2007/04/30 - 2007/04/30
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jijidarumaさん
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(2021年6月11日、2007年4月の旅に2015年7月の写真を新たに追加し、更新した)
”ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
:黒い森・バーデンワイン街道・高?上ライン川とボーデン湖・
シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:
2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間
総走行距離 : 2,145KM
4.30(月) 快晴 24℃朝から涼しい、 121km(ここまで、12日間 1,906 KM)
ネッカー川流域のBurgenstrasse(ブルゲンシュトラッセ)古城街道には古城・古城ホテル好きにとっては大変魅力的な場所である。
写真はネッカービショフスハイムの新城で見かけた天井画。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
イチオシ
このネッカー渓谷には多くの中世からの魅力的な城や館がある。
ハイデルベルクの城、ホルンベルク城やグッテンベルク城がとりわけネッカー川沿いの城として知られている。
其の他にもエーベルバッハ城、ヒルシュホルン城、エスリンガー城、シュトルツェネック城、ミンネブルク城、レムゼック城、ヴァイラー城、ディルスベルク城、ノイブルク城、ハインスハイム城、ホークハイム城、リーベンシュタイン城、ツヴィンゲンブルク城と数々の城が流域にはあり、興趣ある古城街道が整備されている。
写真はネッカー川畔で赤いレンタカーVW Golf-Goal 1.6 5T(1600CC)オートマチック・エアコン付き: Gundelsheim・ドイツ騎士団の居城であったSchloss Horneckホーネック城(現在は養老院、博物館)の傍。 -
古城街道のBad Rappenauバート・ラッペナウ(人口2万人)は初めての所だが、町の中心の公園内にラッペナウ水城を見つけた。
規模も大きく、重厚な感じだ。
月曜日で城内にある博物館は休館なので、周辺をぐるりと一周する。
元々は14世紀頃の騎士の居城であった。現在の城は1601~3年 Eberhard von Gemmingenエーバーハルト・フォン・ゲミングゲンが建てたものと云う。
写真は古城街道・ラッペナウ水城
尚、2015年の使用レンタカーはVW Skoda Rapid フォルクスワーゲン・シュコーダ(スコーダ)・ラピッド
1600ccディーゼル車 黒 5T オートマチック・エアコン(ナビなし)。 -
ラッペナウ水城から18kmと近い、NeckarbischofsheimネッカービショフスハイムにはSchloss Neckarbischofsheimネッカービショフスハイム新・旧城が広い庭園の中に建っている。
ここは古城ホテル(4星、全30室)で、女性城主がオーナーシェフを勤めるレストラン(Schlemmer Atlas 13点)もある。、
写真はNeckarbischofsheimネッカービショフスハイム:Stadtplan市街図・・・中央左手に古城ホテル ネッカービショフスハイム新・旧城がある。 -
ネッカービショフスハイム城の歴史は1274年に遡り、旧城の支配地が皇帝の封土と認められたのが始めである。
1829年に新城が建設され、これが現在のホテル・レストランとなっている。
写真は古城ホテル ネッカービショフスハイム新・旧城:小冊子のタイトル -
この古城ホテルのパンフレットには面白い事に“王冠をいただく人魚姫”の絵がシンボルとして描かれている。
良く見てみると、その由来も裏表紙に書かれていました。
彼女はこの城にまつわる“人魚伝説”の主役であり、そこには近くを流れるネッカー川も登場する。
写真は古城ホテル ネッカービショフスハイム新城:玄関(2015年7月) -
旧城は元来、水城であったと云われ、その名残が旧城側の池に見られる。
ルネサンス風の城門をくぐり、庭園を一周してみる。城とBlutbuchenブルートブッヘン(血のような葉を茂らせたブナの巨木)の見事な風景を楽しめた30分だった。
ここも月曜日はお休みでホテル・レストランには人影が無い。お茶でも軽く楽しめたら良かったのだが残念。置かれてあったパンフレットを頂いて帰る。
