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今から数十年前に京都で学生時代を過ごした私達夫婦は、結婚してからも、夫婦や家族、そしてお友達と何回も京都に行きました。<br />奈良も夫の兄達が住んでいる関係で、冠婚葬祭などで何回か行ったことがありますが、それでも、日本を代表する観光地なので、まだまだ行ったことのない所が沢山あります。<br />ということで、新緑が美しい5月に、奈良と京都に行ってきました。<br /><br />写真は、奈良の代表的なスポット「猿沢の池」と「興福寺の五重塔」。

新緑の奈良・京都<1> (奈良)

3いいね!

2012/05/18 - 2012/05/21

4227位(同エリア5411件中)

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ペコちゃん

ペコちゃんさん

今から数十年前に京都で学生時代を過ごした私達夫婦は、結婚してからも、夫婦や家族、そしてお友達と何回も京都に行きました。
奈良も夫の兄達が住んでいる関係で、冠婚葬祭などで何回か行ったことがありますが、それでも、日本を代表する観光地なので、まだまだ行ったことのない所が沢山あります。
ということで、新緑が美しい5月に、奈良と京都に行ってきました。

写真は、奈良の代表的なスポット「猿沢の池」と「興福寺の五重塔」。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス
旅行の手配内容
個別手配

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  • 今回の旅行は、行きが深夜バス、帰りは新幹線です。<br />深夜バスは、あまり乗り気ではなかったのですが、一度体験したいという夫の要望で、夜の新宿に行きました。<br />3列シートのバスは、左右の窓側席はカーテンを閉めると個室状態になり、ゆっくり安心して寝ることが出来ます。<br />夫は、カーテンなしの真ん中のシートでも、それなりに眠れたようです。

    今回の旅行は、行きが深夜バス、帰りは新幹線です。
    深夜バスは、あまり乗り気ではなかったのですが、一度体験したいという夫の要望で、夜の新宿に行きました。
    3列シートのバスは、左右の窓側席はカーテンを閉めると個室状態になり、ゆっくり安心して寝ることが出来ます。
    夫は、カーテンなしの真ん中のシートでも、それなりに眠れたようです。

  • 2日目。<br />翌朝の6時半にJR奈良駅に到着し、予約していた駅前のホテルにチェックインし、荷物を預け、身支度を整えて、朝食をとりました。<br />今日の奈良観光は、定期観光バスを利用しました。<br />東大寺 ⇒ 春日大社 ⇒ 興福寺 ⇒ 若草山<車窓>(新若草山ドライブウェイ) ⇒ 春日山原始林<車窓>(春日奥山ドライブウェイ) ⇒ 平城宮跡・朱雀門 という一日コースです。

    2日目。
    翌朝の6時半にJR奈良駅に到着し、予約していた駅前のホテルにチェックインし、荷物を預け、身支度を整えて、朝食をとりました。
    今日の奈良観光は、定期観光バスを利用しました。
    東大寺 ⇒ 春日大社 ⇒ 興福寺 ⇒ 若草山<車窓>(新若草山ドライブウェイ) ⇒ 春日山原始林<車窓>(春日奥山ドライブウェイ) ⇒ 平城宮跡・朱雀門 という一日コースです。

  • 東大寺からスタート。

    東大寺からスタート。

  • 南大門を入って参道を進むと、東側に鏡池、正面に中門(南中門)、その先に大仏殿があります。<br />大仏殿の東方には開山堂、三昧堂(四月堂)、二月堂、法華堂(三月堂)など、西方には指図堂(さしずどう)、勧進所、戒壇院など、北方には正倉院の校倉造宝庫と鉄筋コンクリート造の東宝庫・西宝庫があります。

    南大門を入って参道を進むと、東側に鏡池、正面に中門(南中門)、その先に大仏殿があります。
    大仏殿の東方には開山堂、三昧堂(四月堂)、二月堂、法華堂(三月堂)など、西方には指図堂(さしずどう)、勧進所、戒壇院など、北方には正倉院の校倉造宝庫と鉄筋コンクリート造の東宝庫・西宝庫があります。

  • 東大寺の国宝「南大門」は752年の創建でしたが、962年の台風で倒壊し、1203年に再建しました。<br />21mの柱18本を立て、基壇からの高さは25mもあります。<br />

    東大寺の国宝「南大門」は752年の創建でしたが、962年の台風で倒壊し、1203年に再建しました。
    21mの柱18本を立て、基壇からの高さは25mもあります。

  • 勇猛な忿怒の形相をした仁王さん・・・右が口を開けた阿(あ)形の密迹金剛(みっしゃこんごう)で快慶の作。左が口を閉じた吽(うん)形の那羅延金剛(ならえんこんごう)で運慶の作。<br />1203年に完成し、2体とも8.4mで桧の寄木造です。

