2013/07/30 - 2013/08/07
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norisaさん
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プラハはチェコ共和国の首都であり、同国最大の都市で、中央ヨーロッパ有数の世界都市でもあり人口は、約120万人とのことです。
市内中心部をヴルタヴァ川(モルダウ川)が流れ、古い町並み・建物が数多く現存しており、毎年海外から多くの観光客が訪れる観光地でもあります。
ここにあるカレル大学は中欧最古の大学です。
また尖塔が多くあることから「百塔のプラハ」とも呼ばれるそうです。有名な天文学者ティコ・ブラーエが天体観測を行った天文塔もそのひとつですし、ヤン・フスが説教を行ったベツレヘム教会などもあります。
今回初めてチェコ、そしてその首都であるプラハを散策することができました。
お天気は連日の晴天。
湿度が低いので真夏の陽光も苦になることはありませんでした−−−。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
まずはプラハ城の裏側、西側で車を降ります。
プラハ城は、チェコ共和国首都プラハ、ヴルタヴァ川(モルダウ川)のほとりに位置しており、プラハ城から街全体を見渡せます。
プラハ城の歴史は、9世紀に始まったと言われています。
14世紀、神聖ローマ皇帝カレル(カール)4世により、プラハは黄金の街へと発展し、プラハ城の大建設が始まりました。 -
いきなり高い尖塔が見えてきました!
これが有名な聖ヴィート大聖堂のようです。 -
門をくぐり近づきます。
-
ほどなくして衛兵が警護している門に行きあたります。
名前はマティアス門というシャレた門ですが、かなりの人だかりです。 -
ここから見上げれば聖ヴィート大聖堂の尖塔がこちらを睨んでいるようです−−。
-
そしてマティアス門は今やまさに衛兵交代の瞬間。
これで人だかりの理由がわかりました。
皆さん、なかなかのイケメンかつ体型もイケてます。
やはり衛兵もAKBのように総選挙があるのでしょうか(笑) -
それにしても一糸乱れぬ交代儀礼です。
兵士たるものこうあらねば!でしょうか。
(日本は徴兵制がなくて良かったですーーー) -
門を通り抜けると中庭に到着します。
-
右手前は井戸の跡だそうです。
-
さらに進むとーー!
何と! -
すさまじい迫力の大聖堂の正面。
中央はバラ窓と呼ばれています。
これではかなりい―かげんな信者でもひれ伏して、心からの礼拝をすることでしょう! -
横からの大聖堂正面です。
聖ヴィート大聖堂は、プラハ城で最も大きい建築物であり、チェコで最も大きい大聖堂でもあります。 -
こちらはメインタワーと呼ばれる塔です。
おそろしく高い塔ですが、建築技術の粋を集めたことでしょうーーー。 -
大聖堂の現在の外観は千年以上にわたる建築の発展の結果だそうです。
大聖堂はもともと10世紀に造られたロマネスク様式のロトンダ(円筒型のシンプルな教会)から始まりましたが、1344年、フランスの巨大な大聖堂に触発されたボヘミア王兼神聖ローマ皇帝カレル4世が現在見られるような堂々たる建物に改築する工事に着手しました。
(やはり虚栄心や勝ち気な性格が世界の名建築を生むドライビングフォースの一助になっていることは否定できません(笑))
建設は最も重要なチェコの守護聖人ヴァーツラフの死後1000年後の1929年に完成しました。
それにしても1000年もの歳月をかけて完成させているわけですが、ゴシック、バロック、ネオゴシックなどの様式を見事に調和させています。
バルセロナのサグラダファミリアの建設期間の長さもこの大聖堂と比べると短く感じてしまいます。 -
メインタワーの右手にも無数の尖塔が見て取れます。
-
メインタワーの頂点はお城のような風情です。
高さは99mという大鐘楼です。 -
そして大聖堂正面はあくまでも天空高くその尖塔を延ばしています。
こちらは高さ82mの尖塔が二本!
