2013/03/17 - 2013/03/17
853位(同エリア1253件中)
滝山氏照さん
JR中央線・甲府駅から東京寄りの沿線に武田信玄母堂である大井夫人の菩提寺である長禅寺(ちょうぜんじ、山梨県甲府市愛宕町)という臨済宗妙心寺派の寺院があります。
信玄の統治時代に多くの社寺が城下やその周辺に創建整備され、その代表的な社寺が甲府五山と呼ばれ、具体的には長禅寺(ちょうぜんじ)・能成寺(のうじょうじ)・円光寺(えんこうじ)・東光寺(とうこうじ)・法泉寺(ほうせんじ)と言った臨済宗の寺院で、あたかも京都や鎌倉の五山を意識して信玄が定めたものです。
開山の岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく、生誕不詳~1562)は信玄の母大井夫人が招いた僧侶で、信玄は幼い頃から彼を学問の師として仰ぎ、元伯が住職を勤めていた古長禅寺(現南アルプス市鮎沢)まで通ったとされています。
天文10年(1541)家督を相続した信玄は天文21年(1552)に亡くなった母のため当地に寺を創建して「長禅寺」と命名し、それまでの大井氏が支配する寺を古長禅寺に改め岐秀を甲府に迎えて改めて住職とします。
2022年9月16日追記
「甲斐百八霊場」資料には次のように紹介されています。
『 長禅寺由緒
武田信玄の母大井夫人の菩提寺。岐秀元伯が開いた臨済宗妙心寺派の名刹。
はじめは現在の南アルプス市鮎沢にあった。大井夫人はその岐秀元伯に帰依、嫡子晴信(後の信玄)に儒学、修繕、治国の基本を学ばせた。
永禄2(1559)年に晴信が出家した時には岐秀元伯を導師とし、機山信玄の法名も岐秀から贈られたという。
大井夫人は、天文21(1552)年にこの世を去ったが、晴信には鮎沢では母の墓所が遠かったので、亡き母を開基に、岐秀和尚を開山に請じ、館に近い現在の地に新たに長禅寺を開かせたもの。このため鮎沢の寺は以来、古長禅寺と呼ばれるようになった。
信玄は臨済宗の関山派に深く帰依し、京都や鎌倉五山にならって甲府五山をおき、長禅寺をその主座としたという格式と由緒のある寺である。』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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イチオシ
長禅寺・山門
荘厳頑丈な山門が迎えてくれます。 -
扁額
「長禪安國」と刻されています。 -
長禅寺・山門
太い材木で組まれていて逞しい山門を感じさせます。 -
長禅寺・石碑
信玄母堂の菩提寺を説明する石碑が山門の傍らに控えています。 -
長禅寺・標柱
山門手前の擬木には府中五山の首座ともいえる長禅寺が刻されています。 -
仁王門
山門をくぐって参道を進みますとその奥に古びた仁王門を捉えます。 -
大井夫人・霊廟
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大井夫人・霊廟標柱
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大井夫人霊廟標柱
石碑の横に説明書きがありますが実際は影のため良く見えません。 -
長禅寺本堂
外壁に囲まれて中の様子が見えません。 -
イチオシ
五重塔
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大井夫人墓参詣道
この細い参道の奥に武田信玄母堂の墓があります。 -
大井夫人・墓門
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イチオシ
大井夫人墓石
「長禅寺殿心月珠泉大姉」と刻されています。当初の法名は「瑞運院殿」でありましたが後に改められます。 -
大井夫人・墓石
大井夫人は武田信虎が甲斐国統一の際最後まで抵抗した大井氏の娘で人質同然に信虎の正室となり信玄を始め三男(晴信・信繁・信廉)一女を産みます。 -
長禅寺・社務所
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甲府城
(長禅寺から甲府駅に戻る途中に甲府城が視野に入りました) -
甲府城・櫓
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甲府城・櫓
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甲府城堀・説明板
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甲府城・堀
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