2013/12/13 - 2013/12/13
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たびたびさん
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近畿ではこれまであまり回ったことのない場所を回ってみようと思って、今回は播州と泉南を巡る三日の旅を計画しました。京都の定宿を拠点にしたので、移動距離は長くなるのですが、まあまあ回れる。スルッと関西を使えば、経済的でもあります。
一日目は、五木寛之の百寺巡礼に敬意を表して、亀山本徳寺と鶴林寺に、明石に途中下車。たまたまですが、黒田官兵衛の出身地を感じることにもなりました。
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亀山御坊本徳寺は、五木寛之の百寺巡礼でも紹介された寺。山陽電鉄 亀山駅からすぐです。
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五木寛之は浄土真宗が好きなようで、この寺も本願寺派。
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本願寺は、どうしても一向一揆とか猛々しいイメージがあるのですが、この門の鉄鋲もそんな感じです。
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イチオシ
本堂は明治元年に本堂が火災で焼失した際、西本願寺から北集会所の建物を移築したもの。妻入りが珍しいということですが、これだけ大きいとそんなことはどうでもいいような。本願寺の移築建物である点は、長浜の大通寺とも同じです。西本願寺のこのごっつい感じが特徴でしょう。
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隣りは、書院の玄関。
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この鐘楼もお城のような。けっこう古いもののようです。
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改めて、本堂へ上がって見ましょう。
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この北集会所は壬生へ移る前の新撰組が、屯所として一時使用した建物のよう。
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刀傷も残っています。
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本堂の中。豪華な中にもいかめしさが漂います。
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先ほどの書院に向かう廊下です。
しかし、こうしている間にも誰にも合いません。ここは、観光の寺ではありませんね。 -
本徳寺から鶴林寺に移動します。
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イチオシ
鶴林寺は、加古川にあって聖徳太子開基伝承をもつ寺。尾上の松駅からけっこう歩きました。
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仁王門を
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抜けたところが入口で、そこで拝観料を払います。
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創建は崇峻天皇2年(589年)。聖徳太子が当時播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために建立したと伝わり、ちょっととんでもない古刹ですね。入ってすぐに室町時代作の三重塔。
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室町時代の本堂は国宝です。
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聖徳太子の威光なのでしょうか。
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イチオシ
法隆寺にも似た、何か清々しい雰囲気を感じる建物です。
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中にも入ってみましょう。
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イチオシ
和洋と唐様を折衷した構造ということですが、いずれにしても、この空間のとても落ち着いた雰囲気。いいですねえ。
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隣りの平安時代に作られた太子堂も国宝です。
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イチオシ
檜皮葺が美しいです。
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その隣は、観音堂です。
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で、その奥にあるのが鶴林寺宝物館。鶴林寺の境内ですが、別料金です。五木寛之の百寺巡礼で紹介されていた聖徳太子像が見たかったのですが、これは3月の特別開帳の時期にしか見れないそうで。この日は、宝物館の厨子に入ったまま閉じられていました。残バラ髪の奥に精悍な顔つきの聖徳太子像が印象的だったのですが、聞くと、その残バラ髪も元々はきれいに結ってあったようです。そして、最近の調査によると髪は多くの人から集めたもの。室町期に作られたもので、聖徳太子を慕う多くの方からの寄進で集められたものだそうです。
一方で、アイタタ観音の見事さには驚嘆しました。白鳳期の金銅仏で、優美な表情に少しひねりの効いたこの細い腰つきは何でしょうか。まさにスリムビューティという、今の感覚でも理想的な美しさでしょう。法隆寺にもこんな仏像はなかったような。鶴林寺すごいです。 -
大乃いづみ屋は、鶴林寺の門前にある和菓子屋さん。刀田太子もなかというお菓子が看板商品です。ただ、お店は、普通の個人住宅といった建物。塀の一角に商品を見せるディスプレイがあるだけです。住宅の玄関で呼び鈴を鳴らして尋ねると、おじいさんだと思いますが、今は誰もいないんですと断りの弁。近所の方に聞くとやってる時はやってるんですけどねえとの答え。残念ながら、刀田太子もなかはゲットできませんでしたが、こういう名物があるということが確認できただけでも良しとしましょう。
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ヌーベルパティスリー ともながは、鶴林寺のついでに訪ねました。ただ、駅の反対側だし、道もけっこう分かりにくいです。しかし、お店は、地元の人気店のようで確かに活気はあります。
