2013/05/06 - 2013/05/06
121位(同エリア2515件中)
frau.himmelさん
- frau.himmelさんTOP
- 旅行記596冊
- クチコミ0件
- Q&A回答19件
- 1,070,173アクセス
- フォロワー151人
シュタージ刑務所を見学した後に、ベルリン郊外にあるザクセンハウゼン強制収容所を訪れました。
同じ用途(囚人を収容する)でも、時代背景は全く違い、こちらはアドルフ・ヒトラーが率いるナチスによって建設されたものです。
私にとってはアウシュビッツ、ダッハウに次ぐ3つ目の強制収容所訪問です。
人間が同じ人間に対してどうしてこんなにも残虐な行為が出来るのだろうと、深い戦慄を覚えた場所です。
強制収容所見学は、体も心も本当に消耗します。
だけど目を背けてはいけないと思うのです。
ドイツが本当に好きならば、こういう負の遺産も含めて受け入れなければならないと思うのです。
◆
さて、ベルリンの二つの暗い負の遺産を見学した後は、気分をガラリと変えて、ナポレオンも食事をしたというベルリン最古のレストランを訪れました。
現代から、1960年代の冷戦時代、ナチス第三帝国時代、そしてナポレオンの時代と、歴史を逆行した1日でした。
-
シュタージ刑務所からトラムでアレキサンダープラッツまで戻り、S1でオラニエンブルク駅に着きました。
ベルリンの東の端から西の端への移動です。
2時間近くかかりました。 -
駅前から821番か804番のバスで、10分ほど。
Gedenkestaette下車。
前方にGedenkestaetteと塀に書かれた入り口が見えてきました。 -
入り口には、ザクセンハウゼン記念施設・博物館とあります。
強制収容所は現在、悲しみと追憶の場所として博物館になっています。 -
早速監視塔が見えてきました。
だけど、「こちらは入り口ではない」と書かれています。
別なほうに回りましょう。 -
インフォメーションセンターに行ってはじめて気が付きました。
今日は月曜日で内部は見学できない日なのでした。
インフォを出たところに収容所の地図模型がありました。
ザクセンハウゼン収容所は、一辺が600mの二等辺三角形型をしており、総面積は190ヘクタールもある広大な施設です。 -
収容所通りと呼ばれる長い塀に沿って歩きます。
右側はここを仕切っていた親衛隊(SS)兵舎があったところ。
ここでSSが訓練を受けていました。
◆
アドルフ・ヒトラーを党首とするナチス党が政権を握った1933年、オラニエンブルク強制収容所として、突撃隊(SA)のもと創設されました。
しかし、「長いナイフの夜」事件以降、SAの力が弱くなり、ザクセンハウゼン強制収容所として親衛隊(SS)が監督権を持つようになります。 -
左側が強制収容所があった場所です。
ところどころに監視塔があります。
◆
当初は、ナチに反対する政治犯が対象の収容施設でした。
その後、人種的に劣悪とされる精神障害者・身体障害者、それに、暴力団、売春婦、乞食、浮浪者やジプシー(ロマ)のような住所不特定の者、労働忌避者、同性愛者、アルコール中毒者、訴訟を大量に起こしている者、交通規則違反者、絶えず職場に遅刻する者、無断で休暇を取る者、自分の職務以外の仕事を勝手に引き受けている者など広範囲に収容されました。
怠け者の私も、あの時代ドイツに住んでいたら、収容所行きでしたね(笑)。 -
見覚えのある建物。
ダッハウ強制収容所の入り口もこんな風でした。
右側は新博物館になっていますが、今日は中に入れません。
◆
水晶の夜以降は多くのユダヤ人も送り込まれました。 -
収容所への入り口。
◆
なんと、1936年から1945年の間に、20万人以上の人がこのザクセンハウゼン強制収容所に収容されたそうです。
多くの人々が強制労働、虐待、病気、飢えなどで命を落としていきます。
SSの組織的な絶滅計画で殺された人も多くいます。 -
その鉄製の門扉には、「ARBEIT MACHT FREI」(労働すれば自由になれる)と・・。
どこの強制収容所にも掲げられている共通の言葉です。
収容者はこれを信じて過酷な強制労働に耐えていたんでしょうか。
今となっては何と白々しい言葉か・・。 -
ここは点呼広場。
収容者は1日3回、ここに集まり点呼を受けなければなりませんでした。
時にはそれが数時間にも及び、雨や雪の寒さにも耐えなければならなかったそうです。
なんだか気味の悪い空ですね。 -
点呼広場の先には40メートルの高さのオベリスクがあります。
これは終戦後、東ドイツによって作られた慰霊碑・記念碑です。 -
足元にはローラーが無造作に転がっています。
点呼広場の地ならしをしていたのでしょうか。
そしてその横には・・。 -
想像したくありませんが、絞首台なのでしょうか?
