2013/08/10 - 2013/08/13
7673位(同エリア24426件中)
くろへいさん
嘗てバンコクが魔都と呼ばれた時代があった。
70年後半から80年代のバンコクは、現在のように観光客が気軽に訪れる場所ではなかった。
海外といえばハワイやグアムが主流だった当時、東南アジアを目指す旅行者は、明らかに異質な存在であった。
彼らの多くは、藤原新也に影響を受け、この地を足掛かりに周辺諸国やインドへと旅立って行った。
沢木耕太郎もその中のひとりだった。
90年代にこの地を目指した者は、彼の代表作である「深夜特急」に影響を受けた者が少なくなかった。
かくいう私もその中のひとりだ。
バックパッカーという言葉は、その頃に生まれた。
思えば、この頃からバンコクでは、次々と高層ビルが建ち、発展途上国から途上国へと近代化の階段を一気に昇っていった。
その一方で、ヤワラーと呼ばれる中華街一帯の再開発は遅々として進まず、未だ「魔都」の面影が色濃く残っていた。
金にシビアで合理主義者の華僑達が築き上げてきたヤワラー界隈は、乏しい資金でアジアを放浪する者には居心地の良い場所だった。
此処を目指す者達は、程度の差こそあれ「魔都バンコク」の魅力に取り付かれていた。
街頭に立つ娼婦の放つ淫臭と漢方薬の臭いが、運河を流れる澱んだ水と混じり常に異臭を放ち、三輪タクシーの放つ騒音と共に独特な空気を醸し出していた。
これら退廃的な空気に魅せられ、さながら常夜灯に群がる蛾の如く、淫靡な臭いに惹きつけられた旅行者が、ひとりそして又ひとりとこの街に沈んでいった。
そんな彼らが宿泊していたのは、旅社と呼ばれる安宿だった。
楽宮旅社、ジュライホテル、台北旅社、そしてスリークルンこと大京華旅社…
当時アジアを放浪する者で、これらのホテルの名を知らぬ者はいなかった。
因みに、これらの安宿の中でも、スリークルンだけは別格だった。
他の旅社と比べ3倍ちかいこのホテルの宿泊料は、この界隈を根城にする貧乏旅行者にとっては、充分に高嶺の花の存在だった。
高嶺の花とはいえ、エアコンと熱いお湯が出るバスタブの備わった部屋は、当時の価格で僅か1500円程度だった。
長期に渡り、アジア周辺を旅して廻った貧乏旅行者達は、その旅の最後にこのホテルの扉をくぐり、旅の垢を落とした後に29番の市バスに乗って空港を目指した。
私にとってスリークルンは、長いアジア放浪にピリオドを打ち、厳しい日本の現実に立ち向かう通過点のようなものだった。
あれから25年。
ヤワラーの再開発の名の下に、バンコクの定宿だったジュライが取り壊され、その後楽宮旅社が閉鎖。
今では台北旅社とスリークルンだけが僅かにその姿を残している。
清潔で快適なホテルが次々と建つようになった現在、スリークルンは遺物な存在になりつつある。
しかし、豊かな青春を過ごしたあの時代を忘れる事ができず、今でも年に1-2回はこのホテルに泊まっている。
このホテルで働く人々も変わらず、今でも当時のままの様だ。
実際に、このホテルの利用者の多くは、日本人、白人と国籍を問わずに世界の辺境を這いずり回ってきた「旅の猛者達」ばかりだ。
今のように、ネットが無かった当時、旅先の情報はこのホテルの珈琲ショップにたむろする旅行者から得る事が多かった。
それぞれが互いの情報を交換しながら、内戦中のカンボジアやミャンマー、インドへと立っていった。
こんな趣のあるスリークルンも、駅前の大開発の波に飲み込まれるのは時間の問題だ。
嘗て、天秤棒を担いだソムタム売りの女達がゴザを広げていた広場には、大きなクレーンが聳え、首都交通公団による地下鉄の延長工事が24時間体制で進められている。
またひとつ、バンコクの隠れた名所が消えようとしている今、懐かしい当時に思いを馳せながら周囲を散策してきた。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