地震の多い日本では危うい設計かもしれません。 -
プラハの始まりは6世紀後半にスラヴ民族によりヴルタヴァ川河畔に集落が形成されたのが最初だと言われています。
1346年にボヘミア王カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ、カレル4世となると、神聖ローマ帝国の首都はプラハに移され、プラハ城の拡張や、中欧初の大学であるカレル大学の創立、カレル橋の建設とヴルタヴァ川東岸市街地の整備などの都市開発が行われました。
こうした精力的な都市整備のおかげで、プラハはローマやコンスタンティノープルと並ぶ、ヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展し、黄金のプラハと形容されるほどの隆盛を誇りました。 -
16世紀後半ルドルフ2世の治世になるとプラハに芸術家、錬金術師、占星術師などが集められ、プラハはヨーロッパの文化の中心都市として栄華を極めました。
-
しかし、1618年にプラハ城で起きたプラハ窓外投擲事件を皮切りに三十年戦争に発展し、1648年、カトリック最後の牙城だったプラハはスウェーデン軍に包囲されましたが、ヴェストファーレン条約が締結され、戦争は終結しました。
しかし、王宮はウィーンへ移転され、プラハは人口が激減したうえに、チェコ語の使用禁止や、宗教弾圧や文化弾圧などを受け、2世紀以上にわたって「暗黒の時代」といわれるチェコ民族文化の空白時代を余儀なくされたそうです。
もちろんこれでへこたれるプラハではありません。
ところでこの「プラハ窓外投擲事件」というのは歴史上3回もあったそうです。
それは15世紀と17世紀、そして20世紀のことですが、この30年戦争のもととなったプラハ窓外投擲事件は2回目の17世紀前半のことです。
反カトリックの勢力がカトリック勢力の3人をプラハ城の3階から投げ落としたそうです。(ほし草が地面にあったため全員死にはしなかったそうですがーー)
それにしてもプラハ市民、投げ落とすのが好きですねー。
(もちろん止むに止まれぬ事情満載なのはわかりますが)
そのひとつの理由が塔がたくさんあることかもしれません(笑)
そしてその塔を利用して有名な天文学者ティコ・ブラーエは超新星や彗星の観測で名をはせました。
彼はデンマーク生まれでしたが、ローマ皇帝ルドルフ2世がこのプラハにスカウトしたわけで、プラハは名実ともに科学や文化の中心であったことがわかります。
さらにはケプラーの法則で有名なケプラーもドイツからこのプラハに招かれ、ティコ・ブラーエの弟子/共同研究者として活躍しました。
(ケプラーは数日前に訪れたレーゲンスブルグに移り、そこで最期を迎えましたーーー)
プラハはそのたくさんの塔があることで種々のエピソード、業績をあげたのですね!!?
もし、塔を利用して誰かを投げ落としたいのなら、今度は足にゴムを付けてバンジージャンプ風にてみたらいかがでしょう(苦笑) -
プラハの歴史の続きの前にーーー!
この一枚。
なるほど、西日を浴びる側の衛兵さんは全員サングラスの着用を許されているようです。
でも暑いでしょうね!?
(ソフトクリームでも差し入れたら?撃ち殺されるかな(笑)) -
さて、高台のお城の敷地からはプラハの町並みが望めます。
川の向こうは旧市街そして新市街が広がっています。 -
旧市街にはユダヤ人地区もあります。
これから坂を下りカレル橋を渡っていきます。 -
それにしても美しい街並みです。
そして多くの尖塔が見られます。 -
まさに百塔のプラハ、です。
至る所に尖塔や丸みを帯びた塔があります。
(それゆえ窓外投擲事件が多いのかもしれません(笑)) -
川べりの並置まではかなり距離があります。
-
そして坂道はかなり急なところもあります。
下りですから良いようなものの登りでしたら息が切れそうです。 -
さて、歴史の続きですが、第一次世界大戦終結後の1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、チェコスロヴァキア共和国が成立しました。
その際にプラハ城に大統領府が置かれ、首都となり再興するかに思われました。
しかしどっこい、そううまくはいきません!