写真は古城ホテル ネッカービショフスハイム城と中央にBlutbuchenブルートブッヘン(血のような葉を茂らせたブナの巨木)、左にルネサンス風の城門 -
写真は古城ホテル ネッカービショフスハイム城:ルネサンス風の城門をくぐり庭園に(2015年7月)
-
≪王女さまと吟遊詩人の恋(人魚姫となったお話・古城街道のネッカービショフスハイム城)≫
昔々、遠い昔のことです。Schloss Neckarbischofsheimネッカービショフスハイム城には一人の王女が住んでいました。その名をBrunhildeブリュンヒルデと申しました。
王女のとても美しく、愛くるしい様子がとても評判となり、近隣の王子さま、青年騎士たちがこの地に参じて、王女の心を射止めようとします。しかし、誰一人として、これには成功しませんでした。
写真はネッカービショフスハイム城:Brunhildeブリュンヒルデの人魚姫像(2015年7月) -
イチオシ
ところがある日、質素な吟遊詩人(Minnesaengerミンネジンガー:12世紀の頃、最盛となった。主に宮廷をめぐり、中世の騎士的恋愛が主題の詩を吟じた。)の美しい歌声・・・それはナイチンゲールが黙り込んでしまうほど、美しい歌声・・・に王女は聞き惚れてしまいます。王女はこの詩人を愛してしまったのです。
これを知った王と王妃は身分卑しい吟遊詩人など、とんでもないとして、王女が詩人に会う事を禁じ、その上に、この貧しい吟遊詩人を王の領地から追放してしまったのです。
王女ブリュンヒルデはこの事を大変嘆き悲しみ、毎日泣き暮らしたそうです。悲しみに暮れながら、毎日、王女はネッカー川の川べりを彷徨する様になりました。
写真はネッカービショフスハイム旧城と池 -
ある日のこと、ネッカー川の魚たちが話しているのが王女の耳に入りました。それは王女にとって、とても慰めになったのです。数日して、一匹の魚が申すには『ネッカー川に住む私共の所に御出でなさいませ。そこでは王女様も自由で、楽しい日々がすごせますよ!』と。
王女は今の身の上に絶望していたので、考える間もなく、身を躍らせ、ネッカー川に頭から飛び込んでしまいました。当然、泳げない王女はひどく苦しく、死は目前に迫りました。
写真はネッカービショフスハイム旧城(2015年7月) -
その時、Neckariusネッカーリウス(ネッカー川の川神、支配者である彼には川魚、ザリガニ等々、水中の者どもは全て臣従しているのです。)が、立派な貝に乗り、ライオンのような長い髪で大きな河馬を引き連れて、出現して来たのです。
ネッカー川に身を投げた彼女の美しく、優美な姿を見て、ネッカーリウスは王女である事を確信し、河馬を強く御して、すんでのところで王女を貝の上に引き上げる。王女が驚きの目をしているのが見て取れた。しかし、王女はネッカーの川底に倒れ、死を迎えるのでした。
写真はネッカービショフスハイム旧城にある紋章(2015年7月) -
ネッカーリウスは死した王女に大きな憐憫の情を感じて、そして、こう申すのでした。・・・
『我が力で貴女を救済しよう。高貴なる貴女を!』『我が力を以って、貴女を人魚の姿に変えてしまおう。それはこの後、我が支配下で貴女が生きていくことを意味しているのだ。そして我が臣下たる貴女に一つの使命を与えよう。それは幸せな事に再び生き生きと身体を動かす事ができ、永遠にネッカービショフスハイム城にある庭園の泉で、清らかな、美味なる水で、額をぬらす事が出来るのだ。
その泉は石の門をくぐって歩むと、その門の側に見る事ができよう。そこで、貴女は幸せな日々をずっと過ごすことになるであろう。』
・・・そう、川神・ネッカーリウスが申し聞かせたことが、王女の心に満足と王女の運命に大きな幸運をもたらしたのだ。
この時より、王女ブリュンヒルデは城の庭園にある泉の下で時を過ごし、時々、生暖かい夏の夜には冷たい水を立ちのぼらせ、泉の端に座り、古い歌をかすかに口ずさんでいると云う。
そう、王女が愛した吟遊詩人がその昔、城の庭園で彼女の為に歌ったという、あの歌を・・・。
(ホテルのパンフレットより:意訳・加筆)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真は伝説“王冠をいただく人魚姫に登場する王女ブリュンヒルデと吟遊詩人の像とネッカービショフスハイム旧城(2015年7月) -
旧城はきれいに改装されたようで、朝の光に輝いている。
現在、旧城は町が管理し、結婚の申請手続きに利用されているらしい。ホテルの案内ではハネムーン用のスイートルームがあると聞いていたので、旧城内を見てみたかったが、鍵はホテルにないとのことだった。
旧城前に伝説“王冠をいただく人魚姫”の人魚姫Brunhildeブリュンヒルデと吟遊詩人(Minnesaengerミンネジンガーの像が二人仲良く並んでベンチに座っていた。