    勇猛な忿怒の形相をした仁王さん・・・右が口を開けた阿(あ)形の密迹金剛(みっしゃこんごう)で快慶の作。左が口を閉じた吽(うん)形の那羅延金剛(ならえんこんごう)で運慶の作。
    1203年に完成し、2体とも8.4mで桧の寄木造です。

  • 参道を挟んだ東側にある「鏡池」には鯉や鮒と共に、目が大きく頭が小さい奈良県指定天然記念物の「馬魚(ばぎょ、ワタカ)」もいるそうです。<br />聖武天皇を偲び、毎年五月二日に「聖武祭」が東大寺で行われますが、その時に鏡池に舞台を作り、春日神社の古樂保存会による舞楽公開が行われます。

    参道を挟んだ東側にある「鏡池」には鯉や鮒と共に、目が大きく頭が小さい奈良県指定天然記念物の「馬魚(ばぎょ、ワタカ)」もいるそうです。
    聖武天皇を偲び、毎年五月二日に「聖武祭」が東大寺で行われますが、その時に鏡池に舞台を作り、春日神社の古樂保存会による舞楽公開が行われます。

  • 東大寺の国宝「大仏殿(金堂)」・・・華厳宗大本山の東大寺は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏を本尊とし、開山は良弁です。

    東大寺の国宝「大仏殿(金堂)」・・・華厳宗大本山の東大寺は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏を本尊とし、開山は良弁です。

  • 大仏鋳造が終わってから大仏殿の建設工事が始められ、竣工したのは758年です。<br />その後、2度の兵火で焼け落ち、現存する大仏殿は1709年に再建された、世界最大の木造建造物です。

    大仏鋳造が終わってから大仏殿の建設工事が始められ、竣工したのは758年です。
    その後、2度の兵火で焼け落ち、現存する大仏殿は1709年に再建された、世界最大の木造建造物です。

  • 大仏殿の正面に立つ「金銅八角燈籠(国宝)」は日本で最大かつ最古の燈籠・・・高さは4.64mで、度々修理されていますが、基本的には奈良時代の燈籠です。

    大仏殿の正面に立つ「金銅八角燈籠(国宝)」は日本で最大かつ最古の燈籠・・・高さは4.64mで、度々修理されていますが、基本的には奈良時代の燈籠です。

  • 8つの面に嵌められた羽目板も縦125cm、幅50cmという大きなもので、東西南北4面の羽目板部分には獅子が、残りの4面には音楽を奏でる音声菩薩(おんじょうぼさつ)が彫られています。

    8つの面に嵌められた羽目板も縦125cm、幅50cmという大きなもので、東西南北4面の羽目板部分には獅子が、残りの4面には音楽を奏でる音声菩薩(おんじょうぼさつ)が彫られています。

  • 音声菩薩は、東北側が銅拍子(どびょうし=仏教儀式での鳴り物として使われていた古代のタンバリン)、東南側が笙(しょう=雅楽などで使う管楽器)、西南側が横笛、西北側が尺八を演奏する姿になっています。<br />4面の羽目板のうち、西北面と西南面が当初のもので、東北面と東南面はレプリカです。<br />東北面の羽目板は1962年に盗難に遭い、直後に発見されましたが、その後はオリジナルは別途保管し、燈籠にはレプリカを取り付けています。<br />東南面の羽目板のオリジナルは、早くに紛失しています。

    音声菩薩は、東北側が銅拍子(どびょうし=仏教儀式での鳴り物として使われていた古代のタンバリン)、東南側が笙(しょう=雅楽などで使う管楽器)、西南側が横笛、西北側が尺八を演奏する姿になっています。
    4面の羽目板のうち、西北面と西南面が当初のもので、東北面と東南面はレプリカです。
    東北面の羽目板は1962年に盗難に遭い、直後に発見されましたが、その後はオリジナルは別途保管し、燈籠にはレプリカを取り付けています。
    東南面の羽目板のオリジナルは、早くに紛失しています。

  • 大仏殿の堂内に展示されている東大寺伽藍の模型。<br />728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した「金鐘寺」が東大寺の始まりで、華厳宗の大本山です。<br />741年に聖武天皇が護国信仰に基づいて、当時の日本の60余か国に国分寺の建立を命じた際、「総国分寺」と位置付けられ、743年に東大寺となりました。<br />奈良時代には大仏殿を中心に、東西2つの七重塔(推定高さ約70m以上)を含む大伽藍が整備されましたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失しました。

