2013/05/09 - 2013/05/09
84位(同エリア214件中)
魅々さん
箱根を走る国道といえば、思いつくのが、まず「国道1号線」でしょう。この道は、新年の「箱根駅伝」でおなじみの国道です。
ハイウエイでは「箱根ターンパイク」、「箱根新道」などがあります。
この他に、「箱根新道」と交差しながら、須雲川沿いにひっそりと走る「県道732号湯本元箱根線」があります。
この県道こそ、名にし負う「旧東海道」なのです。
私の父はこの街道の大フアンで、子供の頃に父に連れられてこの道を歩いたことがあります。山の中の歩きにくい石畳のごつごつとした道を歩いた記憶があります。
私の所属するウオーキングクラブの人々と、この道を歩きました。
今回のウオーキングは、再来週の本番に向けて、下調べの為のウオ―キングです。
私の昔の記憶に反して、今のコースは綺麗に整備されて、歩きやすく、またあちこちに案内や説明があって、楽しいコースになっていました。
そして、いまさらながら、江戸時代には、この道が日本の東西を結ぶ大動脈で、大名行列、武士、商人、大人も子供も、男も女も、駕籠に乗ったり、馬に乗ったり、歩いたりして通ったのだ・・・・と、
感慨に浸りました。
箱根湯本から、バスで「須雲川」まで行き、そこから芦ノ湖湖畔の「元箱根港」まで歩きました。
そのコースを紹介します。
2013年5月23日、ウオーキングのメンバー12名で、下調べをしたコースを再度歩きました。
一部前回の写真と入れ替えたり、追加したりして改訂します。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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小田急線「箱根湯本駅」です。
箱根湯本駅 駅
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箱根湯本駅の改札口です。
ここで、昼食のお弁当を買いました。 -
駅前の商店街です。
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バス乗り場で、うしろに「須雲川」と合流した「早川」が流れていました。
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ここから、バスに乗り「須雲川」バス停に向かいました。
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バスは早川に架かる「三枚橋」を渡りました。
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この日の、コースマップです。
最初はコースマップに従って、須雲川から、箱根関所まで行く予定でしたが、コースが思ったよりハードでしたので、「元箱根港」で打ち切りました。 -
「須雲川」バス停を降りて、しばらくあるき、「須雲川自然探勝歩道」に入りました。
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杉並木の綺麗な探勝歩道が続いていました。
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道に沿って進むと、やがて発電所が見えてきました。
東京電力畑宿発電所です。畑宿発電所は昭和16(1941)年9月、運用開始で、水力発電の歴史そのものです by 魅々さん東京電力畑宿発電所 名所・史跡
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畑宿発電所の前で、木橋を渡って対岸に渡りました。
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川を渡り、急な階段を上ると、県道の出ました。
県道の斜め向うに、「須雲川自然探勝歩道」の入り口の看板と「割石坂」の石碑が見えました。
説明板によは「曽我五郎が、富士の裾野の仇討に向かう時、刀の切れ味を試すため、路傍の巨石を真っ二つに割り切ったところ」と書いてありました。曽我五郎が、富士の裾野の仇討に向かう時、刀の切れ味を試すため、路傍の巨石を真っ二つに割り切ったところです。 by 魅々さん割石坂 名所・史跡
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常識の拡大で、箱根湯本から4km、畑宿までは1kmです。
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石畳の道が表れてきました。
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道端に「これより江戸時代の石畳」という標識が立っていました。
いよいよ、江戸時代にタイムスリップしました。 -
説明板には「この付近の石畳は、江戸時代のものを明治、大正時代の元の須雲川小学校の通学路として一部補修したもの」とありました。
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石畳の、構造の断面図がありました。
下に小さな石が並べられ、上に大きな石が並べられた二重構造になっていて、側溝も彫らた構造になっているようです。 -
やがて「大澤坂」です。
往時はつつじが美しく咲いていたようです。
今では、苔むした石畳は、往時をもっとも忍ばせてくれる場所とのことです。 -
大澤坂の苔むした石畳です。
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大澤坂の苔むした石畳です。
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また、石畳の構図の図解がありました。
石は斜めに並べられ、雨水などが、斜め横に流れるように作られていたようです。 -
県道に出て、「畑宿寄木会館」に立ち寄りました。
ここで、寄木細工をお土産に買い、おトイレをお借りしました。
また、寄木細工の製作の実演を見たり、体験工房では寄木細工職人さんの懇切丁寧な指導により、用意された部材で寄木のコースターを作ることができるようでした。江戸時代より畑宿を中心に栄えた箱根の伝統工芸の寄木細工を展示・即売する施設です。 by 魅々さん畑宿寄木会館 美術館・博物館
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寄木会館の前に、「畑宿本陣茗荷屋跡」の標識がありました。
