2012/10/15 - 2012/10/20
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4nobuさん
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まえがき
5泊の長崎、熊本両県ドライブの旅をしました。
きっかけは今月のJALマイレージの失効分がかなりあることが判り、「お供でマイル」を使ってかみさんとどこかに出かけることにしました。
10月でも寒くないところ、まだ行ってないところ、魚の美味しいところで九州を選びます。「お供でマイル」は往復ともに同じ空港を使う条件です。すると熊本か福岡となります。
ここを起点にして平戸、天草をメインに周回するとしてそのルートの最終宿泊地が空港に近い方が安心なので阿蘇を最後の宿泊地として熊本空港を選んだ。阿蘇でなく鹿児島も考えましたが最初にフライトの日時つまり期間を決めてしまったので鹿児島を入れると大忙しの旅程になるのであきらめました。
それにしても行きたいところがだんだん増えて忙しい旅程になってしまいあとで後悔する羽目になりました。
結局今回の旅程は
熊本空港⇒平戸⇒長崎⇒島原⇒天草⇒熊本⇒阿蘇⇒熊本空港
平戸島内巡り
第1日(5/15) 朝ゆっくりと家を出て羽田から熊本に、空港で予約したレンタカーで熊本市内に入らず高速道路を佐賀県経由長崎県佐世保を目指す。佐世保のインターで降りるようにカーナビは指示する。どうやらここで高速が終わると言っている。しかし道はまだ先まで続いている。そこで思い出したのが「ガイドブックではもっと先まで延びていたような」。そのまま佐世保で下りずに高速の最後まで走る。
カーナビが古いのが原因だ。レンタカーのカーナビはいつも最新のに更新してくれてないと困ります。
平戸島に入ったのは午後。直ぐに平戸の中心地にある宿に行かず周辺の名所を回る。前記のように忙しい旅程を作ってしまったのを後悔しながら。
平戸の史跡、名所はキリシタンに関係が深い。結局この日に訪れたのはほとんどが教会でした。
第2日(5/16) 平戸が海外貿易で隆盛だった頃の松浦藩の残した遺跡を回る。平戸城、藩主住居、貿易に関する遺跡など。
なお教会については次報にまとめて書くことにします.
この日に長崎に着きいくらかの観光を済ませるという忙しい計画を組んでしまったのでおお忙しの平戸観光になってしまいおおいに後悔しています。車だと移動が楽なのでついつい沢山の訪問先を入れてしまう悪い癖がまたも出てしまった。
写真は平戸瀬戸の日の出
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回の旅のルート:熊本空港から逆時計方向に点線のルートを通りました。
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島の北部分の観光地です。右端の高速道路を下り平戸大橋を渡って平戸島に入る。島の北半分だけ観光しました。
今回の観光は平戸大橋を渡ってから海岸を南下し左下の紐差教会を訪ね、その後平戸の中心である平戸港まで北上し街を通り過ぎた所のホテルに泊まりました。 -
大橋から南下し川内峠を過ぎるとまた海岸に出ます。ゴミが全くないきれいな砂浜でおもわず車を止め休憩です。
千里が浜といい東屋もあり夏のシーズンには賑ぎあうことでしょう。 -
この浜辺は当時中国などとの貿易の港だった川内浦に接し、そこには鄭成功の生家があったのでこの浜辺の公園を鄭成功記念公園ともいいます。
鄭成功は中国福建省出身の海賊=貿易商の父と平戸の母の間に生まれ7歳で父の故郷福建省に移る。明国に仕えたがその後の清の時代に明復活のために清に対する抵抗運動を続けました。それが失敗に終わると台湾に移りオランダを排除して台湾を統治しました。
その行動が現台湾国民政府の推移と酷似してるので台湾では民族的英雄です。
また私のような年寄りには浄瑠璃や歌舞伎の「国性爺合戦」の方が親しい。
原姓の国姓爺は鄭成功の別名ですが私は日本名だと思っていました。「明国王の姓の朱を王からもらったが直接の姓を呼ぶのをためらい国姓爺と称した」が正しく、浄瑠璃では字違いの国性爺です。 -
宝亀地区への峠付近から九州本島方面を見て
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宝亀教会 宝亀地区にあり、平戸市内で最も古い教会です。
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宝亀教会内部 次編で詳しく説明します
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紐差教会 紐差地区にあり浦上天主堂に次いで大きい教会堂と言われています。
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紐差教会内部 次編で詳しく説明します
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紐差教会敷地内の礼拝堂
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会堂が2階にある変わった構造なのが分かります。
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川内峠付近から平戸瀬戸を隔てて九州本土を望めます。
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最教寺の全体図
平戸港の手前で最教寺を訪れます。 -
本堂から階段を上がっていくと木の間に赤い塔が見えて来ます。
本堂を写すのを忘れました。
ここの境内で有名な子泣き相撲が行われます。 -
最教寺の本堂より有名な3重の大塔
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ホテルの窓からみる日の出です。
泊まった平戸海上ホテルの部屋は平戸瀬戸に面し、そのホテル名の通りまるで海上に部屋があるようです。
ちょうど潮時でこの瀬戸の流れは早く船は矢のように走っていきます。 -
これから市内見物です。まず平戸桟橋前の広場(平戸港交流広場というらしい)に駐車して、一本奥の昔からの街並みを通りの端のオランダ坂まで歩きました。
通りの建物はどこももよく手入れされ同じ雰囲気に統一されているのも好印象です。街の生活商店と観光店を両立するように励んでいることがよく感じ取れました。好ましい飾りつけのお土産などを覗きながら楽しく歩きました。 -
道の片側には塀のように石が積まれておりオランダ塀といわれています。