    大仏殿の堂内に展示されている東大寺伽藍の模型。
    728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した「金鐘寺」が東大寺の始まりで、華厳宗の大本山です。
    741年に聖武天皇が護国信仰に基づいて、当時の日本の60余か国に国分寺の建立を命じた際、「総国分寺」と位置付けられ、743年に東大寺となりました。
    奈良時代には大仏殿を中心に、東西2つの七重塔(推定高さ約70m以上)を含む大伽藍が整備されましたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失しました。

  • 世界遺産である大仏殿の中に、小さな穴が空いている柱があります。<br />この柱を無事に通り抜けると、ひとつだけ願いが叶うとか、頭がよくなるなどの効能があると言われています。<br />この柱の穴は、一体、何のために開けられたのか、ご存知ですか?・・・ご利益のために開けられたものではなく、この柱の方角が鬼門に当たるため、柱に穴を開けて、邪気が穴を通って抜け出すようにしたらしいです。<br />大仏の鼻の穴と同じ大きさと言われていますが、縦37cm 横30cm 奥行き108cmなので、途中で体をひねらないと、見事にハマり大変です。

    世界遺産である大仏殿の中に、小さな穴が空いている柱があります。
    この柱を無事に通り抜けると、ひとつだけ願いが叶うとか、頭がよくなるなどの効能があると言われています。
    この柱の穴は、一体、何のために開けられたのか、ご存知ですか?・・・ご利益のために開けられたものではなく、この柱の方角が鬼門に当たるため、柱に穴を開けて、邪気が穴を通って抜け出すようにしたらしいです。
    大仏の鼻の穴と同じ大きさと言われていますが、縦37cm 横30cm 奥行き108cmなので、途中で体をひねらないと、見事にハマり大変です。

  • 東大寺の本尊である大仏さんの正式名は「東大寺盧舎那仏像」・・・聖武天皇が大仏造立の詔を発したのは743年で、難工事の末、752年に大仏開眼会が行われました。<br />大仏と大仏殿はその後、2回焼失し、大仏は台座と袖・脚などの一部に当初部分を残すのみで、体部の大部分は中世の作、現存する大仏の頭部は1690年に鋳造されたものです。

    東大寺の本尊である大仏さんの正式名は「東大寺盧舎那仏像」・・・聖武天皇が大仏造立の詔を発したのは743年で、難工事の末、752年に大仏開眼会が行われました。
    大仏と大仏殿はその後、2回焼失し、大仏は台座と袖・脚などの一部に当初部分を残すのみで、体部の大部分は中世の作、現存する大仏の頭部は1690年に鋳造されたものです。

  • 現在の大仏は、像高が14.98m、蓮華座高が約3m、合計で約18m・・・像高約11mの鎌倉大仏より大きく、圧倒されます。<br />世界を照らし光り輝く盧舎那仏は、左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲を表しながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っています。

    現在の大仏は、像高が14.98m、蓮華座高が約3m、合計で約18m・・・像高約11mの鎌倉大仏より大きく、圧倒されます。
    世界を照らし光り輝く盧舎那仏は、左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲を表しながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っています。

  • 大仏様の前で、お坊さんがお経をあげています。

    大仏様の前で、お坊さんがお経をあげています。

  • 私もお線香をあげて、家族の幸せ・世界の平和を祈りました。

    私もお線香をあげて、家族の幸せ・世界の平和を祈りました。

  • 次の観光は「春日大社」・・・奈良・平城京に遷都された710年、藤原不比等が藤原氏の氏神である武甕槌命(タケミカヅチのミコト)を鹿島神宮から遷して祀り、春日神と称したのが始まりで、全国に約1000社ある春日神社の総本社です。<br />武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿が神の使いになっています。

    次の観光は「春日大社」・・・奈良・平城京に遷都された710年、藤原不比等が藤原氏の氏神である武甕槌命(タケミカヅチのミコト)を鹿島神宮から遷して祀り、春日神と称したのが始まりで、全国に約1000社ある春日神社の総本社です。
    武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿が神の使いになっています。

  • 長い参道の両側には、春日灯篭がズラーッと並んでいます。

    長い参道の両側には、春日灯篭がズラーッと並んでいます。

  • 途中の「夫婦大國社(めおとだいこくしゃ)」・・・ここは春日大社の末社で、大国様の大国主命と須勢理姫命(すせりひめのみこと)の夫婦神を祭神としている、<br />日本で唯一、夫婦の大国様を祀った神社です。<br />縁結びや夫婦円満にご利益があり、須勢理姫の持ち物とされるしゃもじに願いを書くと、願いが叶うといわれています。<br />またハート型の絵馬も用意され、恋人と二人で名前を書くと仲がいつまでも続くとか・・・