おりから台頭したナチス・ドイツによって占領され、チェコスロヴァキアは解体されてしまいました。(1938年、第二次大戦前夜のことです) -
そして、第二次世界大戦中はここに居住していたユダヤ人約5万人がナチスによって殺害された暗い歴史も背負います。
-
第二次大戦後は、社会主義国チェコ・スロヴァキアの首都となり、1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こりました。
このプラハの春、遠い御幼少のみぎりにテレビで見たような記憶があります。
西洋版の天安門事件、いやそれ以上の大事件だったような気がします。
しかし、これはワルシャワ条約機構軍の侵攻を受け、改革派は弾圧されましたが、1989年のビロード革命により共産党政権は崩壊し、やっとのことで実質的な再独立ができました。
そして、1993年にチェコとスロヴァキアが分離するとチェコの首都となりました。
これでチェコ、プラハは久方ぶりの自由と独立を手にしたわけです。
冷戦時代は東ドイツとならんで東側の科学、工業の中心拠点だったチェコですが、それは遠く神聖ローマ帝国の首都以来の政治、経済、文化そして科学技術の中心だったことが寄与していたわけですねーーー。 -
これでめでたしめでたしというわけですが、さらにめでたいことにはプラハは大規模な戦火に曝されることはなかったそうです。
ですから多くの建築物がそのまま残されているわけで、空襲や戦火で大きな被害を受けた都市に比べ幸運でしたーーー。 -
突然、面白いスタイルの市電が前を通ります。
-
さて、結論として、プラハは、千年の歴史を持つ都市であり、第一次・第二次世界大戦の被害にも、また、その後の資本主義の高度経済成長にも巻き込まれなかったことも幸いして、ロマネスク建築から近代建築まで各時代の建築様式が並ぶヨーロッパの建築博物館の街として温存されたわけです。
もちろん、ユネスコの世界遺産にも登録されているわけです。 -
さて下まで降りてきました。
-
これからカレル橋を渡ります。
これは1714年作のヨハネ像だそうです。 -
手前の小川。
-
このような聖人像が橋の両側にあります。
その数は20に上ります。
登場人物はその数倍です。
17世紀終わりごろ、貴族や民衆または修道院からの寄付によって、カレル橋に聖人の像が立てられるようになりました。現在のカレル橋には30もの聖人像を見ることができます。 -
橋の南側の建物群。
色彩のセンスが良いように感じます。 -
ヴルタヴァ川=モルダウ川はここではかなり広くなっています。
チェスキークロムロフでは、川幅はここの半分以下だったような気がします。 -
観光船や運搬船がゆるやかな川の流れに浮いています。
何故か気球も浮いています。 -
それにしてもゆるやかな川。
どちらが上流かわからないほどです。 -
通行人のほとんどは観光客のようです。
皆ヒマですね(笑) -
なお、この気球は観光用だそうですが、結構良いお値段です。
確かに百塔のプラハを眺めるには上空からというのは良いアイディアですね。 -
橋の両サイドには大道芸人、パフォマー、売店などがならんでいます。
-
この橋は最初、「石橋」と呼ばれていたそうですが「カレル橋」と呼ばれるようになったのは18世紀になってからとのことです。
伝説によると、ヴァーツラフ4世の王妃の懺悔を聞く役目を担っていたヤン・ネポムツキー司祭が、王妃の秘密を王に告げなかったことから、激怒した王が、司祭を捕らえて拷問にかけた後に、橋からヴルタヴァ川へ放り込んだそうです。
15世紀になってその場所には十字架が立てられました。
いやー、口が堅いのも身を滅ぼすんですね−−−。
norisa夫妻は大丈夫!(笑) -
もうじき橋を渡り切ります。
-
似顔絵描きさんも多くいます。
うまい人、うまくない人、様々です。 -
やっとたどり着きます。
-
あらためて対岸を望みます。
逆光が真夏の午後に照りつけます。 -
至る所に銅像があります。
オリジナルは別所に保管されレプリカだそうです。 -