オランダ坂の由来はこの坂の下付近がオランダ通商時代に埠頭や倉庫があったからです。 -
坂の途中の横に手入れのいいオランダ公園があって、それらしい東屋がつくられていい雰囲気を作っています。
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オランダ坂はまだ続きます。
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振り向くと港の向うの丘の上に平戸城がみえます。3方を海に囲まれたいい位置につくられています。
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もう少し上がってこの地区いちばんのホテル旗松亭あたりからの港と平戸城
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上り道の横にザビエル記念の広場があります。
ザビエル宣教師は日本にキリスト教を初めて伝えた司祭、宣教師で、上陸した薩摩から京での布教を目指しての移動の途中で平戸に約2カ月滞在しました。 -
ザビエル記念の広場からさらに上にあがると遠見展望台に行きつきます。下ってホテル付近から右に逸れて松浦史料博物館への途中に崎方公園があります。
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崎方公園からの展望
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崎方公園には外人墓地があったとされています。 見晴らしのいい小さな公園でそこからの平戸の町全体風景です。
公園の片隅にウイリアム・アダムスなどゆかりの人たちのお墓がありました。 -
これも松浦史料博物館への途中のお部屋の坂にあるよく手入れされた小さな公園で休憩所もある。
ここがお部屋さまの屋敷跡らしい。 -
松浦史料博物館の俯瞰図。
ここは御館(おたち)と呼ばれ、藩主の私邸兼藩庁でした。
今は松浦藩の史料を集めた博物館となっています。 -
館には横の通用門から入って行きました。
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茶屋への道から振り返って本館「千歳閣」を
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茶屋「閑雲亭」でお茶をいただく
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茶屋の軒先で。
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本館入り口にある飾り団扇。
かみさんがちょうどこの種のものを作っているので撮ってくれと頼まれて -
帰りは正面の階段を降りて次の観光に。
最近各地で見かけますが、その地の名物イメージの服装をしたガイドが本にない名物食堂などいろいろなことを教えてくれます。 -
階段を降りたところにある名所の六角井戸。
貿易できていた中国人が造ったといいますが真偽のほどは? -
六角井戸を過ぎたところに見事な蘇鉄があります。かってこの浦の町付近には多くの貿易商が住んでいてその庭先にあったそうな。
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ザビエル記念聖堂は坂の上にあるのでいったん波止場に戻って車で行きました。
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平戸カトリック教会は後にザビエル記念聖堂とよばれるようになりましたが、比較的新しい教会で平戸北部の上神埼教会から明治43年の分離です。
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教会内部
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教会の直ぐ下に光明寺がありそのお寺と教会の対比がよく写真に撮られています。車できたので坂の途中での撮影ができません。
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町と対岸の城山を結ぶ石造りの橋で幸橋(別名オランダ橋)とも言われています。
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元は木造だったのがオランダ商館の建設でアーチ技法を学んだ石工が改築して石造りになりましたた。
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平戸城の下に観光協会のレストハウスとその広い駐車場があるのでそこに駐車し、北虎の門口から入りました。江戸時代からの数少ない遺構です。
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松浦氏の居城は元は別のところにありましたが現在の居城の丘陵に築城したのは1599年。しかし完成間近に自らの手で焼却し、前出の城館で藩務を取りました。江戸幕府への恭順の意思表示だとの説があります。
その後1718年(1707年とも)に再建されましたが天主は造られてません。
なお廃藩置県で北虎の門など一部を除いて解体され現在の城は戦後の1962年に建造されました。 -
天主閣からの平戸瀬戸(海峡)の素晴らしい眺め。
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城からの展望。正面が平戸瀬戸
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カトリック田平教会(瀬戸天主堂)
平戸城天主閣前の展示場でこの教会の写真を見て群を抜いた重厚さに惹かれ名前だけで懸命にさがす。ホテル出発前に知っていたらもっと容易に見つけられたのでしょうに。
島内のみの観光案内の地図には記載されておらず、地名から平戸の島の対岸の九州本土側なことがわかり本土に渡り自動車サービス店で教わる。
偶然に見つけて行けたことに感謝。 -
重要文化財指定の教会。
世界遺産暫定リスト「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には平戸市内でこの教会だけが含まれている。
どうしてガイドブックや平戸市の観光資料に含まれていないのか不思議です。 -
教会内陣
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