2013/05/25 - 2013/05/26
94位(同エリア167件中)
naoさん
梅雨入り前の晴れ間を狙って、鳥取方面へドライブ旅行してきました。
今回の旅の目的は、鳥取に残る古い町並み散策と棚田めぐりです。
旅の行程
5月25日 因幡街道の宿場町、倉吉
5月26日 若桜街道の宿場町、棚田
初日は、鳥取市から姫路市に至る因幡街道の三つの宿場町を訪れた後、白壁土蔵群の町、倉吉へ向かいます。
別名、智頭往来とも呼ばれる因幡街道は、鳥取藩の参勤交代の道として、また、因幡地方と近畿を結ぶ主要な道として重要な役割を担ってきました。
まず、兵庫県佐用町にある平福宿を訪れます。
ここは、まず利神城(りかんじょう)の城下町として、利神城廃城後は因幡街道(智頭往来)の宿場町として、さらに旧街道と平行して流れる佐用川の水運を利用した、高瀬舟による因幡や美作からの物資の集散地として栄えた町です。
街道沿いには、江戸時代の本陣跡や白壁に虫籠窓などの宿場のたたずまいをとどめる町並が整備・保存され、佐用川沿いに築かれた石垣上には、船着き場からの荷揚げ用通路のある土蔵群が建ち並び、川湊の風情をたたえた景観が広がっています。
また、剣豪・宮本武蔵の生誕地に近いことから、武蔵が初めて決闘した場所が残されています。
なお、佐用町は2009年8月9日の台風9号による集中豪雨のため、佐用川の護岸が損壊、多くの家屋で床上・床下浸水し、死者行方不明20名に及ぶ大惨事が発生したことは記憶に新しいところですが、ここ平福宿も例外ではなく、平福郷土館には1.1m浸水した爪痕を示す表示板が設置されています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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道の駅「宿場町ひらふく」に車を停めて町歩き開始です。
本陣跡に、PR用の大きな提灯がぶら下がっています。 -
本陣跡の入口には、陣屋門をイメージした門が建てられています。
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本陣跡の敷地内にある建物。
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本陣跡に隣接する金刀比羅神社。
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金刀比羅神社の境内では、キショウブや・・・
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シランが咲いています。
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宮本武蔵ゆかりの「旧田住邸跡」。
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田住家は、江戸時代を通じて庄屋や代官を勤めた旧家で、幼少時の武蔵が当家で育てられていた時期があるそうです。
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邸内には、江戸初期に造られたといわれる、地泉鑑賞式の見応えある庭園がしつらえられているそうです。
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郵便ポストの斜め向かいに「たつ乃屋醤油」があります。
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「たつ乃屋醤油」は、創業以来300年の歴史がある老舗です。
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一般的な醤油の熟成期間は1年程度なんだそうですが、看板に書かれている三年醤油は、その倍以上の時間を掛けて、手間ひまを惜しまず作っておられるそうです。
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路地の入口に「平福郷土館」の案内板が掛かっているので、ここを抜けて行ってみましょう。
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露地の途中で佐用町の汚水桝の蓋を見つけました。
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路地から振り返って見る町並みは雰囲気があります。
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「平福郷土館」の全景。
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「平福郷土館」の前には、2009年の台風9号による浸水被害を記録した表示板が設置されています。
その表示板には、この辺りも1.1m浸水したと書いてあります。
では、再び町並みに戻りましょう。 -
町並み越しに、利神城(りかんじょう)跡がのぞめます。
利神山の山上に築かれたこの城は、美作国(現在の岡山県)との国境の守りを固めるために建てられました。 -
利神城跡の真上を飛行機が飛び去って行きます。
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露地から見上げた利神城跡。
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平福宿の玄関口、智頭急行智頭線の平福駅へやって来ました。
智頭急行智頭線は、兵庫県赤穂郡上郡町の上郡駅から鳥取県八頭郡智頭町の智頭駅に至る鉄道です。 -
無人駅ですがとても大きな駅舎が建っていて、一枚板に彫り込み文字の駅名表示板も立派です。
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智頭線は全線単線ですが、この駅には2本のプラットホームがあります。
この駅で電車がすれ違う時があるんでしょうね。 -
木造の駅は趣があります。
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次は、川端風景を見に行きましょう。
駅前の田んぼでは、田植えの準備に水が張られています。 -
田んぼの中の農道を通って作用川に架かる京橋へやって来ました。
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京橋から見るこの川端風景は、平福宿を代表する景観としてよく知られています。
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欄干の上では鯉のぼりが泳いでいます。
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訪れた時は河川改修工事のため、水が黄土色に濁って残念でした。
本来は、もっと澄んでいるんでしょうね。 -
町並みに戻って来ました。
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代々、鋳物師を営んでいた瓜生原家。
住宅の内部は自由に観覧できます。 -
実際に使われていた生活道具が、昔のまま置かれています。
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年代物の家具に目が引きつけられて仕方ありません。
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2階へ上る梯子が仕込まれています。
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右奥が座敷です。
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座敷の向こうに、中庭を介して土蔵があります。
このお宅も、庭から佐用川の川岸に下りられるそうです。 -
梯子とは別に、箱階段がついています。
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瓜生原家住宅を後に、川岸へ下りてみます。
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家ごとに川岸へ下りる階段が設けられているのがわかります。
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一棟の土蔵で、屋根に段差がついています。
では、宮本武蔵の最初の決闘場跡へ向かいます。 -
決闘場跡の手前で、智頭急行の電車が走り去るのと出会いました。
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決闘場跡の全景。
左の丸い石碑は決闘場跡の碑で、右側には金倉の六地蔵が並んでいます。 -
碑面には、「武蔵血闘の場」と書かれています。
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整然と並ぶ金倉の六地蔵。
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凛々しいお顔のお地蔵様。
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先ほど走り去った智頭急行の電車が駅に停車しています。
その前では、地元の方が田植えの準備に余念がありません。 -
高台にある平福陣屋門跡。
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江戸時代、1万石未満の藩の城は陣屋と呼ばれ、その入口の門を陣屋門といったそうです。
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利神城廃城後の平福は、松平氏5千石の旗本領となったので・・・
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松平平福陣屋と呼ばれたようです。
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門内からの平福宿の眺め。
一番奥に平福駅が見えています。 -
停車していた電車も動き出したので、そろそろこのあたりで次の目的地へ向かいます。
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