屋号を茗荇屋と呼ばれた旧名主の本屋敷跡です。
家屋は約70年前大正元年、全村火災の時に焼失しましたが、庭園は昔を偲ぶそのままの姿で残されたようです。「畑宿本陣茗荷屋跡」は、畑宿寄木会館の県道を隔てた向かい側にある旧名主の本屋敷跡です。 by 魅々さん畑宿本陣茗荷屋跡 名所・史跡
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畑宿のはずれに、お寺の階段がありました。
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案内板があり、次のように書かれていました。
守源寺は、寛文元年(1661年)に乗善院日連上人によって建立された日蓮宗平賀本土寺末の寺です。
この寺は、たびたびの災害で本堂を失い、昭和五年豆相大地震の後、ようやく再建され、現在にいたっています -
階段を上ったところの、本堂です。
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守源寺の階段の横に、「箱根旧街道一里塚 江戸より23里」の標識が立っていました。
守源寺は箱根旧街道の畑宿にある日蓮宗の古いお寺です。 by 魅々さん守源寺 寺・神社・教会
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道に沿って進むと、小山が二つあり、その上に木が植えられていました。
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「箱根旧街道 畑宿一里塚」の説明板です。
説明板には、明治時代、一部が削られてしまいましたが、発掘調査と文献調査の結果をもとに、復元整備されたと書かれていました。
東海道の一里塚は、二代将軍徳川秀忠の名により作られ、旅人にとっては旅の進み具合がわかる目安であると同時に、塚の上の木は夏にはり陰を作り、冬には寒風を防いでくれました。畑宿一里塚は、江戸から23里(92km)のところにあります。 by 魅々さん箱根旧街道 畑宿一里塚 名所・史跡
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一里塚を過ぎると、石のごつごつした旧坂になりました。
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石畳を歩き続けました。
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「西海子坂」です。
江戸時代、西海子坂は雨や雪のあとは大変な悪路になるので、竹を敷いていた所です。 by 魅々さん西海子坂 名所・史跡
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案内板によると、
最初の街道には、石畳はなく、雨や雪が降ると泥の海のなるので、竹を敷き、毎年その竹の調達に大変な費用と、労力がかかっていたので、江戸幕府が、延宝8年(1680年)、街道に石畳に改修する工事に着手した。と書いてありました。 -
階段を登りました。
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階段を上りきると、県道の出ました。
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しばらく県道を歩きました。コースマップの「七曲がり」です。
写真のバス停は「橿の木坂」です。 -
そして、「橿木坂」の案内板を見つけました。
ここには、東海道名所日記に、「けわしきこと。道中一番の難所」と書かれているとのことです。「橿の木の さかえをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの 涙こぼる」 とよまれたところです。 by 魅々さん橿木坂 名所・史跡
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難所も、今では石段となっていましたが、険しい階段を登りました。
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階段を上りきったところの、平らな場所があってベンチが2つありました。
そこで、お弁当を食べました。
ここから、急な石段があって、上ると樫の木平で、「見晴茶屋」がありました。
案内板には、「ここが樫の木平、下に見ゆるは畑の茶屋」と馬子唄にいたわれた見晴茶屋の跡がここです。「樫の木坂をこゆればくるしくてどんぐりほどの涙こぼるる」とうたわれた街道きっての急な坂道だった。
と書かれたいました。 -
樫の木平からの眺望です。
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現在の「見晴茶屋」さんです。
見晴し茶屋 グルメ・レストラン
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お弁当をたべている時に、面白い看板を見つけました。
「雲助」の条件について書かれていました。
力が強いこと
荷造りが上手なこと
歌が上手なこと
で、雲助は決して悪人ではなかった、と書いてありました。 -
見晴茶屋を過ぎると、風格のある石畳の道が続きます。
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案内板によると、このあたりは歴史的な街道に沿った遊歩道で、関東大震災や北伊豆地震などで、大半が崩壊、埋没しましたがが、残された一部を再現したとありました。
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歴史的な石畳です。
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このあたりは、「猿滑坂」といって相模国風土記に「ことに危険、猿猴といえども、たやすく登りえず」とあるようです。
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甘酒茶屋に近づいてきました。
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茶屋の手前に「笈の平碑」がありました。
「親鸞聖人と笈ノ平」という案内板があり、
東国の教化を終えての岐路、4人の弟子と親鸞上人が、この地に来たとき、親鸞上人は弟子の二人に、これから立ち戻って教化してもらいたいと、師弟の悲しい別れをした場所と書いてありました。笈の平碑 名所・史跡
