアンデン

     ヴィアンデンの町の裏通りです、何処か適当なレストランを探して、町をウロウロ・・・・中世風の「塔」が有ります、多分昔は、町を取り囲んでいたであろう「城壁」の一部、今も一部「城壁」は残っています。

  •  ヴィアンデン<br /><br /> 良い感じの「レストラン」が、町のあちこちに在ります・・・・この日は確かに、「レストラン」で食事をしたのですけれど、何を食べたか、何処で食べたか、思い出せません・・・・・?

    イチオシ

     ヴィアンデン

     良い感じの「レストラン」が、町のあちこちに在ります・・・・この日は確かに、「レストラン」で食事をしたのですけれど、何を食べたか、何処で食べたか、思い出せません・・・・・?

  •  ヴィアンデン 町並み<br /><br /> ヴィクトル・ユーゴーが、この町に住んだのは、彼の亡命生活 (1852〜1871年=ナポレオン三世の第二帝政時代) の、最後の数か月にすぎませんけれど、それでも、この町には、彼の「Musenm」が有り、彼の名の付いたホテルまであります・・・さすが、世界の「有名人」ですね。

     ヴィアンデン 町並み

     ヴィクトル・ユーゴーが、この町に住んだのは、彼の亡命生活 (1852〜1871年=ナポレオン三世の第二帝政時代) の、最後の数か月にすぎませんけれど、それでも、この町には、彼の「Musenm」が有り、彼の名の付いたホテルまであります・・・さすが、世界の「有名人」ですね。

  •  ヴィアンデン 夕暮れ<br /><br /> ユーゴーは、庶民を主人公とした、その小説の印象からは、「社会主義者」のように見えますけれど、七月王政のルイ・フィリップから「子爵」を授与されて、貴族の一員になってますし、ルイの亡命の後は、その嫡孫の擁立に動いたりもしていたようで、その政治的スタンスは、フランス革命時代の、ラ・フォンテーヌのような、進歩的・開明的貴族・・と言う感じでしょうか?(貴族の格としては、格下ですけど)。<br /><br /> でもその後、フランスの政体が、第二共和制となるとともに、国会議員となり、以降は、強固な「共和主義者」と成ったようです。

     ヴィアンデン 夕暮れ

     ユーゴーは、庶民を主人公とした、その小説の印象からは、「社会主義者」のように見えますけれど、七月王政のルイ・フィリップから「子爵」を授与されて、貴族の一員になってますし、ルイの亡命の後は、その嫡孫の擁立に動いたりもしていたようで、その政治的スタンスは、フランス革命時代の、ラ・フォンテーヌのような、進歩的・開明的貴族・・と言う感じでしょうか?(貴族の格としては、格下ですけど)。

     でもその後、フランスの政体が、第二共和制となるとともに、国会議員となり、以降は、強固な「共和主義者」と成ったようです。

  •  ヴィアンデン 夕暮れ<br /><br /> 小説「レ・ミゼラブル」の完成は「1862年」、物語の年代は「1815〜1833年」です、フランスの政治状況としては、1815年は、ナポレオンが「ワーテルローの戦い」で敗れた年で、つまりこの年から、ルイ18世の復古王政が始まり、保守反動の時代が、ほぼ15年間続きます、その次が、1930年の七月革命(ルイ・フィリップを王とする立憲君主政体)、そして、物語の最後の場面に於ける学生たちの暴動は、1832年の「6月暴動」と呼ばれる出来事です、これは、ブルジョワ支配へと傾斜する「ルイ・フィリップ体制」への、取り残された者たち(学生や労働者)による反乱で、後の「2月革命(1848年)」の端緒であるとの見方も有ります。

     ヴィアンデン 夕暮れ

     小説「レ・ミゼラブル」の完成は「1862年」、物語の年代は「1815〜1833年」です、フランスの政治状況としては、1815年は、ナポレオンが「ワーテルローの戦い」で敗れた年で、つまりこの年から、ルイ18世の復古王政が始まり、保守反動の時代が、ほぼ15年間続きます、その次が、1930年の七月革命(ルイ・フィリップを王とする立憲君主政体)、そして、物語の最後の場面に於ける学生たちの暴動は、1832年の「6月暴動」と呼ばれる出来事です、これは、ブルジョワ支配へと傾斜する「ルイ・フィリップ体制」への、取り残された者たち(学生や労働者)による反乱で、後の「2月革命(1848年)」の端緒であるとの見方も有ります。

  •  ヴィアンデン Stadhuis<br /><br /> 市庁舎です、この町は「ドイツ語圏」のようです。<br /><br /> 「レ・ミゼラブル」と言う小説は、「フランス革命の時代」そのものを扱ってはいないですけれど、当然、「フランス革命」が起こらなければ、書かれ得なかった物語で、その物語は、極めて「政治的」で有り、「思想的」でもある、そんな物語だと思います、丁度フランス革命自体が、「政治的」であり「思想的」であったように・・・・

     ヴィアンデン Stadhuis

     市庁舎です、この町は「ドイツ語圏」のようです。

     「レ・ミゼラブル」と言う小説は、「フランス革命の時代」そのものを扱ってはいないですけれど、当然、「フランス革命」が起こらなければ、書かれ得なかった物語で、その物語は、極めて「政治的」で有り、「思想的」でもある、そんな物語だと思います、丁度フランス革命自体が、「政治的」であり「思想的」であったように・・・・

  •  ヴィアンデン 夕暮れ<br /><br /> 「フランス革命」は、結局の処、政治的には、「社会主義革命」までは至らず、最終的には「ブルジョワ革命」の内に留まり、それが今日の「資本主義社会」へと、引き継がれているのですけれど、その意味で、中途半端に終わったと言えなくもない革命です、結局のところ、今現在の人々が直面する「グローバリズム資本主義=企業資本主義」や「コーポラティズム」と言うものの暗躍も、この「ブルジョワ支配」の延長線上にあって、フランス革命により取り残された、より多くの庶民は、未だ、取り残されているのでしょうけれど、その、政治的現実はともかくとして、とりあえず今回は、その「思想面」に、注目してみたい。

     ヴィアンデン 夕暮れ

     「フランス革命」は、結局の処、政治的には、「社会主義革命」までは至らず、最終的には「ブルジョワ革命」の内に留まり、それが今日の「資本主義社会」へと、引き継がれているのですけれど、その意味で、中途半端に終わったと言えなくもない革命です、結局のところ、今現在の人々が直面する「グローバリズム資本主義=企業資本主義」や「コーポラティズム」と言うものの暗躍も、この「ブルジョワ支配」の延長線上にあって、フランス革命により取り残された、より多くの庶民は、未だ、取り残されているのでしょうけれど、その、政治的現実はともかくとして、とりあえず今回は、その「思想面」に、注目してみたい。

  •  ヴィアンデン 夕暮れ<br /><br /> 「フランス革命」の思想は、言わずと知れた「三色旗(トリコロール)」に象徴されていると思いますけれど、三色は「自由=青」「平等=白」「友愛=赤」を表すとか・・・・しかし、この三つの言葉は、具体的には何を意味するのか、そこの処は、議論の余地があると思います、そしてもちろん、それらの概念は、何処まで実現しているのかと言う事も・・・・<br /><br /> マア、「朝鮮民主主義人民共和国」と言う国も有りますし、「自由民主党」と言う党も有りますし、名は体を現わさずというのは、この世の常なので、人は騙されないようにしなければなりません・・・ハハハ。