-
当時、大学生だった私は、安いだけが取り柄のパキスタン航空やエジプト航空を利用してバンコクを往復していた。
これらの航空会社のバンコク到着はいつも深夜と決まっていた。
空港前の深夜の路上で29番の市バスに乗ると、概ね1時間ほどでバンコク中央駅に着いた。
私の旅は、いつも此処から始まった。
【中央駅から見るスリークルンホテル】 -
街娼達が立つ運河を越えると、目の前にホテルの入口がある。
ロビーは、25年前も今も変わってない。 -
珈琲ショップ
茹だる様なバンコクの熱気から逃れるため、午後になると、この界隈を根城にする旅行者達が、涼みに集まって来た。 -
エレベーターを降りると、廊下が左右に別れる。
昼間でも薄暗い -
一般的な部屋の様子
質素だが、必要なものは全て揃っている。
固いベッドは寝心地が良い。
毎日、清潔なシーツに交換してくれる。
老朽化しても、いつも清潔に掃除してくれる。
25年の間に少しずつリノベーションされている。
システムエアコンに代わってルームエアコンが取付けられた。
(新しく取付けられたエアコンは、随分と草臥れた中古品 煙草のヤニで黄ばんでいる) -
狭いながらも、浴室にはバスタブがある。
熱いお湯がふんだんに出るのが嬉しい。
シャワー室のみの部屋は他よりも100THB安い。
(以前は、バスタブ部屋も同額だった)
因みに、2013年8月時点の料金(外国人料金)は以下の通り
★シャワー室 650THB/泊
★バスタブ室 750THB/泊
★トリプル室 1,050THB/泊(冷蔵庫付)
※週末は上料金に100THB増 -
屋上から中央駅と中華街を分断するクロンカセム運河を望む
嘗てはSem Senと此処を乗合ボートが結んでいた。
カオサンに格安航空券を買いに行く時は、ボートに乗って行った。 -
中央駅から視線を左(北西方面)に向ける
中華街一帯を俯瞰する
車が連なっているのがチャルンクルン通り -
更に左(西方面)に視線を移す
こちらは、中華街入口方面
黄金色の仏塔は、ワットトライミット(黄金寺) -
更に左(南西方面)に視線を移す
首都交通公団による中央駅前の再開発現場を見下ろす
高級ホテル「センタラグループ」の施工予定の看板が見える
地下鉄延長工事により周辺の利便性が一気に改善する
この工事は、中華街周辺の様相を一変させるだろう -
更に左(西方面)に視線を移す
夜明け前のバンコク中央駅(ホアランポーン)を望む
嘗て、駅前でゴザを並べていたソムタム売りの女達の姿は無い
彼女達が、客を連れ込んで稼いだ「チョンの間ホテル」は数年前に取り壊された。 -
駅舎の屋根越しに望む、夜明け前の首都バンコク
-
スリークルンはチャルンクルング通りとクロンカセム通りに面している
フロント横の裏口を抜けると、チャルンクルング通りに出る。
裏口付近から見たスコールの路上 -
水飛沫を立てて疾走するオート三輪
雨季の風物詩だ -
裏口からチャルンクルング通りを北西に向けて歩く
マッサージパーラー「クレオパトラ」の看板に灯りが灯る。
此処は以前「ハーレム」という風呂屋だった。
しかし、泡姫からエイズ患者が出たため、5-6年前に店名を変更した。 -
チャルンクルン通りを北西に進み、最初の交差点を右折すると、左手に「台北旅社」が建つ。
此処が、嘗ての私の定宿だ。
檻の様な昇降機と、階段に屯して座る若い娼婦達がこの宿の名物だった。
当時の部屋代は220THB/泊
エアコン付きの個室では私の知る限りバンコク最安値だった。
従業員によるレイプ事件や盗難が多発してから、此処を避けるようになったが、今でも入口周辺に娼婦が座っている。
チョンの間を除くと、中華街に現存する最後の大旅社だ。 -