    途中の「夫婦大國社(めおとだいこくしゃ)」・・・ここは春日大社の末社で、大国様の大国主命と須勢理姫命(すせりひめのみこと)の夫婦神を祭神としている、
    日本で唯一、夫婦の大国様を祀った神社です。
    縁結びや夫婦円満にご利益があり、須勢理姫の持ち物とされるしゃもじに願いを書くと、願いが叶うといわれています。
    またハート型の絵馬も用意され、恋人と二人で名前を書くと仲がいつまでも続くとか・・・

  • 「社殿の大杉」・・・推定樹齢800年、樹高24m、幹周り8.85mで、昭和30年代前半までの境内は、この様な杉の大木が生い茂り、昼なお暗い原生林でしたが、昭和36年の第二室戸台風で多くの木がなぎ倒されました。

    「社殿の大杉」・・・推定樹齢800年、樹高24m、幹周り8.85mで、昭和30年代前半までの境内は、この様な杉の大木が生い茂り、昼なお暗い原生林でしたが、昭和36年の第二室戸台風で多くの木がなぎ倒されました。

  • 「神拝所」の奥に、朱塗りで荘重な造りの「中門」と、中門を挟んで左右に「御廊」が伸びています。<br />本殿は、その奥に四神を祀った4社ですが、直接見ることは出来ません。

    「神拝所」の奥に、朱塗りで荘重な造りの「中門」と、中門を挟んで左右に「御廊」が伸びています。
    本殿は、その奥に四神を祀った4社ですが、直接見ることは出来ません。

  • 丁度、衣冠・十二単による結婚式が行われていました。<br />衣冠や十二単は古来より大変格式の高い装束です。

    丁度、衣冠・十二単による結婚式が行われていました。
    衣冠や十二単は古来より大変格式の高い装束です。

  • 境内にある約3千の灯籠(石燈籠:約2000基、釣燈籠:約1000基)は、昔から今日に至るまで、藤原氏をはじめ、一般国民から奉納されたものです。<br /> 2月の節分(節分万燈籠)と8月14・15日(中元万燈籠)に、この燈籠へ浄火を献じて、神様に様々な祈願をすることが「万燈籠」で、800年前から行われて来た行事です。

    境内にある約3千の灯籠(石燈籠:約2000基、釣燈籠:約1000基)は、昔から今日に至るまで、藤原氏をはじめ、一般国民から奉納されたものです。
    2月の節分(節分万燈籠)と8月14・15日(中元万燈籠)に、この燈籠へ浄火を献じて、神様に様々な祈願をすることが「万燈籠」で、800年前から行われて来た行事です。

  • 19時頃に、全燈籠に灯がともり、本殿周辺の回廊にも燈籠が釣られ、火の灯りが朱色の回廊をやさしく照らし、神秘的で幽玄な雰囲気を醸し出すようです。<br />一度、見てみたいと思いました。

    19時頃に、全燈籠に灯がともり、本殿周辺の回廊にも燈籠が釣られ、火の灯りが朱色の回廊をやさしく照らし、神秘的で幽玄な雰囲気を醸し出すようです。
    一度、見てみたいと思いました。

  • 次は、「興福寺」です。<br />興福寺は藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていました。<br />710年の平城遷都に際し、不比等は藤原京にあった厩坂寺を現在地に移転し「興福寺」と名付けました。

    次は、「興福寺」です。
    興福寺は藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていました。
    710年の平城遷都に際し、不比等は藤原京にあった厩坂寺を現在地に移転し「興福寺」と名付けました。

  • 興福寺は、創建以来たびたび戦火に見舞われ、1180年には、東大寺とともに大半の伽藍が焼失したので、現存の興福寺の建物はすべて、これ以降のものです。<br />五重塔と並ぶ「東金堂(国宝)」は、1415年再建の室町時代の建築です。

    興福寺は、創建以来たびたび戦火に見舞われ、1180年には、東大寺とともに大半の伽藍が焼失したので、現存の興福寺の建物はすべて、これ以降のものです。
    五重塔と並ぶ「東金堂(国宝)」は、1415年再建の室町時代の建築です。

  • 「国宝館」に入りました。<br />今回の旅行で「阿修羅像」は絶対見ようと思っていました。<br />今から五十数年前、中学の修学旅行で興福寺にも来ましたが、何も覚えていません。<br />多分、阿修羅像も見ていたと思うのですが・・・

    「国宝館」に入りました。
    今回の旅行で「阿修羅像」は絶対見ようと思っていました。
    今から五十数年前、中学の修学旅行で興福寺にも来ましたが、何も覚えていません。
    多分、阿修羅像も見ていたと思うのですが・・・

  • 仏像をはじめ多くの寺宝が展示されている国宝館は、2010年のリニューアルで、展示点数が増えたほか、文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用されて、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになっています。(館内は撮影禁止のため、写真はHPより)

    仏像をはじめ多くの寺宝が展示されている国宝館は、2010年のリニューアルで、展示点数が増えたほか、文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用されて、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになっています。(館内は撮影禁止のため、写真はHPより)