点呼広場に整列した収容者の前で見せしめの処刑が行われたようです。
また、クリスマスの時期になると、親衛隊はここにクリスマスツリーを立てたとも・・。 -
ますます気味の悪い空の色。
70年以上前、この空の下では、想像を絶する残虐な行為が行われていたんだろうか・・。
今日は内部見学が出来ない日なので観光客も少なく、あたりはガランとしています。 -
収容所の周囲は、高電圧の鉄条網と柵、さらに高さ2.7メートルの壁。
鉄条網と壁の間は2メートルの看守の巡視路になっています。 -
ニュートラルゾーンの立て札。
この砂利の中に入ったら即刻射殺します、という恐ろしい警告です。 -
その近くにはドクロのマーク
-
広い敷地にはところどころにバラックが点在しています。
当時は多くのバラックがありましたが、壊れたのか戦争で爆撃されたのか、今は入り口で見た模型のイメージとは全く違います。
この1つ1つのバラックが博物館になっていて見学できるようになっていますが、今日は見ることは出来ません。 -
ここは医療棟?
強制収容所設立当初からのものらしい。
ここであの断種手術や去勢、それに人体実験といったこともやっていたのでしょうか。 -
中にトイレがあったので拝借しました。
誰もいないトイレはちょっと寒気がしました。
普通のトイレでしたけど。 -
そしてこの小さな何の変哲もないバラックは、病理学棟。
ここで死体の解剖が行われていました。
地下には遺体安置室もあるそうです。
ここも見学コースになっています。 -
難しいドイツ語の看板の建物。
私はさっと通っただけでしたが、Y子さんはこの中を覗いて見たそうです。
部屋の中は、床や壁は白いタイルで覆われ、同じく白いタイル貼りのベッドが2台。
この上で何が行われていたか・・。
想像するだに怖くてY子さんも写真は撮れなかったそうです。 -
広い敷地に点在する建物。
写真左側の建物群は工場地区。
親衛隊が所有する工場があり、そこで収容者は強制労働を強いられていました。
また、秘密工作活動として偽札なども作っていたと言うから、北○○と同じようなことをしていたのですね。 -
足元に細長い白い石、そこには文字が刻まれています。
「強制収容所犠牲者のための集団墓地」。
インフォでもらった説明書には
「それぞれ50人ずつが眠る計6つの集団墓地に、1945年4月22・23日、収容所の解放後に医療棟で亡くなった収容者が埋葬されています」とあります。 -
その近くにこんな案内板が。
解放当時に埋葬されたお墓の様子ですね。
収容所が解放されたあと、収容所にとどまっていた約3000人の病気の収容者と医者・看護師はソ連とポーランドの軍隊によって救出されました。 -
ここはユダヤ人犠牲者の墓地なのでしょう。
墓標の上に悲しみの小石が。
「水晶の夜」以来、多くのユダヤ人が移送されてきました。 -
ザクセンハウゼン強制収容所には、各占領地で逮捕された反ナチ的な外国人政治犯が続々送り込まれ、数が急増しました。
最終的には、20カ国20万人の人が送り込まれたそうです。
この墓地には各国の慰霊の墓標が掲げられています。 -
ルクセンブルク人のための慰霊碑。
オランダ人・ベルギー人・ノルウェー人・デンマーク人、ルクセンブルク人などは同じゲルマン民族とみなされたため、収容所内でも比較的待遇が良かったそうです。 -
オランダ人の慰霊碑
-
スペイン人の慰霊碑
-
ベルギー人の慰霊碑
-
ノルウェー人のザクセンハウゼンでの犠牲者は2500人でした。
-
ベラルーシ人の慰霊碑。
親衛隊から下等人種とみなされていたスラブ民族(ロシア人やポーランド人、チェコ人など)は酷い扱いを受けたそうです。 -
私が一番衝撃を受けた慰霊碑はこれ。
『ナチス独裁政権により、殺害され、虐待され、迫害されたオーストリア人のための慰霊碑』。
悪天候の中、どこまでも続く『死の行進』。
極度の疲労と飢え、あるいは親衛隊からの虐待で大勢の人が亡くなっていく様子が痛いほど伝わるプレートです。 -
花輪と回りに捧げられたバラの花。
-
カラスが1匹・・・。
内部見学は出来なかったけど、周囲を見て回っただけで残虐さは痛いほど伝わりました。 -
収容所の門を出たら、大勢の若者たちの一団に遭遇しました。
彼らも見学をしていたのかしら?気が付きませんでした。
この大きな負の遺産を背負わされたドイツの若者たち。
どうか先人たちの愚かな行為をしっかり見据えて、戦争など二度とおきない世界にしてくださいね。 -
最後に、収容所通りの壁に展示してあった報道写真を。
1945年4月に収容所から解放された後の写真です。
収容者の自由になった喜びの言葉が記してありました。
「信じられない! 突然自由になれるなんて!」 -
1945年4月22日・23日、ソ連赤軍とポーランド軍隊によって収容所は解放されました。
-
1945年4月、「死の行進」
収容所に危機が迫ってくると、収容者たちはベルリンから北ドイツのシュヴェリーンに向かって歩かされました。
極度の疲労と飢えで大勢の囚人が死亡していきました。
この頃になると、ドイツ軍が、邪魔になった囚人を意図的に死なせようとしていることを、囚人たちは気が付きはじめました。 -
解放初日、人々は収容所内で恐ろしい光景を目の当たりにします。
-
やっと家に帰れる!
