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永正16年(1519)本拠をそれまでの石和(いさわ)から甲府の躑躅ケ崎(つつじがさき)に移しここに本拠を移し居館を構えた武田信虎(たけだ・のぶとら、1494~1574)は翌年6月後背地の要害山(現:上積翠寺町)に要害山城(ようがいざんじょう、山梨県甲府市上穂翠寺町)を築城して同居館の詰めの城砦とします。<br /><br />甲府に移転するまでの歴代守護職の居館は東郡(ひがしごおり)が多く、永正4年(1507)父信縄(のぶつな、1471~1507)の死に伴い信虎は15歳で家督を継ぎますが、信縄が守護に就いた背景としては叔父油川信恵(あぶらかわ・のぶしげ、生誕不詳~1508)を支持する祖父信昌(のぶまさ、1447~1505)と和睦した経緯があります。<br /><br />上述の如く以前からの家督継承権を巡っての争いが再燃、叔父油川信恵は守護職獲得のチャンスと捉え反旗を翻しますが、永正5年(1508)信恵一族を滅亡させ2年後には信恵の支持者であった郡内の小山田氏と和睦して国主の地位を固めます。<br /><br />更に西郡(にしごおり)の有力豪族大井氏を攻めて降伏させ、国内の主たる反対勢力を支配下に収めることに成功した信虎は現居館(石和)から躑躅ケ崎に移転をもくろみます。<br /><br />躑躅ケ崎移転を決した信虎は永正16年(1519)夏ごろに建設開始、同年12月には新館に入ります。自ら移転するだけではなく臣従した国人たちにも地元から移住を強制します。<br /><br />これに対し自らの土地に愛着を持つ国人達の反発は必至、栗原氏、大井氏、逸見氏等は城下を引き払いそれぞれの所領に籠りますが、信虎はこれを許さず武力で3氏を制圧し甲斐における政治中心地の礎とします。<br /><br />国人の反乱を制した翌年には信虎は防衛の為の詰城として躑躅ケ崎後背地の要害山に築城着手、このことは国内争いに乗じて甲斐に侵入した駿河勢に対抗する必要に迫られた事情があったからです。<br /><br />永正18年(1521)秋には武将福島正成(くしま・まさしげ、1492~1521)率いる今川軍が侵攻、大島(現身延町)の戦いで勝利、次には甲府盆地西南部の冨田城(現 南アルプス市)を制圧し甲府に迫ります。<br /><br />この時身重の信虎の妻は冨田城落城を受けて要害城に避難、接近する今川軍は竜地(現 双葉町)に布陣、迎え撃つ信虎は飯田河原、上条河原での2回に亘る戦い福島正成を討取り勝利を収め撃退します。<br /><br />信玄が生まれたのはこの戦いの最中の11月3日で嫡男誕生の知らせを喜んだ信虎は上条河原合戦で勝利した時刻に生まれたのに因んで「勝千代」の幼名を与えています。<br /><br />その後、クーデターにより父信虎を駿河に追放し家督を相続した信玄は信濃・駿河方面に支配を広める中、要害山城は本来の役割を果たすことはありませんでした。<br /><br />然しながら元亀4年(1573)信玄の遠征途中での死去を受け、震源の遺言により「陣代」となった武田勝頼(たけだ・かつより、1546~1582)の代になりますと支配が芳しくなく、天正3年(1575)長篠設楽ケ原の戦いで多数の重臣を失うほどの大敗北を喫したことによって翌年6月に要害山城の修築を命じています。<br /><br />天正10年(1582)武田勝頼の自害により武田氏滅亡、一時的に織田領となりましたが同年信長の本能寺での横死を期に甲斐国をめぐり小田原北条氏と争い、和睦により新たに徳川領となった要害山城は徳川臣下の城代が置かれます。<br /><br />天正18年(1590)小田原戦役後、徳川家康は関東に転封となりますと甲府には羽柴秀勝(はしば・ひでかつ、1569~1592)が入り新たに甲府城を築城したので躑躅ケ崎館は廃城、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後再度家康の領地となりますが要害山城は破却されます。

甲斐甲府 国内戦乱を鎮め石和から甲府に本拠を移した武田信虎が駿河侵攻体験から躑躅ケ崎館の詰城とした『要害山城』訪問

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2013/03/17 - 2013/03/17

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滝山氏照

滝山氏照さん

永正16年(1519)本拠をそれまでの石和(いさわ)から甲府の躑躅ケ崎(つつじがさき)に移しここに本拠を移し居館を構えた武田信虎(たけだ・のぶとら、1494~1574)は翌年6月後背地の要害山(現:上積翠寺町)に要害山城(ようがいざんじょう、山梨県甲府市上穂翠寺町)を築城して同居館の詰めの城砦とします。