  • 「八部衆立像」(国宝)は奈良時代の作。<br />左上より阿修羅・五部浄・沙羯羅(さから)・鳩槃荼(くばんだ)、左下より乾闥婆(けんだつば)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存していますが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われてありません。

    「八部衆立像」(国宝)は奈良時代の作。
    左上より阿修羅・五部浄・沙羯羅(さから)・鳩槃荼(くばんだ)、左下より乾闥婆(けんだつば)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存していますが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われてありません。

  • その中で有名なのが、三面六臂(手が6本)の『阿修羅像』・・・阿修羅は、もともと古代インドの戦闘神・魔神であり、神々と戦った攻撃的な神ですが、興福寺の阿修羅像は、他の7像と違って甲冑を着けず、少年のような風貌で、わずかに眉をひそめた静かな表情で、戦闘神の面影はありません。<br />像の高さは、153cmと小柄です。

    その中で有名なのが、三面六臂(手が6本)の『阿修羅像』・・・阿修羅は、もともと古代インドの戦闘神・魔神であり、神々と戦った攻撃的な神ですが、興福寺の阿修羅像は、他の7像と違って甲冑を着けず、少年のような風貌で、わずかに眉をひそめた静かな表情で、戦闘神の面影はありません。
    像の高さは、153cmと小柄です。

  • 興福寺創建1300年記念として、2009年に上野の東京国立博物館で開催された「国宝 阿修羅展」には、80万人以上の人達が、このお顔を見に行っています。

    興福寺創建1300年記念として、2009年に上野の東京国立博物館で開催された「国宝 阿修羅展」には、80万人以上の人達が、このお顔を見に行っています。

  • 女優の夏目雅子さんが亡くなってから30年近く経ちますが、阿修羅像の正面の顔と、よく似ていると言われています。<br />喜怒哀楽の、どの表情とも言い難いような、けれど澄んで美しい顔をしている・・・

    女優の夏目雅子さんが亡くなってから30年近く経ちますが、阿修羅像の正面の顔と、よく似ていると言われています。
    喜怒哀楽の、どの表情とも言い難いような、けれど澄んで美しい顔をしている・・・

  • 2002年に発行された世界遺産の記念切手。

    2002年に発行された世界遺産の記念切手。

  • 金剛力士像(阿形)・・・鎌倉時代の作で、高さは154cm。<br />吽形と一対の仁王像です。

    金剛力士像(阿形)・・・鎌倉時代の作で、高さは154cm。
    吽形と一対の仁王像です。

  • 国宝の「千手観音菩薩像」は鎌倉時代の作で、高さは520cmもあります。<br />あらゆる方法で人々を救う観音菩薩の慈悲を象徴した像です。<br />千手観音には、42本の手がありますが、これは、40(合掌した2手を除く)×25(25世界の生き物を救う)=1000 という考えです。

    国宝の「千手観音菩薩像」は鎌倉時代の作で、高さは520cmもあります。
    あらゆる方法で人々を救う観音菩薩の慈悲を象徴した像です。
    千手観音には、42本の手がありますが、これは、40(合掌した2手を除く)×25(25世界の生き物を救う)=1000 という考えです。

  • 五重塔(国宝)は730年に光明皇后の発願で創建されましたが、現存の塔は1426年頃の再建・・・高さ50.1mで、京都・東寺の五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い塔です。

    五重塔(国宝)は730年に光明皇后の発願で創建されましたが、現存の塔は1426年頃の再建・・・高さ50.1mで、京都・東寺の五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い塔です。

  • 「猿沢池」・・・興福寺が放生池として、749年に造った小さな人工池。<br />放生とは万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式です。<br /><猿沢池の七不思議> 澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・魚が七分に水三分

    「猿沢池」・・・興福寺が放生池として、749年に造った小さな人工池。
    放生とは万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式です。
    <猿沢池の七不思議> 澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・魚が七分に水三分