     ヴィアンデン 夕暮れ

     「フランス革命」の思想は、言わずと知れた「三色旗(トリコロール)」に象徴されていると思いますけれど、三色は「自由=青」「平等=白」「友愛=赤」を表すとか・・・・しかし、この三つの言葉は、具体的には何を意味するのか、そこの処は、議論の余地があると思います、そしてもちろん、それらの概念は、何処まで実現しているのかと言う事も・・・・

     マア、「朝鮮民主主義人民共和国」と言う国も有りますし、「自由民主党」と言う党も有りますし、名は体を現わさずというのは、この世の常なので、人は騙されないようにしなければなりません・・・ハハハ。

  •  ヴィアンデン 夜景<br /><br /> ところで「自由」「平等」「友愛」ですけれど・・・・先ず「友愛」、フランス語の「Fraternite」とは「兄弟愛」の意味だとかで、いわゆる「身内」「仲間内の愛」と言う事だとすれば、これは結構実現性が高いとも言えます・・・・けれどこれが、「全ての人類は兄弟姉妹」であるという、何処かの宗教団体の謳い文句のような「博愛的」意味を持つとすれば、その実現性は、かなり困難なものとなるでしょう・・・・小説「レ・ミゼラブル」に照らして言えば、その意味は、多分、後者となるでしょう、一介の売春婦の子にすぎない、縁もゆかりも無い娘「コゼット」への、ジャン・バル・ジャンの愛は、彼自身が、ミリエル神父から与えられた、他者への愛と同じものだと言えます。

     ヴィアンデン 夜景

     ところで「自由」「平等」「友愛」ですけれど・・・・先ず「友愛」、フランス語の「Fraternite」とは「兄弟愛」の意味だとかで、いわゆる「身内」「仲間内の愛」と言う事だとすれば、これは結構実現性が高いとも言えます・・・・けれどこれが、「全ての人類は兄弟姉妹」であるという、何処かの宗教団体の謳い文句のような「博愛的」意味を持つとすれば、その実現性は、かなり困難なものとなるでしょう・・・・小説「レ・ミゼラブル」に照らして言えば、その意味は、多分、後者となるでしょう、一介の売春婦の子にすぎない、縁もゆかりも無い娘「コゼット」への、ジャン・バル・ジャンの愛は、彼自身が、ミリエル神父から与えられた、他者への愛と同じものだと言えます。

  •  ヴィアンデン城 夜景<br /><br /> 次に「平等」、これもなかなか、難解な「概念」です、革命当時の目標は勿論、王制と貴族制の廃止(身分制の廃止)であり、明瞭なイメージを持っていたと思われるけれど、現代資本主義社会においては、「平等概念」は、更に、新しい内容を求められている、その最たる言葉ではないでしょうか・・・・一応「機会の平等」と言う事が、建前にはなっているようですけれど、これさえも所詮、過っての古代国家スパルタのように、六歳にして親元を放し、全ての相続権を廃止するというくらいでなければ、全くの寝言にすぎません。<br /><br /> 我が日本のように、「官尊民卑」と言う身分制度が、明治以来、今も延々と生き続けている世界では、「法の下の平等」と言う、その気になれば出来るであろうことさえも、決して成らず、「平等」は、今も、夢のまた夢の、手の届かない言葉と言えるかも知れません?

    イチオシ

     ヴィアンデン城 夜景

     次に「平等」、これもなかなか、難解な「概念」です、革命当時の目標は勿論、王制と貴族制の廃止(身分制の廃止)であり、明瞭なイメージを持っていたと思われるけれど、現代資本主義社会においては、「平等概念」は、更に、新しい内容を求められている、その最たる言葉ではないでしょうか・・・・一応「機会の平等」と言う事が、建前にはなっているようですけれど、これさえも所詮、過っての古代国家スパルタのように、六歳にして親元を放し、全ての相続権を廃止するというくらいでなければ、全くの寝言にすぎません。

     我が日本のように、「官尊民卑」と言う身分制度が、明治以来、今も延々と生き続けている世界では、「法の下の平等」と言う、その気になれば出来るであろうことさえも、決して成らず、「平等」は、今も、夢のまた夢の、手の届かない言葉と言えるかも知れません?

  •  ヴィアンデン城 夜景<br /><br /> 最後に「自由」これがまた難解です・・・・フランス革命の歴史においては、先ず「自由」が叫ばれ、次にルイ16世の逮捕後に「平等」で、ロベスピエール時代の最後に「友愛」が付け加えられたのだとか・・・・革命の途中までは、「自由・平等・財産」と言うのが「標語」であったとか、いかにも「ブルジョワ革命」らしい標語ですね。

     ヴィアンデン城 夜景

     最後に「自由」これがまた難解です・・・・フランス革命の歴史においては、先ず「自由」が叫ばれ、次にルイ16世の逮捕後に「平等」で、ロベスピエール時代の最後に「友愛」が付け加えられたのだとか・・・・革命の途中までは、「自由・平等・財産」と言うのが「標語」であったとか、いかにも「ブルジョワ革命」らしい標語ですね。

  •  ヴィアンデン ヴィクトル・ユーゴーの像<br /><br /> とまれ、「自由」は、フランス革命の導火線であり、この革命の「中核」の概念ではないかと、ワタクシは考えます、この言葉は、「啓蒙思想」の中で培われた言葉ですけれど、その「内容」は、他の二つの言葉と同じで、必ずしも明瞭ではないようです・・・・そこで、この言葉についての「内容」を吟味して、少しでも明確にしてみたい、これが、ワタクシの試みです・・・・「自由」とは何か?「自由」と「カラスの勝手」は、どう違うのか? その疑問に、ワタクシなりの回答を提示してみたい。

     ヴィアンデン ヴィクトル・ユーゴーの像

     とまれ、「自由」は、フランス革命の導火線であり、この革命の「中核」の概念ではないかと、ワタクシは考えます、この言葉は、「啓蒙思想」の中で培われた言葉ですけれど、その「内容」は、他の二つの言葉と同じで、必ずしも明瞭ではないようです・・・・そこで、この言葉についての「内容」を吟味して、少しでも明確にしてみたい、これが、ワタクシの試みです・・・・「自由」とは何か?「自由」と「カラスの勝手」は、どう違うのか? その疑問に、ワタクシなりの回答を提示してみたい。

  •  ヴィアンデン城 夜景<br /><br /> とまれ、夜も更けてきたので、明日にします・・・・ハハ。<br /><br /> 本日の走行距離 65km/累計2,209km

     ヴィアンデン城 夜景

     とまれ、夜も更けてきたので、明日にします・・・・ハハ。

     本日の走行距離 65km/累計2,209km

  •  9月12日(木) ヴィアンデン城<br /><br /> 夜が明けました・・・・今日は先ず、あの「お城」に行きます、勿論、今回は、中にも入る予定です、。

    イチオシ

     9月12日(木) ヴィアンデン城

     夜が明けました・・・・今日は先ず、あの「お城」に行きます、勿論、今回は、中にも入る予定です、。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 入場は、午前10時から、時間が有るので、カフェでゆっくりしてから出かけます。

     ヴィアンデン城

     入場は、午前10時から、時間が有るので、カフェでゆっくりしてから出かけます。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 坂道を登って、お城に行きます、城は、古代ローマの要塞跡に建てられたものだとか、城としては、初代のヴィアンデン伯が建てたもの、記録としては1090年の事だそうで、その後は、15世紀の初めころまで、ヴィアンデン伯のものであったとか。

     ヴィアンデン城

     坂道を登って、お城に行きます、城は、古代ローマの要塞跡に建てられたものだとか、城としては、初代のヴィアンデン伯が建てたもの、記録としては1090年の事だそうで、その後は、15世紀の初めころまで、ヴィアンデン伯のものであったとか。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> こちらが入口(城門)、ちょっと「貧相」な城門です・・・ハハ・・・失礼。<br /><br /> 城は、18世紀まで、少しずつ拡張されてきたものの、ルクセンブルグがオランダと同君連合だった時代に、火災と地震によって破壊され、その後、オラニエ=ナッサウ家により、有る商人に売り払われて、解体され、少しずつ「廃墟」になって行ったのだとか・・・「城門」がしょぼいのは、多分、石が売り払われて、そのままになっているのかも?

