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2013/07/08月 モスクワ観光2日目<br />・クレムリン(約6時間半)<世界遺産><br />  ボロヴィツカヤ塔から入場<br />  武器庫&ダイヤモンド庫<br />  教会広場:<br />   ウスペンスキー聖堂、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂、アルハンゲリスキー聖堂<br />   リザバラジェーニヤ教会、イワン大帝の鐘楼の1階の企画展<br />   パトリアーシェ宮殿と博物館<br />  トロイツカヤ塔から出る<br />・アレクサンドロスキー公園でひと休み<br />・アホートヌイ・リャート(ショッピングモール)散策<br />・ロシア青年劇場で Russian National Ballet Theatreのバレエ「ジゼル」鑑賞<br />【モスクワ泊:マキシマ・パノラマ・ホテル】<br /><br />モスクワ2日目は、再訪したいトップのクレムリンのために1日空けておきましたが、スマフォでこまめにチェックしていた天気予報が外れて、バンザーイ! バンザーイ!<br />45分待ちでクレムリンに入り、武器庫とダイヤモンド庫とあわせて2時間半ほど屋内で過ごした後、今度はいよいよ撮影散策!<br />と教会広場で過ごした午後は、ドラマチックな雲が広がる理想の青空に恵まれました!<br /><br />そう、クレムリンでは、ぜひまた教会広場で、青空の下に鎮座する金ピカドームの白亜の教会の写真を撮りたいと、焦がれていました。<br />13年前の2000年の初ロシア旅行のとき、アナログカメラ時代でしたが、今見てもいいんじゃないかと思える青空の下の教会広場の教会写真が、手元に残っているんです。<br />私がモスクワ再訪願望をつのらせた要因の1つです。<br />デジカメを手にして写真にハマり、7年目の去年2012年にやっと一眼レフデビューも果たした今や、モスクワを再訪するなら、ぜひクレムリンの教会広場で、あのとき以上の写真を撮りたいと切に願っていました。<br /><br />クレムリンに入場できるまで、計45分待ちました。<br />とはいえ、ほんとは入場よりも30分以上前には着いていようと思っていたのですが、最寄りの地下鉄の出口を間違えて遠回りしてしまい、到着したのは9時45分。<br />ゲート前の行列におののき、1人ずつしかやらないのんびりセキュリティー・チェックにいらいらしながら、やっとクレムリンに入れたのは10時30分。<br /><br />今朝の天気予報は、午前中はまだしも、午後は雨予報だったので、本当は先に教会広場に行きたいと思いました。<br />でも、武器庫の入場時間は教会広場より制限されていましたし、なにより武器庫に近いボロヴィツカヤ塔のゲートから入ったため進路が決まってしまい、先に教会広場に行ってあとで戻って来れる雰囲気では全くありませんでした。<br />武器庫を出て教会広場へ行く途中にチケット・コントロールがありましたから。<br />なので、午前中から昼すぎにかけては、いつ天気が悪化するか、やきもきしながら見学するはめになりました。<br /><br />でも、13年ぶりの武器庫は、薄れた記憶以上にすばらしかったので、天気を心配するのをいつのまにか忘れて、じっくり鑑賞できました。<br />また、宝石好きの私がせっかくのダイヤモンド庫に入れるチャンスを逃せるわけがなく、目がつぶれそうなくらいキラキラのダイヤモンドにもうっとりし……。<br /><br />というわけで、その2つの宝物庫めぐりにじっくり費やした半日で早くもくたくたになってしまいましたが、ドラマチックな青空と記憶に違わぬ美しい教会広場に、疲れはふっとびました。<br /><br />クレムリンでは、宝物庫の武器庫もダイヤモンド庫も、教会広場の教会の内部のどれも撮影禁止でした。<br />撮っていいのは建物の外だけ。<br />なので、結果的に6時間半も過ごしたクレムリンでの撮影ターゲットのほとんどは、教会広場の教会の外観です。<br />あとはその他の建物がちょこっと。<br /><br />だけどまあ、写真狂いになってから、博物館でも、鑑賞と撮影のどっちが目的?<br />ってなかんじで、我ながら時々なんか目的はき違えているかも、と思うような見学をするようになってしまった今の私。<br />博物館の展示物の撮影などほとんどあきらめていたアナログカメラ時代の方が、代わりに自分の目に焼き付けようとしっかり鑑賞し、自分の感動や感想を言葉に残そうと努力してきました。<br />いまは「百聞は一見にしかず」ということに甘えて、昔ほど1つ1つを大事に鑑賞できていないなを反省しているところです。<br />なので、撮影せずにじっくり鑑賞するのも悪くないと思いました。<br />たまには(笑)。<br /><br /><2013年ロシア旅行:簡易旅程><br />7/06土 出国&モスクワ到着<br />7/07日 モスクワ1日目(国立歴史博物館と民芸品博物館)<br />7/08月 モスクワ2日目(クレムリン)★<br />7/09火 モスクワ3日目(トレチャコフ美術館)<br />7/10水 ズズダリ<br />7/11木 ウラジーミル<br />7/12金 モスクワ4日目(コローメンスコエ)<br />7/13土 ペトロザヴオーツク経由でキジ島へ<br />7/14日 ソロヴェツキー島1日目<br />7/15月 ソロヴェツキー島2日目(ザヤツキー島エクスカーション)<br />7/16火 サンクトペテルブルグ1日目(ロシア民族学博物館ほか)<br />7/17水 サンクトペテルブルグ2日目(エルミタージュ美術館)<br />7/18木 パヴロフスク宮殿&庭園<br />7/19金 ノヴゴロド1日目<br />7/20土 ノヴゴロド2日目<br />7/21日 サンクトペテルブルグ3日目(宗教博物館・ユスポフ宮殿ほか)<br />7/22月 サンクトペテルブルグ4日目(ロシア美術館)&出国<br />7/23火 成田空港着<br />※この旅行記の対象の日に★印をつけました。<br /><br />詳細旅程はこちら。<br />「2013年ロシア旅行~13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現させた旅行【旅程一覧】」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10797557<br />準備編や帰国後の全体の感想は、ブログ「まみ&#39;s Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/)に掲載しました。<br /><br />「クレムリンとは本来、城塞を意味するロシア語(正確にはクレムリ)で、ロシアの多くの都市にある。そのなかでも最大かつ最も有名なのが、モスクワのクレムリンだ。1156年にユーリー・ドルゴルーキー公によって木造の城塞が建設され、16世紀頃には現在の姿に発展した。ロシア正教の総本山として多くの聖堂が築かれる一方、ロシアの政治、軍事の中心として繁栄する。首都としての地位はピョートル大帝によるサンクトペテルブルグ遷都により失われたが、革命後はソビエト政府がおかれ、首都に返り咲いた。以後、長らく社会主義陣営の中心地として、その偉容を世界に誇示してきた。<br /> 現在、クレムリンにはロシア連邦大統領府がおかれ、プーチン大統領が再びその首座にいる。ソ連崩壊後、クレムリンの世界的地位は大きく低下したが、それでも世界の主要国の首都であることには変わりない。建設以来850年余、ロシア正教の豊かな宗教遺産と、クレムリンが保持する財宝の数々は、今も世界中から観光客を集め、人々を魅了し続けている。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012~2013年版)」より)<br />

2013年ロシア旅行~13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現【第3日目:モスクワ】(1)6時間半も過ごしたクレムリン

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2013/07/08 - 2013/07/08

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まみ

まみさん

2013/07/08月 モスクワ観光2日目
・クレムリン(約6時間半)<世界遺産>
  ボロヴィツカヤ塔から入場
  武器庫&ダイヤモンド庫
  教会広場:
   ウスペンスキー聖堂、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂、アルハンゲリスキー聖堂
   リザバラジェーニヤ教会、イワン大帝の鐘楼の1階の企画展
   パトリアーシェ宮殿と博物館
  トロイツカヤ塔から出る
・アレクサンドロスキー公園でひと休み
・アホートヌイ・リャート(ショッピングモール)散策
・ロシア青年劇場で Russian National Ballet Theatreのバレエ「ジゼル」鑑賞
【モスクワ泊:マキシマ・パノラマ・ホテル】

モスクワ2日目は、再訪したいトップのクレムリンのために1日空けておきましたが、スマフォでこまめにチェックしていた天気予報が外れて、バンザーイ! バンザーイ!
45分待ちでクレムリンに入り、武器庫とダイヤモンド庫とあわせて2時間半ほど屋内で過ごした後、今度はいよいよ撮影散策!
と教会広場で過ごした午後は、ドラマチックな雲が広がる理想の青空に恵まれました!