-
やっと家に帰れる!
-
ついに自由に!
収容所送りにならなかったらそれなりの地位の方だったのでしょう。
囚人服を身に着けていても、気品が漂ってきます。 -
生存した収容者が死亡した仲間を弔っている。
-
ソ連軍の事実解明調査が始まる。
-
1945年8月、ソ連内務人民委員会はザクセンハウゼン強制収容所のほとんどを、これまでと同じ目的での使用を再開しました。
そしてナチ党員、政治的に好ましくない人、恣意的に逮捕された人、ソ連の軍法会議で有罪判決を受けた人など、多くの人々を収容しました。
入り口の鉄扉の「ARBEIT MACHT FREI!」は取り外されたものの、正面入り口の上部にはレーニンの像が掲げられました。 -
-
共同墓地まで1.7キロメートルという立て札。
大勢の被害者が強制所の周囲の墓地で眠っているのです。 -
再びバスに乗ってオラニエンブルク駅に戻ります。
-
気分をガラリと変えて、やってきたところはU2クロスターシュトラーセ駅の程近く。
これはベルリンで一番古い市壁だそう。
そしてその先に見えるのは、そう、昨年せっかく行ったのにお休みだったレストラン、ツア・レッツテン・インスタンツ。 -
1621年創業のベルリン最古のレストラン。
ちなみに「ツア・レッツテン・インスタンツ」とは「最後の審判」のこと。
もう8時ですが、幸いに外の席が空いていましたので、ウエイターに案内されて座りました。 -
とってもユニークなメニュー。
まずは飲み物を・・。 -
ワインとトマトジュース。
もちろんワインは私です。 -
お料理は悩みに悩んで、アイスバインにしました。
ここの名物ですから。
小柄な日本人とこの巨大なお肉の塊を見て、周りの人はヒソヒソ・・。
もちろんこれを一人で食べるつもりはありません。 -
もう一つはカリーヴルストを頼んで、2人でシェアすることに。
さすがに有名店のカリーヴルストはおしゃれです。
ポテトが飾り籠に入っています。 -
回りもとてもいい雰囲気。
結局、巨大な肉のカタマリは半分くらいしか(2人で)征服できませんでした。 -
では、おトイレを借りて帰るとしますか・・。
ベルリン最古のレストラン、ツア・レッツテン・インスタンツの正面入り口。 -
店内もとっても落ち着いた雰囲気。
ここにかのナポレオンも来た事があるんですって。
それに作家のゴーリキやツィレ(?丸写し)も常連だったとか。 -
あそこにナポレオンのミニ像が飾ってあるところが、彼が座った暖炉前なのですね。
暖炉のタイルは、マジョリカ焼きなんだそうです。 -
私たちが座った席は右端の空いている席。
まだこれから宴たけなわの皆様を尻目にアパートに帰ります。 -
日が長いヨーロッパも夜9時半ともなれば、宵闇に覆われます。
第二次世界大戦 の空爆で破壊されたフランシスコ修道院の遺跡(Franziskaner-Klosterkirche)越しにテレビ塔が輝いています。 -
ベルリンの夜景を従えてすくっと頭を出しているテレビ塔。
-
最後にクロスターシュトラーセ駅から見たテレビ塔。
アパートに帰り着いたのは10時半ごろでした。
シュシュタージ刑務所、ザクセンハウゼン強制収容所、それにベルリン最古のレストラン。
今日もなんてめまぐるしい一日だったのでしょう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (6)
-
- ねもさん 2021/08/01 08:52:16
- 今ごろすみません
- himmelさん
こちらの旅行記、見過ごしていました。とても勉強になります。
細かなことで恐縮ですが、解放とすべきが何ヶ所か「開放」となっているのが…… 内容が素晴らしいだけに違和感があります。
差し出がましいことを言って申し訳ありません。
- frau.himmelさん からの返信 2021/08/01 10:55:13
- RE: 今ごろすみません
- ねもさん、こんにちは。
古い旅行記を見てくださって、「いいね」もありがとうございます。
すっかり忘れていた旅行記でした。
やっぱりやっていますねぇ〜、ほんとに誤字ゴロゴロ(笑)。
旅行記を投稿してほっとしたのか、見直していませんでした。
私のいつもの悪いクセ。
教えてくださってありがとうございます。早速修正いたしました。
またこれからもよろしくお願いいたします。
himmel
-
- norisaさん 2013/11/29 06:38:44
- 両方重いですね!?
