2014/02/14 - 2014/02/14
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bakanekoさん
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これで雰囲気が分かる。2/14の大雪のときの室生寺。圧巻である。
http://youtu.be/v3UrIvTSX0U
2/8の雪の室生寺と初めて会えた時は。 http://youtu.be/pEKS-_EvKb8
前回2月8日雪の室生寺に行き感動する。その時から、「全山白皚々たる」という言葉を考えた。
前述の {土門は荒木良仙住職と語り合い、老師に四季の中でどの季節の室生寺が一番美しいかとたずねた時、「全山白皚々たる雪の室生寺が第一等であると思う」と答えた。}が頭に残る。
しかし、{土門が見たまだ薄暗い空間には、横なぐりに雪が降っており、「ぼくの待っていた雪はさーっと一掃け、掃いたような春の雪であった」}とあるように土門の写真は、淡雪のような室生寺である。
こりゃ荒木良仙住職の話とちゃうやろ。それを頭に残し、大雪警報を聞く。
今回は、カタカナ 「天佑ヲ確信シ、全艦突撃セヨ」ということで「作戦名 白皚々」ヲ発動ス。
白い雪の中の室生寺は、ほれぼれするような所でした。
また前回撮れなかった雪が舞い散る室生寺を撮る事ができ感無量です。
感動で、写真選別が出来ず写真数が多いことをお許しください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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捨猫あがりのぶっちょが不敵な顔で言う。「全山白皚々たる」とは、あたしの毛並みのようなことを言うのよ・・・
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東大寺のお水取りが終われば、あきらめて帰ろうと考えていたのである。
寒波接近の予報に、2月13日、bakanekoたちは、雪を待った。
14日の朝、野良猫あがりのノラ美がカーテンをあけると、一面の雪景
色だった。猫たちもbakanekoが雪を待っていたことを知っており、皆鳴いた。
ノラ美は早く知らせねばと寝間着のままbakanekoの部屋にかけ込んだ。「bakaneko先生雪が降りましたよ」というと、bakanekoは降りましたかと起き上がり、窓をあけ、ノラ美の手を握ってへらへらとまたしても笑った。
バイクで雪面を滑るようにふらふらしながらbakanekoは近鉄上六に行った。が・・近鉄八尾でバイクの接触事故・・・列車遅延・・・・・あきらめたとき、急行が出るという。急いで乗る。30分遅れ。河内国分を過ぎるとそこは雪国であった。ぎりぎり平日の室生寺行きの始発バスに乗る。前回の靴の失敗を考え、長靴にしたが大正解。20cmはあろうかという雪の中を室生寺へ。バスは5人ほど。みんな室生寺目当てでした。 -
まさに夢にまで見た雪の室生寺
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若い僧侶が、雪かきをするも積もる
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鎧坂
仁王門をくぐると左にバン字池があり、その少し上に弁才天社がある。室町時代の春日造の小さな祠である。左手の自然石積みの幅広い急な石段は「鎧坂」と呼ばれ、その両脇には石楠花や木々の枝が迫っている。登りだすと石段の頂きに金堂の屋根がみえる。室生寺の序章ともいえる美しい景観である。 -
仁王門
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鎧坂の向こうに金堂が見える。
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仁王門から
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仁王門に降る雪
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金堂
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国宝
木造釈迦如来坐像 - 像高106.3センチ。弥勒堂の本尊に向かって右に安置される。伝来や造像の由緒は一切不明だが、作風から平安時代前期(9世紀)の作とみられる。太く丸みのある衣文と細く鋭い衣文を交互に刻む翻波式(ほんぱしき)衣文は平安前期彫刻の特色だが、本像のように全面に翻波式衣文を駆使した作品は珍しい。弥勒堂に客仏として安置されているこの像は、平安前期彫刻の白眉として知られている。どっしりと安定した姿に引き締まった慈愛の表情が美しく、渓谷の清流を思わす衣紋は明快でこころよい。
弥勒堂に客仏として安置されているこの像は、平安前期彫刻の白眉として知られている。どっしりと安定した姿に引き締まった慈愛の表情が美しく、渓谷の清流を思わす衣紋は明快でこころよい -
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天神社より弥勒堂を望む
金堂前庭の左手にある三間四方のこの堂は、興福寺の伝法院を受け継いだと伝える鎌倉時代の建築で、元は南向きであったのを室町時代に東向きとし、江戸初期にも改造されている。内部の四本柱の中に須弥壇を置き、厨子入りの弥勒像を安置する -
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雪舞う弥勒堂 弥勒堂 − 鎌倉時代
弥勒堂
入母屋造、杮葺き。桁行3間、梁間3間。鎌倉時代前期の建築だが、江戸時代に大幅に改造されている。堂内中央の厨子に本尊弥勒菩薩立像(重文)を安置し、向かって右に釈迦如来坐像(国宝)を安置する -
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金堂
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弥勒堂正面
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雪深いのはエエです。
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ここから五重塔
前とは別世界 -
本堂横の高い石段の上に優しく立つこの塔は、屋外に立つ五重塔としては我が国で最も小さく、また法隆寺五重塔に次ぐ古塔である。檜皮葺の屋根や丹塗りの組物が、奥深い樹林に包まれて格別の風情がある。
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五重塔
800年頃の建立で、木部を朱塗りとする。屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次ぎわが国で2番目に古く、国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小である。高さは16メートル強、初重は1辺の長さ2.5メートルの小型の塔で、高さは興福寺五重塔の3分の1ほどである。
通常の五重塔は、初重から1番上の5重目へ向けて屋根の出が逓減(次第に小さくなる)されるが、この塔は屋根の逓減率が低く、1重目と5重目の屋根の大きさがあまり変わらない。その他、全体に屋根の出が深く、厚みがあること、屋根勾配が緩いこと、小規模な塔の割に太い柱を使用していることなどが特色である。屋根の大きさが1重目と5重目とで変わらないのに対し、塔身は上へ行くにしたがって細くなり、5重目の一辺は1重目の6割になっている。しかし、斗(ます)、肘木などの組物の大きさは同じなので、5重目では組物と組物の間隔が非常に狭くなっている。側柱(外面の柱)の径は1重目が28センチ、2重目以上が23センチである。日本の他の仏塔では、最上部の九輪の上に「水煙(すいえん)」という飾りが付くが、この塔では水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と称する壺状のものがあり、その上に八角形の宝蓋(ほうがい)という傘状のものが乗っている珍しい形式である。寺伝では、創建にかかわった僧侶修円がこの宝瓶に室生の竜神を封じ込めたとされる。