渡り切った正面にはクレメンティヌムという元寺院がありました。
現在では蔵書500万冊を誇る図書館として活躍しています。 -
これから旧市街を散策します。
-
「黄金の宿」というなの小さなホテル。
歴史を感じさせます。 -
こちらの中央の薄緑色の建物はプラハで最小のホテルだそうです。
(しかし、最大のホテルというのは床面積や収容人員で判断できるので容易でしょうが最小のホテルというのはどういう基準で決められたのでしょう?もっと小さくてボロイ木賃宿だってあるのではーー?(笑)) -
見上げると花をいけたプランターが整然と並んでいます。
とても良い感じです。 -
中世の路地に迷い込んだようなーー。
-
歴史ある建物が肩を寄せ合い建っています。
長い長い戦乱や動乱を耐えてきたのでしょうか。
旧市街の街かど−−−。 -
さらに歩くと−−−。
-
正面にディーン聖母教会が見えてきました。
ここは14世紀から16世紀に建築されたロマネスク教会だそうです。
火刑に処せられたヤン・フス派の拠点だったそうです。 -
その右手のパステルカラーの建物達。
-
左を向けば旧市庁舎があります。
元々は11世紀に建築されましたが、現在の姿は第二次世界大戦の被害を修復したものだそうです。
その複雑で美しい時計台が特徴的です。
この時計の一番古い部分の制作は今から600年以上前とのことですから驚きます。
これはただの時計ではなく、天文時計としても名高いものです。 -
そして広場中央にはヤン・フスの像があります。
ヤン・フスはボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者だそうです。
彼は宗教改革の先駆者だそうですが、もともとはカレル大学の総長ということですが腐敗したカトリック教に異議を唱えたため火刑に処せられたそうです。
特に寺院が資金集めに乱発していた免罪符に真っ向から反対しました。
(実際、効き目があるのならnorisa夫妻も買ってみたいものですが(笑))
しかしカトリック教会はそうした反乱を許さず、フスは1411年に破門され有罪とされた。
しかもその後世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処されたということですが、いつの時代でも先駆者は大変な目にあうのですね−−−。
フスはその後のプロテスタント運動の先駆者として今でも尊敬されています。 -
そして目線を下に向けるとーーー。
-
歩道にたくさんの十字があります。
これは処刑された人々の場所を示すそうですーー。 -
さて、有名なボヘミアガラスのお土産屋を物色します。
思っていたよりも高価ですがそれだけのことはありそうです。 -
外に出るとはや夕暮れが迫っています。
-
それにしても、多くのヨーロッパの主要都市同様、この世界遺産都市も数知れない戦禍や争いの渦中を生き延びてきたのですねーーー。
それも奇跡的に大きな被害がないままにーーー。
まあ、我が京都も今や平和な世界遺産都市ですが、平安京遷都以来多くの戦禍の中心都市でした。
ただし、ヨーロッパと違い異民族間の争いではなかったため犠牲者の数などは比べ物にならないのかもしれませんーー。 -
一方、ついついヨーロッパでも由緒ある、古風な古都と捉えがちのプラハではありますが、実は世界を驚かせる時代の先端を行く街でもあります。
先ほどのカトリックの腐敗に敢然と立ち上がったヤン・フスさんもその一例ですが、実は7年前に世界の新聞の一面を飾り、テレビニュースでも大きく取り上げられた決定がこのプラハでなされました。
それは9番目の惑星として認められていた冥王星を惑星リストから外し、矮惑星に降格するというものです。
この決定はもめにもめました。
委員会で決着がつかず結局最高機関であるIAU(International Astronomical Union=国際天文学連合)の総会での決選投票まで持ち込まれました。
なぜ冥王星が仲間外れになったかというと冥王星の軌道はカイパーベルトと呼ばれる無数の小惑星がリング状に存在する空間で、近年の観測技術により多くの類似の惑星もどきが見つかったからです。