そう、クレムリンでは、ぜひまた教会広場で、青空の下に鎮座する金ピカドームの白亜の教会の写真を撮りたいと、焦がれていました。
13年前の2000年の初ロシア旅行のとき、アナログカメラ時代でしたが、今見てもいいんじゃないかと思える青空の下の教会広場の教会写真が、手元に残っているんです。
私がモスクワ再訪願望をつのらせた要因の1つです。
デジカメを手にして写真にハマり、7年目の去年2012年にやっと一眼レフデビューも果たした今や、モスクワを再訪するなら、ぜひクレムリンの教会広場で、あのとき以上の写真を撮りたいと切に願っていました。

クレムリンに入場できるまで、計45分待ちました。
とはいえ、ほんとは入場よりも30分以上前には着いていようと思っていたのですが、最寄りの地下鉄の出口を間違えて遠回りしてしまい、到着したのは9時45分。
ゲート前の行列におののき、1人ずつしかやらないのんびりセキュリティー・チェックにいらいらしながら、やっとクレムリンに入れたのは10時30分。

今朝の天気予報は、午前中はまだしも、午後は雨予報だったので、本当は先に教会広場に行きたいと思いました。
でも、武器庫の入場時間は教会広場より制限されていましたし、なにより武器庫に近いボロヴィツカヤ塔のゲートから入ったため進路が決まってしまい、先に教会広場に行ってあとで戻って来れる雰囲気では全くありませんでした。
武器庫を出て教会広場へ行く途中にチケット・コントロールがありましたから。
なので、午前中から昼すぎにかけては、いつ天気が悪化するか、やきもきしながら見学するはめになりました。

でも、13年ぶりの武器庫は、薄れた記憶以上にすばらしかったので、天気を心配するのをいつのまにか忘れて、じっくり鑑賞できました。
また、宝石好きの私がせっかくのダイヤモンド庫に入れるチャンスを逃せるわけがなく、目がつぶれそうなくらいキラキラのダイヤモンドにもうっとりし……。

というわけで、その2つの宝物庫めぐりにじっくり費やした半日で早くもくたくたになってしまいましたが、ドラマチックな青空と記憶に違わぬ美しい教会広場に、疲れはふっとびました。

クレムリンでは、宝物庫の武器庫もダイヤモンド庫も、教会広場の教会の内部のどれも撮影禁止でした。
撮っていいのは建物の外だけ。
なので、結果的に6時間半も過ごしたクレムリンでの撮影ターゲットのほとんどは、教会広場の教会の外観です。
あとはその他の建物がちょこっと。

だけどまあ、写真狂いになってから、博物館でも、鑑賞と撮影のどっちが目的?
ってなかんじで、我ながら時々なんか目的はき違えているかも、と思うような見学をするようになってしまった今の私。
博物館の展示物の撮影などほとんどあきらめていたアナログカメラ時代の方が、代わりに自分の目に焼き付けようとしっかり鑑賞し、自分の感動や感想を言葉に残そうと努力してきました。
いまは「百聞は一見にしかず」ということに甘えて、昔ほど1つ1つを大事に鑑賞できていないなを反省しているところです。
なので、撮影せずにじっくり鑑賞するのも悪くないと思いました。
たまには(笑)。

<2013年ロシア旅行:簡易旅程>
7/06土 出国&モスクワ到着
7/07日 モスクワ1日目(国立歴史博物館と民芸品博物館)
7/08月 モスクワ2日目(クレムリン)★
7/09火 モスクワ3日目(トレチャコフ美術館)
7/10水 ズズダリ
7/11木 ウラジーミル
7/12金 モスクワ4日目(コローメンスコエ)
7/13土 ペトロザヴオーツク経由でキジ島へ
7/14日 ソロヴェツキー島1日目
7/15月 ソロヴェツキー島2日目(ザヤツキー島エクスカーション)
7/16火 サンクトペテルブルグ1日目(ロシア民族学博物館ほか)
7/17水 サンクトペテルブルグ2日目(エルミタージュ美術館)
7/18木 パヴロフスク宮殿&庭園
7/19金 ノヴゴロド1日目
7/20土 ノヴゴロド2日目
7/21日 サンクトペテルブルグ3日目(宗教博物館・ユスポフ宮殿ほか)
7/22月 サンクトペテルブルグ4日目(ロシア美術館)&出国
7/23火 成田空港着
※この旅行記の対象の日に★印をつけました。

詳細旅程はこちら。
「2013年ロシア旅行~13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現させた旅行【旅程一覧】」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10797557
準備編や帰国後の全体の感想は、ブログ「まみ's Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/)に掲載しました。

「クレムリンとは本来、城塞を意味するロシア語(正確にはクレムリ)で、ロシアの多くの都市にある。そのなかでも最大かつ最も有名なのが、モスクワのクレムリンだ。1156年にユーリー・ドルゴルーキー公によって木造の城塞が建設され、16世紀頃には現在の姿に発展した。ロシア正教の総本山として多くの聖堂が築かれる一方、ロシアの政治、軍事の中心として繁栄する。首都としての地位はピョートル大帝によるサンクトペテルブルグ遷都により失われたが、革命後はソビエト政府がおかれ、首都に返り咲いた。以後、長らく社会主義陣営の中心地として、その偉容を世界に誇示してきた。
 現在、クレムリンにはロシア連邦大統領府がおかれ、プーチン大統領が再びその首座にいる。ソ連崩壊後、クレムリンの世界的地位は大きく低下したが、それでも世界の主要国の首都であることには変わりない。建設以来850年余、ロシア正教の豊かな宗教遺産と、クレムリンが保持する財宝の数々は、今も世界中から観光客を集め、人々を魅了し続けている。」
(「地球の歩き方 ロシア(2012~2013年版)」より)

  • いわば観光客用の正門といえるトロイツカヤ塔側のゲート前の様子<br /><br />入場開始の30分前には到着していようと思ったのですが、最寄りの駅で、地下鉄レニングラード図書館(ビブリオチェーカ・イーメニ・レーニナ)駅から地上に出ようと思ったのに、どうやらボロヴィツカヤ駅の方から出てしまったらしく、想定外だったためガイドブック上の地図でボロヴィツカヤ駅周辺が探せず(苦笑)、人に道を聞きながら到着したのは9時45分でした。<br />入場開始15分前、スパスカヤ塔側のゲート前は、もうあんなに列ができていました。<br />どこが最後尾かと思って右を向いたら……。<br />

    いわば観光客用の正門といえるトロイツカヤ塔側のゲート前の様子

    入場開始の30分前には到着していようと思ったのですが、最寄りの駅で、地下鉄レニングラード図書館(ビブリオチェーカ・イーメニ・レーニナ)駅から地上に出ようと思ったのに、どうやらボロヴィツカヤ駅の方から出てしまったらしく、想定外だったためガイドブック上の地図でボロヴィツカヤ駅周辺が探せず(苦笑)、人に道を聞きながら到着したのは9時45分でした。
    入場開始15分前、スパスカヤ塔側のゲート前は、もうあんなに列ができていました。
    どこが最後尾かと思って右を向いたら……。

  • ぎゃ〜っ! なんてこった、この長蛇の列!!<br /><br />もっとも、武器庫に近いボロヴィツカヤ塔側のゲート前は、ここまで長蛇の列ではありませんでした。<br />それに、チケット売り場のキオスクはいくつかあって、チケットはほとんど並ばずにすぐに買えました。<br /><br />開館15分前にやってきて、入場できたのは10時30分でしたから、計45分待ちました。<br />クレムリンもエルミタージュ美術館みたいに、チケットのネット販売とかすればもっとスムーズに入場できるのでは、と思っていたものですが、列の進みがのろかったのはセキュリティ・チェックのせいなので、あまり意味がなかったでしょう。<br />実際、チケットはすぐに買えたのですから。<br /><br />チケット代は、共通券は350ループル、武器庫は900ルーブル。<br />ダイヤモンド庫のチケットは、武器庫内のダイヤモンド庫の入口で購入。500ルーブル。<br />(2013年7月現在、1ルーブル=約35円で換算)<br /><br />私が入場した武器庫に近いボロヴィツカヤ塔のゲート前の行列は、ここスパスカヤ塔のゲート前に比べるとずっとマイルドでした。<br />でも、いまから思うに、ボロヴィツカヤ塔のゲートは1ヶ所のみで、セキュリティ・チェックも1人でやっていたのに対し、トロイツカヤ塔のゲートは同時に何人か入場できるようになっていたので、ボロヴィツカヤ塔のゲート前の方がトロツイカヤ塔の方ほど長蛇の列ではなくても(それでも十分長蛇の列でしたけど)、入れるまで待たされる時間は変わらなかったかもしれません。<br />

    ぎゃ〜っ! なんてこった、この長蛇の列!!

