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 長野県伊那市の高遠城址公園はコイガンザクラで有名ですが、一度は観てみたいと思い、クラブツーリズムの旅行で行きました。高遠の桜は、タカトオコヒガンザクラで、ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みのある花を咲かせます。<br /> <br /> 園内には約1,500本以上の桜があり、古くから「天下第一の桜」と称されて「さくら名所100選」にも選ばれています。<br /><br /> そんな高遠城址公園を2013年4月20日に訪れました。実は立山アルペンルートを廻る前の寄り道だったのですが、素晴らしい桜を観ることが出来ました・・・・と言いたいところですが、訪問は1週間遅かった。その訳は追々出てきますのでお読みください。<br /><br /> 更には、訪れて初めて知ったのですが、ここに絵島の屋敷があったのです。思わぬものを観て感激もしました。<br />

天下一の桜の名所・高遠城址公園

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2013/04/20 - 2013/04/21

266位(同エリア338件中)

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オータムリーフさん

 長野県伊那市の高遠城址公園はコイガンザクラで有名ですが、一度は観てみたいと思い、クラブツーリズムの旅行で行きました。高遠の桜は、タカトオコヒガンザクラで、ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みのある花を咲かせます。
 
 園内には約1,500本以上の桜があり、古くから「天下第一の桜」と称されて「さくら名所100選」にも選ばれています。

 そんな高遠城址公園を2013年4月20日に訪れました。実は立山アルペンルートを廻る前の寄り道だったのですが、素晴らしい桜を観ることが出来ました・・・・と言いたいところですが、訪問は1週間遅かった。その訳は追々出てきますのでお読みください。

 更には、訪れて初めて知ったのですが、ここに絵島の屋敷があったのです。思わぬものを観て感激もしました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
5.0
グルメ
4.5
ショッピング
3.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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  •  クラブツーリズム主催のバス旅行で長野県伊那市の高遠城址公園にコヒガンザクラを鑑賞に行きました。<br /><br /> バスは町田街道を走り、高尾山ICから中央自動車道路に入る予定だったが、渋滞との情報があり、八王子バイパスを通り、八王子ICから高速に入った。<br /><br /> 途中、昨年崩落事故を起こした笹子トンネルを通るが、今は安全に復旧している。<br /><br />

     クラブツーリズム主催のバス旅行で長野県伊那市の高遠城址公園にコヒガンザクラを鑑賞に行きました。

     バスは町田街道を走り、高尾山ICから中央自動車道路に入る予定だったが、渋滞との情報があり、八王子バイパスを通り、八王子ICから高速に入った。

     途中、昨年崩落事故を起こした笹子トンネルを通るが、今は安全に復旧している。

  •  季節も良くなり、観光客が増えたのか、中央自動車道路は勝沼付近で大渋滞となり、バスはノロノロのスピードになる。

     季節も良くなり、観光客が増えたのか、中央自動車道路は勝沼付近で大渋滞となり、バスはノロノロのスピードになる。

  •  トイレ休憩を兼ねて、諏訪の野沢菜館に寄るという。名前が野沢菜と言うだけあり、野沢菜づくしのお土産が沢山ありました。ここでは試食が沢山あったので、試食を楽しみ、お焼きを250円で1個購入したら、バスの中で小ぶりではあるが野沢菜のお焼きが配られていました。

     トイレ休憩を兼ねて、諏訪の野沢菜館に寄るという。名前が野沢菜と言うだけあり、野沢菜づくしのお土産が沢山ありました。ここでは試食が沢山あったので、試食を楽しみ、お焼きを250円で1個購入したら、バスの中で小ぶりではあるが野沢菜のお焼きが配られていました。

  •  中央自動車道路の諏訪ICで一般道路に降りて、国道152号線を走る。<br /><br /> かなりの山越えである。そして、この国道は杖突き街道とも言われている。<br /><br /> 道沿いには桜が咲き、黄色い花が咲き、水仙が綺麗だった。<br /><br /> ガイドから衝撃的な連絡がある。高遠城址公園のコヒガンザクラは散って観る事が出来ないとのこと。「全員、絶句」。ガイドはぬけぬけと次のように説明する。途中、杖突峠は標高がから、この辺りでは、未だ散っていないのでコヒガンザクラを観ることが出来ますと。

     中央自動車道路の諏訪ICで一般道路に降りて、国道152号線を走る。

     かなりの山越えである。そして、この国道は杖突き街道とも言われている。

     道沿いには桜が咲き、黄色い花が咲き、水仙が綺麗だった。

     ガイドから衝撃的な連絡がある。高遠城址公園のコヒガンザクラは散って観る事が出来ないとのこと。「全員、絶句」。ガイドはぬけぬけと次のように説明する。途中、杖突峠は標高がから、この辺りでは、未だ散っていないのでコヒガンザクラを観ることが出来ますと。