     ヴィアンデン城

     こちらが入口(城門)、ちょっと「貧相」な城門です・・・ハハ・・・失礼。

     城は、18世紀まで、少しずつ拡張されてきたものの、ルクセンブルグがオランダと同君連合だった時代に、火災と地震によって破壊され、その後、オラニエ=ナッサウ家により、有る商人に売り払われて、解体され、少しずつ「廃墟」になって行ったのだとか・・・「城門」がしょぼいのは、多分、石が売り払われて、そのままになっているのかも?

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 入場料金は「6ユーロ」とかなり安いです、先に書いておきますけれど、価格の割には、かなりお得なお城でした。

     ヴィアンデン城

     入場料金は「6ユーロ」とかなり安いです、先に書いておきますけれど、価格の割には、かなりお得なお城でした。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 岩の上に建てられた、中世の「城塞」と言う感じのお城です・・・・歴史がいっぱい詰まっている感じです・・・ヨーロッパには、「ヨーロッパ百名城」というのがあって、ルクセンブルグでは、コノ「ヴィアンデン城」と「城郭都市・ルクセンブルグ」というのが、ランクインしているのだそうです。

     ヴィアンデン城

     岩の上に建てられた、中世の「城塞」と言う感じのお城です・・・・歴史がいっぱい詰まっている感じです・・・ヨーロッパには、「ヨーロッパ百名城」というのがあって、ルクセンブルグでは、コノ「ヴィアンデン城」と「城郭都市・ルクセンブルグ」というのが、ランクインしているのだそうです。

  •  ヴィアンデン<br /><br /> お城からの眺望・・・・町を取り囲んでいた「城壁」が見えます。

     ヴィアンデン

     お城からの眺望・・・・町を取り囲んでいた「城壁」が見えます。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 階段を登って、中に入ります・・・・1977年に、城は、ルクセンブルグ大公により国有化され、以来、本格的に修復されることになり、現在に至るとか・・・・

     ヴィアンデン城

     階段を登って、中に入ります・・・・1977年に、城は、ルクセンブルグ大公により国有化され、以来、本格的に修復されることになり、現在に至るとか・・・・

  •  ヴィアンデン城 Salle des cavaliers<br /><br /> 「騎士の間」ですね・・・多分? 騎士の「鎧」と「武具」が飾られています。

     ヴィアンデン城 Salle des cavaliers

     「騎士の間」ですね・・・多分? 騎士の「鎧」と「武具」が飾られています。

  •  ヴィアンデン城 <br /><br /> 騎士の「鎧」です、意外と小さいです、中世ヨーロッパ人は、案外小さい?

     ヴィアンデン城

     騎士の「鎧」です、意外と小さいです、中世ヨーロッパ人は、案外小さい?

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> いかにも「中世」の城らしい、暗い回廊です。

     ヴィアンデン城

     いかにも「中世」の城らしい、暗い回廊です。

  •  ヴィアンデン城 Poele des cavaliers<br /><br /> こちらも「騎士の部屋」ですけれど、「Poele」とは、「暖炉で温めた部屋」k事なのだとか。

     ヴィアンデン城 Poele des cavaliers

     こちらも「騎士の部屋」ですけれど、「Poele」とは、「暖炉で温めた部屋」k事なのだとか。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 鎧武者です。

     ヴィアンデン城

     鎧武者です。

  •  ヴィアンデン城 階段<br /><br /> お城の階段・・・シャンデリアもないし、特に煌びやかではないけれど、゛中世風の狭さが、却ってよい感じです。

     ヴィアンデン城 階段

     お城の階段・・・シャンデリアもないし、特に煌びやかではないけれど、゛中世風の狭さが、却ってよい感じです。

  •  ヴィアンデン城 Cour Interieure<br /><br /> 階上の・・・「庭園」だそうです・・・

     ヴィアンデン城 Cour Interieure

     階上の・・・「庭園」だそうです・・・

  •  ヴィアンデン城 内庭<br /><br /> 旗が揚がってます、上の三色旗(赤・白・水色は、水平三色旗)は、「ルクセンブルグ」の旗、過っての同君連合だった「オランダ」の旗(赤・白・青)にそっくりです、下の旗は、王冠をかぶった獅子の旗、「ルクセンブルグ」の「商船旗」だそうです・・・・ルクセンブルグに、海は無いんですけどね??

     ヴィアンデン城 内庭

     旗が揚がってます、上の三色旗(赤・白・水色は、水平三色旗)は、「ルクセンブルグ」の旗、過っての同君連合だった「オランダ」の旗(赤・白・青)にそっくりです、下の旗は、王冠をかぶった獅子の旗、「ルクセンブルグ」の「商船旗」だそうです・・・・ルクセンブルグに、海は無いんですけどね??

  •  ヴィアンデン城 内庭<br /><br /> 一番上は「ドラゴン」ですね、ドラゴンは、古代の西洋世界では、蛇の神格化されたものなのだそうですけれど、キリスト教世界では、退治される対象(異教etc)となり、悪魔の象徴とされていますけど、イギリスの、ウェールズの旗に描かれていたりもしますし、東欧には、ドラゴン騎士団というのもありますので、必ずしも、マイナスイメージばかりでは無いようです。

     ヴィアンデン城 内庭

     一番上は「ドラゴン」ですね、ドラゴンは、古代の西洋世界では、蛇の神格化されたものなのだそうですけれど、キリスト教世界では、退治される対象(異教etc)となり、悪魔の象徴とされていますけど、イギリスの、ウェールズの旗に描かれていたりもしますし、東欧には、ドラゴン騎士団というのもありますので、必ずしも、マイナスイメージばかりでは無いようです。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 内庭からの眺望です、「エッシュ・シュル・シュール」や「クレルボー」に同じ、森に囲まれた、谷間の町、この町も、やっぱり「森の国=ルクセンブルグ」の町ですね。<br />

    イチオシ

     ヴィアンデン城

     内庭からの眺望です、「エッシュ・シュル・シュール」や「クレルボー」に同じ、森に囲まれた、谷間の町、この町も、やっぱり「森の国=ルクセンブルグ」の町ですね。

  •  ヴィアンデン城 内庭<br /><br /> 階上の内庭(テラス)。

     ヴィアンデン城 内庭

     階上の内庭(テラス)。

  •  ヴィアンデン城 回廊 Chemin de ronde<br /><br /> 階上の「回廊」です。

     ヴィアンデン城 回廊 Chemin de ronde

     階上の「回廊」です。

  •  ヴィアンデン城  Chemin de ronde 眺望<br /><br /> 回廊からの「眺望」です・・・・屋根が邪魔で、あまり、どうということは無いですけど・・・?

