2013/05/07 - 2013/05/08
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frau.himmelさん
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Y子さんと出会えなかった私は一人でフランクフルター門駅に降り立ちました。
1961年までスターリン大通りと呼ばれていたこの通りは、旧東ベルリンのメイン通りでした。
通りの両脇には大きなビルが建ち並び、異様に道幅の広い大通りでは、政治パレード、軍事パレードなどが行われていたそうです。
ところで、皆さんはゲオルク・エルザーって名前を聞いたことがありますか?
1939年9月にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発、そのわずか2ヵ月後にヒトラーの暗殺を企てた人物なのです。
不運が重なり暗殺は失敗しましたが、この時ヒトラーが死亡していたら世界の歴史はどう変わっていたか、なんて考えるととても興味深いものがあります。
エルザーの勇気をたたえた横顔の記念碑が、ヒトラーが最後を迎えた総統地下壕の近くにありました。
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聖ベルリン大聖堂の前からバスに乗ります。ここは100番、200番、それにN2と重要なバス路線が通っています。
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私がまず降り立ったところはアレキサンダー広場。
噴水の前には大勢の人・人・人。いつ来ても賑やかな広場です。 -
ドイツの家電量販店SATURNでデジカメのメディアを買って・・。
たしか昨年もここでメディアを買いました。
地下鉄U5番乗り場に向かいます。 -
地下鉄U5番はこのエレベーターで降りられるようです。
助かったー!もう足がガタガタなのです。 -
アレキサンダープラッツ駅からU5で4つ目、フランクフルタートーア駅でおりました。
日本語にするとフランクフルト門のこと。
これが門!?
ずいぶん巨大な門です。
巨大なのは門だけでなく周りの建物も巨大です。
ここは東ドイツが威信をかけて造った東ベルリンのメイン通りでした。 -
ここは東ドイツ時代、1961年までスターリン通りと呼ばれていました。
そして両脇には東ドイツの建築家チームにより設計された、「スターリン様式」と呼ばれる巨大な集合住宅がずらーっと並んでいます。
この建築群は現在、文化財保護区域に指定されています。
スターリン様式とは、ソ連時代のモスクワの建築様式に代表される社会主義的建築様式のこと。
なお、この二つの塔は、ジャンダルメンマルクトのドイツドームとフランスドームをモデルに建てられたそうです。 -
あ、ここにもありました。
ルストガルテンで見たあの広告柱、2013年イヤーズテーマの「破壊の多様性」が。(赤矢印)
マグダス・ヒルシュフォルト(1868-1935)。
ユダヤ人の医師で、同性愛の権利を主張した人物。
彼自身の著書も「焚書」の対照になっています。
もう一人はGeorg Eppe・・(1867-1933)会社経営者で企業家。
ユダヤ人でした。 -
旧スターリン大通りは、1961年よりカールマルクス・アレーと改称されています。
私はそちらに進みます。 -
Uバーンのフランクフルタートーア駅。
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通りのところどころに、現在位置と通りの歴史を説明した案内板が設置してあります。
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文字はよく理解できませんが、写真を見るのは楽しい。
大きなアパートが次々と建てられ、スターリン大通りを歩いている東ベルリン市民も生き生きとしています。 -
1957年当時の賑わい。
この時代、こんな集合住宅に住めた市民は幸せだったことでしょう。 -
(現在の写真)
この大通りでは当時は政治パレード、軍事パレードも開催されていたそう。
かの隣国将軍様のお国の軍事パレードを思い出します。 -
この写真は、1949年にスターリンの巨大な像が建ち、スタリーンアレーと道標がつけられている場面。
ドイツが東西に分断した後、東ドイツにとっては「ソ連に学ぶことは、勝利を学ぶこと」だとして、ソ連崇拝、スターリン崇拝は自然の成り行きでした。 -
地下鉄U5を1駅分戻ったようです。
ここはWeberwiese駅、駅のホームに歴史のパネルが展示してありました。
1933年当時のWeberwiese駅、ヒトラーがヒンデンブルク大統領より首相に任命されナチが政権を握った年です。 -
1945年ドイツが敗戦した年。
このフランクフルター・アレーも連合軍の爆撃により焼け野原になりました。 -
1991年東西ドイツ統一の1年後。
当時のMarchlewskistrasse駅、今のWeberwiese駅の様子。
手前の女性のファッション、懐かしいー。 -
あらまた会いました。
あそこでごみを捨てている女性、パネルの前でお互いに譲ったり譲られたりした女性なのです。
彼女も歴史が好きなのね、熱心に見ていましたから。
ところで私がこれから訪ねる「カフェ・ジビュレ」って通りのどちら側なんだろう。
まさかあちら側ではないでしょうね・・。
ホントにだだっ広い道、あっちに渡るのはいやだなー。 -
良かったー。
この地図を見ると、カフェ・ジビュレはこちら側にあるようです。 -
右側は緑地帯。
あの女性も前を歩いています。 -
カールマルクス・アレーとKoppenstrsseの交差点、これを渡るとすぐそこです。
ところでスターリン・アレーがカールマルクス・アレーとどうして改名されたのか?