  •  なるほど、確かに車窓からはコヒガンザクラが満開のものを観ることが出来ました。

     なるほど、確かに車窓からはコヒガンザクラが満開のものを観ることが出来ました。

  •  午後12時45分に高遠城址公園に到着した。びっくりである。観光バスが数え切れぬほど止っている。桜は無くなっても観光客はドンドン押し寄せているのです。

     午後12時45分に高遠城址公園に到着した。びっくりである。観光バスが数え切れぬほど止っている。桜は無くなっても観光客はドンドン押し寄せているのです。

  •  ところが、高遠城址公園に着いてみると、全く桜はありません。全部、散ってしまっているのです。桜の木によってはコヒガンザクラの花びらが2輪、3輪、5輪が付いているのもあります。<br /><br /> しかしながら、桜の木によっては今が満開と咲き誇っているものもありました。城址公園全体が紅の色で染まる桜を観たかったなア〜。

     ところが、高遠城址公園に着いてみると、全く桜はありません。全部、散ってしまっているのです。桜の木によってはコヒガンザクラの花びらが2輪、3輪、5輪が付いているのもあります。

     しかしながら、桜の木によっては今が満開と咲き誇っているものもありました。城址公園全体が紅の色で染まる桜を観たかったなア〜。

  •  戦国時代に山本勘助が縄張りとした堅城で、城主は武田一族で務めたお城である。1582年に、当時の城主であった、仁科盛信(武田信玄五男)の時に、織田軍と戦い落城する歴史を持つ。<br /><br /> その後、明治になって荒れ果てた城址を旧藩士たちが桜を植樹して、現在の「天下一の桜」に育っている。

     戦国時代に山本勘助が縄張りとした堅城で、城主は武田一族で務めたお城である。1582年に、当時の城主であった、仁科盛信(武田信玄五男)の時に、織田軍と戦い落城する歴史を持つ。

     その後、明治になって荒れ果てた城址を旧藩士たちが桜を植樹して、現在の「天下一の桜」に育っている。

  •  桜は散っても、未だ、高遠城址公園の桜まつりは続き、数多くの観光客が押し寄せている。そして屋台も数多く店を出していました。

     桜は散っても、未だ、高遠城址公園の桜まつりは続き、数多くの観光客が押し寄せている。そして屋台も数多く店を出していました。

  •  城址公園から観る元城下町の風景です。

     城址公園から観る元城下町の風景です。

  •  高遠城址公園のすぐ近くに、絵島囲み屋敷を観ました。説明に依れば、絵島(江島)は七代将軍徳川家綱の生母である月光院に仕えて大奥に入り、大年寄りに出世して権勢を振るっていいましたが、ある事件で高遠に遠流(おんる)になりました。<br /><br />

     高遠城址公園のすぐ近くに、絵島囲み屋敷を観ました。説明に依れば、絵島(江島)は七代将軍徳川家綱の生母である月光院に仕えて大奥に入り、大年寄りに出世して権勢を振るっていいましたが、ある事件で高遠に遠流(おんる)になりました。

  •  絵島事件は正徳4年(1714)正月12日、月光院の名代で芝増上寺の前将軍家宣の霊屋へ参詣の帰途、「山村座」で芝居見物し、刻限に遅れて帰城したことに端を発する。<br /><br /> 家宣の正室、天英院と月光院の勢力争いなども拍車をかけ、絵島ほか死罪2名、流罪10名、その他大勢の人々が罪に問われ、当時としては大きな粛清の嵐だった。月光院の口添えで減刑された絵島は享保4年(1719)この花畑の地籍に移された。そして寛保元年(1741)4月、61歳で病死するまで、この囲み屋敷で幽閉の生活を送ったのです。この囲み屋敷は残存する古図によって、昭和42年(1967)にほぼ同じ場所に復元されたものである。<br /><br /> 華やかな大奥の生活から、こんな粗末な狭い屋敷に閉じ込められた生活は、彼女にとってどんなものだったのでしょうか。

     絵島事件は正徳4年(1714)正月12日、月光院の名代で芝増上寺の前将軍家宣の霊屋へ参詣の帰途、「山村座」で芝居見物し、刻限に遅れて帰城したことに端を発する。

     家宣の正室、天英院と月光院の勢力争いなども拍車をかけ、絵島ほか死罪2名、流罪10名、その他大勢の人々が罪に問われ、当時としては大きな粛清の嵐だった。月光院の口添えで減刑された絵島は享保4年(1719)この花畑の地籍に移された。そして寛保元年(1741)4月、61歳で病死するまで、この囲み屋敷で幽閉の生活を送ったのです。この囲み屋敷は残存する古図によって、昭和42年(1967)にほぼ同じ場所に復元されたものである。