    もっとも、武器庫に近いボロヴィツカヤ塔側のゲート前は、ここまで長蛇の列ではありませんでした。
    それに、チケット売り場のキオスクはいくつかあって、チケットはほとんど並ばずにすぐに買えました。

    開館15分前にやってきて、入場できたのは10時30分でしたから、計45分待ちました。
    クレムリンもエルミタージュ美術館みたいに、チケットのネット販売とかすればもっとスムーズに入場できるのでは、と思っていたものですが、列の進みがのろかったのはセキュリティ・チェックのせいなので、あまり意味がなかったでしょう。
    実際、チケットはすぐに買えたのですから。

    チケット代は、共通券は350ループル、武器庫は900ルーブル。
    ダイヤモンド庫のチケットは、武器庫内のダイヤモンド庫の入口で購入。500ルーブル。
    (2013年7月現在、1ルーブル=約35円で換算)

    私が入場した武器庫に近いボロヴィツカヤ塔のゲート前の行列は、ここスパスカヤ塔のゲート前に比べるとずっとマイルドでした。
    でも、いまから思うに、ボロヴィツカヤ塔のゲートは1ヶ所のみで、セキュリティ・チェックも1人でやっていたのに対し、トロイツカヤ塔のゲートは同時に何人か入場できるようになっていたので、ボロヴィツカヤ塔のゲート前の方がトロツイカヤ塔の方ほど長蛇の列ではなくても(それでも十分長蛇の列でしたけど)、入れるまで待たされる時間は変わらなかったかもしれません。

  • 武器庫に近いボロヴィツカヤ塔ゲート前の行列<br /><br />チケットブースで武器庫のチケットも同時に買ったので、ボロヴィツカヤ塔の方に行くように言われました。<br />天気予報をチェックしたところ、天気が良いのは午前中なので、武器庫を後回しに、教会広場を先に回りたいと思ったのですが……チケットには武器庫の入場時間が印字されてしまっていたし、博物館を先に回らないと疲れてしまうので、チケット売り場の人に言われたとおり、武器庫から見学することにしました。<br /><br />10時からきちんと開場されたようですが、セキュリティ・チェックは1箇所で、1人で行われていたので、進みがのろくて、入場できたのは10時30分でした。<br /><br />入場を待っていた間、欧米系の旅行者の中には、列を無視して先に行こうとするヒンシュクな人たちもいました。<br />でも、ちょうど私の前には、日本人ツアーグループを率いたロシア人ガイドさんがいて、そういう人たちには後ろに並ぶように注意していました。<br />長蛇の列にうんざりし、入るまでなかなか進まない列にいらいらしていたのは、みんな同じなのです。<br /><br />警備の人の中には、セキュリティ・チェックを見ていただけの人たちもいたので、手分けしてやればいいのに、とうらめしく思ったりもしました。<br />でも、それはせっかちで合理性を優先する日本的発想なのであり、各人が自分に割り当てられた役割を逸脱しないのがロシア式でしょうから、仕方がありません。

    武器庫に近いボロヴィツカヤ塔ゲート前の行列

    チケットブースで武器庫のチケットも同時に買ったので、ボロヴィツカヤ塔の方に行くように言われました。
    天気予報をチェックしたところ、天気が良いのは午前中なので、武器庫を後回しに、教会広場を先に回りたいと思ったのですが……チケットには武器庫の入場時間が印字されてしまっていたし、博物館を先に回らないと疲れてしまうので、チケット売り場の人に言われたとおり、武器庫から見学することにしました。

    10時からきちんと開場されたようですが、セキュリティ・チェックは1箇所で、1人で行われていたので、進みがのろくて、入場できたのは10時30分でした。

    入場を待っていた間、欧米系の旅行者の中には、列を無視して先に行こうとするヒンシュクな人たちもいました。
    でも、ちょうど私の前には、日本人ツアーグループを率いたロシア人ガイドさんがいて、そういう人たちには後ろに並ぶように注意していました。
    長蛇の列にうんざりし、入るまでなかなか進まない列にいらいらしていたのは、みんな同じなのです。

    警備の人の中には、セキュリティ・チェックを見ていただけの人たちもいたので、手分けしてやればいいのに、とうらめしく思ったりもしました。
    でも、それはせっかちで合理性を優先する日本的発想なのであり、各人が自分に割り当てられた役割を逸脱しないのがロシア式でしょうから、仕方がありません。

  • 入場を待つ間にクレムリンの外から撮ったボロヴィツカヤ等<br /><br />大きなバッグをもっているとクレムリンには入場できません。<br />荷物預かり所に預けなくてはなりませんし、その荷物預かり所はスパスカヤ塔のゲート前のクスタフィア塔にあるそうです。<br />なので、いつも持ち歩く荷物が多い私でも、本日は私にしてはごくごく少量にまとめました。<br />バッグは、A4サイズより一回り大きいくらいの、ルーズリーフノート代わりにしているエディターズガイドバックと一眼レフのカメラバッグのみとし、折りたたみのカサはエディターズガイドバックにぶらさげました。<br />細々した必要なもの───トイレ用のティッシュとか!───は全て夏用ジャケットのポケットに入れました。<br />ガイドブックは「地球の歩き方」とLonely Planetですが、歩き方は分冊済み、Lonely PlanetはPDF版を購入したので、モスクワ部分のプリントアウトだけ持参。<br />なのでそんなにかさばりませんでした。

    入場を待つ間にクレムリンの外から撮ったボロヴィツカヤ等

    大きなバッグをもっているとクレムリンには入場できません。
    荷物預かり所に預けなくてはなりませんし、その荷物預かり所はスパスカヤ塔のゲート前のクスタフィア塔にあるそうです。
    なので、いつも持ち歩く荷物が多い私でも、本日は私にしてはごくごく少量にまとめました。
    バッグは、A4サイズより一回り大きいくらいの、ルーズリーフノート代わりにしているエディターズガイドバックと一眼レフのカメラバッグのみとし、折りたたみのカサはエディターズガイドバックにぶらさげました。
    細々した必要なもの───トイレ用のティッシュとか!───は全て夏用ジャケットのポケットに入れました。
    ガイドブックは「地球の歩き方」とLonely Planetですが、歩き方は分冊済み、Lonely PlanetはPDF版を購入したので、モスクワ部分のプリントアウトだけ持参。
    なのでそんなにかさばりませんでした。

  • ボロヴィツカヤ塔付近から眺めたクレムリンの城壁のすぐ外の様子<br /><br />入場待ちの間、ガイドブックでもう一度クレムリンについて予習する以外はすることがなかったので、列で待っている位置で写真を撮れないか、ついあれこれ試してしまいました。<br />でも、同じような位置から撮ることになるので、似たような写真が何枚も(苦笑)。<br />

    ボロヴィツカヤ塔付近から眺めたクレムリンの城壁のすぐ外の様子

    入場待ちの間、ガイドブックでもう一度クレムリンについて予習する以外はすることがなかったので、列で待っている位置で写真を撮れないか、ついあれこれ試してしまいました。
    でも、同じような位置から撮ることになるので、似たような写真が何枚も(苦笑)。

  • クレムリン内から眺めたボロヴィツカヤ塔<br /><br />開場の10時から30分、合計45分待って、やっと入場できました。<br />天気がよいうちに教会広場で撮影したかっけれど、先に武器庫の宝物を見学することにしました。<br />そのあと、ダイヤモンド庫も見学しました。<br />見学時間は、武器庫は13時35分から12時5分、ダイヤモンド庫は12時20分から12時50分。<br />撮影不可なので、写真はありません。

    クレムリン内から眺めたボロヴィツカヤ塔

    開場の10時から30分、合計45分待って、やっと入場できました。
    天気がよいうちに教会広場で撮影したかっけれど、先に武器庫の宝物を見学することにしました。
    そのあと、ダイヤモンド庫も見学しました。
    見学時間は、武器庫は13時35分から12時5分、ダイヤモンド庫は12時20分から12時50分。
    撮影不可なので、写真はありません。

  • 武器庫とダイヤモンド庫の見学を終えて、教会広場に向かう前に眺めたボロヴィツカヤ塔と、彼方のキリスト救世主教会<br /><br />武器庫とダイヤモンド庫を見学している間に太陽の位置が変わったので、ボロヴィツカヤ塔が少し影になってしまいました。<br />しかし、天気予報は見事にはずれ(というか、変化が激しいので当たらない日も多かったです)、天気がよいままです、バンザーイ!!