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甘酒茶屋です。
畑宿と箱根宿の中間付近で、江戸時代は箱根の関所を前にした休憩所として親しまれていました。
忠臣蔵の芝居の神崎与五郎詫証文の舞台となる茶店であり、旅行経験のない江戸市民にも高い知名度を誇っていようです。
現在の建物は2009年に改装したもので、茅葺き屋根や土間など昔の雰囲気を持たせつつ、囲炉裏(いろり)や座敷などを増設する改修が行われました。甘酒茶屋 グルメ・レストラン
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写真は隣の「箱根旧街道資料館」の神崎与五郎詫証文の模型です。
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甘酒茶屋のとなりに、民家を改造した「箱根旧街道資料館」があり、いろいろな展示がありました。
箱根旧街道資料館 美術館・博物館
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写真はその一部の、大名行列の模型です。
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甘酒茶屋を出ると、しばらく石畳のない、林間の道を歩きます。
旧街道杉並木です。 -
木は細いですが、綺麗なスギ林が広がっています。
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県道を横切ると「箱根旧街道 元箱根まで四十分」の案内板がありました。
その奥に旧街道杉並木が続いています。 -
ここから、長い石畳の道が続きました。
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芦ノ湖はもうすぐです。
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「箱根馬子唄の碑」(箱根八里の碑)がありました。
碑文には、馬子唄の一節
「箱根八里は馬でもこすが こすに越されぬ 大井川」
が彫られていました。「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と唄う有名な『箱根馬子唄』の碑です by 魅々さん馬子唄の碑 名所・史跡
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杉木立の隙間に「二子山」が見えました。
二子山は自然状態が良く残されてますので、保護のため入山を禁止になっています。 by 魅々さん二子山 自然・景勝地
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「箱根馬子唄の碑」と並んで、二子山の説明がありました。これによると
「二子山は、駒ケ岳、神山、台ケ岳などとともに中央火口丘の一つで、箱根火山活動のうち最後に出来たものです。
頂上付近にはハコネコメツツジと呼ばれる富士火山帯特有のツツジ類を始めサンショウバラやコイワザクラ・・・などが生育していて自然状態が良く残されています。
現在は保護のため入山を禁止しております。」
と書いてありました。 -
「権現坂」の標識がありました。
小田原から箱根路をのぼる旅人が、いくつかの急所 難所をあえいでたどりつき、一息つくのがこの場所です。
目前に芦ノ湖を眺望し、箱根山に来たという旅の実感が、体全体に伝わってくるところです。
と書いてありました。 -
木々の間に、芦ノ湖が見えてきました。
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急な、石畳の道を降りていきました。
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下に、国道1号線をまたぐ陸橋が見えきました。
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陸橋を渡ると小さな広場があり、二つの石碑がありました。
一つは「バーニーの碑」で、バーニー本人が建てたものです。
ケンペルの「日本誌」から引用された文が載っていて、箱根の自然を大切に後世に伝えよう!と訴えている碑のようですが・・・・
残念ながら、読めません。
もう一つは「ケンペル バーニーの碑」です。
二人のレリーフがはめこまれているほうがそれです。
二人を讃えて「ケンペルとバーニーを讃える会」が建てたものです。ケンペル バーニーの碑 名所・史跡
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「ケンペル バーニーの碑」には次のように書かれています。
ドイツの植物学者エンゲルベルト・ケンペルはオランダ通商使節の一員として元禄4年(1691年)と翌年に箱根を讃え、箱根の美しさを世界に紹介してくれました。
C・M・バーニーは、この地に別荘をもっていた英国の貿易商です。大正11年にケンペルの著書「日本誌」の序文を引用「自然を大切にするように」と碑をたてました。
私達は二人の功績を讃えここに碑を立てました。
昭和61年11月
箱 根 町 長 勝俣 茂
ケンペル祭実行委員長 信濃一男
毎年、湖畔に春の訪れる4月にケンペル・バ−ニ−祭を開催されているようです。ケンペル バーニーの碑 名所・史跡
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元箱根に出る手前に藤棚の綺麗なお寺がありました。
曹洞宗の 端龍山 興福院です。 -
このお寺は芦ノ湖の賽の河原や古仏群や湯坂道沿いの精進池周辺の古仏群などを管理しているお寺です。
このお寺はもともと箱根の山中で行き倒れになった人を供養するお寺とのことです精進池 自然・景勝地
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手水場の藤棚が見事でした。
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芦ノ湖畔・元箱根港に降りました。
箱根杉並木には進まずに、ここでウオーキングを終ました。
ここから、箱根新道経由「箱根湯本行き」のバスに乗り、帰路につきました。
以上、写真を一部入れ替えたり、追加したりして、終わります。芦ノ湖 自然・景勝地
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