     ヴィアンデン城  Chemin de ronde 眺望

     回廊からの「眺望」です・・・・屋根が邪魔で、あまり、どうということは無いですけど・・・?

  •  ヴィアンデン城 Chapelle Superieure<br /><br /> 回廊の内側には「礼拝所」があります。

     ヴィアンデン城 Chapelle Superieure

     回廊の内側には「礼拝所」があります。

  •  ヴィアンデン城 Salle Jemmy Kolts<br /><br /> 「ジェミィ・コルツさんの部屋」なのだそうです、

     ヴィアンデン城 Salle Jemmy Kolts

     「ジェミィ・コルツさんの部屋」なのだそうです、

  •  ヴィアンデン城  Salle Jemmy Kolts<br /><br /> 窓からは、周辺の丘が見渡せます。

     ヴィアンデン城 Salle Jemmy Kolts

     窓からは、周辺の丘が見渡せます。

  •  ヴィアンデン城 Salle de Banquets<br /><br /> この城の、多分「11世紀」頃の様子ですね。

     ヴィアンデン城 Salle de Banquets

     この城の、多分「11世紀」頃の様子ですね。

  •  ヴィアンデン城 Salle de Banquets<br /><br /> ほぼ「完成体」の「ヴィアンデン城」。

     ヴィアンデン城 Salle de Banquets

     ほぼ「完成体」の「ヴィアンデン城」。

  •  Salle Jemmy Kolts<br /><br /> この人が「Jemmy Kolts」さんのようです、何をした人なんでしょうか? 多分この城を修理した人だと思うんですけど・・・・?

     Salle Jemmy Kolts

     この人が「Jemmy Kolts」さんのようです、何をした人なんでしょうか? 多分この城を修理した人だと思うんですけど・・・・?

  •  ヴィアンデン城 Salle de Banquets<br /><br /> 大広間ですね、古い写真が、ずらっと並んでいます。

     ヴィアンデン城 Salle de Banquets

     大広間ですね、古い写真が、ずらっと並んでいます。

  •  ヴィアンデン城 Salle de Banquets<br /><br /> 修繕前の「ヴィアンデン城」の写真も展示されています・・・・まあ、あちこちち天井も抜けてますけど、原型は保っている感じですね・・・・確かに、修繕すれば、なんとかなりそうという感じです。

     ヴィアンデン城 Salle de Banquets

     修繕前の「ヴィアンデン城」の写真も展示されています・・・・まあ、あちこちち天井も抜けてますけど、原型は保っている感じですね・・・・確かに、修繕すれば、なんとかなりそうという感じです。

  •  Salle Jemmy Kolts<br /><br /> 修繕中の写真です。

     Salle Jemmy Kolts

     修繕中の写真です。

  •  ヴィアンデン城 Salle de manger 食堂<br /><br /> シャンデリアも地味ですね・・・・ルネサンス式なのだそうですけど・・・何処が?という感じ・・・でも、シンブルで飾り気がなくて、こういう部屋も好きです。

     ヴィアンデン城 Salle de manger 食堂

     シャンデリアも地味ですね・・・・ルネサンス式なのだそうですけど・・・何処が?という感じ・・・でも、シンブルで飾り気がなくて、こういう部屋も好きです。

  •  ヴィアンデン城 Chambre a Coucher 寝室<br /><br /> こちらは寝室、中世のお城ですから、ベッドのそばに、暖炉は欠かせません・・・・寒いですのでね。

     ヴィアンデン城 Chambre a Coucher 寝室

     こちらは寝室、中世のお城ですから、ベッドのそばに、暖炉は欠かせません・・・・寒いですのでね。

  •  ヴィアンデン城 Chambre a Coucher<br /><br /> 寝室のタペストリー、鳥とユニコーンなどが描かれています。

     ヴィアンデン城 Chambre a Coucher

     寝室のタペストリー、鳥とユニコーンなどが描かれています。

  •  ヴィアンデン城 Salle Vic. Avens<br /><br /> こちらは、ずらっとタペストリーの並んでいる部屋、廃墟になっていたお城ですので、このタペストリーは、多分最近、持ち込まれたものでしょうね・・・・「Vic. Avensの部屋」らしいのですけれど、この人の「コレクション」だったのかも?

     ヴィアンデン城 Salle Vic. Avens

     こちらは、ずらっとタペストリーの並んでいる部屋、廃墟になっていたお城ですので、このタペストリーは、多分最近、持ち込まれたものでしょうね・・・・「Vic. Avensの部屋」らしいのですけれど、この人の「コレクション」だったのかも?

  •  ヴィアンデン城 Salle Vic. Avens タベストリー<br /><br /> 古代ギリシャ・ローマ風の絵柄が多いです、モノによっては、アラブ風のエキゾチックな絵柄も・・・色はまあ、こんなものか? 少し、色あせしてる気もします。

     ヴィアンデン城 Salle Vic. Avens タベストリー

     古代ギリシャ・ローマ風の絵柄が多いです、モノによっては、アラブ風のエキゾチックな絵柄も・・・色はまあ、こんなものか? 少し、色あせしてる気もします。

  •  ヴィアンデン城 Salle Vic. Avens タペスチリー<br /><br /> 異教的な絵柄です・・・・何の物語かは、わかりません・・・これ等のタペストリーが、どの程度、この城に関係があるのかは知りませんけれど、貴族のお城には、よく似合ってます。

     ヴィアンデン城 Salle Vic. Avens タペスチリー

     異教的な絵柄です・・・・何の物語かは、わかりません・・・これ等のタペストリーが、どの程度、この城に関係があるのかは知りませんけれど、貴族のお城には、よく似合ってます。

  •  ヴィアンデン城 Salle genealogique <br /><br /> こちらは「系図室」だそうです・・・・右が、多分「ナッサウ家」、左が、それ以前の「ヴィアンデン公」の紋章のようです。

     ヴィアンデン城 Salle genealogique 

     こちらは「系図室」だそうです・・・・右が、多分「ナッサウ家」、左が、それ以前の「ヴィアンデン公」の紋章のようです。

  •  ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室<br /><br /> 上の写真の左側、「ヴィアンデン公」の紋章と、歴代(1472〜1544)の肖像画です、隣には、「ナッサウ家」の人々(1544〜1647)の肖像もあります。

     ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室

     上の写真の左側、「ヴィアンデン公」の紋章と、歴代(1472〜1544)の肖像画です、隣には、「ナッサウ家」の人々(1544〜1647)の肖像もあります。

  •  ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室<br /><br /> 「オラニエ・ナッサウ家のカロリーヌ」(1743〜1787)と、その六人の子供たちの肖像なのだとか・・・・左から二番目のおばさんが、多分、「カロリーヌ」。

     ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室

     「オラニエ・ナッサウ家のカロリーヌ」(1743〜1787)と、その六人の子供たちの肖像なのだとか・・・・左から二番目のおばさんが、多分、「カロリーヌ」。

  •  ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室<br /><br /> ヴィアンデン公夫妻の肖像のようですけど、いつ頃の人なのかは不明・・・・若夫婦ですね。

    イチオシ

     ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室

     ヴィアンデン公夫妻の肖像のようですけど、いつ頃の人なのかは不明・・・・若夫婦ですね。

  •  ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室<br /><br /> ルクセンブルグ大公「ジャン」(在位1964〜2000)の、肖像写真です。

     ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室

     ルクセンブルグ大公「ジャン」(在位1964〜2000)の、肖像写真です。

  •  ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室<br /><br /> ルクセンブルグ大公「シュルロッテ」(在位1919〜1964)だそうです、女性ですね、マアマアの美人・・・・でも、ルクセンブルグが、オランダとの同君連合を解消したのは(1890年)で、その理由が、オランダがウィルヘルミナ女王就任によると、どこかで読んだけど (ルクセンブルグの「ナッサウ家」の家法が「サリカ法」(女子相続の禁止)を取る為、男子「アドルフ」を立てて独立した)・・・・いつの間にやら&lt;女子相続が「OK」になったようでス・・・・ハハ・・・単に独立したかっただけかも?<br />

     ヴィアンデン城 Salle genealogique 系図室

     ルクセンブルグ大公「シュルロッテ」(在位1919〜1964)だそうです、女性ですね、マアマアの美人・・・・でも、ルクセンブルグが、オランダとの同君連合を解消したのは(1890年)で、その理由が、オランダがウィルヘルミナ女王就任によると、どこかで読んだけど (ルクセンブルグの「ナッサウ家」の家法が「サリカ法」(女子相続の禁止)を取る為、男子「アドルフ」を立てて独立した)・・・・いつの間にやら<女子相続が「OK」になったようでス・・・・ハハ・・・単に独立したかっただけかも?

  •  ヴィアンデン城 Grand Cuisine <br /><br /> 厨房です。

     ヴィアンデン城 Grand Cuisine 

     厨房です。

  •  ヴィアンデン城 Puit<br /><br /> 井戸です、中世の城の必需品。

     ヴィアンデン城 Puit

     井戸です、中世の城の必需品。

  •  ヴィアンデン城 Puit 井戸<br /><br /> かなり深いですけど、今も使えるようです。

     ヴィアンデン城 Puit 井戸

     かなり深いですけど、今も使えるようです。

  •  ヴィアンデン城 Salle de Chevalier<br /><br /> またありました、こちらも「騎士の間」、広い部屋の、暖炉の両サイドに、二体の鎧が立っています。

     ヴィアンデン城 Salle de Chevalier

     またありました、こちらも「騎士の間」、広い部屋の、暖炉の両サイドに、二体の鎧が立っています。

  •  ヴィアンデン城 Bastion 稜保<br /><br /> 内部の見物を終えて、外へ・・・・マア、廃墟になっていた城ですので、内装は、特に豪華でもなかったけれど、なかなか、見ごたえのある「中世の古城」でありました。

    イチオシ

     ヴィアンデン城 Bastion 稜保

     内部の見物を終えて、外へ・・・・マア、廃墟になっていた城ですので、内装は、特に豪華でもなかったけれど、なかなか、見ごたえのある「中世の古城」でありました。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> このあたりは、なかなかうまく修復されています・・・・城全体としても、修復されているところは、概ね、違和感もなく、よく出来てる感じです、写真を見ても、原型は、かなり残っていましたしね。

     ヴィアンデン城

     このあたりは、なかなかうまく修復されています・・・・城全体としても、修復されているところは、概ね、違和感もなく、よく出来てる感じです、写真を見ても、原型は、かなり残っていましたしね。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> 天井は、抜けていたけれど、この壁は、ほぼ、元の壁ですね。

     ヴィアンデン城

     天井は、抜けていたけれど、この壁は、ほぼ、元の壁ですね。

  •  ヴィアンデン城 地下室 Cave a Vin<br /><br /> こちらは「地下室」、これも勿論、原形のままだと思います。

     ヴィアンデン城 地下室 Cave a Vin

     こちらは「地下室」、これも勿論、原形のままだと思います。

  •  ヴィアンデン城 地下室  Cave a Vin<br /><br /> ワインの貯蔵庫だったのだそうです、樽があちこちにあますけど、中身が入ってるかどうかは、わかりません?・・・・テーブルがあるのだから、多分、観光局の多い季節なら、ビールくらいは注文できるのかも? でも、この日は、それらしい人は、誰もいませんでした。

     ヴィアンデン城 地下室  Cave a Vin

     ワインの貯蔵庫だったのだそうです、樽があちこちにあますけど、中身が入ってるかどうかは、わかりません?・・・・テーブルがあるのだから、多分、観光局の多い季節なら、ビールくらいは注文できるのかも? でも、この日は、それらしい人は、誰もいませんでした。

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> テラス(内庭)のある「塔」、何処にどの部屋があったかは、よくわかりませんけど、この「塔」は、多分、回廊と「チャペル」のあった「塔」?

    イチオシ

     ヴィアンデン城

     テラス(内庭)のある「塔」、何処にどの部屋があったかは、よくわかりませんけど、この「塔」は、多分、回廊と「チャペル」のあった「塔」?

  •  ヴィアンデン城<br /><br /> ルクセンブルグの国旗と、商船旗が見えます。

     ヴィアンデン城

     ルクセンブルグの国旗と、商船旗が見えます。

  •  ヴィアンデン城 ヴィクトル・ユーゴー像<br /><br /> お城の見物を終えて、再び、町に帰ってきました、こちらは、昨日見た、橋のたもとの「ヴィクトル・ユーゴー」さん、ではそろそろ、昨日の続きです・・・・街並みを眺めながらブラブラ・・・・フランス革命の「自由」について考えます・・・さて、「自由」とは何か?<br /><br /> それにしても、「錆」が凄い、少しは、磨いてやれないものか?

     ヴィアンデン城 ヴィクトル・ユーゴー像

     お城の見物を終えて、再び、町に帰ってきました、こちらは、昨日見た、橋のたもとの「ヴィクトル・ユーゴー」さん、ではそろそろ、昨日の続きです・・・・街並みを眺めながらブラブラ・・・・フランス革命の「自由」について考えます・・・さて、「自由」とは何か?

     それにしても、「錆」が凄い、少しは、磨いてやれないものか?

  •  ヴィアンデン 町並み<br /><br /> 「自由」とは何か?と言う事を考えるときには、多分、科学の世界に付いて考えること、それが一番、解りやすいと思います、何故なら、科学こそが、ある意味、「自由」の申し子だから・・・・だから、先ず、ずいぶん昔に読んだので、何の本だったか忘れたけれど、ガリレオ・ガリレイに纏わる逸話について紹介します、ガリレオは、誰もが知っている、イタリアの科学者、16世紀〜17世紀に活躍した、物理学者であり、数学者であり、天文学者、コペルニクスの「地動説」を支持したために、「異端審問」に架けられて・・・・「それでも地球は回っている」とつぶやいたと言われている人。

     ヴィアンデン 町並み

     「自由」とは何か?と言う事を考えるときには、多分、科学の世界に付いて考えること、それが一番、解りやすいと思います、何故なら、科学こそが、ある意味、「自由」の申し子だから・・・・だから、先ず、ずいぶん昔に読んだので、何の本だったか忘れたけれど、ガリレオ・ガリレイに纏わる逸話について紹介します、ガリレオは、誰もが知っている、イタリアの科学者、16世紀〜17世紀に活躍した、物理学者であり、数学者であり、天文学者、コペルニクスの「地動説」を支持したために、「異端審問」に架けられて・・・・「それでも地球は回っている」とつぶやいたと言われている人。

