2013/12/14 - 2013/12/15
70位(同エリア245件中)
nao520さん
- nao520さんTOP
- 旅行記148冊
- クチコミ83件
- Q&A回答10件
- 192,915アクセス
- フォロワー29人
前日の泰山登山の翌日です。本来ならば先ず岱廟でその後に泰山へ登るものなのですが日程の都合で逆になりました。岱廟は宿泊した御座賓館の隣なので大変便利でした。
歴代皇帝は泰山で封禅の儀を行う際にここで大典を催しました。この廟は春秋時代には既に一部があったと伝えられていますから相当古いですね。
今の規模になったのは北宋のころといいます。それでも1000年は優に経っており十分に古いものです。
太古からの文物が多いために碑などを含めてひとつひとつを細かく見ていくと1日はかかってもおかしくないので、歴史好きの方は想定外に時間をかけてしまったりすると思います。なにせ、皇帝その他著名人物の残したものが多いですから。
素通りに近い形だと1時間以内で十分です。私はゆっくりで3時間ぐらいでした。朝早くだったので人もあまりいませんでした。
PR
-
隣接しているホテルを出て壁沿いに歩き正面にまわります。
-
昨晩散歩した道です。
-
道路に面している遥参坊。
-
-
-
岱廟坊。
-
岱廟坊ごしに正陽門が見えます。この正陽門は平時には開かれることなく、皇帝が祭祀活動を催すときのみ開かれました。曲阜孔府の中の門のようです。
-
-
正陽門を入り右に回り込むと壁と門の上部に上る事ができます。
これから見る岱廟とその向こうに泰山が見えます。 -
-
-
亀伏碑がいたるところにあります。
-
1124年北宋宣和、徽宗時代の修繕にちなみ建立。廟の修繕においては人民の税金を用いていない。。等が記載されています。
徽宗は修繕に多額の費用をかける事を惜しまなかったのですが、国力の疲弊している宋の財政状況をさらに圧迫し、2年後徽宗と欽帝が金に連れ去られ、北宋は滅亡してしまいました。 -
後方の大きな文字が有名です。万代にわたって泰山を仰ぎ尊ぶという意味です。
-
漢の武帝が手植したと伝わる漢柏の古株です。
-
-
碑が並びます。どこかに、乾隆帝の碑がありました。
-
配天門前の番獅子です。故宮とほぼ同じで、雄と雌。
配天門は孔子の「徳配天地」から名づけられています。 -
雌は子供を足の下に掴んでいます。
-
-
1013年、北宋 真宗による碑。
-
裏面、「五岳独宗」
-
1200年経っているので亀もそうとうくたびれています。
-
-
この漢柏は1951年に枯れてしまいましたが、後誰かが「えんじゅ」の幼株を入れたところちょうど真ん中から成長をしたということで「唐カイ抱子」といいます。
-
古代中国にもゴルフに似たスポーツが既にあったそうです。
-
左側から壁の上部を歩くことができます。
-
壁の外の民家
-
-
かなり古い時代の民間の生活を刻んだレリーフでガラス内に保存されていました。さっきのゴルフの銅像の元絵があります。
-
-
-
仁安門。論語、「仁者安人」によります。骨格部分は明代のものがそのまま残っており貴重です。
-
仁安門の壁に昔の泰山の写真が展示されていました。民国時代の若者が泰山で日の出を待つところです。
-
この古い写真の十八盤が古代のものに近いのではないでしょうか。昔の様子を残す良い写真だと思います。
-
-
東御座、1347年創建。それ以降、ここが岱廟を訪れる高官、貴族の休憩所になりました。
-
-
沈香獅子。キャラの木でできています。もともと獅子の形をしていてその後少し手を加えたそうです。
-
「秦二世刻石」BC209年、始皇帝の二世である胡亥皇帝当時の丞相である李斯の書が刻んであります。李斯碑とも呼ばれています。10文字残っており磨耗していますが読むことができます。
始皇帝の泰山での封禅の際に立石されたこの刻石は泰山の極頂にあったのですが2000年年の風雪のためかなり磨耗しています。宋真宗が泰山で封禅をした際に、ある太守が40字の拓本をとりました。その後学者が拓本をとっておいたので146文字が書としては保存されています。
明代にこの刻石は毀損し29字のみになり碧霞祠内に保存。乾隆帝時代1740年に碧霞祠が火災に会い行方不明に。1832年に発見されるも現在のような二つの石の塊のみになっており、東岳廟に移されます。1832年にそこが倒壊すると屋根瓦のなかから見つけ出され山下の廟に移されましたが、1890年光緒年間に盗まれます。大捜索して10日後に石橋の下でみつけり宣統年間1910年岱廟に持ち込まれ1928年から今の場所にあるそうです。
文字を統一した秦当時、李斯自身のてん書であるため歴史的にみて非常に貴重な文物となっています。
史記の列伝にあるように李斯は始皇帝の中華統一に欠かせない立役者ですが、その直筆の文字があるとは知りませんでした。 -
-
-
漢の武帝は8回泰山に登りました。漢柏1000株余りを植樹したと言われていますが、現在は5株しか残っていません。樹齢は2000年。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
「天睨殿」。北宋1009年創建。中国古代三大宮殿のひとつ。あと二つは北京故宮の大和殿、曲阜孔廟の大成殿。
典型的な、9−5様式の宮殿建築です。
ここも有名な史実と関係があります。北宋の真宗が契丹の遼との講和条約であるせん淵の盟を結ぶきっかけとなったのは、泰山からもたらされた天書に和を結ぶように記されていたとされていて、真宗はその天書に謝意を表すため泰山で封禅儀式を行い岱廟にこの宮殿を建てました。
天書を受けた日が6月6日であり天Kuang節だったためこの名前がつけられました。 -
-
-
東岳大帝を奉ってあります。撮影禁止ですが内部には3面に大きな壁画があり泰山の神が巡視に出かける様子が描かれています。宋代の作品で真宗の封禅の様子がモチーフになっていると言われています。かなり細かく描かれているので見入ってしまいました。
-
-
-
-
銅亭。明代1615年。
木のように見えるのですが実は全て銅でできています。もともとが泰山の頂上、碧霞祠にて碧霞元君を祭っていました。 -
-
-
鉄塔。
-
-
厚戴門内側より
-
厚戴門を抜けて岱廟からでます。
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
69