彼の死後、独裁者スターリンの批判が高まったこともありますが、1961年当時のソ連首相フルシチョフがスターリンを嫌い、像を撤去させたそうです。 -
ここですね、「カフェ・ジビュレ」。
そしてお店の前にあるパネルを見ている人が・・。
あの女性です。
私は後で見ることにしてお店に入りました。 -
お店の中は質素な木の椅子。まるで市民会館の集会所みたいな気取らない雰囲気です。
私はこの手前のテーブルに座りました。
「カフェ・ジビュレ」は1953年にミルクホールとして開業されました。
ドイツ統一後しばらく閉鎖されていましたが、現在では、旧スターリン通りや東ドイツの歴史の資料や写真が展示されたミニ博物館としても使用されています。 -
店員さんがメニューを持って注文取りに・・。
メニューの中に「赤頭巾ゼクト」があったのでそれを注文。
今年はグリムイヤーですからね。 -
メニューを開けると、旧スターリンアレーの文化財保護指定の建築群が紹介してありました。
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カフェの客も、それらの展示物が目当ての人も多いようです。
ほら、あの女性も入ってきましたよ。
女性は店内にあった本に興味があるらしく、本を数冊手にとって私の後ろの席に座ろうとしました。
その時私に気が付き、私ににっこり目礼してくれました。
その目の中には「お互い同好の士ね。」っていう親しみの念が見えました。
あーー、私がもっとドイツ語がしゃべれたらなー。
せめてここにY子さんがいてくれたら、もっと歴史について語り合えたのに・・。 -
店内の展示品を見てみましょう。
ここに積み上げられているのは、瓦礫・・。 -
その当時使われていたタイプライターと電話機。
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東ドイツ政府は、都市建築デザインコンクールを行い、そこで優秀な成績をおさめた建築家に設計を任せたり、スターリン様式を学ぶためにモスクワやレニングラードに建築家たちを派遣しています。
ちなみにコンクールで1位を勝ち取ったのはエゴン・ハルトマンでした。
顔写真の左から2人目の人物です。 -
国家の威信を誇示するために、また労働者に夢の住居を!のコンセプトのもと、スケールの大きい道路や建築群が造られました。
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ところがそんないい話ばかりではありません。
それらを造るのは現実に夢の住宅に住むはずの労働者なのです。
労働者たちは過酷なノルマを強いられ、それに見合う賃金も払われず、ついに社会主義圏で初めてのデモを決行したのです。
それが「6月17日事件」です。
事件のことについては下記の旅行記で取り上げています。
あわせてご覧いただければ幸いです。
http://4travel.jp/travelogue/10744497 -
「カフェ・ジビュレ」をもう一つ有名にしたものがあります。
ナチスドイツを破った英雄として崇拝されていたスターリン、1951年にはその栄誉をたたえるために高さ4.8メートルの彼の像がこの通りに建てられました。
しかし、彼が死去すると、この独裁者への批判が高まり、1961年にはフルシチョフの命で1晩で撤去・解体されてしまいました。 -
この解体作業に加わった一人の労働者が夜陰に乗じて、スターリンの左耳をこっそりポケットに忍び込ませていました。
それがどういう経緯かここに展示されているのです。
これがそうです。 -
時計?
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先ほどの女性は私が資料を見ている間に帰ったようです。
さて、私も「カフェ・ジビュレ」を後にします。 -
ショーウィンドウには、DDR時代に使用されたレトロなハカリとゴム印
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文化財保護区域の建物パネル。
対称と調和という表題が付いています。 -
Karl-Marx Buchhandlung、カールマルクス書店。
あらっここは!?
やっぱりそうでした。
「善き人のためのソナタ」のあの感動的なラスト・シーンに出てきた本屋さんです。
実在する本屋さんだったのですね。
今は本屋は廃業していますが、あの建物と看板がそのまま残っているなんてうれしい限りです。
あのラスト・シーンは良かったー!
