2013/09/09 - 2013/09/09
26位(同エリア94件中)
エムさん
Fクラスのチケットをプレゼントされ、個人手配でパリを訪れました。
フリーの旅6日目
今日はツアー参加で、フォンテーヌブロー城とバルビゾン村を訪ねます。
朝から予定が決まっていると気合が入ります。
「フォンテーヌブロー城とバルビゾン半日観光ツアー」 EUR 68.00
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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8時15分マイバス社集合なので、今日も早めにホテルを出ました。
次第に要領がよくなって、タッチの差でバスに乗り損ねても、ドアをノックして乗せて貰えるようになりました。(住民から学んだドア・ノック)
参加者は6人だったので、普通乗用車に乗り込んで出発。
途中で見かけたホームレス(車窓から)
今朝の気温は10度前後、歩道で寒そうに寝ていました。 -
9:40 約1時間でバルビゾン村に到着。
メインストリートは小さくて、昔の街がそのまま残っている感じです。
今日は雲行きが怪しくて、今にも雨が降りそう。 -
バルビゾン派の芸術家の村だけに、建物にはミレーの「落ち穂拾い」のモザイク画や「晩鐘」の看板が目につきます。
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どこを写しても絵になる通りです。
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ミレー記念館
アトリエ兼住居として、ミレーが住んでいた家です。
入場はツアー代金に含まれないので、4ユーロを払って見学しました。
室内は3部屋で、ミレーが使っていたパレットなどが残っています。
ミレーの代表作、『晩鐘』『落穂拾い』は、このアトリエで描かれたそうです。 -
ホテルリー・デュ・バブレオ
昭和天皇が訪れたというホテルで、ここのレストランが美味しいそうです。 -
可愛い建物は市役所
ゴミ箱が板で囲まれて、景観を損ねません。 -
10:25 フォンテーヌブロー宮殿到着
1137年頃から王族が狩猟の時に滞在するお城として建造されたのが始まりです。
1528年、フランソワ1世の時代には、中世の基礎の上にルネサンス様式の豪華な宮殿を再建。イタリア遠征でルネッサンス芸術や建築に魅了され、狩猟を目的にロワールにシャンボール城などを建造しました。
フランソワ1世が王位を継いだ翌年の1516年、レオナルド・ダ・ヴィンチをアンボワーズに呼び寄せます。
レオナルドは1519年に亡くなるまで、王の庇護を受けています。
あの有名な「モナリザ」はフランソワ1世が買い上げ、長い間フォンテーヌブロー城に飾られました。
17〜18世紀アンリ4世の時代に拡張工事され、ルイ15世による改修工事と続きます。
19世紀フランス革命時に調度品が売却され、ナポレオン1世はメインゲートに巨大な鉄格子の門を設けました。
時代の流れや、国王の拘りで増改築が繰り返され、フランス最大の宮殿になったのです。 -
「芸術家」と題するステンドグラス
(ローラン・シャルル・マレシャルの自画像)
1867年のパリ万博でナポレオン3世が購入し、下部に皇帝のイニシャルと日付を付け加えて飾られ、今日に至っています。
やわらかい布の質感が出ており、ステンドには見えません。 -
絵皿の回廊
1840年、ルイ・フィリップ時代にテラスを改装して造られた回廊。
壁には128枚のセーブル陶器が嵌め込まれています。
美しい風景画など、絵皿は一枚も同じものはないというから、相当な凝り性だったようです。 -
絵皿の回廊
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馬蹄形の階段を上がった入口ホールから、フランソワ1世の回廊に続く木製ドア。
木彫りの装飾が重厚で、素晴らしいです。 -
三位一体礼拝堂
聖王ルイが建てた礼拝堂を三位一体修道会が引き継いだものであり、装飾はアンリ4世とルイ13世の時代のものです。
国王と王妃は、階上席で毎日ミサに参列しました。
1725年、ここでルイ5世の結婚式が執り行われ、
1810年、ナポレオン3世の洗礼式もここで行われました。 -
フランソワ1世の回廊
1528年、王の住居棟と三位一体礼拝堂を繋ぐ目的で、国王専用の回廊として造られました。
格式高い格天井に、美しいレリーフの羽目板、どこを見ても重厚感にあふれ、個人的にはヴェルサイユ宮殿より好きです。
フランソワ1世の紋章サラマンダー(火トカゲ)が施されています。 -
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フランソワ1世の回廊
ロッソ・フィオレンティーノのフレスコ画
イタリアルネサンスに魅せられたフランソワ1世は、イタリア人芸術家のロッソを招いて造らせました。
フレスコ画の周囲に施された漆喰の彫刻が、何とも優雅です。 -
衛兵の間
王の大住居に入る前に、衛兵が入室者をチェックするために使われた部屋。
最もインパクトがあったのがセーブル焼の大壺で、緻密な模様が施され、素晴らしい。
暖炉の上にはアンリ4世のレリーフ胸像が飾られています。 -
舞踏会の広間
一歩足を踏み入れると、格間天井の素晴らしいこと!