  • 興福寺を後にして、若草山へドライブ。<br />途中で、先ほど見学した大仏殿が見えました。

    興福寺を後にして、若草山へドライブ。
    途中で、先ほど見学した大仏殿が見えました。

  • 「春日山石窟仏」・・・石切峠の近くにあって「穴仏」と呼ばれ、東西の二窟に平安時代後期の石仏が残っています。<br />

    「春日山石窟仏」・・・石切峠の近くにあって「穴仏」と呼ばれ、東西の二窟に平安時代後期の石仏が残っています。

  • 東窟は、幅4.7m・奥行き 約3m・高さ 約2mで、高さが91cmの地蔵菩薩が四体あります。

    東窟は、幅4.7m・奥行き 約3m・高さ 約2mで、高さが91cmの地蔵菩薩が四体あります。

  • 頂上から、斑鳩の里を臨みます。

    頂上から、斑鳩の里を臨みます。

  • 観光バスの最後は「平城宮跡」の見学。<br />平成22年の平城遷都1300年祭に向けて、文化庁が遺跡の整備・建造物の復原を進めています。

    観光バスの最後は「平城宮跡」の見学。
    平成22年の平城遷都1300年祭に向けて、文化庁が遺跡の整備・建造物の復原を進めています。

  • 平成10年年竣工の「朱雀門」。

    平成10年年竣工の「朱雀門」。

  • 平城京の時代には、入り口である羅生門をくぐると、75mもの幅をもつ朱雀大路がまっすぐ北に向かってのびていました。<br />そして、その4km先には、平城宮の正門である朱雀門が建っていたのです。

    平城京の時代には、入り口である羅生門をくぐると、75mもの幅をもつ朱雀大路がまっすぐ北に向かってのびていました。
    そして、その4km先には、平城宮の正門である朱雀門が建っていたのです。

  • 朱雀門の真北、約800mに堂々とそびえる「大極殿」・・・当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国の最も重要な儀式のために使われていました。

    朱雀門の真北、約800mに堂々とそびえる「大極殿」・・・当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国の最も重要な儀式のために使われていました。

  • 正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27mの大極殿・・・直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿で、平成22年に再建されました。

    正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27mの大極殿・・・直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿で、平成22年に再建されました。

  • 今夜の宿泊は「スーパーホテル LOHAS・JR奈良駅」・・・ビジネスホテルですが、天然温泉『飛鳥の湯』と露天風呂もあります。<br />夕食は外で、朝食は和洋食バイキングで食材も豊富。<br />フロントやレストランの明るく元気な挨拶と笑顔、そして温泉で癒されるホテルでした。

    今夜の宿泊は「スーパーホテル LOHAS・JR奈良駅」・・・ビジネスホテルですが、天然温泉『飛鳥の湯』と露天風呂もあります。
    夕食は外で、朝食は和洋食バイキングで食材も豊富。
    フロントやレストランの明るく元気な挨拶と笑顔、そして温泉で癒されるホテルでした。

  • 3日目は、近鉄奈良駅から西大寺駅で乗り換え、西ノ京にある「薬師寺」に行ってみました。

    3日目は、近鉄奈良駅から西大寺駅で乗り換え、西ノ京にある「薬師寺」に行ってみました。

  • 薬師寺は、興福寺とともに法相宗(ほっそうしゅう)の大本山になっています。<br />天武天皇の発願(680年)により、飛鳥の藤原の地に造営が開始され、その後、平城遷都に伴い、718年に現在地の西ノ京に移転しましたが、火災と兵火で多くの建物を失い、奈良時代の建物は東塔を残すのみとなりました。

    薬師寺は、興福寺とともに法相宗(ほっそうしゅう)の大本山になっています。
    天武天皇の発願(680年)により、飛鳥の藤原の地に造営が開始され、その後、平城遷都に伴い、718年に現在地の西ノ京に移転しましたが、火災と兵火で多くの建物を失い、奈良時代の建物は東塔を残すのみとなりました。

  • 東塔は、2009年から約110年振りの解体修理が始まりました。<br />既に、東塔全体を覆い、これから瓦を外し建物を解体するので、その姿を2018年迄見ることが出来ません。<br />東塔の高さは34.1m(相輪含む)で、江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目に高い塔・・・六重塔に見えますが実は三重塔で、各層に裳階(もこし)という小さい屋根があります。(写真はHPより)

    東塔は、2009年から約110年振りの解体修理が始まりました。
    既に、東塔全体を覆い、これから瓦を外し建物を解体するので、その姿を2018年迄見ることが出来ません。
    東塔の高さは34.1m(相輪含む)で、江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目に高い塔・・・六重塔に見えますが実は三重塔で、各層に裳階(もこし)という小さい屋根があります。(写真はHPより)

  • 管主の高田好胤師による白鳳伽藍の復興発願で、写経による納付金を建設資金に充てて、1967年から薬師寺の復興事業が始まりました。<br />1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが次々と再建されています。<br />

    管主の高田好胤師による白鳳伽藍の復興発願で、写経による納付金を建設資金に充てて、1967年から薬師寺の復興事業が始まりました。
    1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが次々と再建されています。

  • 西塔(さいとう)は、1528年に戦火で焼失し、現在ある塔は、1981年に伝統様式・技法で再建されたものです。<br />東塔は天平の建築で価値がありますが、長い年月の間に何度も修復を受けてきたので、当初の姿から変化しています。<br />例えば西塔に見える連子窓(れんじまど)は、東塔では白い壁になってしまっていたり、屋根の反りも西塔の方がピンとしている等、創建当時の姿をとどめているのは「西塔」の方といえます。<br />六重塔に見えますが、修理中の東塔と同じく三重塔です

