2013/05/03 - 2013/05/03
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キートンさん
半年ぶりに帰ってきましたブラチャモリの第3弾!
例年よりちょっと涼しいゴールデンウィークは、ブラチャモリするのに絶好のコンディション。
今回はひたすら南を目指し、ブラチャモリの原点「自転車」のことを少しお勉強。
あとはその道中で足の向くまま気の向くままのお気軽チャリ散策。
とはいっても走行距離は結構ハードだったのだ。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
-
とにかく南へ走った。
大阪城公園で自宅を出発してから初めて少し休憩。
走り始めてすでに4〜50分経過。 -
日本有数の大きな堀と重厚な石垣が続いている。
本日の道のりはちょっと長いので先を急ぐ。 -
ひたすら南へ走った。
本日前半はほとんど走りっぱなし。
大阪城から約40分で阿倍野区の「桃ヶ池公園」に到着。
1933年に開園したこの公園は、都市計画に基づく区画整理事業で完成した初めての公園だそうだ。
「桃ヶ池に棲んでいた大蛇(おろち)を聖徳太子が退治した」という伝説もあるらしい。 -
池の際にある「股ヶ池明神」。
聖徳太子が退治したおろちの霊を鎮めるため「おろち塚」が建てられ、夢に出た蛇霊を奉るために丸高竜王、丸長竜王として祭ったことが股ヶ池明神の起源だという。
なんてことは、全く知らずに写真を撮っていたわけだ。 -
桃ヶ池公園から少し走ると「長居公園」。
「長居スタジアム」では子供たちの陸上競技の大会が開催されていたので少し寄ってみた。 -
中学生の競技会のようだ。
この年代は結構レベル差があるよう。 -
でも走り高跳びは背面跳びが主流みたい。
私が高校生くらいまでは、背面跳びは危険が伴うということで、はさみ飛びかベリーロールしか教えてもらえなかった。
体育の授業での話だが・・・ -
長居スタジアムでの見学はほどほどにして、吾彦大橋で大和川を渡り、一気に「仁徳天皇陵」までやって来た。
延々と周濠が取り囲んでいる。 -
正式名称は「仁徳天皇中百舌鳥耳原中陵」。
墳丘の全長は486m、前方部の幅305m、後円部の直径249m、周濠を含めた東西の長さ660m、南北の長さ840m、周囲は2,718m、面積464,124?、日本最大の前方後円墳で、墓域面積は世界最大。
一般に墳丘に最も近付けるのがこの拝所で、二重濠の外側堰堤まで立ち入ることができる。
しかしそれ以外は三重濠に沿う周遊路で一周することができるものの、どこから見ても樹木が生い茂った丘にしか見えない。
世界に誇る規模の古墳ではあるだけに、観光要素としてはとても残念な状況なのである。 -
近くの観光案内所で「堺・まちあるきマップ」をもらって、隣の「大仙公園」に来た。
「堺・まちあるきマップ」は下記URLでPDFをダウンロード可。
http://www.sakai-tcb.or.jp/machiaruki.html
公園のエントランスには「平和塔」とある。 -
「大仙公園」のシンボルともいえる「平和塔」は、「太平洋戦争で亡くなった人々を追悼し、二度と戦争は繰り返さないとの決意を込め昭和46年に建設された」ということだ。
個人的には職業柄どうしても三角スケールを連想してしまう。 -
「平和塔」の前面にある池の名はなぜか「どら池」。
その向こうには「大芝生広場」が広がり、休日は大勢の市民でにぎわっている。 -
イチオシ
新緑の木々の緑がまぶしい。
なかなか気持ちの良い公園だ。 -
いよいよ本日のメインの目的地でもある「自転車博物館・サイクルセンター」に到着。
ここでブラチャモリでは不可欠のアイテム「自転車」についてお勉強。
利用料200円で入場。 -
まずは自転車の歴史について学習。
ここで最初に12分間の「ガイダンスシアター」を見ると、一気に自転車の歴史がよくわかる。
写真は1818年、ドイツ人カール・ドライスにより発明された最初の木製自転車のレプリカ。
1776年にイギリスのワットによって蒸気機関が発明され、南ウエールズで世界で初めて蒸気機関車がレール上を走ったのが1804年。意外にも「自転車」の歴史はそれよりも短いことになる。 -
博物館は3フロアーで、入口がある2Fから見学することになる。