しばし、見とれてしまうほど・・・
ヴェルサイユ宮殿では見られない天井です。
正面には豪華な暖炉(ドロルム作)があり、両脇のブロンズ像は、革命時に溶解されてたものを、1966年に復元しました。 -
舞踏会の広間
暖炉の反対側にある美しいバルコニーは、ルイ15世の時代、王室楽団のために造られました。
アンリ2世の頭文字「H」と妻カトリーヌ・ド・メディシスの「C」を合わせて、愛人ディアーヌ・ド・ポワチエの「D」が隠されています。
私にはCよりDが目立って見えますが・・・ -
エタンプ公妃の寝室
フランソワ1世の寵姫エタンプ夫人の寝室として使われた部屋ですが、
ルイ15世の時代、「国王の階段」に改装されました。
階段にするのは勿体ないほど美しいです。 -
天井画も素晴らしい。
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イタリアの画家プリマチィッチョにより、フレスコ画と漆喰で装飾されました。
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エタンプ公妃の寝室に置かれた大理石像(トリボロ作)
「自然」という題の水盤の支柱。
先に見学していた西洋人グループの笑い声が聞えましたが・・・
よく見ると、鳥がお乳を飲んでいます。 -
聖王ルイの第1室
フランス王国カペー朝第9代ルイ9世(聖王ルイ)の滞在を偲んで付けられた部屋 -
聖王ルイの第1室
暖炉の上には、大理石でアンリ4世の騎馬姿のレリーフが飾られています。 -
ルイ13世の間
1601年9月アンリ4世の妻マリー・ド・メディシスが王太子、後の国王ルイ13世を出産した部屋。
男子誕生を喜んだアンリ4世は、部屋を特別な装飾に変えました。
家具調度品はフランス革命で売却され、ナポレオン時代のものです。 -
フランソワ1世の間
16世紀、フランソワ1世の2番目の王妃の寝室でした。
16世紀後半は控えの間となり、ルイ14世時代になると、王妃が公式晩餐の部屋として使われました。 -
タペストリーの間
17世紀に織られたタペストリーが壁全体に掛けられています。 -
ディアナの回廊
元はアンリ4世の時代に王妃のために建てられた部屋でした。
フランス革命で荒廃した後、ナポレオン1世が改装し、1858年ナポレオン3世が図書室に改造しました。
大きな地球儀は、チュイルリー宮殿のナポレオンの執務室にあったものです。 -
白の間
マリー・ドゥ・メディシスの部屋でしたが、ルイ15世の時代に取り壊され、1835年にルイ・フィリップの王妃マリー・アメリーの小サロンとして改装しました。
家具はナポレオン時代のものです。 -
「王妃の遊戯室」または「皇后の大広間」と呼ばれた部屋
1786年、マリー・アントワネットのために新古典様式の装飾に改装され、遊戯室として使われました。
ナポレオン1世治世下には皇后の大広間となり、家具調度品が一新され、現在に至ります。 -
皇后の寝室
16世紀末から1870年まで、歴代の王妃や皇后たちが使用した寝室。
天井にはルイ15世の妃、マリー・レクズィンスカの紋章
寝台はマリー・アントワネットのために造られましたが、一度も使われなかったそうです。 -
ブドワールと呼ばれるマリーアントワネットの私室