    西塔(さいとう)は、1528年に戦火で焼失し、現在ある塔は、1981年に伝統様式・技法で再建されたものです。
    東塔は天平の建築で価値がありますが、長い年月の間に何度も修復を受けてきたので、当初の姿から変化しています。
    例えば西塔に見える連子窓(れんじまど)は、東塔では白い壁になってしまっていたり、屋根の反りも西塔の方がピンとしている等、創建当時の姿をとどめているのは「西塔」の方といえます。
    六重塔に見えますが、修理中の東塔と同じく三重塔です

  • 1976年に再建された「金堂」・・・奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊薬師三尊像が安置されています。

    1976年に再建された「金堂」・・・奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊薬師三尊像が安置されています。

  • 金堂の左側にある建物は、2003年に完成した「大講堂」・・・正面41m、奥行20m、高さ17mもある、まさに大講堂。<br />弥勒菩薩三尊像、仏足石などがあります。

    金堂の左側にある建物は、2003年に完成した「大講堂」・・・正面41m、奥行20m、高さ17mもある、まさに大講堂。
    弥勒菩薩三尊像、仏足石などがあります。

  • 「薬師三尊」は薬師如来を挟むように、向かって右手に日光菩薩、左手に月光菩薩と並んでいます。<br />像の高さは、薬師如来が254.7cm、日光菩薩が317.3cm、月光菩薩が315.3cm。<br />薬師如来は読んで字の如く「お医者さん」であり、昼間と夜間の補助に日光、月光の菩薩がつくと解釈すれば分かりやすいと思います。

    「薬師三尊」は薬師如来を挟むように、向かって右手に日光菩薩、左手に月光菩薩と並んでいます。
    像の高さは、薬師如来が254.7cm、日光菩薩が317.3cm、月光菩薩が315.3cm。
    薬師如来は読んで字の如く「お医者さん」であり、昼間と夜間の補助に日光、月光の菩薩がつくと解釈すれば分かりやすいと思います。

  • ちょうど、大宝蔵殿・特別公開「薬師寺の文化財保護展」が開催されていたので入ってみました。<br /><br />

    ちょうど、大宝蔵殿・特別公開「薬師寺の文化財保護展」が開催されていたので入ってみました。

  • 思いがけず「吉祥天女画像(国宝)」を観ることが出来て、感激です!<br />奈良時代の作で、サイズは53.0×31.7cmと思ったより小さい画像でした。<br />麻布に描かれた独立画像としては、日本最古の彩色画・・・数多くの女神の中でも、最高の美女といわれる吉祥天のふくよかな姿は、私たちの心を慰め、幸せへと導いてくれるようです。(写真はHPより)

    思いがけず「吉祥天女画像(国宝)」を観ることが出来て、感激です!
    奈良時代の作で、サイズは53.0×31.7cmと思ったより小さい画像でした。
    麻布に描かれた独立画像としては、日本最古の彩色画・・・数多くの女神の中でも、最高の美女といわれる吉祥天のふくよかな姿は、私たちの心を慰め、幸せへと導いてくれるようです。(写真はHPより)

  • 「四天王立像」・・・平安時代に作られた像で、高さは109~111cm。<br />この四天王像は、長い間、破損仏として収蔵庫の長持の中に眠っていましたが、平成9年から14年にかけて修理されました。

    「四天王立像」・・・平安時代に作られた像で、高さは109~111cm。
    この四天王像は、長い間、破損仏として収蔵庫の長持の中に眠っていましたが、平成9年から14年にかけて修理されました。

  • 「聖観音菩薩像」・・・平安時代に作られた木造の像で、平成22年に修理が完成しました。<br />

    「聖観音菩薩像」・・・平安時代に作られた木造の像で、平成22年に修理が完成しました。

  • 「千手観音菩薩像」・・・鎌倉時代に作られた木造の像で、高さは42cmあり、平成23年に修理が完了。<br />修理前は、頭上面および脇手はすべて失われていましたが、今回、新たに復原しました。

    「千手観音菩薩像」・・・鎌倉時代に作られた木造の像で、高さは42cmあり、平成23年に修理が完了。
    修理前は、頭上面および脇手はすべて失われていましたが、今回、新たに復原しました。

