2013/04/28 - 2013/05/02
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■GW九州一周、4泊5日車旅。。ヘ(;^^)ノ
≪4日目≫
・道の駅不知火/熊本県宇城市不知火町
・みすみフラワーアイランド/熊本県宇城市三角町
・藍のあまくさ村/熊本県上天草市大矢野町
・鬼池港~口之津港フェリー/天草市五和町
・原城跡/長崎県南島原市南有馬町
・土石流被災家屋保存公園/長崎県南島原市深江町
・旧大野木場小学校被災校舎/長崎県南島原市深江町
・島原武家屋敷跡/長崎県島原市
・島原城/長崎県島原市
・国見神代小路/長崎県雲仙市国見町
・諫早湾干拓堤防道路/長崎県諫早市~雲仙市
・大村湾パーキングエリア/長崎県東彼杵郡東彼杵町
・西鉄久留米駅前ホテル泊
≪5日目最終日≫へつづく・・
▼島原武家屋敷
島原城の西に続く一帯を、鉄砲町と呼びます。鉄砲町は島原城の築城とともに形成され、鉄砲町の名は鉄砲組(徒士)の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと言われています。
7つの町筋は碁盤の目のようにできており、ここには扶持(ふち)取り70石以下の徒士(かち)屋敷が690戸ありました。
町筋の中央に流れる清水は、北西の「熊野神社」を水源とし、飲料水として使われ、水奉行を置き、厳重に管理されていました。
現在、保存されている下の丁の武家屋敷は、延長406.8メートル、幅長5.6メートルの町並みで、山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放され、当時の武家生活の様子が偲ばれます。
▼諫早堤防道路
諫早湾干拓堤防道路ふるさと農道は、長崎県諫早市高来町と雲仙市吾妻町とを結ぶ広域農道です。
2007年(平成19年)12月22日午後5時に開通しました。
諫早湾干拓事業で構築した潮受堤防上に道路を建設したものです。
佐賀県鹿島市・太良町方面と国道207号を通り島原半島の雲仙温泉・島原市方面との間を諫早市中心部を通らずに行き来することができます。
全線に渡ってほぼ直線の道路です。 ウィキペディアより。
【手記】
GW九州一周の旅4日目、島原城から島原武家屋敷通りへやってきました。武家屋敷通りは2009年03月に訪れて以来4年ぶり、2度目の訪問となりました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
-
■GW九州一周、4泊5日車旅
島原城から島原武家屋敷通りへ向かいました。
武家屋敷通りは2009年03月に訪れて以来4年ぶり、2度目の訪問となります。 -
■時鐘楼
島原藩主松平忠房公は1675年、豊後高田の冶工藤原正次に巨鐘を鋳造させ、この地に鐘楼を建てて、時間ごとに鐘を鳴らして時刻を知らせました。 -
■島原武家屋敷跡
・江戸丁通り
島原城の西側に、武家屋敷跡が江戸時代さながらに今も残されています。 -
■島原武家屋敷跡
? 道をまちがえたようです。 -
イチオシ
■島原武家屋敷跡
公園で遊んでいたお嬢さんたちに武家屋敷通りまで連れてきてもらいました。
2度目なんですが、どこでまちがえたのかな。
ありがとうねー。 -
■島原武家屋敷跡
城下町の面影を色濃くとどめる武家屋敷。 -
■島原武家屋敷跡
中央に流れている清流は、当時、生活用水や飲み水として利用されていた用水路です。 -
■島原武家屋敷跡
島原城の西に続く一帯を、鉄砲町と呼びます。 -
■島原武家屋敷跡
鉄砲町は島原城の築城とともに形成されました。 -
■島原武家屋敷跡
鉄砲町の名は鉄砲組(徒士)の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと言われています。 -
■島原武家屋敷跡
7つの町筋は碁盤の目のようにできており、ここには扶持(ふち)取り70石以下の徒士(かち)屋敷が690戸ありました。
-
■島原武家屋敷跡
町筋の中央に流れる清水は、北西の「熊野神社」を水源とし、飲料水として使われ、水奉行を置き、厳重に管理されていました。 -