2Fは「自転車の発達と歴史」の展示となっている。 -
自転車の元祖「ドライジーネ」。
木製でペダルはなく、地面を足で蹴って走った。
もともとは森の管理のための移動手段として発明されたようだが、ヨーロッパで金持ちの新しい遊びとして流行ったとか。
私事で申し訳ないが(いやいや私ではない)、1923年の映画『荒武者キートン』のなかでバスター・キートンがこのドライジーネをこいでいるシーンが見られる。
下記の映像の8分30秒あたり
http://www.youtube.com/watch?v=qT4dH1oaP8g
(注:削除されてたら申し訳ありません) -
「ミショー型ボーンシェーカー」(背骨ゆすり)。
1861年、パリで馬車をつくっていたミショー親子が、前輪にクランクとペダルを付けて車輪を回す方式を発明。
車体が木製から鉄製へと変わり、初めて大量生産された自転車。
この頃から自転車レースも始まったが、ヨーロッパの石畳の道では乗り心地が悪かったことから「ボーンシェーカー」(背骨ゆすり)と呼ばれた。 -
「オーディナリー」。
1880年頃になると自転車レースが盛んになり、より早く走るために前輪を大きくしていった。
ペダルを1回転した時の走行距離を延ばすために有効だった半面、乗り降りが難しく、重心が高くて急ブレーキをかけると前方宙返りをしてしまう危険な乗り物でもあった。 -
「セーフティーバイシクル」。
「安全」を考慮して進化した自転車。
1879年、イギリスのローソンがチェーンを付けて後輪を回す仕組みを発明。
1885年には、イギリスのスターレーが前輪と後輪が同じ大きさの「ローバー」を発明し、現在の自転車の基礎が固まってきた。
前輪が方向、後輪が駆動の役割分担で、乗り降りが楽で安定性がある乗り物に進化した。
大量生産により安価な乗り物となった。
ウエスタン(西部劇)にもすでにこの型の自転車が登場している。
『明日に向かって撃て!』の「雨にぬれても」が流れるシーンは有名。
1890年代を舞台にした作品なので、時代考証として間違っていない。 -
「コンフォートバイク」。
1888年、アイルランドのジョン・ボイド・ダンロップが空気入りタイヤを発明し、乗り心地とスピード化が向上した。
ダンロップの職業は獣医だったが、牛を治療した際に腸にガスが充満しているのを見て思いついたという。
車体を軽くするためのパイプ構造や変速機の開発によって、「より快適に」進化している。 -
おおまかな「自転車の歴史」はそれくらいにして、こちらは少し変わり種の自転車。
ミルクを運ぶために使われたようだ。 -
こんなの子供の頃に見たような気がする。
サイドカーっぽくて商業用の運搬に使われていたような。
「材木店」と書かれているので、木材を運んだのだろう。 -
自転車競技用の「ロードレーサー」。
前後輪がシマノ「デュラエース」のディープリム。
私がロードレーサーで大会に出ていた頃(90年代)の知識では、ロードバイク用のコンポーネントで「デュラエース」「アルテグラ」「105」がシマノの主要ラインナップだった。
その中で「デュラエース」は最高峰のグレードで、私ごときの実力&予算では2番目のグレードの「アルテグラ」までが精いっぱいだった。
まあ自転車競技の市民アスリートにとって「デュラエース」はあこがれでもあったわけだ。 -
3Fは「エコで健康な自転車ライフ」の展示。
変速機、ブレーキ、ライトの発電機などの種類や仕組みが学べる装置の展示されている。
ちなみに「自転車のまち」と呼ばれる堺市のメーカーの出荷額は国産自転車部品製造の約4割のシェアがあり、なかでも(株)シマノの自転車部品は世界的に有名だ。
堺の自転車作りの技術は、古墳づくりに必要だったクワやスキなどの鉄器→刀や包丁などの刃物→火縄銃などの鉄砲、と時代を経て鉄の加工技術が受け継がれたものだそうだ。 -
これは私らの世代には懐かしいシロモノ。
小学校高学年の頃流行した子供用のサイクリング車。
この変速機がいかにも昭和チック。
TV番組「Youは何しに日本へ?」でドイツ人マーティン君が青森→鹿児島→東京と旅した時に乗っていた自転車とほぼ同じタイプ。
マーティン君は青森のバイク店で40年間売れ残っていたこんなサイクリング車を5000円で購入して、41日かけて4000kmを走りぬいたという。
雨の日も風の日も1日平均約100km走破だ。すげ〜!