台北旅社から更に50M進むと「7月22日ロータリー」に出る。
ロータリーの中心は公園となっている。
この公園を中心に、台北旅社、ジュライ、楽宮旅社が建っていた。
昼間からヤクの売人、売春婦、男娼、中毒患者に乞食が屯する、私の知る限り世界一邪悪な公園だった。
今では、周囲に柵が設けられ、通常は立ち入りが禁止されている。 -
嘗て楽宮旅社と共に人気を分けていたジュライホテル。
宿泊者の9割は日本人だった。
此処に泊まる多くの者は麻薬と女に溺れ、自堕落な日々を過ごしていた。
彼らの醸し出す退廃的で澱んだ空気を嫌う者は、此処を離れカオサンやマレーシアホテル周辺の安宿へと移って行った。
【画像は1992年当時】 -
ジュライホテルの部屋
私の定宿「台北旅社」と見栄えは変わらないが、陰鬱な雰囲気に馴染めず2-3回しか泊まった事が無い。
「ジュライや楽宮の住民ほど落ちぶれてない」
というのが、当時の私のささやかなプライドだった。
今にして思えば、目糞ハナクソの差ではあるが…
水シャワーとトイレが付いた個室は120THB(当時)
勿論エアコンは無い
個室というよりも独房と呼ぶのが相応しい。
【画像は1992年当時】 -
今は無き、ジュライホテルの入口付近には壊れた公衆電話が置かれている。
ヤワラーの天使と呼ばれた「ポンちゃん」も、このホテルの住民だった。
彼女はフリーの娼婦だが、気に入らない客とは寝ず、逆に気に入った客からは金を取る事もしなかったという。
娼婦というよりも、実際にはクスリのプッシャー屋で生計を立てていた。
台北旅社の住民だった私は、ポンちゃんとの交流は皆無だったが、時々ジュライに遊びに行くと、中庭でシンナー遊びをしているポンちゃんを何度か見かけた事がある。
1995年にジュライホテルは閉鎖した。
その後、ジュライの後を追うようにしてポンちゃんは逝った。
享年27歳
風の噂に、クスリのやりすぎによる心筋梗塞が死因と聞いた。 -
ジュライホテルからロータリーを右方向に進み、運河方面に曲がると、右手に楽宮旅社が建つ。
このホテルを舞台にした、谷恒生の「バンコク楽宮旅社」はもはや伝説となった名著だ。
著者は2003年に他界したが、著者の後を追うようにして、このホテルもその役目を終えた。 -
2004年の閉鎖以来、このホテルは未だ取り壊されてない。
もはや廃屋となったビルからは、当時の様子を窺い知る事はできない。
楽宮旅社入口横には北京飯店という名の安食堂があった。
ホテルの閉鎖後も北京飯店は営業を続けていたが、今回閉鎖を確認。
女主人のスワニーさんは何処に行ったのだろうか? -
一旦ロータリーに戻り、台北旅社の横道を入りチャルンクルング通り方面に向かう。
よそ者に対しては寛容なタイの社会だが、この界隈は極めて閉鎖的だ。
特に、通り抜けできないソイには入らない方が良い。
出来るだけ、カメラは鞄に隠して歩き、シャッターを切る際には人が入らないようにする。 -
ヤワラーには、このような路地が多い。
複雑な地形のため魑魅魍魎な独特な世界を形成している。 -
同じ界隈でも、危険なソイと安全なソイが交差する。
看板の無いビルの入口に、年増の娼婦達が座るようなソイは、できれば避けた方が良い。
勿論カメラは御法度だ。 -
車が通るような道は安全だ。
-
一旦、ヤワラー通りに出る。
成功を夢見て流れてきた華僑達がこの界隈に暮らす。
タイに住む華僑の殆どが潮州出身だ。
この通りと平行するサンペン通りは、50-60年代のバンコク経済の中心だった。
通りの1階で布地や金を売り、階段を上がると阿片窟や冷気茶室があった。
人身売買のメッカでもあり、この街が魔都と呼ばれる由縁でもあった。
今では、すっかり生まれ変わり、チープな小物を売る店が連なっている。 -
ヤワラー通りからソイテキサスを抜けて再度チャルンクルン通りに戻る。