これらを全て惑星とするわけにもいかず結局は疑わしきは罰す!という結論がでて冥王星は惑星家族を追放されて島流し、いや空流しにあったわけです。
(余談ながら太陽系の辺境にはさらにオールト雲というリングがさらにその外側にあり、時折我々に向けて彗星や迷い小惑星をイタズラのように放つようです。
このベルトは未だ仮想的存在ですが太陽から一光年前後のところに約一兆個もの彗星や小惑星があると言われています。
まー家族に例えれば水金地火木土天海が太陽の子供、冥王星やカイパーベルトが親戚、オールト雲は親戚だとは思っていないがDNAの一部を受け継ぐ遠い親戚ということになります)
いずれにしろこのプラハ、時々我々を驚かせる古くて革新的な街でもありますーーー。 -
あこがれのプラハ。
百塔のプラハ。
それはまたヨーロッパの建築博物館と呼ばれる古都でもあります。
この素晴らしい遺産が22世紀にも、いや30世紀にもそのままでいることを願いつつホテルに向かいました−−−。
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この旅行記へのコメント (15)
-
- ねもさん 2021/08/14 14:19:48
- 初めまして
- norisaさん ご投票ありがとうございます。
私もプラハの街にあこがれた者の一人です。たぶん同世代ではと推測しますが、プラハの春とソ連の軍事介入による挫折は、多感な中学生にはあまりにショッキングな出来事でした。
norisaさんの4年後、そのプラハを歩くことができました。とても感慨深かったです。
同様に暑くない晴天に恵まれ、4泊もしちゃいました。といっても連日3~4回、安くて美味しいビールを飲んだだけですが(笑)
- norisaさん からの返信 2021/08/14 15:20:49
- Re: 初めまして
- ねもさん、
こんにちは。
初めまして、そして多くのいいね!をありがとうございました。
プラハは冷戦時代の自由のシンボル都市でしたね!
それがソ連の戦車が蹂躙したことはソ連=ロシアの末代までの恥ですが、北方領土同様、彼らは正義と信じ続けるのでしょうかーー。
ここで4泊はうらやましいですね。
例の温泉にも行かれたのかな?(笑)
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
norisa
-
- わんぱく大将さん 2013/09/03 18:26:37
- あきない風景
- norisa殿
ずっとまともにPCが使えない間に旅行記を出されていたようで。鬼のいぬ間に、ってやつですか? (自分でいうか?)
プラハはずっと見てても、どこを切っても飽きない風景が続きました。
流石に車のCMを撮るのにプラハが多いような気がしますが。 石畳ゆえ、音がごろごろと凄いように思いますが。
ただ、norisaさんの行かれた時は人が多すぎますね。 私も朝陽を撮りに行くのに4時ごろから待機してたら、同じような人たちがいるんですね。 でも、朝の早い時間帯は現地の方が多かったようです。あの橋を渡って通勤されてる方がたを見ました。撮影のための橋ではなく、生活のために渡らねばならない橋。おおげさか?
大将
- norisaさん からの返信 2013/09/03 19:29:20
- RE: あきない風景
- 大将閣下、
お久しぶりです!
PCが使えない?
まさか電気を止められていたんじゃあ(失礼&笑)
さて、プラハ、そしてカレル橋。
確かに人混みが東京並?でした。
人気があるのは街の風情からもその重厚な歴史からもうなずけます。
朝四時でないとキチンと撮影できないんですか!!?
ではもう少し加齢を重ねてイヤでも早起きになってから行かねば(爆)
とにかくも再訪したい街ですね、ここはーーー。
norisa
- わんぱく大将さん からの返信 2013/09/06 02:26:39
- RE: RE: あきない風景
- > 大将閣下、
>
> お久しぶりです!
