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明治天皇駐蹕之処の碑(ちゅうひつのところのひ)は、千葉県船橋市の指定文化財の一つである。「習志野地名発祥の地」を示す史跡となっている。習志野名所のひとつ。<br /><br />「駐蹕」とは、天子が行幸の途中で、一時乗り物を停めること。一時、その土地に駐留すること。駐輦(ちゅうれん)と同義である。江戸幕府直轄の小金牧の一部だった大和田原で、1873年(明治6年)4月29日から5月1日、明治天皇が近衛兵を率いて野営し演習を天覧した。皇居に還幸した後、5月13日、この地を「習志野原」と命名した。その故事を記念するため、陸軍省の認可を得て、“明治50年”に相当する1917年(大正6年)10月に、陸軍省を中心とする有志によって碑が建立された。<br />石碑は、高さ3.9m、幅1.6mの仙台石製。船橋市本町の石国の職人が文字を担当した。文字は陸軍大将山縣有朋の筆。石碑の裏には、明治天皇がここに露営し、演習を統監したこと、この地が演習に適すると認め、永く陸軍操錬場と定めたことが記されている。<br /><br />この石碑の所在地は当初、明治天皇が天幕を張ったとされる場所(船橋市習志野台四丁目59番)に建っていたが、現在は、船橋市の郷土資料館の近くの薬円台公園内に移されている。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />藤崎堀込貝塚は縄文時代中期〜後期(放射炭素年代で約四千五百年前〜三千年前)の集落遺跡で、大規模な貝塚を伴っています。 <br /> 遺跡が位置する標高約20mの台地は、かつての菊田川とその支流の流れる谷に面していて、貝塚が作られた時代にはこの谷まで海が入りこんでいたと考えられています。 <br /> この貝塚は縄文時代後期の人々が、食べたあとの貝殻・漁骨・獣骨などを捨てた跡で、貝の分布する範囲は南北およそ110m、東西およそ80mほどで、西が開いた馬蹄形をしています。貝の見られない周辺部にも、縄文時代中期から後期の住居跡が見つかっていて、このあたりが長期にわたって縄文人の生活の場であったことがわかっています。 <br /> 貝塚は、当時の人々が使ったり、捨てたりしたさまざまなものが残されていて、動物質の遺物の状態もよいので、過去の暮らしを知る上で、とても重要な情報を提供してくれます。 <br /> これまでの調査で、この貝塚からは食用にしたと思われるイボキサゴ・オキアサリ・ハマグリなどの貝、マアジ・サバ・マイワシなどの魚骨、ニホンジカなどの獣骨のほか、縄文土器や石器(打製石斧、磨製石斧、磨石、石皿など)といった道具類も出土しています。 <br /> 藤崎堀込貝塚は都市近郊にありながら、貝塚のほぼ全域が大きな破壊を受けずに残ったきわめて数少ない遺跡です。そして、縄文人の生活とこの地域の歴史を明らかにする上でもたいへん貴重な遺跡ということができます。   習志野市教育委員会<br />( http://www.tt.em-net.ne.jp/~omurat/narashino06.html より引用)<br /><br />旧大沢家住宅   千葉県指定有形文化財(昭和50年12月12日指定)<br /> 旧大沢家住宅は、寛文4年(1664)に建築された東日本最古級の古民家です。江戸時代に上総国長柄郡宮成村(現在の千葉県長生郡長生村)の名主をつとめた大沢家の住居として、昭和48年(1973)まで使用されていました。昭和51年、建築当初の姿に移築復原され、同年11月に開館しました。<br /> この住宅は、江戸時代中期までの典型的な房総民家の形式を今に伝えています。その特徴として、開口部が少なく「デイ(出居)」の戸口が格子窓と壁だけで構成されていること、差鴨居さしがもいが少ないこと、大黒柱が使われておらず床とこの間まもないことなどがあげられます。<br /> 「ドマ(土間)」では民具を展示し、午前中はカマドで火を焚たいております。古民家ならではの落ち着いた雰囲気と趣をお楽しみください。<br /><br />建物の規模・規格<br />茅葺平屋寄棟造   床面積 144.7平方メートル(廂ひさし部分を含まず)<br />桁行17.9メートル(廂部分を含む) 梁間   9.5メートル(廂部分を含む)<br />棟高さ  7.1メートル<br />(http://www.city.narashino.lg.jp/shisetu/koenshiseki/kyuosawake.html より引用)<br /><br />新京成沿線健康ハイキングについては・・<br />http://www.shinkeisei.co.jp/area/kenkohiking/<br />http://www.shinkeisei.co.jp/pdf/area/kenkohiking/41_hiking_map.pdf<br />

