![晩秋の小布施を歩く。長野、別所、小布施と廻った。小布施はのんびりと1日かけて廻った。丁度田圃は稲刈りが終わって、に菜穂が干されていた。小布施堂の栗アイスは、多くの人でにぎわっていた。小布施堂が率先して街づくりに取り組んだ成果だし、高井鴻山の北斎収集の遺産を生かしたことによる。人気が出ると大手百貨店に出店する風潮の中、頑なに郷土で頑張る小布施堂は、真の意味で郷土に根付く企業である。本来企業はかくあるべきと思いつつ、しこたま小布施堂のお菓子を買い込んだ。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/77/10/650x_10771077.jpg?updated_at=1367546106)
2008/11/21 - 2008/11/24
1423位(同エリア1771件中)
reiさん
晩秋の小布施を歩く。長野、別所、小布施と廻った。小布施はのんびりと1日かけて廻った。丁度田圃は稲刈りが終わって、に菜穂が干されていた。小布施堂の栗アイスは、多くの人でにぎわっていた。小布施堂が率先して街づくりに取り組んだ成果だし、高井鴻山の北斎収集の遺産を生かしたことによる。人気が出ると大手百貨店に出店する風潮の中、頑なに郷土で頑張る小布施堂は、真の意味で郷土に根付く企業である。本来企業はかくあるべきと思いつつ、しこたま小布施堂のお菓子を買い込んだ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ JR特急 私鉄 徒歩
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長野電鉄の小布施駅からまちづくりセンターに行った。休日で休みであった。東京理科大学の建築系の支援施設で、活動を知りたったが、残念である。
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交番があったが、風情は番所の様であった。標識が、モダンな感じでこのミスマッチが魅力的だ。変に古い街並みに媚びていないところが、新しいセンスと思う。
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街並みにマッチした四辻の標識。
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心地よい路地
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岩松寺の道は、バスで行くのがふつうであるが、こんな人町並みは歩いた方が心地よい。
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田圃が懐かしい風景だった。
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岩松寺に着いた。ここまで来る人は少ない。
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福島正則公の霊廟
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福島正則公の霊廟の左右には、お墓があった。質素な廟である。
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お寺の解説によれば、メスが産卵するのをオスが手伝う為だが、メスが少ない為に奪い合いとなって合戦となる。
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1816年4月。当寺を訪れ、小林一茶がこの蛙の合戦を見て、
「痩せ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだらしい。 -
撮影はできないが、外の説明文の見本を撮った。現物は遥かに凄い。北斎の天才ぶりは、浮世絵に勝る。見る甲斐があった。
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本堂から山門を見る。
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バスで、北斎館の近くまで戻った。
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やはりこの辺りは人が多い。観光バスも沢山訪れていた。
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北斎館前の広場。小布施堂のお休み処。
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小布施堂。ここでお菓子を買った。来る人が後を絶たない。お土産の定番が多く、殆ど万札が飛び交う。やはり都心に出店しない効果か。
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北斎館前広場
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北斎館前広場の路地
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水路が生かされた散策路
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美しい田舎の風情。
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郷土人形が展示されていた。
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渋柿がたわわに生っていた。
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絵になる街かどが続く。
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何気ない街かど
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和紙のお店
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小道
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田舎の風情
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高井鴻山の記念館への道
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若き北斎を、食事と宿泊施設を与えて育てた高井鴻山。この郷土の宝を世に知らしめたのは、ロシアの美術館学芸員が街に借りに来たことから始まった。その後ロシアで北斎展が開催された。高井鴻山が時を超え街に誇りと資源を与えた。
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高井鴻山の屋敷。
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小布施堂の本店。このお店が、街並み整備の発端となったお店。
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人は財産。人は未来を創る。開発予算だけではないと言ったことがつくづく思い知らされる。
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信州の山並みに日が落ち始めた。
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