以前にもあったのかどうか、もう記憶も不鮮明だが、二人の像はにこやかで、明るい色で彩られていた。
そういえば、昨日の夕食時にテラスから見ていると、なかなか暗くならないこの季節、いつまでも庭園で遊ぶ子供たちが、二人の像の前で遊んでいた。遠目には像とはわからなかったが。
(2007年のアルバムを見てみたら、やはりこの像はなかったから、近年に作られたらしい)
写真は伝説“王冠をいただく人魚姫に登場する王女ブリュンヒルデと吟遊詩人・・・ネッカービショフスハイム旧城前で(2015年7月) -
旧城は元来、水城であったと云われ、その名残が旧城側の池に見られる。
2007年4月30日に訪れた時は新緑が美しく、ルネサンス風の城門をくぐり、城とBlutbuchenブルートブーヘン(血のような葉を茂らせたブナの巨木)の見事な風景を楽しめたが、今日は伝説が残る池の水が濁り、ブナの巨木も心なしか、元気がないように見えた。
写真はネッカービショフスハイム旧城:ハネムーン用のスイート(2015年7月) -
城の歴史:
ネッカービショフスハイム城は1274年に遡り、中世のBurg城砦の支配地が皇帝の封土と認められたのが始めである。その後、Herren von Helmstattヘルムシュタットの騎士領主(オーデンの森やクライヒガウ地域を支配した)が所有し、城館を整備した。
1378年、Weiprecht I. von Helmstattヘルムシュタット家のヴァイプレヒト1世がネッカービショフスハイム城の城主となり、ネッカービショフスハイム家を起こした。
ヴァイプレヒト1世の弟Raban IIIラバン3世がさらに旧城砦のVorburg一の丸の場所に新しい石造りの館を建設した。
1543年、Johann von Helmstattヨハン・ ヘルムシュタットがネッカービショフスハイム城の城主となり、現在のようなAltes Schloss旧城となった。
1829年には石造りの館跡にNeue Schloss新城が建設された。
1952年にヘルムシュタット家最後の城主が死去し、1975年、新・旧城はネッカービショフスハイムの町の所有になり、同時に大改装が行われた。
旧城は現在、結婚の間、郷土博物館として利用されているが、元来は水城であったと云われていて、その名残が旧城側の池に見られる。(尚、女性スタッフの話では旧城は町の管理になっていて、鍵が無いので中の見学はできないとの事。毎月第一日曜日の15時半から17時まで、開館しているそうだ)
新城が現在のオーナーシェフ、ヨルク・グラウベン所有のホテル・レストランである。
写真はネッカービショフスハイム旧城:騎士の広間Altes_Schloss_Rittersaal(2015年7月)・・・結婚の間があると言っていたから、騎士の広間が結婚届が出来るようになっているのだろう。 -
②7月15日(水)(1泊)
Schloss Neckarbischofsheim 古城ホテル ネッカービショッフスハイム城
D-74924 Neckarbischofsheim 、Schlossstrasse 1
Tel:+49(0)7263 4080-0 、Fax:+49 (0) 7263 40 80 22
http://www.schlosshotel-neckarbischofsheim.de/
4星・全30室。Standard DZ=Euro109(朝食込み:15,113円)。
2階108号室は表にあたる町側の部屋で眺望は悪いがモダンな造り、広い部屋でした。水0.25Lが2本(ガス入りとガスなし)、浴用ガウンあり。
フランクフルト空港から凡そ130kmの距離にある。
ホテルチェーン・リングホテルズに属する古城ホテルは緑あふれるネッカー・オーデンヴァルト自然保護区内にある。
写真は古城ホテル ネッカービショフスハイム新城:メインレストラン(2015年7月) -
レストランとシェフ:
レストランはSchlemmer Atlasシュレマーアトラス 16.5点、ドイツランク1830位。
レストランはOrangerieオランジェリー、Galerie ギャラリー、Terrasseテラスとあり、季節と客の要望に応えるようになっている。
2007年当時は女性城主がオーナーシェフを勤めるレストラン(Schlemmer Atlas 13点)であったが、今はオーナーシェフも変わっている。
写真はパラソルのあるテラスレストラン:(2015年7月) -
ホテルのパンフレットを見て気付いたのだが、驚いたことにそのオーナーシェフはJoerg Glaubenヨルク・グラウベンと言い、2010年の秋にドイツのラインラント・プファルツ州 & ザールラント州を巡った時、ザールラントのZweibrueckenツヴァイブリュッケン(二つの橋の意)に1泊した。
