2013/04/03 - 2013/04/06
62位(同エリア900件中)
ミッキーさん
長門の「金子みすゞ記念館」で長居したおやじ達は、本日の宿泊先「萩グランドホテル 天空」に30分で到着。
収容人員700名(客室155室)のこのホテルに、今回決めた理由は、翌日の萩観光に便利、そして、1泊2食付の料金が、バスツァー客と同じ位お値打ちだったからです。(おやじ3人旅の1泊2食の価格としては最安値。)
PM6時からビュッフェ形式の夕食が始まり、50種類以上の料理と牛カット・刺身盛り合わせ・寿司握り・天ぷら等の各屋台があり、広い会場はたいへん賑わっていました。(ソフトドリンク無料・ビールは一杯800円)
翌日、早めに朝食をとり8時半頃、萩博物館の駐車場に到着。
そこから、歩いて城下町を散策していると、右側に重要文化財「菊屋家住宅」が見えてきました。
この菊屋家は、もともと武士でしたが、「毛利輝元公」萩城築城の際に、山口から有力町人として萩に入り町造りに尽力し、その後、藩の御用達を勤めてきました。 屋敷は、2000坪、建物は江戸初期の建築で、400年の歴史があり、現存する商家としては最古の部類に属するようです。
菊屋家を見学し出た所が、「菊屋横丁」といわれ「高杉晋作・木戸考允」などの旧宅があり、国指定史跡「萩城城下町」としての人気エリアです。
それから、萩のもう一つの観光スポット、「松下(しょうか)村塾・松陰神社」に10分ちょっとで到着。
吉田松陰の叔父、玉木文之進が、天保13年(1842年)に自宅で私塾を開いたのが始まりで、安政4年(1857年)28歳の松陰がこれを継ぎ、松陰は、身分や階級にとらわれずに学ぶことができる塾にし、僅か1年余りの間に幕末維新期に活躍した、久坂玄瑞(17歳入塾)・高杉晋作(18歳入塾)・伊藤博文(17歳入塾)など数多くの逸材が輩出したとのことです。
そして、吉田松陰を祭神とした「松陰神社」にお参りし、近くにある「伊藤博文(ぶみ)の旧宅」に行きました。
9歳の時に、山口県光市から家族で萩に移り両親共に伊藤家に入家し、この木造茅葺き平屋建て29坪の下級武士の家に住んでいたようです。(国の史跡)
庭には立派な伊藤博文の銅像(萩焼でできた像で正式には陶像)がありました。
次に続く
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ANAセールス
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2日目の宿泊先「萩グランドホテル 天空」。
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夕食のバイキング料理。
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萩博物館の景観。
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田中義一像。(山口県萩市出身)
第26代内閣総理大臣。 -
毛利輝元公の像。
長州藩初代藩主。関ヶ原の戦いでは西軍の総大将。 -
史跡 萩城跡。 1604年築城に着手し、1608年に完成し「毛利輝元」の居城になった萩城。
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萩城のお堀。
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萩城のお堀。
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夏ミカンとNHKのアンテナ。
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萩・白壁の城下町。
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ちょうど9時になり、団体客が来ています。
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城下町には、萩焼の陶器店が沢山あります。
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重要文化財 菊屋家住宅の入り口。
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菊屋家の長屋門。
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御成門。
長屋門から入られた「御上使」は、この門を経て、
書院に通された。 -
庭を眺めながら、係の人が説明しています。
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駕籠置き石。
庭の中央にある大石に、御成門を経て入られた御上使等の駕籠を置き、縁側から入室されたとされている。 -
駕籠置き石から、飛び石を歩いてで縁側に行けます。
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菊屋家の見学コースの出口が、菊屋横丁の通りになっています。
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木戸考允(きどたかよし)旧宅。
維新の三傑で、江戸に出るまでの、約20年間過ごした家。 -
高杉晋作誕生地。
久坂玄瑞の勧めで「松下村塾」入塾し、松陰の影響を受けた。
文久3年(1863年)に身分を問わない我が国初の軍事組織
「奇兵隊」を下関にて挙兵。 -
受付で観覧料を払います。
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敷地は、始め500坪の広さがありましたが、現在は、南半分で、現存する当時の建物として、6畳が3部屋・4.5畳と3畳の部屋が各1部屋と、玄関と台所があるようです。
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晋作の写真。
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晋作の妻、雅子さんの写真。
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晋作の父と母の写真。
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松陰神社の参道。
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松下村塾が見えてきました。
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「松下村塾・しょうかそんじゅく」の全景。
名前の由来は、松陰の叔父、玉木文之進が天保13年(1842年)萩・「松本村」にあった自宅の一隅で始めた塾で、松本の「本」は下(もと)とも読めることから、「松下・まつもと」を中国風に「しょうか」と読んだとのことです。 -
右奥の建物が、最初の建物です。
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8畳一間です。
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この部屋で講義が始まりました。
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こちらが増築された「10畳半の建物」。
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奥に、塾生の写真飾ってがあります。
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吉田松陰を始め、木戸考允・高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文等の写真が飾ってあります。
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手前の三畳は、控え所。
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玄関の土間に見える二畳ほどに所で、寄宿生が寝泊まりしていたようです。
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松陰神社。
明治40年(1907年)、松下村塾出身の伊藤博文等・野村靖が中心となって、公の神社として創建・整備が進められた。 -
松陰神社の本殿。
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昭和30年(1955年)新しく建て替えられた社殿。
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伊藤博文旧宅の門。
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伊藤博文14歳のときより13年間住んだ家。
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伊藤博文が、明治元年(1868年)新政府(兵庫県知事)に出仕する、28歳までの生活の本拠。
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庭に建てられている伊藤博文像。 台座に比べ少し小さめな伊藤博文像。
萩焼きで出来た像(陶像)。 -
日本の「初代 内閣総理大臣」で、あと5代目・7代目・10代目と4度の内閣総理大臣を務めた。
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