■島原武家屋敷跡
現在、保存されている下の丁の武家屋敷は、延長406.8メートル、幅長5.6メートルの町並みです。 -
■島原武家屋敷跡
山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放され、当時の武家生活の様子が偲ばれます。 -
■島原武家屋敷跡
-
■島原武家屋敷跡
当時、飲料水は厳重に管理されていて1日に三度、川奉行が巡見を行っていたそうです。
ちょっと屈んで・・ -
■島原武家屋敷跡
さらに 屈んで・・ -
■島原武家屋敷跡
そして、カメラを水面の上に・・
神経痛が痛かった^^;ハハ・・ -
■島原武家屋敷跡
-
■島原武家屋敷跡
城に近いほうから江戸丁・下ノ丁・中ノ丁・古丁・下新丁・上新丁と呼ばれていたそうです。 -
■島原武家屋敷跡
-
■島原武家屋敷跡
鳥田邸 -
■島原武家屋敷跡
-
■島原文化会館
駐車場へ戻る途中に島原城を背に自分を一枚写してみた。
被写体は文化会館だったかな?そこのミラーガラスです。
これにて島原城をあとにします。 -
■多比良港へ
ところかわって、想い出の写真が残っている場所、多比良港へ寄ってみました。 -
■多比良港フェリー乗り場
-
■多比良港前の公園
36年前、この公園に猿がいた金網の檻がありました。
フェリーを待つ間、妻が猿に餌をやって遊んだところです。 -
■多比良港前の公園
その時(1977年3月)の記念写真です。 -
■多比良港フェリー乗り場
当時、ここから熊本県長洲港へ向けてフェリーに乗りました。 -
■多比良港
多比良港(1977年3月)での記念写真です。 -
■国見神代小路
次に向かったところは長崎県雲仙市国見町の「国見神代小路」です。
ここは初訪です。 -
■国見神代小路
鍋島邸を中心とした神代小路地区は古いまちなみがほぼ現存しており、H17年7月に文化庁が重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に選定しました。 -
■国見神代小路
古来から、島原半島と佐賀方面を結ぶ海上交通の要衝であり、神代氏が治めていました。 -
■国見神代小路
16世紀後半、龍造寺氏とともに神代氏は歴史から姿を消し、以後明治に至るまで佐賀鍋島藩の神代領となりました。 -
■国見神代小路
4代目領主・鍋島嵩就(なべしまたかなり)が17世紀後期に城跡の周囲の川や田を埋め立てて築造しました。 -
■国見神代小路
現在も江戸時代の地区割りがほぞそのまま残されており、水路・生垣・石垣など多くの遺構が調和と整然の美しさを保っています。 -
■国見神代小路
鍋島邸 -
■国見神代小路
鍋島邸長屋門
重要文化財に指定されています。 -
■国見神代小路
鍋島邸 訪問したのが夕方でしたので開いていません。 -
■諫早堤防道路
それでは島原半島の観光も終えたので久留米市へ向けてGO!GO!です。
。。。。ヘ(;^^)ノ
-
■諫早堤防道路 駐車場
諫早湾干拓堤防道路ふるさと農道は、長崎県諫早市高来町と雲仙市吾妻町とを結ぶ広域農道です。
堤防上に休憩所、駐車場があります。 -
■諫早堤防道路
全線に渡ってほぼ直線の道路です。 -
■諫早堤防道路 駐車場
諫早湾干拓事業で構築した潮受堤防上に道路を建設したものです。
-
■諫早堤防道路
2007年(平成19年)12月22日午後5時に開通しました。 -
■諫早堤防道路 正面は多良岳
佐賀県鹿島市・太良町方面と国道207号を通り島原半島の雲仙温泉・島原市方面との間を諫早市中心部を通らずに行き来することができます。 -
■長崎自動車道
・大村湾パーキングエリア
恋人の聖地 -
■長崎自動車道
・大村湾パーキングエリア
夕陽が眩しい。今日も長い1日が終わりました。 -
■長崎自動車道
この日の宿泊地、久留米市へ向かいます。
次の旅日記は福岡県小郡市の「大中臣神社の将軍藤」です。
それでは、また〜。 THE END.
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