>
> PCが使えない?
> まさか電気を止められていたんじゃあ(失礼&笑)
>
> さて、プラハ、そしてカレル橋。
> 確かに人混みが東京並?でした。
> 人気があるのは街の風情からもその重厚な歴史からもうなずけます。
>
> 朝四時でないとキチンと撮影できないんですか!!?
> ではもう少し加齢を重ねてイヤでも早起きになってから行かねば(爆)
> とにかくも再訪したい街ですね、ここはーーー。
>
> norisa
norisa殿
やはり日本はfree wi-fiが少なく困りました。 新幹線に乗ってる時はPC,もっとらんし。。。 大将
- norisaさん からの返信 2013/09/06 09:43:28
- RE: RE: RE: あきない風景
- > norisa殿
>
> やはり日本はfree wi-fiが少なく困りました。 新幹線に乗ってる時はPC,もっとらんし。。。 大将
大将閣下、
日本にいられたのですか!!
一度ご尊顔を拝したいものですが目が潰れそう(爆)
いつのんさんあたりに代理視察をたのもーかな〜!?(笑)
異常気象の日本滞在中、御無事で!!
norisa
- わんぱく大将さん からの返信 2013/09/06 17:00:03
- RE: RE: RE: RE: あきない風景
- > > norisa殿
> >
> > やはり日本はfree wi-fiが少なく困りました。 新幹線に乗ってる時はPC,もっとらんし。。。 大将
>
>
> 大将閣下、
>
> 日本にいられたのですか!!
> 一度ご尊顔を拝したいものですが目が潰れそう(爆)
> いつのんさんあたりに代理視察をたのもーかな〜!?(笑)
>
> 異常気象の日本滞在中、御無事で!!
>
>
> norisa
norisa殿
異常気象でした。湿気も凄かったけど、そんなに気にならないまま弾丸で走っとりました。 大将
>
>
-
- frau.himmelさん 2013/08/30 09:30:25
- プラハ、旅行記の大作!
- norisaさん おはようございます。
プラハ編、昨夜と今朝2度お邪魔しました。
じっくり読ませていただきました。
すごい大作ですね。私ならこれだけのものを仕上げるに1ヶ月くらい掛かりそう。
プラハの歴史をいろんな面から掘り下げて、判り易いように説明してくださって、norisaさんならではと思います。
神聖ローマ帝国、オーストリアハプスブルク家、ドイツの第三帝国との関わり・・、私も興味のある分野です。大変面白かったです。
ヤンフスは宗教改革の先駆者ですね。マルティン・ルターより先に唱えていたというからすごいです。
今回マルティン・ルターを訪ねる旅をして、ヤンフスの名前をたびたび耳にしました。
ヨーロッパって地続きというだけでなく、いろいろ歴史的に繋がっていて、面白いです。
プラハ、もう一度行きたくなりました。
himmel
- norisaさん からの返信 2013/08/30 10:14:16
- RE: プラハ、旅行記の大作!
- frau himmelさん、
おはようございます。
いつもありがとうございます。
また、旅行記を熟読頂き恐縮です。
(読めば読むほどスキだらけのため失礼しました!)
熟読して頂ける方はそうそういらっしゃらないことを前提に筆を、いやキーを滑らしていますので好き勝手で恐縮です。
さて、このプラハ、何といっても建築物の美しい古都ですが、天文ファンにとってはあのティコ・ブラーエやケプラーが活躍した街として興味深いですね。
彼らは異国人で、その実力を買われてはるばるプラハに赴いたわけですが、それだけこのプラハは文化、芸術、科学の先端都市だったようです。
この時代ではローマを押しのけてヨーロッパで最高の先端都市、中心都市だったことが再確認できました。
その実力が建築博物館と呼ばれる美しい街並みや歴史的建造物を生み出したわけで、次回の訪問はここに長逗留したいです。
それこそアパートを見つけて!!(笑)
norisa
-
- ガブリエラさん 2013/08/30 08:17:30
- カレル橋♪
- norisaさん☆
おはようございます♪
2年前に行ったプラハ、建物が素敵で、感動したものでした(*^_^*)
とくに、聖ヴィート大聖堂、黒い砂岩の建物が、印象的です!
