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大好きな大好きな湖北を訪れた。<br /><br />滋賀県湖北地方は、「観音の里」と呼ばれている。<br /><br />無住の寺や小さなお堂に多くの観音がひっそりと住まっており、それらをそれぞれの集落の住人が大切に守っている。<br /><br />戦国時代の湖北地方は、姉川、小谷城、賤ヶ岳の戦いと十数年にもわたり断続的に戦乱の舞台となり、村々や寺院はそのたびに焼き打ちの被害にあってきた。そんな苦難の時代、信仰篤い村人は、ほとけさまを地面に埋めたり、川に沈めたりして、守ってきたと伝わる。<br /><br />観音と人々の歴史に思いを馳せながら拝観すると、いずれの仏像もいとおしくてならなくなる。<br /><br />行程:<br />北びわこホテルグラツィエ、医王寺、石道寺、己高閣・世代閣、赤後寺、西野薬師観音堂、渡岸寺観音堂(向源寺)<br /><br />なお、今回の仏像めぐりには、4トラ「近江路をゆく」コミュのrokoさまが、同行ご案内くださった。<br />拝観予約や時間管理など面倒なことを全て引き受けて、湖北をご案内くださったrokoさま、どうもありがとうございました。<br /><br /><br /><br /><br />

アイラブ仏像めぐり 初夏の湖北観音めぐり(4)赤後寺、西野薬師堂

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2013/06/01 - 2013/06/01

54位(同エリア194件中)

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ゆうこママ

ゆうこママさん

大好きな大好きな湖北を訪れた。

滋賀県湖北地方は、「観音の里」と呼ばれている。

無住の寺や小さなお堂に多くの観音がひっそりと住まっており、それらをそれぞれの集落の住人が大切に守っている。

戦国時代の湖北地方は、姉川、小谷城、賤ヶ岳の戦いと十数年にもわたり断続的に戦乱の舞台となり、村々や寺院はそのたびに焼き打ちの被害にあってきた。そんな苦難の時代、信仰篤い村人は、ほとけさまを地面に埋めたり、川に沈めたりして、守ってきたと伝わる。

観音と人々の歴史に思いを馳せながら拝観すると、いずれの仏像もいとおしくてならなくなる。

行程:
北びわこホテルグラツィエ、医王寺、石道寺、己高閣・世代閣、赤後寺、西野薬師観音堂、渡岸寺観音堂(向源寺)

なお、今回の仏像めぐりには、4トラ「近江路をゆく」コミュのrokoさまが、同行ご案内くださった。
拝観予約や時間管理など面倒なことを全て引き受けて、湖北をご案内くださったrokoさま、どうもありがとうございました。




旅行の満足度
4.5

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  • 湖北の観音めぐりは、いよいよ終盤へ。次に向かう先は、赤後寺(しゃくごじ)だ。<br />己高閣・世代閣のおじさんが、親切に道順を教えてくださった。本当に皆さん、温かい。<br />

    湖北の観音めぐりは、いよいよ終盤へ。次に向かう先は、赤後寺(しゃくごじ)だ。
    己高閣・世代閣のおじさんが、親切に道順を教えてくださった。本当に皆さん、温かい。

  • 唐喜山赤後寺は、琵琶湖のほとり、湧出山(ゆるぎやま)の中腹に建ち、唐川集落の奥にある。<br />こんな細い道に入っていっても大丈夫かしらと心配になるような、家が建て込んだ古い集落に入り込み、山に突き当たるとそこが、赤後寺だ。<br /><br />【写真は、赤後寺前の駐車場から見上げた寺】

    唐喜山赤後寺は、琵琶湖のほとり、湧出山(ゆるぎやま)の中腹に建ち、唐川集落の奥にある。
    こんな細い道に入っていっても大丈夫かしらと心配になるような、家が建て込んだ古い集落に入り込み、山に突き当たるとそこが、赤後寺だ。