    武器庫とダイヤモンド庫の見学を終えて、教会広場に向かう前に眺めたボロヴィツカヤ塔と、彼方のキリスト救世主教会

    武器庫とダイヤモンド庫を見学している間に太陽の位置が変わったので、ボロヴィツカヤ塔が少し影になってしまいました。
    しかし、天気予報は見事にはずれ(というか、変化が激しいので当たらない日も多かったです)、天気がよいままです、バンザーイ!!

  • 豪勢な大クレムリン宮殿を眺めながら教会広場へ向かう<br /><br />「歴代皇帝の御所クレムリン宮殿の跡に造られた大クレムリン宮殿<br /> かつて、クレムリン南西部のボロヴィツカヤ丘にはクレムリン宮殿があり、4階には皇帝が居住していた。玉座の間の中央の窓は「嘆願の窓」と呼ばれ、ここからつるされた長い紐の端に箱が付いていた。江戸時代の目安箱のように、誰でも皇帝へのお願いを文書にして入れることができた。箱は“ドールギー”と呼ばれたが、「長い」という意味である。それはこの嘆願書が壮麗な文章に満ちあふれ、異常に長かったからだ。<br /> 1812年にこのクレムリン宮殿が焼失した後、同じ場所に、チチャゴフ、ゲラシモフ、バカレフ、リヒテル、トーンなどロシア人建築家たちによって大クレムリン宮殿が建設された(1838〜1849年)。グラノヴィータヤ宮殿、皇后の黄金部屋、テレムノイ宮殿などの建物を組み込み、700の部屋は2万本のロウソクで照らされていた。<br /> 19世紀の家具、シャンデリア、絨毯、楽器、絵画、彫刻など傑作がふんだんにちりばめられ、パリのルーブル宮殿に劣らぬ豪華さを誇っていた。また、1934年に改築された際には、3000人収容のソ連最高会議場(現ロシア国会議場)が建設されている。<br /> 主要ないくつかのホールには、エカテリーナ勲章の間、ウラジーミル勲章の間などロシアの勲章の名が冠されている。そのうち最も美しいのはゲオルギー勲章の間だろう。<br /> 現在、大クレムリン宮殿は、外国政府要人や国家元首との会見に用いられているため、一般には公開されていない。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)<br />

    豪勢な大クレムリン宮殿を眺めながら教会広場へ向かう

    「歴代皇帝の御所クレムリン宮殿の跡に造られた大クレムリン宮殿
     かつて、クレムリン南西部のボロヴィツカヤ丘にはクレムリン宮殿があり、4階には皇帝が居住していた。玉座の間の中央の窓は「嘆願の窓」と呼ばれ、ここからつるされた長い紐の端に箱が付いていた。江戸時代の目安箱のように、誰でも皇帝へのお願いを文書にして入れることができた。箱は“ドールギー”と呼ばれたが、「長い」という意味である。それはこの嘆願書が壮麗な文章に満ちあふれ、異常に長かったからだ。
     1812年にこのクレムリン宮殿が焼失した後、同じ場所に、チチャゴフ、ゲラシモフ、バカレフ、リヒテル、トーンなどロシア人建築家たちによって大クレムリン宮殿が建設された(1838〜1849年)。グラノヴィータヤ宮殿、皇后の黄金部屋、テレムノイ宮殿などの建物を組み込み、700の部屋は2万本のロウソクで照らされていた。
     19世紀の家具、シャンデリア、絨毯、楽器、絵画、彫刻など傑作がふんだんにちりばめられ、パリのルーブル宮殿に劣らぬ豪華さを誇っていた。また、1934年に改築された際には、3000人収容のソ連最高会議場(現ロシア国会議場)が建設されている。
     主要ないくつかのホールには、エカテリーナ勲章の間、ウラジーミル勲章の間などロシアの勲章の名が冠されている。そのうち最も美しいのはゲオルギー勲章の間だろう。
     現在、大クレムリン宮殿は、外国政府要人や国家元首との会見に用いられているため、一般には公開されていない。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • 振り返って眺めたボロヴィツカヤ塔と武器庫<br /><br />こうして見ると武器庫と大クレムリン宮殿はよく似ていますが、別の建物です。<br />武器庫と大クレムリン宮殿の間の歩道は通せんぼされていて、チケット(共通券)を見せないと進めないようになっていました。<br />13年前もそうだったかしら。

    振り返って眺めたボロヴィツカヤ塔と武器庫

    こうして見ると武器庫と大クレムリン宮殿はよく似ていますが、別の建物です。
    武器庫と大クレムリン宮殿の間の歩道は通せんぼされていて、チケット(共通券)を見せないと進めないようになっていました。
    13年前もそうだったかしら。

  • 教会広場を囲む教会群───ブラゴヴェシチェンスキー聖堂(左)とアルハンゲリスキー聖堂(右)とイワン大帝の鐘楼(奥)が見えてきた@<br /><br />ここを進むと、いよいよ教会広場(聖堂広場、ソボルナヤ・プローシャチ)に出ます。<br /><br />「聖堂に囲まれた広場 聖堂広場<br /> クレムリン観光の中心となる広場で、1年を通じて観光客でにぎわっている。<br /> 聖堂広場は帝政時代から、ロシア正教の数々の行事や皇帝の戴冠式なども行われ、外国からの使節を招く場所でもあった。現在もしばしば行事や祭典が行われる。文字どおり聖堂に囲まれた広場の真ん中に立ち、四方を見渡しながら歴史の重みを感じてみよう。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

    教会広場を囲む教会群───ブラゴヴェシチェンスキー聖堂(左)とアルハンゲリスキー聖堂(右)とイワン大帝の鐘楼(奥)が見えてきた@

    ここを進むと、いよいよ教会広場(聖堂広場、ソボルナヤ・プローシャチ)に出ます。

    「聖堂に囲まれた広場 聖堂広場
     クレムリン観光の中心となる広場で、1年を通じて観光客でにぎわっている。
     聖堂広場は帝政時代から、ロシア正教の数々の行事や皇帝の戴冠式なども行われ、外国からの使節を招く場所でもあった。現在もしばしば行事や祭典が行われる。文字どおり聖堂に囲まれた広場の真ん中に立ち、四方を見渡しながら歴史の重みを感じてみよう。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • 3つの教会のドームが迫ってくる!<br /><br />右は、アルハンゲリスキー聖堂の黄金ドーム群の1つ、中央の1番高いドームはイワン大帝の鐘楼のもの、右の銀色のドームはアルハンゲリスキー聖堂のドーム群の1つです。<br />イワン大帝の鐘楼は上れないようでした。

    3つの教会のドームが迫ってくる!

    右は、アルハンゲリスキー聖堂の黄金ドーム群の1つ、中央の1番高いドームはイワン大帝の鐘楼のもの、右の銀色のドームはアルハンゲリスキー聖堂のドーム群の1つです。
    イワン大帝の鐘楼は上れないようでした。

  • 堂々たるウスペンスキー大聖堂<br /><br />奥に見える銀のドーム群のある建物は、パトリアーシェ宮殿です。<br />ウスペンスキー大聖堂とは、被昇天の意味です。<br />マリアは死後、イエスに導かれて昇天するので、「被」昇天。<br /><br />「かつてのロシア帝国の国教大聖堂 ウスペンスキー大聖堂<br /> クレムリンの中心に建つ大聖堂。かつてロシア帝国の国教大聖堂として、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所である。<br /> イワン・カリタ公(イワン1世)により建てられた最初のウスペンスキー大聖堂が1474年の地震で倒壊した後、イタリアの名匠アリストーテリ・フィオラバンティの設計で1479年に再建された。当時モスクワのライバルだった古都ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂を模範として建てられたといわれる。<br /> 大聖堂の壁と屋根はイコンとフレスコ画で飾られているが、イコンをここに描き残した僧の数はおよそ1000人に及ぶといわれる。なかでも見ものは12世紀の聖ゲオルギー像と13〜14世紀の聖三位一体像。また、かつては有名なイコン『ウラジーミルの聖母』もこの大聖堂に保存されていた。<br /> 祭壇を背にして中央右側に双頭の鷲をいただく皇后の御座、そして左側には1551年作のイワン雷帝の玉座が配置されている。イワン雷帝の玉座には、ルーシの領土を北方に拡大したウラジーミル・モノマフ公の戦歴が掘り込まれている。祭壇と向き合う壁際には、府主教と総主教の霊廟が置かれている。<br /> 堂内を照らす銀のシャンデリアは、ナポレオン軍が盗み出した300kgの金と5トンの銀を奪い返して作ったといわれる。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

    堂々たるウスペンスキー大聖堂

    奥に見える銀のドーム群のある建物は、パトリアーシェ宮殿です。
    ウスペンスキー大聖堂とは、被昇天の意味です。
    マリアは死後、イエスに導かれて昇天するので、「被」昇天。