  • この建物は「東院堂」で、973年の火災の後、1285年に再建されました。

    この建物は「東院堂」で、973年の火災の後、1285年に再建されました。

  • 白鳳時代の国宝・聖観世音菩薩像が安置され、その四方を鎌倉時代の彫像である四天王像が守護しています。<br />

    白鳳時代の国宝・聖観世音菩薩像が安置され、その四方を鎌倉時代の彫像である四天王像が守護しています。

  • 1289年に造られた、広目天(西:左上の写真)・多聞天(北:右上の写真)・増長天(南:左下の写真)・持国天(東:右下の写真)の四天王像が、聖観世音菩薩の四方に安置されています。(写真はHPより)

    1289年に造られた、広目天(西:左上の写真)・多聞天(北:右上の写真)・増長天(南:左下の写真)・持国天(東:右下の写真)の四天王像が、聖観世音菩薩の四方に安置されています。(写真はHPより)

  • 「中門」は1984年の再建で、西塔に引き続き復興されました。<br />両側に回廊があります。

    「中門」は1984年の再建で、西塔に引き続き復興されました。
    両側に回廊があります。

  • また、中門の左右にある二天王像も、1991年に復元されました。<br />

    また、中門の左右にある二天王像も、1991年に復元されました。

  • 左側の天王像。<br />門の両側にあるのは、裸像の仁王像が一般的ですが、薬師寺の中門は、武装した極彩色の二天王像・・・しかも、「岩座」に立つのが通例ですが、「邪鬼」の上に乗っております。

    左側の天王像。
    門の両側にあるのは、裸像の仁王像が一般的ですが、薬師寺の中門は、武装した極彩色の二天王像・・・しかも、「岩座」に立つのが通例ですが、「邪鬼」の上に乗っております。

  • 西遊記でお馴染みの玄奘三蔵を祀る「玄奘三蔵院伽藍」。<br />薬師寺と興福寺は法相宗の大本山ですが、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たります。<br />戦争中に南京で日本軍が見付けたという遺骨の分骨を拝受し、平成3年に玄奘三蔵院伽藍を建立し、玄奘三蔵を祀っています。

    西遊記でお馴染みの玄奘三蔵を祀る「玄奘三蔵院伽藍」。
    薬師寺と興福寺は法相宗の大本山ですが、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たります。
    戦争中に南京で日本軍が見付けたという遺骨の分骨を拝受し、平成3年に玄奘三蔵院伽藍を建立し、玄奘三蔵を祀っています。

  • 玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿には、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」があります。<br />平成12年に設置された13枚の壁画は、シルクロードに縁の深い日本画家・平山郁夫が、30年をかけて制作した、縦2.2m、長さが49mからなる大作です。<br />天井全体には、鮮やかな青のラピスラズリで描かれた星座が配され、これもまた素晴らしいの一言でした。(写真はHPより)

    玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿には、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」があります。
    平成12年に設置された13枚の壁画は、シルクロードに縁の深い日本画家・平山郁夫が、30年をかけて制作した、縦2.2m、長さが49mからなる大作です。
    天井全体には、鮮やかな青のラピスラズリで描かれた星座が配され、これもまた素晴らしいの一言でした。(写真はHPより)

  • 明けゆく中国の長安から始まり、敦煌、天山山脈やゴビ砂漠の西域、それに西方浄土須弥山、アフガニスタンのバーミアン石窟そして夕焼けのデカン高原と続き、最後は月夜のインドのナーランダと、玄奘三蔵の足跡が13面に描かれており、圧倒されます。

    明けゆく中国の長安から始まり、敦煌、天山山脈やゴビ砂漠の西域、それに西方浄土須弥山、アフガニスタンのバーミアン石窟そして夕焼けのデカン高原と続き、最後は月夜のインドのナーランダと、玄奘三蔵の足跡が13面に描かれており、圧倒されます。

  • 薬師寺を見学した後、午後からは大和郡山にある夫の兄の家で、夫の両親の法事です。<br />法事も無事終わり、皆で恒例の「かんぽの宿 大和平群」に行き、懇親会です。<br />兄弟の皆さんや姪達も加わり、総勢12名の団体でした。

    薬師寺を見学した後、午後からは大和郡山にある夫の兄の家で、夫の両親の法事です。
    法事も無事終わり、皆で恒例の「かんぽの宿 大和平群」に行き、懇親会です。
    兄弟の皆さんや姪達も加わり、総勢12名の団体でした。

  • ここの自慢は、大浴場の一角にある「古代檜寝湯浴槽」・・・地殻変動で倒れ、100年以上も深山で眠り続けた樹齢約2千年の檜を使い、薬用成分を多量に含んだ貴重な湯船で、ゆったり出来ました。<br /><br />明日は京都に向かいます。

    ここの自慢は、大浴場の一角にある「古代檜寝湯浴槽」・・・地殻変動で倒れ、100年以上も深山で眠り続けた樹齢約2千年の檜を使い、薬用成分を多量に含んだ貴重な湯船で、ゆったり出来ました。

    明日は京都に向かいます。

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