2013/05/03 - 2013/05/03
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滝山氏照さん
西武鉄道狭山線下山口駅下車、県道55号を西所沢駅方向に北進約10分に当地方屈指の古刹(草創716年)の真言宗豊山派・佛蔵院(ぶつぞういん、埼玉県所沢市山口)があります。
この真言宗佛蔵院は正式名称は「佛蔵院勝楽寺」と称しますがその理由としては、山口貯水池に沈んだ旧勝楽寺村(地区名)から昭和初期に当地へ移転してきたという歴史背景があるためです。
2022年9月16日追記
境内に配置の「仏蔵院縁起」の石碑には下記の通り説明があります。
『 仏 蔵 院 縁 起
当山の草創は、四十四代元正天皇霊亀2(716)年、現在は狭山湖底に沈んだ勝楽寺村大坊に朝鮮半島から渡来した王辰じ一族の人びとが阿弥陀如来・歓喜天をまつり勝楽寺聖天院を建立した時に始まります。
そして、弘仁の頃、弘法大師様と伝えられる旅の僧により楠の木で薬師如来・蔵王権現が刻まれ、辰じ山仏蔵院として再興され元喜、治暦の世には武蔵野一の霊場となり治承、寿永の時代においては、源頼朝公の祈願所となり七社神社の別当にあたり、十二院十二坊を数え寺社共に繁栄しました。しかし、文永3(1266)年、鎌倉幕府6代将軍宗尊親王の時、鎌倉騒動が起り寺社は焼失され廃墟となってしまいましたが、応永年間に再建され勝?寺と名づけられ五院二社が再興されました。その後、戦国時代となり寺社はまたも荒廃のうき目にあいました。
時が移り、徳川時代の元和7(1621)年?慈上人を中興の祖と仰ぎ、本尊に十一面観世音を安置し再興をはかり、山頂に七社神社、境内には阿弥陀堂・薬師堂・地蔵堂が残され、大坊の池には日限地蔵 歓喜天・弁財天がまつられ往昔のなごりをとどめていましたが明治維新により社寺は分離され、大正、昭和の時代に至って東京の水源地・狭山湖築造のため寺社は昭和4年に勝楽寺本坊と龍神神社は山口の中??神社へ合祀され、寺院は現在地に御霊を移し、今日に及んでいます。』
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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佛蔵院・入口
入口には広い敷地に駐車場が造作されています。 -
イチオシ
佛蔵院・山門前
広い敷地の中央には花崗岩と思われる石段があり、傍らにはみの笠を身に着けた石地藏が立脚しています。 -
百番供養塔・石碑
石碑には西國・秩父・坂東・狭山について百番供養塔となっています。 -
佛蔵院・参道
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佛蔵院・由緒
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佛蔵院・本堂
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イチオシ
佛蔵院本堂(近景)
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佛蔵院本堂・扁額
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佛蔵院・境内
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佛蔵院・境内
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佛蔵院・境内
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佛蔵院・境内
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不動明王
真言宗の教主「大日如来」の使者で姿は目を怒らせ、右手に宝剣を持って左手に縄を持った恐ろしい姿をしていますがその心は人々を救済する慈愛に満ちています。 -
佛蔵院山門
本堂から山門方向を捉えます。本堂を含む佛蔵院は段丘に立地していますから展望は抜群です。
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