    【写真は、赤後寺前の駐車場から見上げた寺】

  • 立派な鳥居をくぐり、石段を登って、境内で振り返ると、唐川の集落が眼下に見渡せる。人々を守るにふさわしいロケーションだ。

    立派な鳥居をくぐり、石段を登って、境内で振り返ると、唐川の集落が眼下に見渡せる。人々を守るにふさわしいロケーションだ。

  • 境内には、赤後寺に並んで日吉神社も鎮座する。これぞ日本の宗教の風景だと思う。

    境内には、赤後寺に並んで日吉神社も鎮座する。これぞ日本の宗教の風景だと思う。

  • 己高閣・世代閣を出るとき電話でお願いしておいたので、世話人さんが駐車場で待っていてくださり、さっそくご案内くださる。まずは、境内の様子。<br /><br />家並みの向こうに見える巨樹は、「唐川の野大神スギ」。<br />戦乱から観音像をかくまうために川に沈めた際、目印として植えられたと言い伝えられているそうで、唐川地区の野大神(のおおかみ)として大切にされているようだ。<br /><br />また、御枕石という大きな石も石段のかたわらに置いてあった。なんでも、仏像を川に沈めた際に重石に使ったのだとか。<br /><br />苦難の歴史ばかりだ。

    己高閣・世代閣を出るとき電話でお願いしておいたので、世話人さんが駐車場で待っていてくださり、さっそくご案内くださる。まずは、境内の様子。

    家並みの向こうに見える巨樹は、「唐川の野大神スギ」。
    戦乱から観音像をかくまうために川に沈めた際、目印として植えられたと言い伝えられているそうで、唐川地区の野大神(のおおかみ)として大切にされているようだ。

    また、御枕石という大きな石も石段のかたわらに置いてあった。なんでも、仏像を川に沈めた際に重石に使ったのだとか。

    苦難の歴史ばかりだ。

  • 世話役は6人の氏子総代で務めるそうで、この日は団体の拝観があったため、3人の壮年の男性が堂内にいらした。<br /><br />世話人さんは、本尊の写真撮影はダメだが、厨子を閉めれば大丈夫だからと、わざわざ扉を閉めて撮影を促してくださる。<br />昭和44年までは、年に1度、3月2日の夜のみ開扉の秘仏であったが、重要文化財に指定されたのを契機に、常時開帳になったそうだ。

    世話役は6人の氏子総代で務めるそうで、この日は団体の拝観があったため、3人の壮年の男性が堂内にいらした。

    世話人さんは、本尊の写真撮影はダメだが、厨子を閉めれば大丈夫だからと、わざわざ扉を閉めて撮影を促してくださる。
    昭和44年までは、年に1度、3月2日の夜のみ開扉の秘仏であったが、重要文化財に指定されたのを契機に、常時開帳になったそうだ。

  • 地元の方たちが守り抜いてきたほとけさまは、千手観音菩薩立像(平安時代前期 173.6cm)と聖観音菩薩立像(平安時代前期 182.2cm)で、いずれも重要文化財。<br /><br />千手観音は、手首から先の無い腕が、向かって左側に5本、右側に7本しかなく、頭上面も失われている。川に沈めて守った際に洪水に流されてしまったとか。<br />痛々しいといった印象が、まず先にくる像だ。<br /><br />が、よくみると、肩に掛かる布の表現は、しなやかで柔らかく、腰の周りに纏う布はふわりと折り返され、高級な織物でなければ出ないドレープ。<br />きれい。

    地元の方たちが守り抜いてきたほとけさまは、千手観音菩薩立像(平安時代前期 173.6cm)と聖観音菩薩立像(平安時代前期 182.2cm)で、いずれも重要文化財。

    千手観音は、手首から先の無い腕が、向かって左側に5本、右側に7本しかなく、頭上面も失われている。川に沈めて守った際に洪水に流されてしまったとか。
    痛々しいといった印象が、まず先にくる像だ。

    が、よくみると、肩に掛かる布の表現は、しなやかで柔らかく、腰の周りに纏う布はふわりと折り返され、高級な織物でなければ出ないドレープ。
    きれい。

  • 聖観音菩薩も、右手の先が無いが、それでも十分に美しい。<br />スレンダーで無駄な肉の無いウエストは、うらやましいラインを描く。右ひざを少し曲げて前に出し、歩みだそうとする瞬間像だ。<br /><br />聖観音は、厨子間近よりも、少し離れて下から見上げる方が、頭が小さく見え<br />バランスがよいようだ。それに何より、離れて見上げると、にっこりと微笑んで見える。<br /><br />赤後寺の二人の観音は、守ってあげたくなるほとけさまだと思う。