新京成Walk2/3 習志野命名碑・藤崎堀込貝塚・旧大沢家住宅 ☆森林公園を抜けて

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2013/09/28 - 2013/09/28

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マキタン2

マキタン2さん

明治天皇駐蹕之処の碑(ちゅうひつのところのひ)は、千葉県船橋市の指定文化財の一つである。「習志野地名発祥の地」を示す史跡となっている。習志野名所のひとつ。

「駐蹕」とは、天子が行幸の途中で、一時乗り物を停めること。一時、その土地に駐留すること。駐輦(ちゅうれん)と同義である。江戸幕府直轄の小金牧の一部だった大和田原で、1873年(明治6年)4月29日から5月1日、明治天皇が近衛兵を率いて野営し演習を天覧した。皇居に還幸した後、5月13日、この地を「習志野原」と命名した。その故事を記念するため、陸軍省の認可を得て、“明治50年”に相当する1917年(大正6年)10月に、陸軍省を中心とする有志によって碑が建立された。
石碑は、高さ3.9m、幅1.6mの仙台石製。船橋市本町の石国の職人が文字を担当した。文字は陸軍大将山縣有朋の筆。石碑の裏には、明治天皇がここに露営し、演習を統監したこと、この地が演習に適すると認め、永く陸軍操錬場と定めたことが記されている。

この石碑の所在地は当初、明治天皇が天幕を張ったとされる場所(船橋市習志野台四丁目59番)に建っていたが、現在は、船橋市の郷土資料館の近くの薬円台公園内に移されている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

藤崎堀込貝塚は縄文時代中期〜後期(放射炭素年代で約四千五百年前〜三千年前)の集落遺跡で、大規模な貝塚を伴っています。
 遺跡が位置する標高約20mの台地は、かつての菊田川とその支流の流れる谷に面していて、貝塚が作られた時代にはこの谷まで海が入りこんでいたと考えられています。
 この貝塚は縄文時代後期の人々が、食べたあとの貝殻・漁骨・獣骨などを捨てた跡で、貝の分布する範囲は南北およそ110m、東西およそ80mほどで、西が開いた馬蹄形をしています。貝の見られない周辺部にも、縄文時代中期から後期の住居跡が見つかっていて、このあたりが長期にわたって縄文人の生活の場であったことがわかっています。
 貝塚は、当時の人々が使ったり、捨てたりしたさまざまなものが残されていて、動物質の遺物の状態もよいので、過去の暮らしを知る上で、とても重要な情報を提供してくれます。
 これまでの調査で、この貝塚からは食用にしたと思われるイボキサゴ・オキアサリ・ハマグリなどの貝、マアジ・サバ・マイワシなどの魚骨、ニホンジカなどの獣骨のほか、縄文土器や石器(打製石斧、磨製石斧、磨石、石皿など)といった道具類も出土しています。
 藤崎堀込貝塚は都市近郊にありながら、貝塚のほぼ全域が大きな破壊を受けずに残ったきわめて数少ない遺跡です。そして、縄文人の生活とこの地域の歴史を明らかにする上でもたいへん貴重な遺跡ということができます。   習志野市教育委員会
( http://www.tt.em-net.ne.jp/~omurat/narashino06.html より引用)

旧大沢家住宅   千葉県指定有形文化財(昭和50年12月12日指定)
 旧大沢家住宅は、寛文4年(1664)に建築された東日本最古級の古民家です。江戸時代に上総国長柄郡宮成村(現在の千葉県長生郡長生村)の名主をつとめた大沢家の住居として、昭和48年(1973)まで使用されていました。昭和51年、建築当初の姿に移築復原され、同年11月に開館しました。
 この住宅は、江戸時代中期までの典型的な房総民家の形式を今に伝えています。その特徴として、開口部が少なく「デイ(出居)」の戸口が格子窓と壁だけで構成されていること、差鴨居さしがもいが少ないこと、大黒柱が使われておらず床とこの間まもないことなどがあげられます。
 「ドマ(土間)」では民具を展示し、午前中はカマドで火を焚たいております。古民家ならではの落ち着いた雰囲気と趣をお楽しみください。

建物の規模・規格
茅葺平屋寄棟造   床面積 144.7平方メートル(廂ひさし部分を含まず)
桁行17.9メートル(廂部分を含む) 梁間   9.5メートル(廂部分を含む)
棟高さ  7.1メートル
http://www.city.narashino.lg.jp/shisetu/koenshiseki/kyuosawake.html より引用)

新京成沿線健康ハイキングについては・・
http://www.shinkeisei.co.jp/area/kenkohiking/
http://www.shinkeisei.co.jp/pdf/area/kenkohiking/41_hiking_map.pdf

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩

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