今思い出してもウルウルします。 -
そして同じ場所にBernhard Rose(1865-1927)が創った『Rose-Theater』(日本語訳」バラ劇場)が1906年から1945年まで存在していたそうです。
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一世を風靡したその頃のバラ劇場の様子もパネルで知ることができます。
上の写真は、ノーベル文学賞を受賞したゲルハルト・ハウプトマンの訪問の様子。 -
スターリン様式の建物。
だいぶ陽も傾いてきました。
Y子さんはもうアパートに帰っているかしら? -
U5のWeberwiese駅から帰途につきます。
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前日の5月11日。
ポツダムからの帰りにポツダム広場に寄りました。
ソニーセンターの天井。 -
ポツダム広場に残っているベルリンの壁
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あの建物には、「グリム童話200年」の案内が・・。
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ユダヤ人ホロコーストの碑。
いつ見ても、ベルリン市のこんなど真ん中にこの広大なモニュメントを造ったものだと思います。 -
こんなところにDDRの建物が・・。
前はなかったような気がします。
いつ出来たのでしょう。 -
正面にはベルリンの壁が・・。
建物の中はもう閉まっていて、何があるのかわかりません。 -
この地はヒトラーの第三帝国時代は首相官邸があった場所です。
そしてこの下にヒトラーが最後の105日間を過ごした総統の地下壕があったのです。 -
今はただの駐車場になっています。
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この1枚の説明パネルだけが、ここにヒトラーの地下壕があったことを物語っています。
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1本の空に延びた鉄の棒、それを囲んで大勢の人が。
総統ヒトラー暗殺を企てたゲオルク・エルザーの横顔を模した記念碑でした。
1939年、ミュンヘンの演説会場で仕掛け爆弾によりヒトラーを暗殺しようとしましたが、予定より早くヒトラーの演説が終わったので暗殺は失敗しました。 -
ヨハン・ゲオルク・エルザー(1903年-1945年4月9日)は、ドイツの反ナチ運動家、テロリスト。
アドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件の首謀者として知られる。
もっと詳しくはウィキペディアをご覧ください。手抜きで申し訳ありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC -
エルザーの言葉。
「私は戦争を防ぎたかった。ゲオルク・エルザー 1939年11月末」。
あの時エルザーの暗殺が成功していたら・・。
もしかしてユダヤ人の大虐殺は防げたかも知れない。
もしかして広島・長崎に原子爆弾は落とされなかったかも知れない・・。
すべて仮定の話ですが、歴史が大きく変わっていたことは事実でしょうね。 -
4年前ベルリンで宿泊したアパートの近くです。
あのときからこの付近もずいぶん変わりました。
来るたびに変貌する街ベルリン・・。
その思いを今回も強く感じました。
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この旅行記へのコメント (9)
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- パンジーさん 2014/01/29 00:47:27
- 善き人のためのソナタ
こんばんは。
himmelさまの街歩きは いつもながらすごいですね。
あの本屋さんはここにあるのですね。
ベルリンはとにかく広くて 悲しみが漂う空気感は他の街とはまるで違っていて 美術館も劇場も圧倒的で2泊3日の滞在ではとても歯が立ちませんでした。またゆっくりと行きたいです。
私、ポツダムプラッツ近くのホテルに泊まったんですよ。
ソニーセンターや壁の跡のお写真を見て、あ!ここ見た!と嬉しくなりました。
パンジー
- frau.himmelさん からの返信 2014/01/29 21:52:50
- RE: 善き人のためのソナタ
- パンジーさん こんばんは。
コメントありがとうございます。
昨年末、ドレスデン、ベルリンにいらっしゃったのですよね。
旅行記がまだアップされていませんね。
首を長くして待っているファンがいることをお忘れなく!。
「善き人のためのソナタ」ご覧になったのですね。
あのラストシーン、良かったですね〜〜。
今思い出してもウルウルしてしまいます。
あの本屋さんがそうだったのです。
ベルリンは他のドイツの町、木組みの家の連なるようなドイツらしい町ではありませんが、
>「悲しみが漂う空気感」・・、
そうそれなのですね。
何度行ってもまた行きたくなる街ベルリン。
今年もベルリンに行くことになりました。
パンジーさんのベルリン旅行記、お待ちしていますね。
himmel
- パンジーさん からの返信 2014/02/06 00:19:01
- 久しぶりの海外旅行記
- himmelさま、こんばんは。
うれしい励ましをいただいて発奮したものの
苦心惨憺、やっとドレスデン旅行記をアップしました。
我ながらまとまりのない稚拙なしろもので恥ずかしいですが
お時間のある時にでも覗いてくださったら嬉しいです。
今年もベルリンにいらっしゃるのですね。
私は正直言って、ベルリンにはそれほど興味がなかったのですが、行ってみて、himmelさまがベルリンに惹かれる訳がわかりました。
歴史に全く詳しくない私にも何か強烈に訴えてくるものがある街でした。
himmelさまの旅行記、今から楽しみにしています。
早すぎ?