    「かつてのロシア帝国の国教大聖堂 ウスペンスキー大聖堂
     クレムリンの中心に建つ大聖堂。かつてロシア帝国の国教大聖堂として、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所である。
     イワン・カリタ公(イワン1世)により建てられた最初のウスペンスキー大聖堂が1474年の地震で倒壊した後、イタリアの名匠アリストーテリ・フィオラバンティの設計で1479年に再建された。当時モスクワのライバルだった古都ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂を模範として建てられたといわれる。
     大聖堂の壁と屋根はイコンとフレスコ画で飾られているが、イコンをここに描き残した僧の数はおよそ1000人に及ぶといわれる。なかでも見ものは12世紀の聖ゲオルギー像と13〜14世紀の聖三位一体像。また、かつては有名なイコン『ウラジーミルの聖母』もこの大聖堂に保存されていた。
     祭壇を背にして中央右側に双頭の鷲をいただく皇后の御座、そして左側には1551年作のイワン雷帝の玉座が配置されている。イワン雷帝の玉座には、ルーシの領土を北方に拡大したウラジーミル・モノマフ公の戦歴が掘り込まれている。祭壇と向き合う壁際には、府主教と総主教の霊廟が置かれている。
     堂内を照らす銀のシャンデリアは、ナポレオン軍が盗み出した300kgの金と5トンの銀を奪い返して作ったといわれる。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • すっとそびえるイワン大帝の鐘楼と隣接の建物<br /><br />隣接の建物では、修復された教会宝物展をやっていました。<br /><br />「かつてはモスクワで一番高い塔だったイワン大帝の鐘楼<br /> イワン雷帝(イワン4世)の頃、モスクワにこれ以上高い建物はなかった。それは、誰もこの建物より高い建築物を建てる権利がなかったからだ。<br /> イタリアの建築家フリアツィンが1505〜1508年にかけて本体を建て、ペトロフ・マリーが1532〜1543年にかけて八面体の鐘楼をつけ加えて完成した。ナポレオンがモスクワから敗退する際に鐘楼の爆破を命じたが、18個の鐘は残った。1992年の復活祭を機に、教会として機能を再開している。鐘楼の高さは81m。<br /> なお、1階ではしばしば、さまざまな特別展が開かれている。クレムリンゆかりの品の特別展であったり、海外から招いた美術展であったりする。別途入場料が必要だったり、共通券で入場可能だったりとまちまちなので、その都度確認しよう。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

    すっとそびえるイワン大帝の鐘楼と隣接の建物

    隣接の建物では、修復された教会宝物展をやっていました。

    「かつてはモスクワで一番高い塔だったイワン大帝の鐘楼
     イワン雷帝(イワン4世)の頃、モスクワにこれ以上高い建物はなかった。それは、誰もこの建物より高い建築物を建てる権利がなかったからだ。
     イタリアの建築家フリアツィンが1505〜1508年にかけて本体を建て、ペトロフ・マリーが1532〜1543年にかけて八面体の鐘楼をつけ加えて完成した。ナポレオンがモスクワから敗退する際に鐘楼の爆破を命じたが、18個の鐘は残った。1992年の復活祭を機に、教会として機能を再開している。鐘楼の高さは81m。
     なお、1階ではしばしば、さまざまな特別展が開かれている。クレムリンゆかりの品の特別展であったり、海外から招いた美術展であったりする。別途入場料が必要だったり、共通券で入場可能だったりとまちまちなので、その都度確認しよう。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • 黄金ドームの下の部分に文字が刻まれたイワン大帝の鐘楼の上部<br /><br />「聖三者のお許しを得て、全ロシアの専制君主ボリス・フョードロヴィチ(ゴドゥノフ)大帝と彼の息子フョードルの命令により、この聖堂に立てられ、1600年に金めっきとされた」と書かれているそうです。<br />クレムリンで買った日本語のパンフレット「モスクワのクレムリン」より。<br />

    黄金ドームの下の部分に文字が刻まれたイワン大帝の鐘楼の上部

    「聖三者のお許しを得て、全ロシアの専制君主ボリス・フョードロヴィチ(ゴドゥノフ)大帝と彼の息子フョードルの命令により、この聖堂に立てられ、1600年に金めっきとされた」と書かれているそうです。
    クレムリンで買った日本語のパンフレット「モスクワのクレムリン」より。

  • 黄金ドーム群のウスペンスキー大聖堂と、銀のドーム群のパトリアーシェ宮殿<br />

    黄金ドーム群のウスペンスキー大聖堂と、銀のドーム群のパトリアーシェ宮殿

  • 教会広場側のウスペンスキー大聖堂の聖母子と聖人たちと天使の壁画<br /><br />扉のアーチもすばらしいです。

    教会広場側のウスペンスキー大聖堂の聖母子と聖人たちと天使の壁画

    扉のアーチもすばらしいです。

  • ななめから眺めたウスペンスキー大聖堂<br /><br />奥にテレムノイ宮殿のカラフルなドームが見えるアングル。

    ななめから眺めたウスペンスキー大聖堂

    奥にテレムノイ宮殿のカラフルなドームが見えるアングル。

  • ウスペンスキー大聖堂のイコノスタシス(イコンの壁)の礼拝堂側の外壁<br />

    ウスペンスキー大聖堂のイコノスタシス(イコンの壁)の礼拝堂側の外壁

  • アーチの下の聖母子礼賛の壁画

    アーチの下の聖母子礼賛の壁画

  • アーチの下の天使たちの壁画

    アーチの下の天使たちの壁画

  • 白亜の教会に囲まれた教会広場<br /><br />左はアルハンゲリスキー聖堂。<br />大クレムリン宮殿を背後に、グラヴィータヤ宮殿に隣接しているのはブラゴヴェシチェンスキー聖堂です。<br /><br />思ったより観光客が少なかったので、広場の写真は撮りやすかったですが、教会の中には観光客がぎっしりいました。<br />それに私はのんびり6時間半もクレムリンにいましたが、たいていの人は見学スピードはもっと早く、たくさん入れ替わっていました。<br />

    白亜の教会に囲まれた教会広場

    左はアルハンゲリスキー聖堂。
    大クレムリン宮殿を背後に、グラヴィータヤ宮殿に隣接しているのはブラゴヴェシチェンスキー聖堂です。

    思ったより観光客が少なかったので、広場の写真は撮りやすかったですが、教会の中には観光客がぎっしりいました。
    それに私はのんびり6時間半もクレムリンにいましたが、たいていの人は見学スピードはもっと早く、たくさん入れ替わっていました。

  • グラノヴィータヤ宮殿に隣接したブラゴヴェシチェンスキー聖堂の黄金ドーム群<br />

    グラノヴィータヤ宮殿に隣接したブラゴヴェシチェンスキー聖堂の黄金ドーム群

  • 正面から見上げたブラゴヴェシチェンスキー聖堂の黄金ドーム群<br /><br />ドラマチックな雲間から差す太陽に照らされて、黄金ドームがきらきら光っているタイミングを狙えました。<br />ブラビヴェシチェンスキーとは、受胎告知の意味です。<br /><br />「皇帝の個人礼拝聖堂 ブラゴヴェシチェンスキー聖堂<br /> イワン大帝(イワン3世)の名により、1484〜1489年にモスクワとプスコーフの名匠たちによって建てられた聖堂。グラノヴィータヤ宮殿に隣接し、皇帝自身の礼拝のために使われた。<br /> この教会は、イタリア人の手によるクレムリンのほかの教会に比べて、純ロシア的な色合いが強いといわれる。1547年に火災に見舞われたが、イワン雷帝によって修復されている。このとき拡張された部分が、もとの教会をとりまくポーチで、イワン雷帝のポーチと呼ばれている。<br /> 教会内部を埋め尽くすフレスコ画、イコンも有名だ。1508年にフェオドーシが祭壇周辺に描いたフレスコ画は、何度も上から重ね塗りされたが、1947年に復元されオリジナルを見ることができる。特にドーム天井から下界を見下ろす支配者キリストの像は迫力がある。<br /> 祭壇のイコノスタス(聖障)は15〜16世紀頃のもので、ロシアで最もすばらしいイコノスタスのひとつとされている。それもそのはずで、ギリシアのテオファネス、アンドレイ・ルブリョフ、プローハル・ガロデーツキーといった巨匠たちの作になるイコンが掲げられているのだ。イコノスタス前の床には瑪瑙が敷き詰められているのも注目に値する。<br /> ポーチから教会本体への北西側の扉は、16世紀にイタリアの職人によって作られたアーチに覆われている。細かい植物文様が浮彫にされた見事な作品である。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