心柱には江戸時代の明和5年(1768年)の修理銘を記した銅板が打ち付けられており、明治33年(1900年)から翌年にかけても半解体修理が行われた。このほか、部材には鎌倉時代末期頃のものが含まれることから、その頃にも一度修理を受けていることがわかる。部材には当初材のほか、鎌倉時代、江戸時代(明和)、明治時代のものが含まれ、各重の側柱には明和と明治の修理で取り換えられたり、当初位置から移動しているものが多い。屋根は建立当初は板葺きで、明和の修理で檜皮葺きに変更したものとみられる。
五重塔は、1998年9月22日、台風7号の強風でそばの杉(高さ約50メートル)が倒れた際に屋根を直撃、西北側の各重部の屋根・軒が折れて垂れ下がる大被害を受けた。しかし、心柱を含め、塔の根幹部は損傷せずに済み、復旧工事を1999年から2000年にかけ行った。修理に際し奈良文化財研究所により、当初材を年輪年代測定法で調査したところ、794年頃に伐採されたものであることが判明した。このことからも塔の建立年代を800年頃とする従来の定説が裏付けられた -
落雪が
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雪の向こうに現れる。
このタイミングで撮れて幸せです。 -
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この深遠な世界は最高です。まさに全山白皚々たる雪の室生寺 もう最高ですわ・・・・
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南天
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雪は降り続きます。11時くらいか
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もう十数年は、撮れないと思う
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石仏も白装束
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もっとエエレンズで、もう少し高度をとればええのですが・・・
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前回この画は撮れなかった
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日本の他の仏塔では、最上部の九輪の上に「水煙(すいえん)」という飾りが付くが、この塔では水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と称する壺状のものがあり、その上に八角形の宝蓋(ほうがい)という傘状のものが乗っている珍しい形式である。寺伝では、創建にかかわった僧侶修円がこの宝瓶に室生の竜神を封じ込めたとされる。
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室生寺独特の形状
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日本の美
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本堂(灌頂堂)
入母屋造、檜皮葺き。桁行5間、梁間5間。室生寺の密教化が進んでいた鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立。梁間5間のうち、手前2間を外陣、奥の3間を内陣とする。この堂は灌頂堂(かんじょうどう)とも称され、灌頂という密教儀式を行うための堂である。内陣中央の厨子には如意輪観音坐像(重文)を安置し、その手前左右の壁には両界曼荼羅(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅)を向かい合わせに掛け、灌頂堂としての形式を保持している。正面は5間とも和様の蔀戸(しとみど)とするが、両側面の前方2間は桟唐戸とする。桟唐戸の使用や、頭貫の木鼻などに大仏様(だいぶつよう)の要素がみられる。 -
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素晴しい雪景色
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弥勒堂の雪
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軍茶利明王石仏
金堂前庭の右手、天神社拝殿脇の岩に彫られた明王像。 -
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重文 木造弥勒菩薩立像 - 弥勒堂安置、平安時代。
弥勒堂の本尊で、須弥壇上の厨子内に安置されている壇像風の小像。榧の一木造りで、両手、天衣、瓔珞などもふくめて一材から刻んでいる。 -
国宝 木造釈迦如来坐像 - 像高106.3センチ。
弥勒堂の本尊に向かって右に安置される。伝来や造像の由緒は一切不明だが、作風から平安時代前期(9世紀)の作とみられる。太く丸みのある衣文と細く鋭い衣文を交互に刻む翻波式(ほんぱしき)衣文は平安前期彫刻の特色だが、本像のように全面に翻波式衣文を駆使した作品は珍しい。弥勒堂に客仏として安置されているこの像は、平安前期彫刻の白眉として知られている。どっしりと安定した姿に引き締まった慈愛の表情が美しく、渓谷の清流を思わす衣紋は明快でこころよい。 -
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もう思い残すところはない。満足感でいっぱいです。
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休息所
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道の見えない室生寺は、ほとんど記録されていません。
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護摩堂
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慶雲殿左と本殿右
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慶雲殿
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太鼓橋を望む
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橋本屋 この2階から土門が覗く
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橋本屋
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もう雪国です。
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雪の室生寺門前町
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これで終りではなく、部隊ハ、大野寺ヲ抜ケ長谷寺ニ進出スル ことになります。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 墨水さん 2014/02/28 00:15:34
- 美しい。
- bakanekoさん、今晩は。
最初の猫の顔が「怖い。」(笑)
やんちゃそうな猫ですね。
い〜や〜っ、室生寺、美しい!!。
落雪、臨場感有りますね〜〜っ。
感じとして、シャッタースピードを若干速くして、雪の降下を止めた方が良かったかな〜と、感じましたが、どうでしょうかね?。
(画的な判断としては、難しい所ですけどね。笑)
全艦突入ヨリ初期ノ目的ヲ達セラレ、全艦回頭ヲ以テ次目標ニ至ラントスハ、全艦奮戦ノ功アルヲ祈念ス。
墨水。
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