     華やかな大奥の生活から、こんな粗末な狭い屋敷に閉じ込められた生活は、彼女にとってどんなものだったのでしょうか。

  •  高遠閣は昭和11年に完成した地域住民の集会所として完成した建物です。現在は観光客の休憩所としても役立っています。

     高遠閣は昭和11年に完成した地域住民の集会所として完成した建物です。現在は観光客の休憩所としても役立っています。

  •  そして、高遠城址公園の問屋門を潜り、桜雲橋を渡り、旧藩校である「進徳館」に向かった。

     そして、高遠城址公園の問屋門を潜り、桜雲橋を渡り、旧藩校である「進徳館」に向かった。

  •  国指定史跡「進徳館」は万延元年(1860)に高遠藩主・内藤頼宣が創設した藩学校である。当時の建物が東西2棟と玄関及び表門が残されている。ここに孔子廟と5聖像の説明文がある。それに依ると、5聖像とは儒学の祖である孔子とその高弟で四賢者と言われる孟子、曽子、顔子、子思(子思子)を彫刻して祀った像のこと。江戸時代、儒学を教えた幕府直営の学問所や各地の藩校では敷地内に廟を設け、孔子を祀っていた。進徳館でも館内に廟を設けていたが、経年による崩れが出たので、現在は高遠歴史博物館に保存している。

     国指定史跡「進徳館」は万延元年(1860)に高遠藩主・内藤頼宣が創設した藩学校である。当時の建物が東西2棟と玄関及び表門が残されている。ここに孔子廟と5聖像の説明文がある。それに依ると、5聖像とは儒学の祖である孔子とその高弟で四賢者と言われる孟子、曽子、顔子、子思(子思子)を彫刻して祀った像のこと。江戸時代、儒学を教えた幕府直営の学問所や各地の藩校では敷地内に廟を設け、孔子を祀っていた。進徳館でも館内に廟を設けていたが、経年による崩れが出たので、現在は高遠歴史博物館に保存している。

  • 新徳館の建物の中の様子です。現在もきれいに保存されています。

    新徳館の建物の中の様子です。現在もきれいに保存されています。

  •  ここは、最初の計画では2時間を取り、ゆっくりと桜見物だったが、桜もないので、1時間半で切り上げ、今夜の宿である白馬八方温泉に向かうことにした。時刻は午後2時20分であった。<br /><br /> バスは伊那ICに向かっています。ここから中央自動車道に入るのですが、前方には中央アルプスの山々が雪を戴き美しい。

     ここは、最初の計画では2時間を取り、ゆっくりと桜見物だったが、桜もないので、1時間半で切り上げ、今夜の宿である白馬八方温泉に向かうことにした。時刻は午後2時20分であった。

     バスは伊那ICに向かっています。ここから中央自動車道に入るのですが、前方には中央アルプスの山々が雪を戴き美しい。

  •  本日最後の寄り道は「安曇野アルプス村」でトイレ休憩兼買い物に寄ります。外は非常に寒い。今にも雪でも降りそうな天気です。色々とお土産が沢山売っています。

    本日最後の寄り道は「安曇野アルプス村」でトイレ休憩兼買い物に寄ります。外は非常に寒い。今にも雪でも降りそうな天気です。色々とお土産が沢山売っています。

  •  梓川沿いの国道148号線を走ります。午後4時15分頃に雨が降り出して、ミゾレに変わって来ました。ここは大町市で沿道には満開の桜が美しいが、外は寒そうだ。<br /><br /> 仁科三湖と言われる、木崎湖、中綱湖そして青木湖を左手に観て走る。この青木湖は透明度が高いと日本では有名らしい。JR大糸線が並行して走っている。この付近から外は雪に変わった。<br />

     梓川沿いの国道148号線を走ります。午後4時15分頃に雨が降り出して、ミゾレに変わって来ました。ここは大町市で沿道には満開の桜が美しいが、外は寒そうだ。

     仁科三湖と言われる、木崎湖、中綱湖そして青木湖を左手に観て走る。この青木湖は透明度が高いと日本では有名らしい。JR大糸線が並行して走っている。この付近から外は雪に変わった。

  •  今夜の我々が泊まる「白馬東急ホテル」に到着する。ランクアップしたホテルだけに立派な宿である。<br /><br /> ホテルの従業員がバスに乗り込んできた。そして、ルームキーと夕・朝食券が入った封筒を配り、館内の説明もしてくれた。<br /><br /> ホテルロビーも流石に立派であり、エレベーターで5階に上がり、部屋番号504号室に入る。部屋も立派である。ツインのベッドが置かれ、テーブルには歓迎の意味があるのだろうか、紙風船と折鶴が置いてありました。<br />

    今夜の我々が泊まる「白馬東急ホテル」に到着する。ランクアップしたホテルだけに立派な宿である。

     ホテルの従業員がバスに乗り込んできた。そして、ルームキーと夕・朝食券が入った封筒を配り、館内の説明もしてくれた。

     ホテルロビーも流石に立派であり、エレベーターで5階に上がり、部屋番号504号室に入る。部屋も立派である。ツインのベッドが置かれ、テーブルには歓迎の意味があるのだろうか、紙風船と折鶴が置いてありました。

  •  ホテルの外は雪が降ってる。非常に情緒があって宜しいのだが、明日の立山アルペンルートには行けるのだろうかと心配しながら、その日の旅行は終了する。<br /><br /> 明日の立山アルペンルートに続きます。

     ホテルの外は雪が降ってる。非常に情緒があって宜しいのだが、明日の立山アルペンルートには行けるのだろうかと心配しながら、その日の旅行は終了する。

     明日の立山アルペンルートに続きます。

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