  •  ヴィアンデン ウール川の風景<br /><br /> 何かの本で読んだ「逸話」と言うのは、そのガリレオと、その友人の神父との会話です・・・・異端審問にかれられていたガリレオでは有りますけれど、親しい、友人の神父もいて、ある日、この神父を自宅に招いた折に、自作の「望遠鏡」を指し示しながら、「是非、この望遠鏡を覗いてくれるよう、そうすれば、私の主張が正しいことが解るだろう」と懇願したと言います、けれど、その時、神父は、友のガリレオに、こう答えたのだとか・・・・「確かに、君の言う事は正しいのだろう、この望遠鏡を覗けば、君の言うものが見えるのだろう・・・しかし・・・私は、聖職者であり、アリストテレスの絶対無誤謬を信じる」と、そして、友の神父は決して、ガリレオの「望遠鏡」を覗くことはしなかったのだとか・・・・

     ヴィアンデン ウール川の風景

     何かの本で読んだ「逸話」と言うのは、そのガリレオと、その友人の神父との会話です・・・・異端審問にかれられていたガリレオでは有りますけれど、親しい、友人の神父もいて、ある日、この神父を自宅に招いた折に、自作の「望遠鏡」を指し示しながら、「是非、この望遠鏡を覗いてくれるよう、そうすれば、私の主張が正しいことが解るだろう」と懇願したと言います、けれど、その時、神父は、友のガリレオに、こう答えたのだとか・・・・「確かに、君の言う事は正しいのだろう、この望遠鏡を覗けば、君の言うものが見えるのだろう・・・しかし・・・私は、聖職者であり、アリストテレスの絶対無誤謬を信じる」と、そして、友の神父は決して、ガリレオの「望遠鏡」を覗くことはしなかったのだとか・・・・

  •  ヴィアンデン 河沿いの街並み<br /><br /> 「アリストテレスの絶対無誤謬」とは、あまり耳慣れない言葉ですけれど、別に大した意味は有りません、アリストテレスは、ソクラテス&プラトンと並び称される、古代ギリシャの哲学者ですけれど、実は、後の、中世のキリスト教の世界観と神学(スコラ哲学)に、最大の影響を与えた哲学者で、その哲学には、原初における「神の創造」を許容する、そうした「要素」が有るのだとか・・・・特にその「宇宙論」は、地球を宇宙の中心とする「宇宙論」で、後の世の、プトレマイオスの宇宙論(中世・キリスト教の宇宙論)の元型となったもの、「絶対無誤謬を信じる」とは、単に、これを信じるという事に他なりません。

     ヴィアンデン 河沿いの街並み

     「アリストテレスの絶対無誤謬」とは、あまり耳慣れない言葉ですけれど、別に大した意味は有りません、アリストテレスは、ソクラテス&プラトンと並び称される、古代ギリシャの哲学者ですけれど、実は、後の、中世のキリスト教の世界観と神学(スコラ哲学)に、最大の影響を与えた哲学者で、その哲学には、原初における「神の創造」を許容する、そうした「要素」が有るのだとか・・・・特にその「宇宙論」は、地球を宇宙の中心とする「宇宙論」で、後の世の、プトレマイオスの宇宙論(中世・キリスト教の宇宙論)の元型となったもの、「絶対無誤謬を信じる」とは、単に、これを信じるという事に他なりません。

  •  ヴィアンデン<br /> 町並み&ヴィクトル・ユーゴー記念館<br /><br /> 果たして、「自由」は、いずれの側にあるのか、「ガリレオ」か「神父」か?、そして、二人の間には、いったいどんな違いがあるのか? 多分、これが「自由」を考える場合に、とても参考になると、ワタクシは考えております。

     ヴィアンデン
     町並み&ヴィクトル・ユーゴー記念館

     果たして、「自由」は、いずれの側にあるのか、「ガリレオ」か「神父」か?、そして、二人の間には、いったいどんな違いがあるのか? 多分、これが「自由」を考える場合に、とても参考になると、ワタクシは考えております。

  •  ヴィアンデン 町並み<br /><br /> 科学の世界とは、それが科学である限り、「自由」を象徴するものと、ワタクシは考えてます、つまり、科学の世界では、常に、「発明」「発見」が付き物で、常に「真実」が書き換えられる世界です、だから、「科学」が「自由」である限り、常に、新たなる「真実」によって、「世界観」も「宇宙間」も変貌するものだと言うことになります、つまり、科学こそ、「自由」の申し子と言えます。

     ヴィアンデン 町並み

     科学の世界とは、それが科学である限り、「自由」を象徴するものと、ワタクシは考えてます、つまり、科学の世界では、常に、「発明」「発見」が付き物で、常に「真実」が書き換えられる世界です、だから、「科学」が「自由」である限り、常に、新たなる「真実」によって、「世界観」も「宇宙間」も変貌するものだと言うことになります、つまり、科学こそ、「自由」の申し子と言えます。

  •  ヴィアンデン 橋の上からの街並み<br /><br /> 「自由」とは、だから「真実の発見・変貌」に従って「変貌」するもの、科学の世界を一般社会に当てはめて言えば、社会もまた、真実の発見と変貌によって「変わり得る社会」こそが「自由な社会」だと言えると、そう言って、概ね、間違いはないかと思います。<br /><br /> つまり、「自由」とは「真実」あるいは「事実」と言っても良いけれど、その発見・変貌を随伴して、主張されうるものであり、そして常に、変わり続ける可能性そのものであるという、そう言う結論になります。

     ヴィアンデン 橋の上からの街並み

     「自由」とは、だから「真実の発見・変貌」に従って「変貌」するもの、科学の世界を一般社会に当てはめて言えば、社会もまた、真実の発見と変貌によって「変わり得る社会」こそが「自由な社会」だと言えると、そう言って、概ね、間違いはないかと思います。

     つまり、「自由」とは「真実」あるいは「事実」と言っても良いけれど、その発見・変貌を随伴して、主張されうるものであり、そして常に、変わり続ける可能性そのものであるという、そう言う結論になります。

  •  ヴィアンデン カフェ<br /><br /> 上記の「自由」の概念に照らして考えたとき、果たして「自由」は、ガリレオと神父の、いずれの側にあるか、それは明らかであると思います、神父は決して、「望遠鏡」を覗くことをせず、ただ、アリストテレスという「権威」に寄りかかりながら、「真実」に背を向けている・・・・この神父の態度は、多分「自由」とは言わず「カラスの勝手」というのが相応しい、そう、ワタクシは思います、「権威」にもたれ「権力」を得たとしても、神父は決して「自由」を求めている訳ではありません。

     ヴィアンデン カフェ

     上記の「自由」の概念に照らして考えたとき、果たして「自由」は、ガリレオと神父の、いずれの側にあるか、それは明らかであると思います、神父は決して、「望遠鏡」を覗くことをせず、ただ、アリストテレスという「権威」に寄りかかりながら、「真実」に背を向けている・・・・この神父の態度は、多分「自由」とは言わず「カラスの勝手」というのが相応しい、そう、ワタクシは思います、「権威」にもたれ「権力」を得たとしても、神父は決して「自由」を求めている訳ではありません。