甲府に移転するまでの歴代守護職の居館は東郡(ひがしごおり)が多く、永正4年(1507)父信縄(のぶつな、1471~1507)の死に伴い信虎は15歳で家督を継ぎますが、信縄が守護に就いた背景としては叔父油川信恵(あぶらかわ・のぶしげ、生誕不詳~1508)を支持する祖父信昌(のぶまさ、1447~1505)と和睦した経緯があります。

上述の如く以前からの家督継承権を巡っての争いが再燃、叔父油川信恵は守護職獲得のチャンスと捉え反旗を翻しますが、永正5年(1508)信恵一族を滅亡させ2年後には信恵の支持者であった郡内の小山田氏と和睦して国主の地位を固めます。

更に西郡(にしごおり)の有力豪族大井氏を攻めて降伏させ、国内の主たる反対勢力を支配下に収めることに成功した信虎は現居館(石和)から躑躅ケ崎に移転をもくろみます。

躑躅ケ崎移転を決した信虎は永正16年(1519)夏ごろに建設開始、同年12月には新館に入ります。自ら移転するだけではなく臣従した国人たちにも地元から移住を強制します。

これに対し自らの土地に愛着を持つ国人達の反発は必至、栗原氏、大井氏、逸見氏等は城下を引き払いそれぞれの所領に籠りますが、信虎はこれを許さず武力で3氏を制圧し甲斐における政治中心地の礎とします。

国人の反乱を制した翌年には信虎は防衛の為の詰城として躑躅ケ崎後背地の要害山に築城着手、このことは国内争いに乗じて甲斐に侵入した駿河勢に対抗する必要に迫られた事情があったからです。

永正18年(1521)秋には武将福島正成(くしま・まさしげ、1492~1521)率いる今川軍が侵攻、大島(現身延町)の戦いで勝利、次には甲府盆地西南部の冨田城(現 南アルプス市)を制圧し甲府に迫ります。

この時身重の信虎の妻は冨田城落城を受けて要害城に避難、接近する今川軍は竜地(現 双葉町)に布陣、迎え撃つ信虎は飯田河原、上条河原での2回に亘る戦い福島正成を討取り勝利を収め撃退します。

信玄が生まれたのはこの戦いの最中の11月3日で嫡男誕生の知らせを喜んだ信虎は上条河原合戦で勝利した時刻に生まれたのに因んで「勝千代」の幼名を与えています。

その後、クーデターにより父信虎を駿河に追放し家督を相続した信玄は信濃・駿河方面に支配を広める中、要害山城は本来の役割を果たすことはありませんでした。

然しながら元亀4年(1573)信玄の遠征途中での死去を受け、震源の遺言により「陣代」となった武田勝頼(たけだ・かつより、1546~1582)の代になりますと支配が芳しくなく、天正3年(1575)長篠設楽ケ原の戦いで多数の重臣を失うほどの大敗北を喫したことによって翌年6月に要害山城の修築を命じています。

天正10年(1582)武田勝頼の自害により武田氏滅亡、一時的に織田領となりましたが同年信長の本能寺での横死を期に甲斐国をめぐり小田原北条氏と争い、和睦により新たに徳川領となった要害山城は徳川臣下の城代が置かれます。

天正18年(1590)小田原戦役後、徳川家康は関東に転封となりますと甲府には羽柴秀勝(はしば・ひでかつ、1569~1592)が入り新たに甲府城を築城したので躑躅ケ崎館は廃城、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後再度家康の領地となりますが要害山城は破却されます。

交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
  • 要害山登口<br /><br />甲府駅北口から終点の積翠寺までバスに乗り、そこから暫く歩きます。(バスの本数が少ないので事前に要チェック)但し帰路は下り坂でもあり武田神社まで歩き周囲の風景の変化を楽しむのもいいと思います。

    要害山登口

    甲府駅北口から終点の積翠寺までバスに乗り、そこから暫く歩きます。(バスの本数が少ないので事前に要チェック)但し帰路は下り坂でもあり武田神社まで歩き周囲の風景の変化を楽しむのもいいと思います。