- frau.himmelさん
おはようございます。
ザクセンハウゼン強制収容所というのは知りませんでした。
記憶にあるのはダッハウとアウシュビッツですが、ここも大きな収容所ですね。
ベルリン市内にあるので収容所の本社?的な施設でしょうか。
やはり負の遺産の見学は重いですねーー。
そしてその後、いかにも重そうなアイスバイン!
我々が日本のドイツ料理屋さんで食べたものよりもかなり大きそう!
これをお二人でペロリですか!?
やはりそのくらいな精力、気力がないと重い収容所巡りはむりですね(苦笑)
重い重いお話でしたーー!?
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2013/11/29 20:55:00
- RE: 両方重いですね!?
- norisaさん こんばんは。
やっぱりあそこのアイスバイン、巨大ですよね。
私もあれが運ばれて来たときにはお口をアングリ・・
何度かドイツの他の街でもいただいたことがありますが、あんなに大きいのは初めてです。
> これをお二人でペロリですか!?
> やはりそのくらいな精力、気力がないと重い収容所巡りはむりですね(苦笑)
二人でペロリ、なんてとんでもない!、半分も食べられませんでした。
しばらくお肉は見たくない心境になり、その後は草食人間に。
日本から持参したお蕎麦やお素麺のなんて美味しかったこと。
アパートの自炊で助かりました。
重たい施設も見学するのはいいけど、その後の旅行記作成は気分が重たいです。
ベルリンではまだまだ重たい旅行記が続きます。
きっとアップする間隔も重た〜くなると思います。
himmel
-
- 迷子さん 2013/11/29 04:39:51
- ベルリンの影なんすね・・・
- 前回と続き
凄く重く胸に迫る旅行記ですたね。
ああ、ナチの非人道的な歴史の名残を目にすると
何を言っていいのか・・・・・
しかし、ドイツのしたことと同時に
かつての日本人も規模は違えど
これと同じような過ちを大陸、南洋で・・・。
我々にも同じく目を背けてはいけない
負の歴史があったのだと改めて思い至りましただ。
迷子もここを見学してみたい、
しかし中で某国からの団体さん御一行とは
かち合いたくない、って思うのは身勝手だけど
やっぱ本音っす。
ドイツや日本に限らず
人が人に対してここまで非道な行いが出来るのだと
ショックと共に考えさせられますね。
最後のレストランのレポートで
ホッと一息付けました〜。
- frau.himmelさん からの返信 2013/11/29 20:39:47
- RE: ベルリンの影なんすね・・・
- 迷子さん こんばんは。
本当に重たいテーマですよね。
旅行記を書くのも気分が乗らなくて、ずるずるとこんなに遅くなってしまいました。
> かつての日本人も規模は違えど
> これと同じような過ちを大陸、南洋で・・・。
> 我々にも同じく目を背けてはいけない
> 負の歴史があったのだと改めて思い至りましただ。
ドイツのように、負の歴史を次世代への警告として未来につなげるのはいいと思うのですが、今の日本に当てはめると、(某国と某国から)過去のことをいつまでもいじいじ言われてもね〜。
とも思ってしまうのが私の本音(笑)。
> 迷子もここを見学してみたい、
> しかし中で某国からの団体さん御一行とは
> かち合いたくない、って思うのは身勝手だけど
> やっぱ本音っす。
あ、それは大丈夫。たぶん。
あの方たちは、あんまりこういう場所にはお出かけになりませんから。
もっぱら、お買い物でしょう。
迷子さん、ご帰国早々なのに、もう旅行記があんなに・・・。
あとでお邪魔します。
himmel
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ベルリン(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
6
65