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 横浜市戸塚区汲沢にある寶壽院は真言宗大覚寺派のお寺で汲沢山寶壽院願行寺という。開山は願行上人との伝承があるが、宝亀3年(772年)説ではなく、願行上人がいたのは鎌倉末の頃である。しかし、天正年間(1573年〜1592年)に青蓮寺の末寺になったとする説もある。「土地の旧家・森家の建立であるが同家は森蘭丸の末裔とされている」ともある。本能寺の変は、天正10年(1582年)のことであるから、天正20年(1592年)頃までに伽藍が整備されて寶壽坊から寶壽院に変わったのであろう。門前の「森金八碑」にある森金八はこの一族であろうか。また、秘仏御本尊不動明王を宝永7年(1710年)以来に開帳したとある。過去帳も宝永以降しか残っていない。また、寺の住職は代々独身であり、五霊社の祭祀も兼ねていた。<br /> 寶壽院の枝垂れ桜を見に行った。寶壽院の枝垂れ桜は日露戦争の頃(明治37年(1904年))に植えられたと言われている。数年前は枯れかかっていたが、近年は次第に樹勢を取り戻しつつある。今年の寶壽院の枝垂れ桜は例年よりは色が濃い感じだ。この冬は特別に厳寒だったためであろう。<br /> 境内には一人、花見に来ていた人がいた。例年、息子の家を訪ねる途中に寄るのだという。「桜も大分戻ってきたようで。」と笑みを浮かべていた。やはり、昔からある枝垂れ桜が、枝ぶりも良く綺麗に咲くことは誰でもが望んでいることなのだ。<br />(表紙写真は寶壽院の枝垂れ桜)

寶壽院(横浜市戸塚区汲沢)の枝垂れ桜-2014年

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2014/03/29 - 2014/03/29

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 横浜市戸塚区汲沢にある寶壽院は真言宗大覚寺派のお寺で汲沢山寶壽院願行寺という。開山は願行上人との伝承があるが、宝亀3年(772年)説ではなく、願行上人がいたのは鎌倉末の頃である。しかし、天正年間(1573年〜1592年)に青蓮寺の末寺になったとする説もある。「土地の旧家・森家の建立であるが同家は森蘭丸の末裔とされている」ともある。本能寺の変は、天正10年(1582年)のことであるから、天正20年(1592年)頃までに伽藍が整備されて寶壽坊から寶壽院に変わったのであろう。門前の「森金八碑」にある森金八はこの一族であろうか。また、秘仏御本尊不動明王を宝永7年(1710年)以来に開帳したとある。過去帳も宝永以降しか残っていない。また、寺の住職は代々独身であり、五霊社の祭祀も兼ねていた。
 寶壽院の枝垂れ桜を見に行った。寶壽院の枝垂れ桜は日露戦争の頃(明治37年(1904年))に植えられたと言われている。数年前は枯れかかっていたが、近年は次第に樹勢を取り戻しつつある。今年の寶壽院の枝垂れ桜は例年よりは色が濃い感じだ。この冬は特別に厳寒だったためであろう。
 境内には一人、花見に来ていた人がいた。例年、息子の家を訪ねる途中に寄るのだという。「桜も大分戻ってきたようで。」と笑みを浮かべていた。やはり、昔からある枝垂れ桜が、枝ぶりも良く綺麗に咲くことは誰でもが望んでいることなのだ。
(表紙写真は寶壽院の枝垂れ桜)

  • 寶壽院の枝垂れ桜。

    寶壽院の枝垂れ桜。

  • 寶壽院の枝垂れ桜。

    寶壽院の枝垂れ桜。

  • 寶壽院の枝垂れ桜。

    寶壽院の枝垂れ桜。

  • 寶壽院の枝垂れ桜。結構、色が濃い。

    寶壽院の枝垂れ桜。結構、色が濃い。

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