特に彼のお気に入りだった「ダブルフロントライト」はその自転車の代名詞となり、マーティン君は「Youは何しに・・・」のレジェンド(伝説)となった。
http://www.youtube.com/watch?v=ubY0Ujmk14Q
(13:00頃からの映像) -
3Fには自転車大国である「オランダ」を紹介した一角がある。
国土に山らしい山がほとんどなく極めて平坦なオランダは、人口一人当たりの自転車台数が1台以上で(人口より自転車の台数の方が多い)、世界一だという。
自転車道もよく整備されていて、日本ではお目にかかれないようなタイプの自転車も利用されている。
これは前方に子供を乗せるフード付きのかごが付いているタイプ。
白いのが子供の頭というわけだ。 -
1Fに下りると、上のフロアーに展示しきれない、約250台自転車がひっそりと出番を待っている収蔵庫がある。
ただ仕舞っておくのではなく、説明も付けて見れるようにしているところは好感がもてる。 -
こんな貴重な年代物も控え選手で出番を待っている。
レギュラー争いはかなり狭き門らしい。 -
こういうトライアスロンモデル用のバイクを見るとついついウンチクを語りたくなるので、適当にスルーしてください。
ブルホーンバーのハンドルにDHバーを付けて、空気抵抗が少なく楽な姿勢で長時間維持できるタイプ。
オリンピックのトライアスロンはルールが変わってきているが、もともとトライアスロンのバイクはドラフティング禁止なので、集団走行はルール違反になる。
人の後ろに付いて空気抵抗を避ける行為が「人の手は借りずに自分自身の力で完走する」というトライアスロンの精神に反するからだ。
空気抵抗との闘いでもあるので、バイクは空気抵抗の軽減と軽量化を追求する。
後輪のディスクホイールは空気抵抗に対する究極の対策で、車輪が回転する時のスポークが受ける空気抵抗を失くすことを目的にしている。
ただし、横風には弱いという大きな弱点と重量が増えるというデメリットがあるため、トライアスロンの大会ではブームは長く続かなかった。
一方前輪のディープリムは通常のリムとディスクホイールのメリットをバランス良く取り入れたもので、決戦用(練習用ではなく大会用)ホイールとして一般的だった。
気になるのは、よく見るとブレーキレバーが見当たらないことやペダルがビンディングではなくストラップであること。
これはトライアスロン用ではなく、トラックのタイムトライアル用ではないか・・・
そう考えると後輪のディスクホイールは理にかなっている。
ほんの独り言でした。
ご清聴ありがとうございました。 -
「自転車博物館」を出ると手早く昼食を済ませて、堺市内は特に寄り道しないで北上しようかと思っていた。
しかし、観光案内所でもらった「まちあるきマップ」を見ながらちょっと寄り道してみようかと考えた。
北へ向かう予定を西寄りに変えて、寺地町から阪堺電軌阪堺線の路面電車沿いに北上することにした。 -
マップでは寺地町から北に向かって最初の見どころは、「千利休屋敷跡」。
路面電車の通りから1本入った筋だったので少し見つけにくかった。
千利休は16世紀(戦国時代から安土桃山時代)に「わび茶」を大成させた茶人。
この屋敷跡には利休が茶湯に常用していたといわれる「椿の井戸」が残っている。
敷地内には入れず、道路側から見れるのみ。 -
路面電車の通りを少し北上すると歩道内の車道寄りに「与謝野晶子生家の跡」の記念碑がある。
『みだれ髪』で知られる歌人、与謝野晶子は明治時代この地にあった菓子商駿河屋の三女として出生。
与謝野鉄幹のもとへ上京するまでの青春時代を堺のまちで過ごした。
駿河屋の敷地は現道の車道部分にあったが、戦後に大幅な道路拡幅により道路敷きになったそうな。 -
上記2カ所は正直寄ってみるだけでさらっと流したが、堺市内で最後に訪れたこの「堺市立町屋歴史館・山口家住宅」は、「まちあるきマップ」を見て少し期待していた。
入館料は200円。 -
イチオシ
「山口家住宅」は江戸時代初期の町家で、国の重要文化財に指定されている。
玄関から土間に入ると大きな梁と小屋組で構成された、天井の高い大きな空間となっている。 -