パンジー
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- utamiumiuさん 2014/01/27 00:57:46
- こんにちは〜
- いやいやいや、いつもながら凄い旅行記でした。
フムフムフムと読みいってしまいました。
ドイツの歴史を辿るというよりhimmelさんの足跡を辿る旅がしたくなりました。
私も「耳」見てみたいです。
uta
- frau.himmelさん からの返信 2014/01/27 20:13:53
- RE: こんにちは〜
- utaさん ご無沙汰しています。
なかなか旅行記を更新なさってないので、お忙しいのかなと思っておりました。
> いやいやいや、いつもながら凄い旅行記でした。
> フムフムフムと読みいってしまいました。
いつも私の駄作を見ていただいてありがとうございます。
凄い、なんてお恥ずかしい。何かに凝り固まった旅行記で、なかなか脱却できなくて苦労しています。
旅行記を書きながらホントにいやになるんですよ。いつも変わり映えしないなーって。
ところでutaさんの旅行記に、足跡だけ残して失礼しました。
あのカンデンスベルクの騎士祭り、utaさんの旅行記だったのですね。
何年か前に旅行記を拝見して、ここ行きたい!と強く思った覚えが
あったものですから。
utaさんこそ、普通の人が行かない珍しいところにいろいろ行ってらっしゃいます。
私にはutamiumiuさんの足跡を辿る旅なんてまだまだ無理です。
そんな大それたことを考えたら、10年早いよ!と追い返されそうです。
ありがとうございました。
himmel
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- norisaさん 2014/01/16 07:02:21
- 歴史の傷跡ーー
- frau.himmelさん
おはようございます。
スターリンの耳!
それに瓦礫の展示など。
日本も一時期占領されましたが、連合国同士の軋轢もなく、無駄な大通りの建設もなかったので助かりましたね。
一方ドイツは分割占領されたうえに冷戦のスタート台になってしまい大変でした。
こういう歴史の傷跡を展示していくことは戒めとしてはいいですね。
しかし、スペイン、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどは植民地を拡大していく過程で途方もない原住民の殺戮をしていったことを自国のメインストリートに展示してもらいたいものです。
(絶対しませんねーー(苦笑))
いよいよ考えさせられるご旅行記でしたーー。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2014/01/16 21:31:27
- RE: 歴史の傷跡ーー
- norisaさん こんばんは。
いつも早々とありがとうございます。
スターリンの耳って言うからオカルト的なものを想像していましたが、銅像の耳の部分でした(笑)。
でも、フルシチョフの命によって、解体、粉砕処理されたそうですが、
シュタージが見守る中、耳だけでも持ち帰ったのは結構勇気のいることだったでしょうね。
あの大通りは本当にだだっ広くて、いかにも社会主義の権威を誇示しようとする姿勢がありあり。日本のお隣の国、今の将軍さまのお国みたいですね。
> しかし、スペイン、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどは植民地を拡大していく過程で途方もない原住民の殺戮をしていったことを自国のメインストリートに展示してもらいたいものです。
いやいや、norisaさん いつもいいことおっしゃいます。
ありがとうございました。
himmel
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- 迷子さん 2014/01/16 01:58:28
- おおぅ!スターリンの耳
- 既に懐かしく感じる町並みのお写真、
レトロなカフェ・・・迷子達が行ったんは4月だったなぁ。
ピーナッツケーキ美味しかったにゃ〜♪
(食いモンしか記憶してない迷子であった・・・)
ベルリン!いいっすね。
しっかし、お初のベルリンでよーく考えたら
壁の跡さえ頓着してなかったのだ、ホンと何しに行ってたんだろ(涙)
ここは何時の日か再訪したい都市でやんす。
それまで、こちらの旅行記でお勉強させて貰いますだm(__)m。
墓マイラーさんの続きも楽しみにしてますだョ。
- frau.himmelさん からの返信 2014/01/16 21:17:57
- RE: おおぅ!スターリンの耳
- 迷子さん こんばんは。
スターリンの耳、見ていただいたのですね!?
実はあの耳の写真、迷子さんにお見せしようと思って拡大しました。
迷子さんと「カフェ・ジビュレ」の話をしなかったらあそこも訪れなかったかも知れません。
歴史的にはとても興味深いところ。ありがとうございました。
> 既に懐かしく感じる町並みのお写真、
迷子さんいらっしたのは4月でしたか、私たちは5月でしたが、
そうねもう既に懐かしい思いで、旅行記を書いています。
早くしなければ忘れてしまいますね。
ところで、迷子さんの旅行記も、「そにょ2」からなかなか進みませんね。
お忙しいのかしら。
どうかお体にはお気をつけください。
himmel
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