その時のホテルRomantik Hotel Landschloss Fasanerieロマンチック ホテル ランドシュロス ファザネリ・古城ホテル(4星S・50室)のグルメレストランのシェフをしていた方だった。
グルメレストランTschifflikチフリックは2010年当時、ミシュラン1星、GaultMillau 18点。全独ランク35位となかなかのものでした。
(グラウベン氏が退職した2012年以降、星が無い)
グラウベン氏は1959年タウヌスのホンブルクに生まれ、現在56歳。1999 年から 2012年4月までファザネリでシェフをしており、2002年以来星付きシェフを継続していた。
2012年4月以降はポーランドの5星ホテルに移り、2013年7月に古城ホテル ネッカービショフスハイム城のオーナーシェフになっている。
その経歴から現在のSchlemmer Atlas 16.5点には満足していないであろう。
写真はパラソルのあるテラスレストラン:(2015年7月) -
朝食をレストランGalerie ギャラリー(7:00~7:45)で食べる。昨夜は見かけなかった若いビジネスマンが朝食に来ていた。
写真は翌日の朝食用レストランで(2015年7月)
XXXXX -
その後はネッカービショフスハイム旧城の庭園をぐるりと散策する。
庭園を町のパン屋さんから購入してきたのだろうパンを抱えた婦人や、犬と散歩のお嬢さんが横切っていく。ドイツ人の朝は早い。
写真は古城ホテル ネッカービショフスハイム新城の前景(2015年7月)
XXXXX
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この旅行記へのコメント (4)
-
- frau.himmelさん 2013/11/27 09:41:02
- 素敵な伝説
- jijidarumaさん おはようございます。
すてきな伝説ですね。
ブリュンヒルデ・・、どこかで聞いた名前・・。
そう、utaさんのコメントで思い出しました。
今年はワーグナーを巡る旅をしまして、その中で頭に残っていた名前でした。
人魚姫のブリュンヒルデは、ネッカー河畔の古城の庭園で、噴水の姿になっているのでしょうか?
こういう背景を知って訪れると、より深い旅になりますね。
himmel
- jijidarumaさん からの返信 2013/11/27 12:16:17
- 素敵な伝説
- himmelさん
旅をしていると思いがけない伝説にあたります。これもその一つです。
即興詩人が登場人物の一人なのも、その時代の反映でしょう。ヴァルトブルク城で歌合戦をしたような詩人たちとは違って、市井の彼らの地位があまり高くなかった事が分かりますね。
人魚姫のブリュンヒルデは泉(池)に住んでいるのでしょうけど、噴水の彫像とはなっていませんでした。城内の庭園に人魚姫の彫像がありそうですが、私が見たのは古城ホテルのパンフレットだけでしたよ。
因みに旧城の建物の中はスイートになっているそうで、お立ち寄りの時は是非ご利用ください(笑)。
jijidaruma
-
- utamiumiuさん 2013/11/26 14:57:37
- こんな人魚姫伝説もあったのですね。
- ジジダルマさん
私の知っていたのはディズニー映画の人魚姫だけでした。
水は海で水の王様はネプチューンだったように思います。
そして何よりもお姫様の名前!
ブリュンヒルデ!この名前はワーグナーのオペラに登場するゼウスと人間の間に生まれた女戦士としてとても有名ですが悲しい人魚のお話の主人公のなまえでも使われているのですね。
彼女はミネゼンガーの彼と会えたのかしら???
- jijidarumaさん からの返信 2013/11/27 12:05:23
- こんな人魚姫伝説もあったのですね。
- > Utaさん
>
> アンデルセンの人魚姫は初めての赴任の時、コペンハーゲンでトランジットの空いた時間に無謀にも市内見物に出かけて、寂しそうな姿を見ました。1974年のことです。
> だから人魚姫と言ったら、私はこちらの方でしたが、古城街道で、ネッカー川にからんだ人魚姫の話があるとは思いませんでしたね。
> 各地にこうした話があるのを知るのは楽しいですよ。
>
> ワグナーお好きですか?そちらを知っていると人魚姫のブリュンヒルデに感情移入が出来ないかもしれません(笑)。
>
> 永遠の命を得た人魚姫、泉のほとりで又会える事を祈っていたでしょう。
>
> jijidaruma
>
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