この界隈は中華街の中心として、多くの人達で賑わうが、一歩狭い路地に入ると魑魅魍魎の世界を垣間見る事が出来る。 -
ドリアンを売る屋台。
何の変哲も無く見えるが、名産地でも滅多にお目に掛かれない「ガンヤオ種」が平然と売られている。
これもヤワラーの魅力だ。 -
腹が減ったので、食堂で夕食をとる。
日本産のフカヒレを使ったスープが500THB/2人分
大衆的な食堂でも、驚くような高級食材を用いた本格中華を堪能できる。
観光客向けのレストランも多いが、地元の華僑が集まる店は安価で驚くほど美味い。
これも、ヤワラーの魅力だ。 -
外に出ると、ヤワラー通りは夜の帳に包まれていた。
53番の市バスがカオサンを目指す。 -
再びチャルンクルン通りに戻る。
再度「クレオパトラ」の看板をくぐる。 -
スリークルンを通り過ぎて、ホアランポーン(バンコク中央駅)に入る。
西洋風の立派な駅舎だ。
夜の中央駅は、東北に向かう夜行列車を待つ人達で溢れている。
嘗ては、田舎に帰る人達が、列車を待つ間、地べたに座り酒盛りをしている風景が見れたが、今では禁止されている。 -
夜のプラットホーム
嘗て、日本列島を走っていたブルートレインは、その役目を終えて第二の人生をこの地でおくっている。
紫色に塗り替えられた寝台車輌は、静かに出発の時を待っている。
それぞれの時代が、この街で交差しながら、新しい時代を構築していく。
備考
気が付くと、自分の人生の半分以上をこの国と関わって生きてきた。
特にこの国が好きな訳でもなく、できれば関わりあいたく無い気持ちの方が強かった。
なぜ、このようになったのかは分からない。
小さな偶然の積み重ねと、何かの出会いが今に至ったのだろう。
然しながら、今の自分の原点はバックパッカー時代にあったと思う。
汚いリュックを背負い、僅かな金と情報を頼りにアジアやインドの安宿を渡り歩く中で、色々なものを学んだ。
今でも、カオサンや空港で大きなリュックを担いだ若者達に出会うと、昔の自分を重ねてしまう。
ジュライホテルの独房に書かれていた名言を思い出した。
「豊かな青春、惨めな老後」
この落書きを書いた人は、今何をしているのだろうか?
誰が書いたのかは分からない。
しかし、できればこれを書いた人には幸せな老後を送って貰いたいと私は思っている。
豊かな青春を送った者が、その見返りとして惨めな老後を送るのはあまりにも寂しい。
2013年8月
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- zen93さん 2018/11/25 14:41:49
- ポムちゃん。。。
- 1989~1994までジュライに泊まってました。ポムちゃんとはとても親しくさせてもらい今でも忘れられない想い出です。台北も改装となると安く泊まれる所がなくてガッカリです。。。
- くろへいさん からの返信 2018/11/27 10:25:57
- RE: ポムちゃん。。。
- > 1989?1994までジュライに泊まってました。ポムちゃんとはとても親しくさせてもらい今でも忘れられない想い出です。台北も改装となると安く泊まれる所がなくてガッカリです。。。
90Sヤワラー組の方ですね。
ジュライのポムちゃんは日本人沈没組のマドンナ的存在として伊藤四郎と共に当時を代表するレジェンドですね。
今でもあの周辺を歩くと、ジュライの中庭でシンナーしているポムちゃんの姿が瞼に浮かびます。
クスリのやり過ぎで心筋梗塞で逝ってしまったそうですね。
享年27とか…合掌
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
バンコク(タイ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
34