    正面から見上げたブラゴヴェシチェンスキー聖堂の黄金ドーム群

    ドラマチックな雲間から差す太陽に照らされて、黄金ドームがきらきら光っているタイミングを狙えました。
    ブラビヴェシチェンスキーとは、受胎告知の意味です。

    「皇帝の個人礼拝聖堂 ブラゴヴェシチェンスキー聖堂
     イワン大帝(イワン3世)の名により、1484〜1489年にモスクワとプスコーフの名匠たちによって建てられた聖堂。グラノヴィータヤ宮殿に隣接し、皇帝自身の礼拝のために使われた。
     この教会は、イタリア人の手によるクレムリンのほかの教会に比べて、純ロシア的な色合いが強いといわれる。1547年に火災に見舞われたが、イワン雷帝によって修復されている。このとき拡張された部分が、もとの教会をとりまくポーチで、イワン雷帝のポーチと呼ばれている。
     教会内部を埋め尽くすフレスコ画、イコンも有名だ。1508年にフェオドーシが祭壇周辺に描いたフレスコ画は、何度も上から重ね塗りされたが、1947年に復元されオリジナルを見ることができる。特にドーム天井から下界を見下ろす支配者キリストの像は迫力がある。
     祭壇のイコノスタス(聖障)は15〜16世紀頃のもので、ロシアで最もすばらしいイコノスタスのひとつとされている。それもそのはずで、ギリシアのテオファネス、アンドレイ・ルブリョフ、プローハル・ガロデーツキーといった巨匠たちの作になるイコンが掲げられているのだ。イコノスタス前の床には瑪瑙が敷き詰められているのも注目に値する。
     ポーチから教会本体への北西側の扉は、16世紀にイタリアの職人によって作られたアーチに覆われている。細かい植物文様が浮彫にされた見事な作品である。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • 銀色ドーム混じりのアルハンゲリスキー聖堂のドーム群<br /><br />ブラゴヴェシチェンスキー聖堂と向かい合っています。<br /><br />「イワン雷帝らの棺が置かれたアルハンゲルスキー聖堂<br /> 軍の守護天使、大天使アルハンゲル・ミハイル(大天使ミカエル)を祀って建てられた教会。現在の建物は、イワン大帝が死の直前に下した命により、ヴェネツィアのイタリア人アレヴィズ・ジュニアの設計で1505年から1508年にかけて建設された。もともと建物は16世紀のロシア建築を踏襲したものだが、設計者がイタリア人だったこともあり、どことなくルネッサンス様式の面影もたたえている。外壁上部の貝殻模様は、この教会にエキゾチックな雰囲気をもたらしている。<br /> 14世紀からこの教会は、歴代のモスクワ公、後にロシア皇帝の遺体安置所となっていて、ピョートル大帝が首都をサンクトペテルブルグに移すまでの間の皇族たち、全部で48の棺が堂内にところ狭しと並べられている。有名なものではイワン雷帝(堂正面右の助祭席の右端の奥にある)、その息子イワン(正面に向かってイワン雷帝の棺の左隣)、フョードル(イワンの左隣。この3つは右奥に並べて置いてあり、イコノスタスの裏なので見学はできない)などがある。イワン雷帝の頭は人類学者ミハイル・ゲラシモフの手により、頭蓋骨の型にプラスチックで肉付けする型で復元されている。<br /> 最古のものは、1340年没のイワン・カリタ公の棺で、正面に向かって壇の手前、最前列の右端にある。中央正面に向かって右側の覆いの下にある棺は、1591年にウーグリチで暗殺されたドミトリー皇子のものである。その裏側にロマノフ王朝最初の皇帝、ミハイル・フォードロヴィチ(1596〜1645年)の棺が置かれている。<br /> イコンでは、14世紀のギリシアのテオファネス作といわれる『大天使アルハンゲル・ミハイル』(イコノスタス下段、中央のドアから右にふたつ目のイコン)が見もの。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

    銀色ドーム混じりのアルハンゲリスキー聖堂のドーム群

    ブラゴヴェシチェンスキー聖堂と向かい合っています。

    「イワン雷帝らの棺が置かれたアルハンゲルスキー聖堂
     軍の守護天使、大天使アルハンゲル・ミハイル(大天使ミカエル)を祀って建てられた教会。現在の建物は、イワン大帝が死の直前に下した命により、ヴェネツィアのイタリア人アレヴィズ・ジュニアの設計で1505年から1508年にかけて建設された。もともと建物は16世紀のロシア建築を踏襲したものだが、設計者がイタリア人だったこともあり、どことなくルネッサンス様式の面影もたたえている。外壁上部の貝殻模様は、この教会にエキゾチックな雰囲気をもたらしている。
     14世紀からこの教会は、歴代のモスクワ公、後にロシア皇帝の遺体安置所となっていて、ピョートル大帝が首都をサンクトペテルブルグに移すまでの間の皇族たち、全部で48の棺が堂内にところ狭しと並べられている。有名なものではイワン雷帝(堂正面右の助祭席の右端の奥にある)、その息子イワン(正面に向かってイワン雷帝の棺の左隣)、フョードル(イワンの左隣。この3つは右奥に並べて置いてあり、イコノスタスの裏なので見学はできない)などがある。イワン雷帝の頭は人類学者ミハイル・ゲラシモフの手により、頭蓋骨の型にプラスチックで肉付けする型で復元されている。
     最古のものは、1340年没のイワン・カリタ公の棺で、正面に向かって壇の手前、最前列の右端にある。中央正面に向かって右側の覆いの下にある棺は、1591年にウーグリチで暗殺されたドミトリー皇子のものである。その裏側にロマノフ王朝最初の皇帝、ミハイル・フォードロヴィチ(1596〜1645年)の棺が置かれている。
     イコンでは、14世紀のギリシアのテオファネス作といわれる『大天使アルハンゲル・ミハイル』(イコノスタス下段、中央のドアから右にふたつ目のイコン)が見もの。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • アルハンゲリスキー聖堂のゲートの一つ<br /><br />教会広場側に面した扉ですが、こちらから出入りはできません。

    アルハンゲリスキー聖堂のゲートの一つ

    教会広場側に面した扉ですが、こちらから出入りはできません。

  • アーチの美しい浮彫り彫刻の一部と鋲打ちの中世らしい扉<br />

    アーチの美しい浮彫り彫刻の一部と鋲打ちの中世らしい扉

  • 龍のデザインに注目

    龍のデザインに注目

  • 広場側のウスペンスキー大聖堂<br /><br />左側にちらっと見えているのはリザパラジェーニヤ教会です。<br />そろそろ教会内部の見学をしましょう。<br />まずはこの2つの教会から。<br />ちなみに、ウスペンスキー大聖堂の入口はリザパラジェーニヤ教会に面した側面にあったのに、私は反対側の右側からぐるっと回ってしまいました。

    広場側のウスペンスキー大聖堂

    左側にちらっと見えているのはリザパラジェーニヤ教会です。
    そろそろ教会内部の見学をしましょう。
    まずはこの2つの教会から。
    ちなみに、ウスペンスキー大聖堂の入口はリザパラジェーニヤ教会に面した側面にあったのに、私は反対側の右側からぐるっと回ってしまいました。

  • ウスペンスキー大聖堂の入口を求めてぐるっと回ってしまった途中〜広場と反対側の扉<br />

    ウスペンスキー大聖堂の入口を求めてぐるっと回ってしまった途中〜広場と反対側の扉

  • この扉のアーチも透かし彫りの扉もすばらしい@<br />

    この扉のアーチも透かし彫りの扉もすばらしい@

  • ウスペンスキー大聖堂内にあった無料の解説資料より〜大聖堂の構造とイコノスタシスが見える内部の一部

    ウスペンスキー大聖堂内にあった無料の解説資料より〜大聖堂の構造とイコノスタシスが見える内部の一部

  • ウスペンスキー大聖堂内にあった無料の解説資料より〜大聖堂内部の俯瞰図<br /><br />教会広場の教会内部は撮影禁止なので、資料のイラストの写真で代わりとします。<br />ウスペンスキー大聖堂は壁にも柱にもイコンがいっぱいで、すばらしかったです。<br />入口側には最後の審判の壁画。左右の壁や天井には聖母マリアの生涯。<br />眺めれば眺めるほど発見があるというかんじでした。<br />聖なる場所と信者が入れる俗なる世界の境界となっているイコンの壁イコノスタシスは、天井まで届いていて、イコンでぎっしりで、門は5つもありました。<br />