一本物の太い梁が土間の空間を貫いている。
1615年の「大阪夏の陣」でこのあたりは壊滅的な被害を受け、この戦いに勝利した徳川幕府はすぐに復興に着手した。
その時の整備は「元和の町割」と呼ばれ、「山口家住宅」はこの元和の町割直後の1618年(江戸時代初期)に建築された。
「京都の着倒れ」、「大阪の食い倒れ」と並び「堺の建て倒れ」と呼ばれるほど堺の人々は住宅に財産をつぎ込んだだけあって、400年近く昔の民家とは思えない重厚な造りである。
社寺仏閣や城などでは江戸時代以前の建築物が現存しているものも少なくないが、町家で約400年も昔の建築が現存するケースは国内でも数少ないそうだ。 -
いったい何人分作るんやと突っ込みたくなるようなかまど。
広い家なのでかなりの大家族だったことが想像できる。 -
ここで山口家の間取りを頭に入れておきましょう。
まずは山口家の「屋敷鳥観図」。
このうち現存するのは西側(向こう側)2/3程度の範囲。
主要な建物部分はほとんど残っていることになる。
なお、お手数ですが間取り図など詳しいことは下記URLを参照してください。
http://www.sakai-tcb.or.jp/feature/12_1.html -
土間に面した「南の間」。
床の間の丸窓が特徴的。
5つ玉のそろばんがいかにも町屋っぽい。
ちなみに山口家は近隣農村の庄屋を務めていたようだ。 -
こんな階段箪笥、母の田舎に昔あったぞ。
もっと踏面が広くて、こんな急ではなかったけど。 -
「茶室」から見た「次の間」。
この間は江戸時代の中期から後期に増築されたらしい。 -
縁側から見た裏庭の庭園。
樹齢200年近いハゼの樹は、秋の紅葉を楽しめるそうだ。 -
庭園の水面に映る「北土蔵」。
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「奥座敷」の床の間。
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「北土蔵」。
1800年に増築された。 -
「北土蔵」の内部はちょっとした資料館になっている。
-
土間から外に出た所にある井戸。
「山口家住宅」は観光案内所でもらった「堺・まちあるきマップ」を見て思い付きで立ち寄ったのだが、思いのほか見ごたえがあった。
ここだけを目的に訪問するほどではないかもしれないが、この周辺は戦災を免れた市内でも数少ない地域で、歴史的な町割が残されている。
南北3km以内に「鉄砲鍛冶屋敷」、「清学院」、「堺伝統産業会館」や「菅原神社」などの社寺と見どころも豊富なので、1日かけての散策には十分お勧めできる。
「山口家住宅」しか見学しなかった私が言っても説得力はないが・・・ -
再び北上を開始し、大和川を渡って「住吉公園」の向かいに来た。
そこにあるのは「高灯籠」。
我が国最初の灯台として、鎌倉時代末の創建という説もある。
高さは約16mで、想像していたよりかなり大きかった。
昨秋「なにわの海の時空館」でこれの模型を見てから、機会があれば実物を見てみようと思っていた。 -
花真っ盛りの「住吉公園」を東へ横切って行くと・・・
-
やがて「住吉大社」へ。
最初にくぐる鳥居は何の変哲もないが、よく見るとある発明のヒントが隠されているという。
答えはこのURLにある。
http://www.nippon.com/ja/features/c00602/
先日テレビで知ったネタだけど・・・ -
「住吉大社」といえばこの「反橋」。
石の橋脚は慶長年間に淀君が奉納したものであるといわれる太鼓橋。 -
「御本殿」。
ここは全国約2300社余の住吉神社の総本山。
本日はお日柄もよく、友引きともあって、ここでの挙式も目白押し。 -
第一から第四まで4つの本宮から成る御本殿は、その名も「住吉造」といわれ、①柱・垂木・破風板は丹塗り、羽目板は白胡粉塗り、②屋根は桧皮葺で切妻の力強い直線、③出入り口が直線型妻入式、という3つの特徴がある。
-
毎月最初の辰の日は「初辰まいり」。
商売発達の「はったつさん」だと。 -
「手水舎」。