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いただいたのは、シュークリーム。ラム酒の香りがほんのりして、大人の味わい。甘さがけっこう押さえてあって、これだけ芳醇だと甘さをきつくしてもいいはずなんですが、逆にここまで抑えるには勇気が言ったかもしれないと思いました。ちょっと、お店の人と語ってみたくなるような味わいでした。
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すっぽんなんか、まともに食べたことあったかなあと思いますが、この下田家はけっこう安く食べられるという情報もあり訪ねました。すっぽん丼にしようかと思ったのですが、それより、特製すっぽんラーメンの方がすっぽんがいっぱい入ってますということで、それにしました。
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透き通ったスープはクセがなくて、うまいですね。揚げたすっぽんの足が入ってまして、食べると細い骨がけっこうあって、ふーん、すっぽんってこんななんですねという感じ。
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最後にすっぽんのコウラの骨まで見せていただきました。怖いもの見たさもありましたが、何んとか無事終了です。
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ここで、尾上の松駅から明石に向かいます。
明石城は、山陽明石駅からすぐ。 -
奥に進んで、
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脇にあるのは、からくり時計。
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ロボットが太鼓を叩き始めました。「とき打ち太鼓」です。ほー。
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イチオシ
さて、これが正面の景色。石垣に白い塀と坤櫓・巽櫓という二つの櫓が左右に建って、美しい姿ですね。播磨・備前・美作の守護赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を暗殺するという嘉吉の乱では、赤松氏が幕府軍を迎え撃ち激戦の地となった場所でもあるようです。
江戸期に入ってはまず茶道で有名な小笠原氏。小笠原氏が小倉に転封になった後は、めまぐるしく城主が変わり、最後は越前家の松平氏が入り、10代の安定期を迎えます。 -
明石公園は、史跡明石城跡を整備した歴史公園。
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石垣や塀・櫓の城跡のほか、二ノ丸の南には、宮本武蔵作とされる日本庭園が整備されています。
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ここから、反対側の明石市立天文科学館の方に抜けて行きます。
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上ノ丸教会は、坂の多いエリアの一角です。
この教会は、明治期にアメリカからやってきた宣教師が作ったプロテスタントの教会。現在の会堂は昭和55年に改修されたもので、ヴォーリズ建築事務所による設計。正面に日時計が掲げられているのが特徴です。 -
本松寺は、上ノ丸にある日蓮宗の寺。
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観光寺院ではないのですが、裏に宮本武蔵が作ったという庭があって、お寺の人に拝観を申し込むと戸を開けて見せてくれました。
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庭の説明書もいただけて、小さな庭ですが、山から下って大海に出る雄大な自然を確かに表しています。
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しばし、武蔵へ思いを馳せました。
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先に進んで、ここは、月照寺。
空海がかつての明石城のあった赤松山に創建した湖南山楊柳寺が始まりです。山門は、旧伏見城藥医門を移築したもの。 -
江戸時代、小笠原氏が松本から入封し、新たな明石城を築城するにあたって、現在の場所へ移されたようです。
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柿本人麻呂を祀る柿本神社の別当寺であり、現在も隣り合わせに建っています。
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ということで、隣りの柿本神社。ここは、もう明石市立天文科学館の裏手。人丸山という小高い山の頂上にあります。
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名前の通り、柿本人麻呂を祀る神社。三十六歌仙の一人である柿本人麻呂を祀るだけに、歌道の神としての信仰を集めます。「人麿(ひとまる)」が「人生まる(ひとうまる)」として安産の神、「火止まる(ひとまる)」として、火防の神としての信仰もあるようです。
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柿本神社から少し下ったところが明石市立天文科学館。
明石市の東経135度日本標準時子午線の真上に建つ施設。我々も日ごろお世話になっている施設ですよね。山陽電鉄からも高台に建つ姿がよく見えます。現在の塔時計は3代目。服部セイコーから寄贈を受けたもので、SEIKOの文字も目立っていました。なお、平成22年に開館50周年を迎え、国の登録有形文化財に登録されています。 -
長寿院は、明石市立天文科学館から下って降りたところ。ここは明石藩主越前松平家の菩提寺であり、二代直良公から九代斎宜公までの墓と夫人子息等家族の墓があります。門も目立っていますが、瓦には徳川三つ葉葵のご紋。歴史と格式を誇っているようでした。
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両馬川旧跡は、源平合戦に関係する史跡。山陽電鉄人丸駅高架下の目立たない場所ですが、ここは平忠度が、一の谷の戦いで敗走するのですが、源氏方の岡部忠澄に追いつかれ、討たれたという場所。二人の馬が川を夾んで戦ったので、「両馬川」と名前が付いたということです。なお、平忠度は、平忠盛の六男。平清盛の異母弟で、歌人としても才能があったようです。
さて、そろそろ、京都に戻らねば。今夜の晩飯は嵐山。大事な予定があるんです。
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