    ウスペンスキー大聖堂内にあった無料の解説資料より〜大聖堂内部の俯瞰図

    教会広場の教会内部は撮影禁止なので、資料のイラストの写真で代わりとします。
    ウスペンスキー大聖堂は壁にも柱にもイコンがいっぱいで、すばらしかったです。
    入口側には最後の審判の壁画。左右の壁や天井には聖母マリアの生涯。
    眺めれば眺めるほど発見があるというかんじでした。
    聖なる場所と信者が入れる俗なる世界の境界となっているイコンの壁イコノスタシスは、天井まで届いていて、イコンでぎっしりで、門は5つもありました。

  • ウスペンスキー大聖堂の窓に映ったテレムノイ宮殿のドームの一つ<br />

    ウスペンスキー大聖堂の窓に映ったテレムノイ宮殿のドームの一つ

  • 次にウスペンスキー大聖堂の隣のリザパラジェーニヤ教会へ<br /><br />左は非公開のテレムノイ宮殿です。<br />リザパラジェーニヤとは、聖母マリアのガウンという意味。<br />もともと、5世紀、パレスチナからコンスタンチノープルに聖母マリアのガウンが持ち出され、そのガウンのおかげで町が敵から守られ、征服されずにすんだという伝説があって、聖母のガウンをささげるという祝祭があったそうです。<br />同じような伝説がモスクワにもあって、1451年、タタール人にモスクワが包囲されて、一晩で消えてしまったため、感謝をこめて聖母のガウンをささげる祝祭が行なわれ、それに捧げられた教会のようです。<br /><br />「皇帝の礼拝所だったリザパラジェーニヤ教会<br /> ウスペンスキー大聖堂の西側にある、クレムリン内にしては小さめの教会。15世紀後半にプスコーフの建築家によって建てられて、皇帝の礼拝所として使われていた。<br /> 教会内部は17世紀に描かれた壁画で覆われて、古い木彫り細工が展示されている。ウスペンスキー大聖堂の影に隠れて見落とされちだが、壁に描かれたフレスコ画は見ごたえ充分。見学し忘れないようにしたい。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

    次にウスペンスキー大聖堂の隣のリザパラジェーニヤ教会へ

    左は非公開のテレムノイ宮殿です。
    リザパラジェーニヤとは、聖母マリアのガウンという意味。
    もともと、5世紀、パレスチナからコンスタンチノープルに聖母マリアのガウンが持ち出され、そのガウンのおかげで町が敵から守られ、征服されずにすんだという伝説があって、聖母のガウンをささげるという祝祭があったそうです。
    同じような伝説がモスクワにもあって、1451年、タタール人にモスクワが包囲されて、一晩で消えてしまったため、感謝をこめて聖母のガウンをささげる祝祭が行なわれ、それに捧げられた教会のようです。

    「皇帝の礼拝所だったリザパラジェーニヤ教会
     ウスペンスキー大聖堂の西側にある、クレムリン内にしては小さめの教会。15世紀後半にプスコーフの建築家によって建てられて、皇帝の礼拝所として使われていた。
     教会内部は17世紀に描かれた壁画で覆われて、古い木彫り細工が展示されている。ウスペンスキー大聖堂の影に隠れて見落とされちだが、壁に描かれたフレスコ画は見ごたえ充分。見学し忘れないようにしたい。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • リザパラジェーニヤ教会内にあった無料の解説資料より〜大聖堂の構造とイコノスタシスが見える内部の一部

    リザパラジェーニヤ教会内にあった無料の解説資料より〜大聖堂の構造とイコノスタシスが見える内部の一部

  • リザパラジェーニヤ教会内にあった無料の解説資料より〜教会内の俯瞰図<br /><br />教会広場の中では一番小さな教会でしたが、イコンぎっしりのイコノスタシスと壁画のすばらしさは他の教会にひけをとりませんでした。<br />

    リザパラジェーニヤ教会内にあった無料の解説資料より〜教会内の俯瞰図

    教会広場の中では一番小さな教会でしたが、イコンぎっしりのイコノスタシスと壁画のすばらしさは他の教会にひけをとりませんでした。

  • リザパラジェーニヤ教会の奥のテレムノイ宮殿のカラフル・ドーム群<br />

    リザパラジェーニヤ教会の奥のテレムノイ宮殿のカラフル・ドーム群

  • テレムノイ宮殿のカラフル・ドーム群とリザパラジェーニヤ教会<br />

    テレムノイ宮殿のカラフル・ドーム群とリザパラジェーニヤ教会

  • ウスペンスキー大聖堂を左手に、イワンの鐘楼が正面に<br /><br />リザパラジェーニヤ教会を後にして教会広場に戻る途中。

    ウスペンスキー大聖堂を左手に、イワンの鐘楼が正面に

    リザパラジェーニヤ教会を後にして教会広場に戻る途中。

  • 教会広場に面したウスペンスキー大聖堂の扉の美しいアーチをもう一度<br />

    教会広場に面したウスペンスキー大聖堂の扉の美しいアーチをもう一度

  • 教会広場に面したウスペンスキー大聖堂の美しい扉をもう一度<br />

    教会広場に面したウスペンスキー大聖堂の美しい扉をもう一度

  • どことなくアールヌーヴォチックな聖母子と天使と聖人たちの壁画<br />

    どことなくアールヌーヴォチックな聖母子と天使と聖人たちの壁画

  • 次にブラゴヴェシチェンスキー聖堂へ

    次にブラゴヴェシチェンスキー聖堂へ

  • ブラゴヴェシチェンスキー聖堂のアーチの下の壁画

    ブラゴヴェシチェンスキー聖堂のアーチの下の壁画

  • 聖母子と聖人たちの壁画

    聖母子と聖人たちの壁画

  • 金ぴかのブラゴヴェシチェンスキー聖堂のドーム群・その1<br />

    金ぴかのブラゴヴェシチェンスキー聖堂のドーム群・その1

  • 金ぴかのブラゴヴェシチェンスキー聖堂のドーム群・その2<br />

    金ぴかのブラゴヴェシチェンスキー聖堂のドーム群・その2

  • 金ぴかのブラゴヴェシチェンスキー聖堂と入口の階段(左端)<br />

    金ぴかのブラゴヴェシチェンスキー聖堂と入口の階段(左端)

  • ブラゴヴェシチェンスキー聖堂内にあった無料の解説資料より〜イコノスタシスと増築された廊下部分が見える内部の一部

    ブラゴヴェシチェンスキー聖堂内にあった無料の解説資料より〜イコノスタシスと増築された廊下部分が見える内部の一部

  • ブラゴヴェシチェンスキー聖堂内にあった無料の解説資料より〜聖堂内部の俯瞰図<br /><br />壁のフレスコ画は少し薄かったですが、復元されたオリジナルだろうと思います。<br />イコノスタシスの枠はシンプルでしたが、イコンは有名なイコン画家が執筆したもののオンパレードで、豪勢でした。

    ブラゴヴェシチェンスキー聖堂内にあった無料の解説資料より〜聖堂内部の俯瞰図

    壁のフレスコ画は少し薄かったですが、復元されたオリジナルだろうと思います。
    イコノスタシスの枠はシンプルでしたが、イコンは有名なイコン画家が執筆したもののオンパレードで、豪勢でした。

  • ブラゴヴェシェンスキーの入口から眺めたタイニツカヤ塔(秘密の塔)<br /><br />名前の由来はモスクワ川に通じる秘密の通路があったからだそうです。

    ブラゴヴェシェンスキーの入口から眺めたタイニツカヤ塔(秘密の塔)

    名前の由来はモスクワ川に通じる秘密の通路があったからだそうです。

  • 向かいのアルハンゲリスキー聖堂とイワン大帝の鐘楼<br />

    向かいのアルハンゲリスキー聖堂とイワン大帝の鐘楼

  • 次にアルハンゲリスキー聖堂に入る

    次にアルハンゲリスキー聖堂に入る

  • アルハンゲリスキー聖堂の影から眺めたイワン大帝の鐘楼

    アルハンゲリスキー聖堂の影から眺めたイワン大帝の鐘楼

  • イワン大帝の鐘楼に隣接した建物

    イワン大帝の鐘楼に隣接した建物

  • アルハンゲリスキー聖堂の入口アーチ下の壁画・その1

    アルハンゲリスキー聖堂の入口アーチ下の壁画・その1

  • アルハンゲリスキー聖堂の入口アーチ下の壁画・その2<br /><br />壁画の主題は、最後の審判のようです。<br />右側の地獄図が不鮮明なので分かりにくいです。<br />

