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私の箱根の旅行記では、これまで発見した箱根の不思議な歴史的出来事について、その都度紹介してきましたが、ここでそれらを5件にまとめてみました。<br /><br />(1)箱根と元箱根があるわけ<br /><br />(2)雲助とよばれた人たち<br /><br />(3)芦ノ湖は神奈川県にありますが、水利権は静岡県にあり<br /><br />(4)箱根を世界に紹介した二人の外国人の功績<br /><br />(5)箱根山戦争(箱根山サルカニ合戦)<br /><br /><br />表紙の浮世絵は、安藤広重の「東海道五十三次の内・箱根」です。

箱根の不思議

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2013/05/23 - 2013/05/23

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魅々

魅々さん

私の箱根の旅行記では、これまで発見した箱根の不思議な歴史的出来事について、その都度紹介してきましたが、ここでそれらを5件にまとめてみました。

(1)箱根と元箱根があるわけ

(2)雲助とよばれた人たち

(3)芦ノ湖は神奈川県にありますが、水利権は静岡県にあり

(4)箱根を世界に紹介した二人の外国人の功績

(5)箱根山戦争(箱根山サルカニ合戦)


表紙の浮世絵は、安藤広重の「東海道五十三次の内・箱根」です。

同行者
その他
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
  • (1)箱根と元箱根があるわけ<br /><br />芦ノ湖畔には地図が示していますが、「箱根」と「元箱根」と呼ばれる地名があります。<br /><br />

    (1)箱根と元箱根があるわけ

    芦ノ湖畔には地図が示していますが、「箱根」と「元箱根」と呼ばれる地名があります。

  • この由来を調べてみると、意外な歴史的事実があることがわかりました。<br /><br />1618年、箱根に関所を作る時に、関所設置に不満を抱いた元箱根の住民が本陣の提供を拒んだため、京都寄りに急遽人工の町「箱根宿」をつくりました。<br />またこの人工の町に、最初に住む住人は隣接する小田原・三島両宿の住民を強制的に移住させたといわれています。<br /><br />写真は復元した現在の「箱根関所跡」です。<br />

    この由来を調べてみると、意外な歴史的事実があることがわかりました。

    1618年、箱根に関所を作る時に、関所設置に不満を抱いた元箱根の住民が本陣の提供を拒んだため、京都寄りに急遽人工の町「箱根宿」をつくりました。
    またこの人工の町に、最初に住む住人は隣接する小田原・三島両宿の住民を強制的に移住させたといわれています。

    写真は復元した現在の「箱根関所跡」です。

  • 写真は旧街道資料館にあった箱根宿本陣の模型です。

    写真は旧街道資料館にあった箱根宿本陣の模型です。

  • これに対して古くからの箱根の町があった関所から江戸寄りの地域を「元箱根」と呼ぶようになったようです。<br /><br />写真は、元箱根の箱根神社の一の鳥居です。<br /><br />このようなわけで、今も芦ノ湖畔には「元箱根」と「箱根」が併存しています。<br />

    これに対して古くからの箱根の町があった関所から江戸寄りの地域を「元箱根」と呼ぶようになったようです。

    写真は、元箱根の箱根神社の一の鳥居です。

    このようなわけで、今も芦ノ湖畔には「元箱根」と「箱根」が併存しています。

  • (2)雲助とよばれた人たち<br /><br />県道732号線の「見晴茶屋」の急な階段下の、旧街道沿いに写真のような案内板がありました。<br />これには、環境省と神奈川県が「雲助とよばれて人たち」と題して、説明をしています。<br /><br />「雲助」が決して悪い人々ではなく、試験にパスし公認の資格を持ち、箱根路の交通を支えた人たちであったことが書かれていました。<br /><br />次に写真を拡大し、読んでみます。

    (2)雲助とよばれた人たち

    県道732号線の「見晴茶屋」の急な階段下の、旧街道沿いに写真のような案内板がありました。
    これには、環境省と神奈川県が「雲助とよばれて人たち」と題して、説明をしています。

    「雲助」が決して悪い人々ではなく、試験にパスし公認の資格を持ち、箱根路の交通を支えた人たちであったことが書かれていました。

    次に写真を拡大し、読んでみます。

  • 雲助とよばれた人たち<br /><br />「箱根の雲助」というと知らない人はいません。<br />ところで、助とよばれて人たちは、実は、この小田原の問屋場で働く人足たちだったのです。<br />しかし雲助というとないか悪者のように考えますが、それは一部の人で、問屋場では、人足を登録させ仕事を割り当てていましたので、悪さした人などはいなかったといます。<br />日本交通史論という資料によると、雲助になるのは次の3つにパスしなければならなかったそうです。<br /><br />その内容をみると、なかなかむずかしくだれでも、すぐなれるという職業ではなかったようです。<br />

    雲助とよばれた人たち

    「箱根の雲助」というと知らない人はいません。
    ところで、助とよばれて人たちは、実は、この小田原の問屋場で働く人足たちだったのです。
    しかし雲助というとないか悪者のように考えますが、それは一部の人で、問屋場では、人足を登録させ仕事を割り当てていましたので、悪さした人などはいなかったといます。
    日本交通史論という資料によると、雲助になるのは次の3つにパスしなければならなかったそうです。

    その内容をみると、なかなかむずかしくだれでも、すぐなれるという職業ではなかったようです。

  • 1.力が非常に強いこと。(これは仕事の性質上ぜひ必要です)<br /><br />2.荷物の荷造りがすぐれていること。<br />  (荷物をみると、だれが造ったものかわかり、箱根で一度荷造りした荷物は京都まで決してこわれなかったそうです。<br /><br />3.歌をうたうのが上手でないと、一流の雲助とはいわれなかったすです。<br /><br />こうした人足のほかに、馬をひく「馬子」、駕籠をかつぐ「駕籠かき」たちの雲助が、物箱根や湯本など箱根各地に住み通行や温泉遊覧のたすけをしていました。<br /><br />環境省・神奈川県<br /><br />

    1.力が非常に強いこと。(これは仕事の性質上ぜひ必要です)

    2.荷物の荷造りがすぐれていること。
      (荷物をみると、だれが造ったものかわかり、箱根で一度荷造りした荷物は京都まで決してこわれなかったそうです。

    3.歌をうたうのが上手でないと、一流の雲助とはいわれなかったすです。

    こうした人足のほかに、馬をひく「馬子」、駕籠をかつぐ「駕籠かき」たちの雲助が、物箱根や湯本など箱根各地に住み通行や温泉遊覧のたすけをしていました。

    環境省・神奈川県

  • (3)芦ノ湖は神奈川県にありますが、水利権は静岡県にあり<br /><br />芦ノ湖には下図のように二つの水門があります。湖尻水門と深良(ふから)水門です。<br />

    (3)芦ノ湖は神奈川県にありますが、水利権は静岡県にあり

    芦ノ湖には下図のように二つの水門があります。湖尻水門と深良(ふから)水門です。

    芦ノ湖 自然・景勝地

    芦ノ湖は約3000年前に山が爆発して崩壊し、川が堰き止められて生まれた堰止湖です。 by 魅々さん
  • 江戸時代、駿河国駿東郡深良村の名主・大庭源之丞さんは水不足に悩む深良村の灌漑用に芦ノ湖から箱根山の湖尻峠下を貫通するトンネルを掘ることを思いつきました。<br /><br />芦ノ湖の水利権を持つ箱根権現社の許可を得て、江戸商人・友野与右衛門さんの資金協力を受けて、1670年に用水路を完成させました。<br />この用水は「深良用水」と呼ばれ、現在は狩野川水系黄瀬川支流の深良川となっています。<br /><br />写真は芦ノ湖側から見た「深良水門」です。 <br /><br /><br />

    江戸時代、駿河国駿東郡深良村の名主・大庭源之丞さんは水不足に悩む深良村の灌漑用に芦ノ湖から箱根山の湖尻峠下を貫通するトンネルを掘ることを思いつきました。

    芦ノ湖の水利権を持つ箱根権現社の許可を得て、江戸商人・友野与右衛門さんの資金協力を受けて、1670年に用水路を完成させました。
    この用水は「深良用水」と呼ばれ、現在は狩野川水系黄瀬川支流の深良川となっています。

    写真は芦ノ湖側から見た「深良水門」です。


    深良水門 名所・史跡

    「深良水門」は、江戸時代に芦ノ湖の水を潅漑用として静岡県に流すために出来た「深良用水」の水門です。 by 魅々さん
  • 江戸時代は箱根も深良も小田原藩の領地であったので問題はありませんでしたが、両地は明治の廃藩置県で神奈川県(足柄県)と静岡県に分割され、湖尻峠が県境となりました。<br /><br />その結果、両県で水利権をめぐる争いが起き、裁判によって静岡県に水利権が認められました。<br /><br />写真は、陸地から見た「深良水門」で、ここから「深良用水」がスタートします。 <br /><br /><br />

    江戸時代は箱根も深良も小田原藩の領地であったので問題はありませんでしたが、両地は明治の廃藩置県で神奈川県(足柄県)と静岡県に分割され、湖尻峠が県境となりました。

    その結果、両県で水利権をめぐる争いが起き、裁判によって静岡県に水利権が認められました。

    写真は、陸地から見た「深良水門」で、ここから「深良用水」がスタートします。


  • 「深良用水」はここから「トンネル」を流れ、静岡県に流れていきます。 <br /><br />

    「深良用水」はここから「トンネル」を流れ、静岡県に流れていきます。

  • 現在、芦ノ湖の水利権は静岡県が握っていますが、水門・水道管施設の維持の土木工事許認可権は神奈川県が握っています。<br /><br />このため渇水などの非常時には神奈川県も芦ノ湖の水を利用できるようになっています。<br /> <br />写真は芦ノ湖側から見た「湖尻水門」です。<br />

    現在、芦ノ湖の水利権は静岡県が握っていますが、水門・水道管施設の維持の土木工事許認可権は神奈川県が握っています。

    このため渇水などの非常時には神奈川県も芦ノ湖の水を利用できるようになっています。

    写真は芦ノ湖側から見た「湖尻水門」です。

    湖尻水門 名所・史跡

    芦ノ湖の水は「深良水門」から静岡県に流れ、湖尻水門は芦ノ湖の水量調節機能しか持っていません。 by 魅々さん
  • 写真は湖尻水門と、ここを源流として相模湾に注ぐ早川ですが、水は流れていません。<br />

    写真は湖尻水門と、ここを源流として相模湾に注ぐ早川ですが、水は流れていません。

    相模湾 自然・景勝地

  • (4)箱根を世界に紹介した二人の外国人の功績<br /><br />芦ノ湖のほとり、元箱根に二人の外国人を讃える二つ碑があります。「ケンペル バーニーの碑です。<br />

    (4)箱根を世界に紹介した二人の外国人の功績

    芦ノ湖のほとり、元箱根に二人の外国人を讃える二つ碑があります。「ケンペル バーニーの碑です。

    ケンペル バーニーの碑 名所・史跡

    箱根を世界に紹介したケンペルさんとバーニーさんの功績をたたえた碑です。 by 魅々さん
  • 小さな碑は「ケンペル バーニーの碑」で、箱根町とケンペル祭実行委員会が昭和61年11月建てたものです。<br /><br />碑には次のように書かれています<br /><br />「ドイツの植物学者エンゲルベルト・ケンペルはオランダ通商使節の一員として元禄4年(1691年)と翌年に箱根を讃え、箱根の美しさを世界に紹介してくれました。<br />C・M・バーニーは、この地に別荘をもっていた英国の貿易商です。大正11年にケンペルの著書「日本誌」の序文を引用「自然を大切にするように」と碑をたてました。<br /><br />私達は二人の功績を讃えここに碑を立てました。」

    小さな碑は「ケンペル バーニーの碑」で、箱根町とケンペル祭実行委員会が昭和61年11月建てたものです。

    碑には次のように書かれています

    「ドイツの植物学者エンゲルベルト・ケンペルはオランダ通商使節の一員として元禄4年(1691年)と翌年に箱根を讃え、箱根の美しさを世界に紹介してくれました。
    C・M・バーニーは、この地に別荘をもっていた英国の貿易商です。大正11年にケンペルの著書「日本誌」の序文を引用「自然を大切にするように」と碑をたてました。

    私達は二人の功績を讃えここに碑を立てました。」

  • 大きな碑は、下写真のように、バーニーさんが建てた碑です。大正11年10月吉日の建立となっています<br /><br />毎年、湖畔に春の訪れる4月にケンペル・バ−ニ−祭が開催されているようです。 <br /><br />

    大きな碑は、下写真のように、バーニーさんが建てた碑です。大正11年10月吉日の建立となっています

    毎年、湖畔に春の訪れる4月にケンペル・バ−ニ−祭が開催されているようです。

  • (5)箱根山戦争(箱根山サルカニ合戦)<br /><br />箱根山戦争とは、第二次世界大戦後の1950年からから1968年にかけて、堤康次郎さん率いる西武グループと、安藤楢六さん率いる小田急グループ、およびその背後にいる五島慶太さんの東急グループの間で繰り広げられた箱根の輸送シェア争いを言います。<br /><br />現在では、箱根の観光も頭打ちとなり、各グループとも対立から協調の路線を模索し始めています。現在それぞれの陣営は次のような布陣になっています。

    (5)箱根山戦争(箱根山サルカニ合戦)

    箱根山戦争とは、第二次世界大戦後の1950年からから1968年にかけて、堤康次郎さん率いる西武グループと、安藤楢六さん率いる小田急グループ、およびその背後にいる五島慶太さんの東急グループの間で繰り広げられた箱根の輸送シェア争いを言います。

    現在では、箱根の観光も頭打ちとなり、各グループとも対立から協調の路線を模索し始めています。現在それぞれの陣営は次のような布陣になっています。

  • 【西武グループ】<br /><br />ザプリンス箱根を筆頭に多数のホテル、ゴルフ場、伊豆箱根鉄道、芦ノ湖の遊覧船、十国峠の山頂へのケーブルカーを運行など。<br /><br />写真はザプリンス箱根です。

    【西武グループ】

    ザプリンス箱根を筆頭に多数のホテル、ゴルフ場、伊豆箱根鉄道、芦ノ湖の遊覧船、十国峠の山頂へのケーブルカーを運行など。

    写真はザプリンス箱根です。

  • 【小田急グループ】<br /><br />ホテルでは箱根ハイランドホテル、箱根登山電車、 箱根登山バス、箱根観光船 、箱根ロープウェイなど。<br /><br />写真は芦ノ湖に浮かぶ海賊船です。

    【小田急グループ】

    ホテルでは箱根ハイランドホテル、箱根登山電車、 箱根登山バス、箱根観光船 、箱根ロープウェイなど。

    写真は芦ノ湖に浮かぶ海賊船です。

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