私も、偶然衛兵交代の時間で、同じ光景を見たので、とっても懐かしかったです♪
カレル橋は、晴れてると、本当に楽しそうに人が行きかってますね!
私の時は大雨・・・(日頃の行いでしょうか(^_^;))
観光客はいましたが、物売りやパフォーマーは勿論いなくって、暗〜い雰囲気でした(>_<)
晴れてる日に、行きたかったです!!!
市庁舎の建物、これも懐かしい♪
ガブ(^_^)v
- norisaさん からの返信 2013/08/30 09:54:17
- RE: カレル橋♪
- ガブ様、
おはようございます。
いつもありがとうございます。
やはり多くの建物、お気に召しましたか!
全体的に確かに尖塔が多いのですが、品が良いですね。
衛兵交代、イケメン君が多いですよね。オジサンもたまにいますが(笑)
タイミングが重要ですね、これに出くわすのは。
前回は雨だったそうですが、雨のプラハも風情あるのでは?
確かにカレル橋などは出し物がないのでしょうが、かえって古都の雰囲気を味わえるのかな?などと想像しています。
雨の奈良や京都の素晴らしい風情からの連想ですがーー。
norisa
-
- pedaruさん 2013/08/30 06:52:32
- プラハ
- norisaさん お早うございます。
スメタナの「我が祖国」のなかのモルダウを聞くたび、悠々と流れる光景を想像していました。一度は行ってみたいと思っています。
尖塔でも百塔の町とは、これいかに・・・
pedaru
- norisaさん からの返信 2013/08/30 09:46:44
- RE: プラハ
- pedaruさん、
おはようございます。
相変わらずダジャレ心が旺盛なようで(笑)
プラハのモルダウはまさしく悠々と流れていましたね。
プラハもブダペストも地形的に似ているように感じましたが、やはり人が住み着き街になり首都になる理由、それは大河とゆるやかな丘、平野、気候でしょうかーーー。
norisa
-
- aoitomoさん 2013/08/29 22:49:58
- プラハ気に入りました〜
- norisaさん
見上げる聖ヴィート大聖堂、実際にこの目で見てみたいです。
高台から見るプラハの町並みがやはり美しいですね〜
屋根の色が統一され外壁もパステル調で
高いところで見たければやはり気球ですか(笑)
1人乗りのような。気球の上からの撮影はぶれそうです。(笑)
それにしても、観光客多いですね。
やはりプラハはかなり人気なんですね。
今回は日陰も多くて気持ちよかったのでは?
いつも重い歴史をわかりやすく解説いただきありがとうございます。
懐かしい冥王星の話までも。オールト雲知りませんでいした。
「チェスキークルムロフ」もよかったですが「プラハ」ここもいいですね〜
aoitomo
- norisaさん からの返信 2013/08/30 09:38:57
- RE: プラハ気に入りました〜
- aoitomoさん、
おはようございます。
いつもありがとうございます。
そちらのカナディアンロッキーに比べると小粒(笑)ですが、プラハもとてもいい所でした。
確かに観光客は多いのですが、やはりそれだけの名所ですね。
そして歴史を調べれば調べるほどに面白い街でもあります。
大体人を塔から突き落とす事件が3回も、それも歴史を変えるようなケースで発生したこと自体笑えます(落とされた人は大変!)
町並みは古く風情満点ですが、歴史的にも、宗教的にも、科学技術のリーディングと言う意味でも常に最先端を行った都市ですね。
今度は3,4泊してゆっくり街歩きをしたり昼間からビールを飲みながら雑踏をのんびり眺めていたい街ですーーー。
norisa
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