  • ホテル要害<br /><br />

    ホテル要害

  • 積翠寺温泉説明板<br /><br />武田信玄隠し湯の一つと言われています。

    積翠寺温泉説明板

    武田信玄隠し湯の一つと言われています。

  • 要害山案内板

    要害山案内板

  • 要害山絵地図

    要害山絵地図

  • 要害山登口<br /><br />山登りと言った印象を抱きながら細い小路を歩きます。

    要害山登口

    山登りと言った印象を抱きながら細い小路を歩きます。

  • 市街展望

    市街展望

  • 大手口<br /><br />登山口に入ると石垣が見えますが遺構であるかどうかわかりません。

    大手口

    登山口に入ると石垣が見えますが遺構であるかどうかわかりません。

  • 史跡境界<br /><br />武田信虎が永正17年(1520)当山に要害山城を築き家臣の駒井氏が城番を務めます。<br />

    史跡境界

    武田信虎が永正17年(1520)当山に要害山城を築き家臣の駒井氏が城番を務めます。

  • 竪堀跡<br /><br />

    竪堀跡

  • 土塁<br /><br />

    土塁

  • 要害山風景

    要害山風景

  • 石段<br /><br />傾斜が厳しい小路で石段は助かります。

    石段

    傾斜が厳しい小路で石段は助かります。

  • 石積み

    石積み

  • 門跡<br /><br />両側に石積で築いた虎口で、防御のための門が造られています。

    門跡

    両側に石積で築いた虎口で、防御のための門が造られています。

  • 門跡説明板

    門跡説明板

  • 土塁

    土塁

  • 土塁

    土塁

  • 虎口

    虎口

  • 廓説明板

    廓説明板

  • 不動郭<br /><br />江戸時代に造られた成田不動尊に由来するそうです。

    不動郭

    江戸時代に造られた成田不動尊に由来するそうです。

  • 不動明王像<br /><br />江戸時代に造られたものですが背景が不明です。

    不動明王像

    江戸時代に造られたものですが背景が不明です。

  • 門跡

    門跡

  • 説明板

    説明板

  • 郭跡

    郭跡

  • 廓説明板

    廓説明板

  • 門跡

    門跡

  • 虎口

    虎口

  • 土塁

    土塁

  • 門跡

    門跡

  • 虎口

    虎口

  • 主郭虎口

    主郭虎口

  • 主郭門跡<br /><br />主郭に入る玄関先に当たる正門跡になります。

    主郭門跡

    主郭に入る玄関先に当たる正門跡になります。

  • 主郭跡<br /><br />主郭跡は東西約73m南北約22mの切削地となっています。

    主郭跡

    主郭跡は東西約73m南北約22mの切削地となっています。

  • 主郭跡表示板

    主郭跡表示板

  • 主郭跡土塁<br /><br />周辺部は土塁で囲まれています。<br /><br />

    主郭跡土塁

    周辺部は土塁で囲まれています。

  • 武田信玄生誕記念碑<br /><br />主郭跡広場の中央部北側に信玄生誕地の記念碑が建立されています。

    武田信玄生誕記念碑

    主郭跡広場の中央部北側に信玄生誕地の記念碑が建立されています。

  • 武田信玄生誕記念碑<br /><br />

    イチオシ

    武田信玄生誕記念碑

  • 要害山柱標<br /><br />標高770mの高さですが主郭まで辿るには小路をくねくね歩くためかかなり歩いた実感があります。

    要害山柱標

    標高770mの高さですが主郭まで辿るには小路をくねくね歩くためかかなり歩いた実感があります。

  • 案内板

    案内板

  • 主郭跡土塁

    主郭跡土塁

  • 主郭跡土塁

    主郭跡土塁

  • 搦手門(からめてもん)虎口

    搦手門(からめてもん)虎口

  • 主郭跡土塁<br /><br />主郭南側土塁は東西が長く連なって幅も相当なものです。<br /><br />

    主郭跡土塁

    主郭南側土塁は東西が長く連なって幅も相当なものです。

  • 主郭跡展望<br /><br />南側土塁に足をかけて市街方向を見ますが、樹林や薮等に遮られ展望困難です。

    主郭跡展望

    南側土塁に足をかけて市街方向を見ますが、樹林や薮等に遮られ展望困難です。

  • 主郭虎口土塁<br /><br />土塁の南側から虎口を捉えます。<br /><br />

    主郭虎口土塁

    土塁の南側から虎口を捉えます。

  • 市街展望<br /><br />樹間から市街を一望します。

    市街展望

    樹間から市街を一望します。

  • 市街展望<br /><br />更に視界は甲府市街を捉えます。

    市街展望

    更に視界は甲府市街を捉えます。

  • 物見台

    物見台

  • 物見台

    物見台

  • 物見台展望<br /><br />物見台から下方向を捉えます。

    物見台展望

    物見台から下方向を捉えます。

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