  •  ヴィアンデン 町並みと教会<br /><br /> 「自由」とは、「自由な社会」とは、と考えるとき、それは、「真実」や「事実」に裏打ちされている必要があるということが、ワタクシの結論ですけれど、もちろん、そのためには、「情報の公開」と言う事が大前提になります、そうでなければ「真実」も「事実」も解らないからです・・・・そして、いつの時代も「自由」を恐れ、これを憎む者(既得権益者)たちは、これを封じようとします「国家秘密法」「情報(非)公開法」「個人(お役人)情報保護法」などという法律のある日本は、残念ながら、「自由世界」の一員ではないし「自由な社会」に背を向けていることは、もはや、誰の目にも明らかで有りましょう・・・。

     ヴィアンデン 町並みと教会

     「自由」とは、「自由な社会」とは、と考えるとき、それは、「真実」や「事実」に裏打ちされている必要があるということが、ワタクシの結論ですけれど、もちろん、そのためには、「情報の公開」と言う事が大前提になります、そうでなければ「真実」も「事実」も解らないからです・・・・そして、いつの時代も「自由」を恐れ、これを憎む者(既得権益者)たちは、これを封じようとします「国家秘密法」「情報(非)公開法」「個人(お役人)情報保護法」などという法律のある日本は、残念ながら、「自由世界」の一員ではないし「自由な社会」に背を向けていることは、もはや、誰の目にも明らかで有りましょう・・・。

  •  ヴィアンデン ヴィクトル・ユーゴー記念館<br /><br /> 町の散歩の最後は、亡命時代の「ユーゴー」が、仮住まいをしていた「ハウス」です、入場料「4ユーロ」、安いです・・・まあ、中は、値段相応かも?

     ヴィアンデン ヴィクトル・ユーゴー記念館

     町の散歩の最後は、亡命時代の「ユーゴー」が、仮住まいをしていた「ハウス」です、入場料「4ユーロ」、安いです・・・まあ、中は、値段相応かも?

  •  ヴィクトル・ユーゴー記念館<br /><br /> 階段です、二階が「ユーゴー」の私室です。<br /><br /> 最後に、フランス革命の「自由」と、それが依って立っていた「真実」とは何だったのか、それは、「人間とは、理性を持つ存在であり、誰もが平等に、幸福追求の権利を持つ」という「真実=人権思想」であるということを書いておきます、それは、革命に先立つ「啓蒙思想」の中で育まれ、発見された「真実」であり、今も世界の先進国と言われる国においては、国家という組織が、その実現を目的とするところの、大前提なのです・・・・まあ、言わずもがなでしょうけれど、フランス革命が、まさに「自由」を語るにふさわしい、人類史的出来事であったこと、そのことは間違いがないと、ワタクシは考えております、それがどこまで「自由」を勝ち得たかは、もちろん別問題ですけれど。

     ヴィクトル・ユーゴー記念館

     階段です、二階が「ユーゴー」の私室です。

     最後に、フランス革命の「自由」と、それが依って立っていた「真実」とは何だったのか、それは、「人間とは、理性を持つ存在であり、誰もが平等に、幸福追求の権利を持つ」という「真実=人権思想」であるということを書いておきます、それは、革命に先立つ「啓蒙思想」の中で育まれ、発見された「真実」であり、今も世界の先進国と言われる国においては、国家という組織が、その実現を目的とするところの、大前提なのです・・・・まあ、言わずもがなでしょうけれど、フランス革命が、まさに「自由」を語るにふさわしい、人類史的出来事であったこと、そのことは間違いがないと、ワタクシは考えております、それがどこまで「自由」を勝ち得たかは、もちろん別問題ですけれど。

  •  ヴィクトル・ユーゴー記念会<br /><br /> 「ユーゴーさん」が座ってます、いつも部屋を出ないで座ってるようで、肌の色が真っ白・・・・少しは外に出て、焼かねば・・・ハハ。<br />

     ヴィクトル・ユーゴー記念会

     「ユーゴーさん」が座ってます、いつも部屋を出ないで座ってるようで、肌の色が真っ白・・・・少しは外に出て、焼かねば・・・ハハ。

  •  ヴィクトル・ユーゴー記念<br /><br /> 「レ・ミゼラブル」には、「ジャン・パル・ジャン」の敵役として「ジャベール」という警察官が登場してますけれど、「パル・ジャン」を「理性」と「真実」の象徴と考えたとき、「ジャベール」は、「権威」に身を依せるものとして登場します、彼は、自己嫌悪のゆえに、己を蔑むところの「権威」と「権力」に縋り付いているという、とても興味深い人間です、丁度、国家に差別されるものが、差別する国家の側に立つという「幻想」によって、己れを消し去ることが出来るかのように「錯覚」している・・・・今現在の日本で「ネトウヨ」と呼ばれている、多くの惨めな人々と、同種の人間でしょうか?・・・ある意味、「パル・ジャン」より以上に「レ・ミゼラブル」な人間で、この小説の、真の主人公なのかもしれません。

     ヴィクトル・ユーゴー記念

     「レ・ミゼラブル」には、「ジャン・パル・ジャン」の敵役として「ジャベール」という警察官が登場してますけれど、「パル・ジャン」を「理性」と「真実」の象徴と考えたとき、「ジャベール」は、「権威」に身を依せるものとして登場します、彼は、自己嫌悪のゆえに、己を蔑むところの「権威」と「権力」に縋り付いているという、とても興味深い人間です、丁度、国家に差別されるものが、差別する国家の側に立つという「幻想」によって、己れを消し去ることが出来るかのように「錯覚」している・・・・今現在の日本で「ネトウヨ」と呼ばれている、多くの惨めな人々と、同種の人間でしょうか?・・・ある意味、「パル・ジャン」より以上に「レ・ミゼラブル」な人間で、この小説の、真の主人公なのかもしれません。

  •  ヴィクトル・ユーゴー記念<br /><br /> 物語の終わりに、「ジャベール」は、セーヌ川に身を投げて、「自死」します、それは実に、寂しい最期でもあり、同時に、感動的な場面でもあります、彼は、自らの固定観念から解放された時に、「自死」を選ぶしかないという「悲劇的」な人間ですけれど、人生の最後に、人間の「真実」に目覚めた人間です、悲劇的ではあるけれど、ある意味「真摯」な人間ではありました・・・・残念ながら、今の日本の「ネトウヨ」たちには、あまり「真摯」さを感じないので、そこのところは、一緒には出来ませんですね。

     ヴィクトル・ユーゴー記念

     物語の終わりに、「ジャベール」は、セーヌ川に身を投げて、「自死」します、それは実に、寂しい最期でもあり、同時に、感動的な場面でもあります、彼は、自らの固定観念から解放された時に、「自死」を選ぶしかないという「悲劇的」な人間ですけれど、人生の最後に、人間の「真実」に目覚めた人間です、悲劇的ではあるけれど、ある意味「真摯」な人間ではありました・・・・残念ながら、今の日本の「ネトウヨ」たちには、あまり「真摯」さを感じないので、そこのところは、一緒には出来ませんですね。

  •  ヴィクトル・ユーゴー記念<br /><br /> 「レ・ミゼラブル」の挿絵入り「ポスター」?<br /><br /> 「人権」と「真実」を否定し、それでも「自由主義国家」だと言っているらしい政治家が、この日本には多いようですけれど、ではいったい、「人権」の代わりに、彼らにどんな「真実」があるのか、聞いてみたい気はします・・・・でも、「国家秘密法」等で情報を隠し、NHKやテレビ・新聞を支配することで、ジャーナリズムを抹殺している彼らに、「真実」を語る資格は無い・・・と、これだけは、はっきりと、断言しておきます・・・・「嘘」と「神話」に彩られた、中世への、黴の生えた「懐古趣味」は、「仲間内だけでやっていなさい」と言う事で、出来れば、まともな人間を、巻き込まないで欲しいモノです・・・・ハア・・・(溜息)。

     ヴィクトル・ユーゴー記念

     「レ・ミゼラブル」の挿絵入り「ポスター」?