    聖観音菩薩も、右手の先が無いが、それでも十分に美しい。
    スレンダーで無駄な肉の無いウエストは、うらやましいラインを描く。右ひざを少し曲げて前に出し、歩みだそうとする瞬間像だ。

    聖観音は、厨子間近よりも、少し離れて下から見上げる方が、頭が小さく見え
    バランスがよいようだ。それに何より、離れて見上げると、にっこりと微笑んで見える。

    赤後寺の二人の観音は、守ってあげたくなるほとけさまだと思う。

  • 続いて訪れたのは、西野薬師堂(充満寺所属)。赤後寺を出るときに電話で予約をして訪問。世話人の男性が私たちの到着を待っていてくださった。<br /><br />お堂のパンフレットによると、前身は、泉明寺という天台寺院で、最澄が薬師如来と十一面観音、十二神将を刻み、この寺に納めたという。<br />1518年に浅井氏の兵火にかかって堂宇は消失するが、仏像は里人により救い出され、今に至るとのこと。<br /><br />

    続いて訪れたのは、西野薬師堂(充満寺所属)。赤後寺を出るときに電話で予約をして訪問。世話人の男性が私たちの到着を待っていてくださった。

    お堂のパンフレットによると、前身は、泉明寺という天台寺院で、最澄が薬師如来と十一面観音、十二神将を刻み、この寺に納めたという。
    1518年に浅井氏の兵火にかかって堂宇は消失するが、仏像は里人により救い出され、今に至るとのこと。

  • 西野薬師堂の小さな堂内には、薬師と十一面のお二人が並ぶ。<br />薬師如来立像は、159.4cm、平安時代、重文。<br />しっかりしたあごに意志の強さを感じる。胸元に見える肌の色は赤いが、手先は真っ黒。手先は、江戸時代の後補とのことだ。<br />補修の際に、薬師から阿弥陀の印に作り変えられたのではないかとは、世話人さんのお話。<br /><br />十一面観音立像も平安時代の重文。四角く堂々とした面構えの男性的な十一面さまだ。右膝を少し外側に曲げゆうゆうと立つ様子は、衆生を救いに歩み出すというよりは、ゆったりと構えたポーズ。頼もしくさえある。<br /><br />赤後寺の二人が「守ってあげたい系」としたら、こちらの二人は、「守ってほしい系」。

    西野薬師堂の小さな堂内には、薬師と十一面のお二人が並ぶ。
    薬師如来立像は、159.4cm、平安時代、重文。
    しっかりしたあごに意志の強さを感じる。胸元に見える肌の色は赤いが、手先は真っ黒。手先は、江戸時代の後補とのことだ。
    補修の際に、薬師から阿弥陀の印に作り変えられたのではないかとは、世話人さんのお話。

    十一面観音立像も平安時代の重文。四角く堂々とした面構えの男性的な十一面さまだ。右膝を少し外側に曲げゆうゆうと立つ様子は、衆生を救いに歩み出すというよりは、ゆったりと構えたポーズ。頼もしくさえある。

    赤後寺の二人が「守ってあげたい系」としたら、こちらの二人は、「守ってほしい系」。

  • 薬師如来を守るはずの十二神将は、2人しかいなかった。ほかの10人は、戦乱でなくなったのかしら。<br /><br />十二神将のすぐ脇には、「仏像避難用〜奉賛会」と書かれた白布が置いてあった。いざというときには、集落の人々がその布に包んで、救い出すのだろう。<br />なんだか泣けそうになった。<br />つづく

    薬師如来を守るはずの十二神将は、2人しかいなかった。ほかの10人は、戦乱でなくなったのかしら。

    十二神将のすぐ脇には、「仏像避難用〜奉賛会」と書かれた白布が置いてあった。いざというときには、集落の人々がその布に包んで、救い出すのだろう。
    なんだか泣けそうになった。
    つづく

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この旅行記へのコメント (6)

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  • rokoさん 2013/06/29 23:20:56
    豪華なお厨子
    ゆうこママさん  こんばんは
    いよいよ終盤に入ってきましたね、少し寂しく感じます。

    唐喜山赤後寺はお堂としては立派でしたね、
    いい環境にあるんだ、幸せな観音さまと思ってました。
    しかし、対面するとビックリ
    手首から先のない痛々しい姿、なんとも切ない気持になりました。

    そしてどうぞお撮りくださいと言われたお厨子
    そのきらびやかなお厨子にこれまたビックリしました。

    一生懸命に話してくださる守人さん
    その柔和なまなざしにも惹かれました。

    西野薬師堂の観音さまは力強い感じを受けました。

    どちらも特徴的、今もしっかり残ってます。

    楽しいひとときでした♪

    ゆうこママ

    ゆうこママさん からの返信 2013/06/30 10:12:53
    RE: 豪華なお厨子
    rokoさん、ようこそお越しくださいました。
    >
    > 唐喜山赤後寺はお堂としては立派でしたね、
    > いい環境にあるんだ、幸せな観音さまと思ってました。
    > しかし、対面するとビックリ
    > 手首から先のない痛々しい姿、なんとも切ない気持になりました。

    ⇒そうですよね。
    小さなお堂ばかりを巡ってきた後だったから、なおさら感じたのかもしれませんが、立派なお寺でしたね。
    >
    > そしてどうぞお撮りくださいと言われたお厨子
    > そのきらびやかなお厨子にこれまたビックリしました。

    ⇒私もです。ゴージャスでしたよね。
    さすが日光東照宮にも影響を与えたというお厨子。
    地元の方の心意気といいましょうか、観音さまへの想いの強さが伝わってきます。
    >
    > 一生懸命に話してくださる守人さん
    > その柔和なまなざしにも惹かれました。

    ⇒聞き上手のrokoさんがいらしたからですよ、きっと。
    >
    > 西野薬師堂の観音さまは力強い感じを受けました。
    >
    > どちらも特徴的、今もしっかり残ってます。

    ⇒ご近所なのにそれぞれに異なる特徴があって面白いですね。
    だから、湖北ファンが多いのかも。

    >
    > 楽しいひとときでした♪

    ⇒私も「超」楽しいひとときでした!
  • hokkaさん 2013/06/17 12:53:43
    湖北。
    こんにちは、ゆうこママさん。

    湖北の観音さま、苦難の歴史を乗り越えて今があるのですね。
    そしてこの先の非常時に備えての仏像避難用・・・、なにかとても考えさせられるとともにジーンときてしまいました。

    hokka

    ゆうこママ

    ゆうこママさん からの返信 2013/06/17 20:39:31
    RE: 湖北。
    こんばんは、いつもありがとうございます。

    hokkaさんの仰るとおり、なにかとても考えさせられてしまう湖北です。

    奈良の仏像は国家規模で守られてきた、幸せな仏像ですよね。

    一方で、湖北や地方の仏像は、普通の人々が普通の暮らしの中で守ってきたものだから、人々の暮らし方が変わってしまうと、仏像のあり方も不安定なものになってしまうようです。

    今こうしている間にも、朽ちて滅びていく仏像が全国各地にあるのだと思うと、胸が痛みます。
  • はなかみno王子さん 2013/06/15 20:40:26
    誰が歴史を護る?
    ゆうママさま

    近江のお寺を訪ねる度に、今後何百年とお寺を守り続けるは誰なのか?を考えさせられますよね。
    地元の檀家さん達の力だけではこの旧い歴史のお寺や仏像を守れないことがはっきりしているようです。かろうじて文化財や国宝指定されている仏像たちは行き場所はなんとか確保されるでしょうが、これら仏像を育んだお寺や村々の環境は残せないのでは。。

    おうじ

    ゆうこママ

    ゆうこママさん からの返信 2013/06/15 22:42:17
    RE: 誰が歴史を護る?
    こんばんは、王子様
    いつもありがとうございます。

    仰るとおりですよね。
    近江地方の仏像は、まだまだ元気ですが、
    別の地方で、壊れた仏像がかろうじて立っているのに出合ったことがあります。
    また、棄損仏が何躯も横たわっているお寺に出合ったことも。

    都市への人口集中で、地方のお寺や仏像は相当なダメージを受けたと思うのですが、今後は人口減少社会で、さらに・・・。
    う〜ん、考えると眠れなくなってしまいます。

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