    アルハンゲリスキー聖堂の入口アーチ下の壁画・その2

    壁画の主題は、最後の審判のようです。
    右側の地獄図が不鮮明なので分かりにくいです。

  • アルハンゲリスキー聖堂内にあった無料の解説資料より〜イコノスタシスと歴代のモスクワ公やロシア皇帝の棺が見られる内部の一部

    アルハンゲリスキー聖堂内にあった無料の解説資料より〜イコノスタシスと歴代のモスクワ公やロシア皇帝の棺が見られる内部の一部

  • アルハンゲリスキー聖堂内にあった無料の解説資料より〜聖堂内部の俯瞰図<br /><br />歴代の皇帝の棺は、時代が違うだけあって、いろんな形のものがあったようですが、一律に同じケースに保存されてしまっていました。<br />棺のせいでスペースをとられて、聖堂内は狭く感じられました。<br />「地球の歩き方」にあったイワン雷帝らの棺は一応確認しました。

    アルハンゲリスキー聖堂内にあった無料の解説資料より〜聖堂内部の俯瞰図

    歴代の皇帝の棺は、時代が違うだけあって、いろんな形のものがあったようですが、一律に同じケースに保存されてしまっていました。
    棺のせいでスペースをとられて、聖堂内は狭く感じられました。
    「地球の歩き方」にあったイワン雷帝らの棺は一応確認しました。

  • 大砲の皇帝<br /><br />背後の建物はパトリアーシェ宮殿です。<br /><br />「一度も発砲されなかった大砲の皇帝<br /> 1586年にアンドレイ・チョホフによって鋳造されたブロンズ製の大砲で、口径890mm、重量40トン。当時としては世界最大の口径を誇っていた。初めは赤の広場の高台に設置され、後にクレムリン内のスパスカヤ塔に通じる道に設置されている。しかし、幸か不幸か、今まで一度も発砲されたことがない。ちなみに大砲の前におかれた弾丸は飾りで、19世紀に造られたもの。ひとつでも1トンもの重さがあるという。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

    大砲の皇帝

    背後の建物はパトリアーシェ宮殿です。

    「一度も発砲されなかった大砲の皇帝
     1586年にアンドレイ・チョホフによって鋳造されたブロンズ製の大砲で、口径890mm、重量40トン。当時としては世界最大の口径を誇っていた。初めは赤の広場の高台に設置され、後にクレムリン内のスパスカヤ塔に通じる道に設置されている。しかし、幸か不幸か、今まで一度も発砲されたことがない。ちなみに大砲の前におかれた弾丸は飾りで、19世紀に造られたもの。ひとつでも1トンもの重さがあるという。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • 大砲の皇帝と教会広場<br /><br />手前にウスペンスキー大聖堂、奥にブラゴヴェシチェンスキー聖堂が入るように撮りました。

    大砲の皇帝と教会広場

    手前にウスペンスキー大聖堂、奥にブラゴヴェシチェンスキー聖堂が入るように撮りました。

  • ライオンの浮彫りのある大砲の皇帝と弾丸<br />

    ライオンの浮彫りのある大砲の皇帝と弾丸

  • 大砲の皇帝を、台座と共に横から眺めたところ<br />

    大砲の皇帝を、台座と共に横から眺めたところ

  • 教会広場のウスペンスキー大聖堂側に戻り<br />

    教会広場のウスペンスキー大聖堂側に戻り

  • イワン大帝の鐘楼に隣接した建物の企画展を見に行く<br /><br />教会宝物の修復を紹介する企画展で、共通券で入れました。<br />厳密には教会宝物だけでなく、昔のロシア皇帝のものと思われる衣装の展示もありました。<br />一部の展示には、修復前の部分を残していて、どのくらい痛んでいたか、それがどのくらいきれいに修復されたか、その効果が分かりやすくなっていました。<br />全部が修復前・修復後を比べられる展示だったらもっとわかりやすかったのに、と思いました。<br />

    イワン大帝の鐘楼に隣接した建物の企画展を見に行く

    教会宝物の修復を紹介する企画展で、共通券で入れました。
    厳密には教会宝物だけでなく、昔のロシア皇帝のものと思われる衣装の展示もありました。
    一部の展示には、修復前の部分を残していて、どのくらい痛んでいたか、それがどのくらいきれいに修復されたか、その効果が分かりやすくなっていました。
    全部が修復前・修復後を比べられる展示だったらもっとわかりやすかったのに、と思いました。

  • 最後にパトリアーシェ宮殿を見学する<br /><br />「17世紀ロシア工芸博物館 パトリアーシェ宮殿<br /> ウスペンスキー大聖堂の北側にある、ロシア正教の総主教の宮殿。建築年不詳。17世紀に総主教ニコン(1605〜1681年)によって改築され、宮殿に接続する形で新たに十二使徒教会が築かれた。<br /> ニコンは宗教改革を断行した総主教として知られる。反対する聖職者や信者を多く破門したことで古儀式派(ラスコーリニキ)などの分派を作ってしまい、結果としてロシア正教の力を弱める役割を果たすことになった。5つの丸屋根をもつ十二使徒教会は1656年の建築。ニコンは外国の影響を受けたほかの教会を嫌い、この純ロシア的な教会を礼拝用に使ったという。<br /> 現在は17世紀ロシアの工芸博物館として使われ、祭服や聖具、銀器など精緻な品々が数多く展示されている。」<br />(「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)<br />

    最後にパトリアーシェ宮殿を見学する

    「17世紀ロシア工芸博物館 パトリアーシェ宮殿
     ウスペンスキー大聖堂の北側にある、ロシア正教の総主教の宮殿。建築年不詳。17世紀に総主教ニコン(1605〜1681年)によって改築され、宮殿に接続する形で新たに十二使徒教会が築かれた。
     ニコンは宗教改革を断行した総主教として知られる。反対する聖職者や信者を多く破門したことで古儀式派(ラスコーリニキ)などの分派を作ってしまい、結果としてロシア正教の力を弱める役割を果たすことになった。5つの丸屋根をもつ十二使徒教会は1656年の建築。ニコンは外国の影響を受けたほかの教会を嫌い、この純ロシア的な教会を礼拝用に使ったという。
     現在は17世紀ロシアの工芸博物館として使われ、祭服や聖具、銀器など精緻な品々が数多く展示されている。」
    (「地球の歩き方 ロシア(2012〜2013年版)」より)

  • パトリアーシェ宮殿内にあった無料の解説資料より〜工芸博物館となった聖堂の内部の一部<br />

    パトリアーシェ宮殿内にあった無料の解説資料より〜工芸博物館となった聖堂の内部の一部

  • パトリアーシェ宮殿内にあった無料の解説資料より〜宮殿内部の俯瞰図<br /><br />ラストにはハイライトとしてオリジナルらしき、とても豪華なイコノスタシスがでーんとあってすばらしかったです。<br />工芸や宝物もすばらしく、ごく一部ですが武器庫にあった宝物と似たようものもあったので、武器庫に入る時間がなくても、ちょびっとだけ代わりになるかもしれません。

    パトリアーシェ宮殿内にあった無料の解説資料より〜宮殿内部の俯瞰図

    ラストにはハイライトとしてオリジナルらしき、とても豪華なイコノスタシスがでーんとあってすばらしかったです。
    工芸や宝物もすばらしく、ごく一部ですが武器庫にあった宝物と似たようものもあったので、武器庫に入る時間がなくても、ちょびっとだけ代わりになるかもしれません。

  • 教会を広場を去って、元老院前の広場から望遠で捉えたテレムノイ宮殿の美しいドーム群<br />

    教会を広場を去って、元老院前の広場から望遠で捉えたテレムノイ宮殿の美しいドーム群

  • 元老院前の広場から望遠で捉えたイワン大帝の鐘楼の一部の美しいドーム群<br /><br />教会広場を見学している途中で、広場で休んでいた時間もありますが、入場してから武器庫とダイヤモンド庫の見学も含めて、実に6時間半、クレムリンで過ごしてしまいました。<br />鐘の皇帝は見損ねました。見損ねてもあんまり惜しくはなかったですけどね。<br />元老院前の広場の方に聖書や教会に捧げるろうそくなどを売る売店があり、その裏はトイレになっていて、助かりました。<br /><br />旅程3日目、モスクワ観光2日目の後編の旅行記へとつづく。

    元老院前の広場から望遠で捉えたイワン大帝の鐘楼の一部の美しいドーム群

    教会広場を見学している途中で、広場で休んでいた時間もありますが、入場してから武器庫とダイヤモンド庫の見学も含めて、実に6時間半、クレムリンで過ごしてしまいました。
    鐘の皇帝は見損ねました。見損ねてもあんまり惜しくはなかったですけどね。
    元老院前の広場の方に聖書や教会に捧げるろうそくなどを売る売店があり、その裏はトイレになっていて、助かりました。

    旅程3日目、モスクワ観光2日目の後編の旅行記へとつづく。

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