     「人権」と「真実」を否定し、それでも「自由主義国家」だと言っているらしい政治家が、この日本には多いようですけれど、ではいったい、「人権」の代わりに、彼らにどんな「真実」があるのか、聞いてみたい気はします・・・・でも、「国家秘密法」等で情報を隠し、NHKやテレビ・新聞を支配することで、ジャーナリズムを抹殺している彼らに、「真実」を語る資格は無い・・・と、これだけは、はっきりと、断言しておきます・・・・「嘘」と「神話」に彩られた、中世への、黴の生えた「懐古趣味」は、「仲間内だけでやっていなさい」と言う事で、出来れば、まともな人間を、巻き込まないで欲しいモノです・・・・ハア・・・(溜息)。

  •  ヴィアンデン城 遠望<br /><br /> 最後に、美しい「ヴィアンデンの城」を眺めながら、この理屈っぽい旅行記を終わりにします・・・・最後まで付き合ってくれた方には、お礼を申し上げます・・・でも、誰かいるかな?<br /><br /> 町の印象 ★★★★★ もちろんの五つ星、こじんまりした、静かで美しい街、観光の町です。<br /><br /> 次は、エヒテルナッハの町へと走ります。

    イチオシ

     ヴィアンデン城 遠望

     最後に、美しい「ヴィアンデンの城」を眺めながら、この理屈っぽい旅行記を終わりにします・・・・最後まで付き合ってくれた方には、お礼を申し上げます・・・でも、誰かいるかな?

     町の印象 ★★★★★ もちろんの五つ星、こじんまりした、静かで美しい街、観光の町です。

     次は、エヒテルナッハの町へと走ります。

この旅行記のタグ

関連タグ

37いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (3)

開く

閉じる

  • エトランゼさん 2024/03/13 17:07:45
    おたずねします
    はじめまして
    だいぶ前の投稿についてで、覚えていらっしゃったら教えてください。
    テレビの「ワールドツアー」で、王が襲われるのに備えてベッドに座って寝ていた、というのがありましたが、ヴィアンデン城(ルクセンブルク)のことでしたでしょうか?なにか写真が記憶のと似ているのです。
    また、パリからルクセンブルクへの交通機関での行き方をお教えいただくとありがたいです。
  • コクリコさん 2014/04/29 19:02:42
    力作ですね!
    ももんがあまんさん、お久しぶりです!

    私の旅行記にたくさん投票ありがとうございました。
    2月にはももんがあさんのお住まいの奈良にも行ってまいりました。

    革命と自由を下地に『レ・ミゼラブル』紀行を読んでいるような旅行記ですね!
    ももんがあまんさんの写真と文章を『レ・ミゼラブル』の場面と照らし合わせて楽しく面白く読ませていただきました。

    『レ・ミゼラブル』紀行はももんがあさんの旅のテーマのひとつでもありましたものね。
    ユゴーが城塞好きだったんだ〜とそうかそうかと思っていたら、はたと思い当たりました。
    私が去年行ったユゴー生誕の地ブザンソンにはヴォーバンのシタデルがありましたっ!
    ユゴーはブザンソンで生まれただけでその後暮らしてはいませんが幼い頃見た城塞がずっと心のどこかにこびりついていたのでしょうか?

    ヴィクトル・ユゴーの亡命地といえば、いつかサン・マロから船に乗って英国領ジャージー島、ガーンジー島に行ってみたいな〜と思っています。
    ももんがあまんさんは彼の地に行かれたのでしょうか?
    英国領といってもサン・マロからすぐなんですね〜
    以前迷子さんの旅行記を見て、ジャージー牛乳やジャージー牛乳で作られたおいしそうなアイスクリーム味わってみたいと思ったものでして、おまけにヴィクトル・ユゴーを偲んで。

    日本や極東の国の人々は自由が本当は好きではないのではないかと思う今日この頃です。
    いや知らないから自由になったら恐い、と思っているのではないかと。
    自由とやりたい放題の区別がつかないとか。。。
    すべて西洋が良いというわけではありませんが、現代の社会は西洋の考え方、生活様式が中心になっているのにはやはりそれだけの理由があるのだと思います。

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2014/04/29 23:03:49
    RE: 力作ですね!
     お久しぶりです、コクリコさん。

     > 私の旅行記にたくさん投票ありがとうございました。
     > 2月にはももんがあさんのお住まいの奈良にも行ってまいりました。

     奈良の旅行記、地元に住んでいながら知らないことも多くて、興味深く拝見しました。

     > 革命と自由を下地に『レ・ミゼラブル』紀行を読んでいるような旅行記ですね!
     > ももんがあまんさんの写真と文章を『レ・ミゼラブル』の場面と照らし
     > 合わせて楽しく面白く読ませていただきました。

     理屈っぽい旅行記、読んで頂いて、ありがとうございま〜す。

     > ユゴーが城塞好きだったんだ〜とそうかそうかと思っていたら、はたと思い当たりました。
     > 私が去年行ったユゴー生誕の地ブザンソンにはヴォーバンのシタデルがありましたっ!
     > ユゴーはブザンソンで生まれただけでその後暮らしてはいませんが幼い
     > 頃見た城塞がずっと心のどこかにこびりついていたのでしょうか?

     「ブザンソン」、ユゴーの生誕地だったんですか、これでいつか行く゜ブザンソン」が楽しみになりました。

     > ヴィクトル・ユゴーの亡命地といえば、いつかサン・マロから船に乗っ
     >て英国領ジャージー島、ガーンジー島に行ってみたいな〜と思っています。
     > ももんがあまんさんは彼の地に行かれたのでしょうか?
     > 英国領といってもサン・マロからすぐなんですね〜

     ジャージー島とガーンジー島、行く気は有ったのですけど、船賃が高そうで・・・・諦めたのです・・・・今年は、2〜3か月の旅は出来そうも無く、何とかひと月くらいはと思っているのですけれど、もし実現したら、久々に、鉄道の旅をして、これまで行き残した土地を巡ってみたいと思ってます、ジャージー諸島は、その目的地の一つですね。

     > 日本や極東の国の人々は自由が本当は好きではないのではないかと思う
     > 今日この頃です。
     > いや知らないから自由になったら恐い、と思っているのではないかと。
     > 自由とやりたい放題の区別がつかないとか。。。

     「自由」と言うのは、ワタクシの持論では「真実」と共に語られるべきものなので、「真実」が変貌するとともに「変貌する事」、見方によっては、とても、「不安定」なものなのです、エーリッヒ・フロムに「自由からの逃亡」と言う書物が有りますし、哲学者のサルトルは、「自由」とは「恐怖」なのだと書いているとか?

     ですから、「自由」に生きるという事には、「勇気」が要りますし、自分の目で見、自分の頭で考えて、「真実」を見つけねばならないので、精神的に、知的に、「怠惰」では務まらないのですね・・・・思うに、日本人と言うのは、ワタクシに言わせれば「チキン」が多すぎるかと・・・・?

                       by ももんがあまん

ももんがあまんさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ルクセンブルクで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ルクセンブルク最安 567円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ルクセンブルクの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP