2013/05/24 - 2013/05/24
3186位(同エリア3980件中)
キヌちちさん
金閣寺と並んで高名な京都の古刹・銀閣寺を訪れました。こちらも修学旅行生と外国人がいっぱいいました。
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銀閣寺に向かいます。右側は哲学の道です。
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銀閣寺入り口近くまで土産店が軒を連ねています。
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銀閣寺境内図です。
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銀閣寺説明看板です。
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旧境内の石碑横を修学旅行生が歩いています。
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総門です。
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総門から中門への参道。両脇のきれいに刈り込まれた生け垣は、銀閣寺垣と呼ばれる竹垣の調和が美しいことで有名。
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中門
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中門入ってすぐの景色です。
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銀閣寺
慈照寺。京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺。山号は東山。通称の銀閣寺で名高い。本尊釈迦牟尼仏。
1465年(寛正6年)足利8代将軍義政は、天台宗浄土寺の旧跡に山荘の造営を始め、1483年(文明15年)常御所落成後に移り住み、これを東山殿と称した。1490年(延徳2年)義政死去して、その遺命により禅寺に改め、相国寺の室処和尚を住持に迎え、夢窓疎石を勧請開山とした。
慈照寺の名は義政の法諱をとったもの。ついで10代将軍義稙の弟維明が住持となってからは、五摂家より出て住持となる者が多かった。
園中の楼閣(観音殿)は世に銀閣とよばれ、北山鹿苑寺の金閣と並び称されている。
ただし楼閣の落成は1490年、義政没後であった。
盛時には殿閣、亭楼10余を数えたが、現在は東求堂、銀閣(以上は国宝)、本堂、弄清亭などがあるにすぎない。
金閣寺に比べると規模は小さいが、幽雅清淡を尊ぶ茶道精神にのっとる東山文化の代表作として知られる。
銀閣は重層宝形造で、住宅風の下層を心空殿、仏殿風の上層を潮音閣と号し、本尊の観世音菩薩を安置している。
東求堂は義政の持仏堂で、東の間の同仁斎は日本最初の四畳半茶室として著名である。
相阿弥(一説に善阿弥)作と伝えられる庭園は西芳寺の庭園を模したもので、池を錦鏡池、中央の砂盛りを銀沙灘、富士形の砂盛りを向月台といい、一樹一石にすべて名がある。
特別史跡・特別名勝。1994年(平成6年)、世界遺産の文化遺産として登録された
(小学館、日本大百科全書より)。 -
足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築、観音殿(銀閣)。
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向月台。東山に昇る月を眺めるため作られたといわれる円錐形の砂盛り。
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銀沙灘、向月台、銀閣。
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銀沙灘
本堂前に、月待山に昇る月の美を賞するために作られたという、中国の西湖の型に白砂を段形に盛り上げたもの。 -
銀沙灘と本堂
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銀沙灘と本堂
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銀沙灘、向月台、銀閣。
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銀沙灘、向月台、銀閣。
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銀閣
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屋根の上の鳳凰。この鳳凰は「銀閣」に祭られている観音菩薩を守っているそう。
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銀閣寺型手水鉢。本堂と東求堂の間にあり、袈裟型手水鉢と呼ばれる。
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東求堂
観音殿(銀閣)とともに東山殿造営当時の遺構。東求堂は本来、阿弥陀如来を祭る持仏堂(阿弥陀堂)だった。
義政は浄土信仰の象徴として、禅宗様式の庭園を周囲にめぐらし東求堂を建てた。
東求堂 は現存する最古の典型的な書院造りで、内部に義政と阿弥陀如来の木造が安置されている。
義政は諸芸道の達人を東求堂に集め術三昧の晩年を過ごしたとされており、舞台となったのが東求堂内の同仁斎で、4畳半茶室の原型と伝えられている。国宝。 -
池泉回遊式庭園の中心部にある錦鏡池。中央に「大内石」とあります。
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錦鏡池
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樹齢五百年の千代の槇
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外国人と修学旅行生が国際交流中。世界的観光都市・京都ならではの光景!
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旧境内
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お茶の井。足利義政が茶湯に用いたと言われている湧き水。
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お茶の井庭園の説明看板です。
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銀閣
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銀閣の屋根の見本が置かれていました。
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室町時代の銀閣の彩色を復元。
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彩色復元之説明看板です。
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哲学の道です。銀閣寺見学の帰り道、少し歩いてみました。
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哲学の道の説明看板
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哲学の道の由来を説明
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小川沿いに設けられている哲学の道です。
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