ウサギの口から水が注がれているのは、神功皇后がお祭りされた日が卯歳(うのとし)、卯月(うづき)、卯日(うのひ)であることから、ウサギと深い結びつきを象徴したものだとか。 -
境内の一角に、川端康成の小説『反橋』の一節が刻まれた文学碑がある。
「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです。私は母に抱かれておりました。」
子を抱いておりた母はもっとこはかったとおもふ。 -
阪堺電軌上町線沿いに北へ進む。
北畠の駅を越えたところで路面電車の併用軌道から専用軌道に変わる。 -
阪堺電軌上町線が松虫の駅を越えたところで再び併用軌道に戻る。
天王寺が近付き、「あべのハルカス」が大きくなってきた。 -
「あべのハルカス」の真下まで来ると、その巨大さにスケール感が狂ってくる。
-
イチオシ
「あべのハルカス」の下、近鉄前交差点に新設された歩道橋は、上から見ると「a」の字に見えるともっぱらの噂だ。
だからといって下から見ると、どんなにがんばっても「a」に見えないのは言うまでもない。 -
天王寺公園の中を突き抜けて、「一心寺」横の道を通っていると、排水管の出口に「動かぬリス」発見。
誰が何のために・・・
謎は深まるばかり。
まあ深く考えずに、浪速っ子のジョークと受け流しておこう。 -
17:00前に「四天王寺」に到着。
とはいっても拝観時間は16:30までなので、周りをぐるっと一周して終了。 -
天王寺の夕陽丘付近には「天王寺七坂」がある。
そのひとつ「口縄坂」は織田作之助の短編『木の都』で知られる。
坂を上りきったところに『木の都』の終わりの部分が刻まれてた石碑がある。 -
口縄坂に夕暮れ前の木漏れ日が差し込む。
「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢にはげしく突っ掛っていた。」
織田作之助『木の都』より。 -
口縄坂より南に戻ると、「愛染坂」と「清水坂」がある。
「夕陽丘」というだけあってさぞかし夕陽がきれいなのだろうと、このあたりで夕陽を眺められる高台を探したが見つからなかった。
「清水坂」の南側にある「清水寺」には京都のそれと同じく「清水の舞台」があって、夕景ポイントだという情報があった。
しかし「清水寺」参拝時間は16:00までらしく、冬至でも夕日を見るのは無理やん!と心の中で突っ込むしかなかった。 -
夕陽丘で夕日を見るのはあきらめて、道頓堀にやってきた。
撤去されたら洒落にならないので自転車を置くところに少し困ったが、ドンキホーテでそれほど必要のない買い物をして自転車を置かしてもらった。
「たこ焼き十八番」で少し腹ごしらえした後、西へ向かった。 -
「とんぼりリバーウォーク」を西へ歩き、「湊町リバープレイス」まで来た。
ここでの見どころは「浮庭橋」ライトアップ。 -
道頓堀を「とんぼりリバークルーズ」のクルーズ船が行く。
-
中には「リバージャズボート」なるものもクルーズしている。
もちろん生演奏。 -
周りのネオンがきらめく中、よりによって「グリコ」はお休みか?
-
あそこに「キリンプラザ大阪」がなくなったのはとても残念なことだ。
多くの映画ファンがそう思っているはずだ。 -
「とんぼりリバークルーズ」はドンキホーテ前から発着する。
ただいま出航待ち。 -
先ほどの「たこ焼き十八番」の近くに気になる一角を発見していたのでのぞいてみた。
その名は「浮世小路」。 -
あまりにも狭い路地にめちゃレトロな雰囲気。
とはいっても雰囲気に流されてはいけない。
自転車も飲酒運転になるからアルコールは厳禁だ。 -
そろそろ帰ろうとした時にあのネオンが目に入った。
道頓堀の夜の主役「グリコ」がとうとう走りだした。
やはり道頓堀はこうでなくちゃいけない。
というわけで、第3回のブラチャモリも気持よく完結できましたとさ。
めでたし、めでたし。
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旅行記グループ
関西ブラチャモリ
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