遊戯室と同時に改装され、これまでの絢爛豪華な彫像をやめて、花模様をモチーフにした内装に仕上がっています。
アントワネットが注文したライティングデスクや、螺鈿の裁縫台も残っています。 -
玉座の間
1808年、国王の寝室だった部屋を、ナポレオン1世は「玉座の間」に改装しました。
ナポレオンの紋章には鷲とNのほかにミツバチがあり、椅子や天蓋、カーテンなどミツバチがたくさん使われています。 -
玉座の間
天井、壁の羽目板、扉は17世紀に施され、家具、燭台などはナポレオン時代のものです。
シャンデリアは水晶製でしょうか? きらきらと、美しく輝いていました。 -
会議の間
フランソワ1世の時代からあった部屋で、ルイ15世の時代に会議の間として使われました。
家具調度品はナポレオン1世治世下の物です。 -
皇帝の寝室(左)
1808年にナポレオンが寝室として以降、1870年まで歴代の君主の寝室でした。
皇帝の小寝室(右)
ナポレオンが執務室として使用した部屋。
多忙なナポレオンはこの部屋で過ごす時間が多く、1811年仮眠を取るため天蓋付きの寝台が置かれました。 -
皇帝の私室
1814年4月6日、この部屋でナポレオンが退位を決意したことから「退位の間」とも呼ばれています。 -
浴室の通り抜け
奥に置いてあるのがナポレオンの浴室。
深夜の執務時に風呂を好み、朝5時に仮眠をとり、遅くても7時には目を覚ましたという。
そういえば、ナポレオンの睡眠は一日3時間と言われてますね。 -
内部の見学を終えました。
半日ツアーですから、広い庭園を歩く時間はありません。 -
白馬の中庭
1814年、この馬蹄形の階段で、ナポレオンは親衛隊に別れの演説をしたことから「別れの中庭」と呼ばれるようになったのです。
この場面が印象深かったので、ナポレオンゆかりのお城というイメージが強かったのですが・・・
800年もの間、歴代の国王たちに最も愛された宮殿であり、ヴェルサイユ宮殿より見応えがありました。
混雑してないので、ゆっくり見学ができるのも良かったです。
次回は、電車とバスを乗り継いで訪ねてみたいです。 -
ナポレオン時代につくられた鍛鉄の格子門を写して、集合場所へ戻ります。
日本人ガイドさんの説明が、とても分かりやすかったので楽しめました。 -
帰りの車に乗った頃から降り出した雨、
雨足が強く、寒いので急にお腹が空いて・・・
マイバス付近の中華料理店でお昼を済ませました。
マイバス社に併設した案内所で、サン・ラザール駅付近の地図をコピーしてもらい、クレジットカードの提示でミネラルウォーターを1本もらいました。
日本語で情報が聞けて心強かったし、このサービスは嬉しかったです。
バス停、ピラミッドからバスに乗ってホテルに帰ります。
歩ける距離なのでしょうけど、パリ・ヴィジットを持っているので、バスを待ちながら写した一枚。 -
ホテルで休憩後、雨が上がったので、ラファイエットの屋上に出てみました。
オペラ座の裏側を見下ろすのも、なかなか面白い。
遠くにモンパルナスタワーも見えます。
方角が分かりやすい高層ビルですが、確かにパリの景観を損ねています。 -
エッフェル塔と、反対側はモンマルトルの丘
晴れていればもっと綺麗だったでしょうけど。
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