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 長門の「金子みすゞ記念館」で長居したおやじ達は、本日の宿泊先「萩グランドホテル 天空」に30分で到着。<br /><br /> 収容人員700名(客室155室)のこのホテルに、今回決めた理由は、翌日の萩観光に便利、そして、1泊2食付の料金が、バスツァー客と同じ位お値打ちだったからです。(おやじ3人旅の1泊2食の価格としては最安値。)<br /><br /> PM6時からビュッフェ形式の夕食が始まり、50種類以上の料理と牛カット・刺身盛り合わせ・寿司握り・天ぷら等の各屋台があり、広い会場はたいへん賑わっていました。(ソフトドリンク無料・ビールは一杯800円)<br /><br /><br /> 翌日、早めに朝食をとり8時半頃、萩博物館の駐車場に到着。<br />そこから、歩いて城下町を散策していると、右側に重要文化財「菊屋家住宅」が見えてきました。<br /> <br /> この菊屋家は、もともと武士でしたが、「毛利輝元公」萩城築城の際に、山口から有力町人として萩に入り町造りに尽力し、その後、藩の御用達を勤めてきました。                   屋敷は、2000坪、建物は江戸初期の建築で、400年の歴史があり、現存する商家としては最古の部類に属するようです。<br /><br /> 菊屋家を見学し出た所が、「菊屋横丁」といわれ「高杉晋作・木戸考允」などの旧宅があり、国指定史跡「萩城城下町」としての人気エリアです。<br /><br /><br /> それから、萩のもう一つの観光スポット、「松下(しょうか)村塾・松陰神社」に10分ちょっとで到着。<br /><br /> 吉田松陰の叔父、玉木文之進が、天保13年(1842年)に自宅で私塾を開いたのが始まりで、安政4年(1857年)28歳の松陰がこれを継ぎ、松陰は、身分や階級にとらわれずに学ぶことができる塾にし、僅か1年余りの間に幕末維新期に活躍した、久坂玄瑞(17歳入塾)・高杉晋作(18歳入塾)・伊藤博文(17歳入塾)など数多くの逸材が輩出したとのことです。<br /><br /> <br /> そして、吉田松陰を祭神とした「松陰神社」にお参りし、近くにある「伊藤博文(ぶみ)の旧宅」に行きました。<br /><br />9歳の時に、山口県光市から家族で萩に移り両親共に伊藤家に入家し、この木造茅葺き平屋建て29坪の下級武士の家に住んでいたようです。(国の史跡)<br /> 庭には立派な伊藤博文の銅像(萩焼でできた像で正式には陶像)がありました。<br /><br />                                      次に続く<br /> <br />  <br /> 

「おやじ3人旅」 福岡・山口編 パート4

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2013/04/03 - 2013/04/06

62位(同エリア900件中)

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ミッキー

ミッキーさん

 長門の「金子みすゞ記念館」で長居したおやじ達は、本日の宿泊先「萩グランドホテル 天空」に30分で到着。

 収容人員700名(客室155室)のこのホテルに、今回決めた理由は、翌日の萩観光に便利、そして、1泊2食付の料金が、バスツァー客と同じ位お値打ちだったからです。(おやじ3人旅の1泊2食の価格としては最安値。)

 PM6時からビュッフェ形式の夕食が始まり、50種類以上の料理と牛カット・刺身盛り合わせ・寿司握り・天ぷら等の各屋台があり、広い会場はたいへん賑わっていました。(ソフトドリンク無料・ビールは一杯800円)


 翌日、早めに朝食をとり8時半頃、萩博物館の駐車場に到着。
そこから、歩いて城下町を散策していると、右側に重要文化財「菊屋家住宅」が見えてきました。
 
 この菊屋家は、もともと武士でしたが、「毛利輝元公」萩城築城の際に、山口から有力町人として萩に入り町造りに尽力し、その後、藩の御用達を勤めてきました。                   屋敷は、2000坪、建物は江戸初期の建築で、400年の歴史があり、現存する商家としては最古の部類に属するようです。

 菊屋家を見学し出た所が、「菊屋横丁」といわれ「高杉晋作・木戸考允」などの旧宅があり、国指定史跡「萩城城下町」としての人気エリアです。


 それから、萩のもう一つの観光スポット、「松下(しょうか)村塾・松陰神社」に10分ちょっとで到着。

 吉田松陰の叔父、玉木文之進が、天保13年(1842年)に自宅で私塾を開いたのが始まりで、安政4年(1857年)28歳の松陰がこれを継ぎ、松陰は、身分や階級にとらわれずに学ぶことができる塾にし、僅か1年余りの間に幕末維新期に活躍した、久坂玄瑞(17歳入塾)・高杉晋作(18歳入塾)・伊藤博文(17歳入塾)など数多くの逸材が輩出したとのことです。

 
 そして、吉田松陰を祭神とした「松陰神社」にお参りし、近くにある「伊藤博文(ぶみ)の旧宅」に行きました。

9歳の時に、山口県光市から家族で萩に移り両親共に伊藤家に入家し、この木造茅葺き平屋建て29坪の下級武士の家に住んでいたようです。(国の史跡)
 庭には立派な伊藤博文の銅像(萩焼でできた像で正式には陶像)がありました。

                                      次に続く
 
  
 

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
同行者
友人
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
ANAグループ
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
ANAセールス
  •  2日目の宿泊先「萩グランドホテル 天空」。

     2日目の宿泊先「萩グランドホテル 天空」。

  •  夕食のバイキング料理。

     夕食のバイキング料理。

  •  萩博物館の景観。

     萩博物館の景観。

  •  田中義一像。(山口県萩市出身)<br />第26代内閣総理大臣。<br />

     田中義一像。(山口県萩市出身)
    第26代内閣総理大臣。

  •  毛利輝元公の像。<br />長州藩初代藩主。関ヶ原の戦いでは西軍の総大将。

     毛利輝元公の像。
    長州藩初代藩主。関ヶ原の戦いでは西軍の総大将。

  •  史跡 萩城跡。                       1604年築城に着手し、1608年に完成し「毛利輝元」の居城になった萩城。

     史跡 萩城跡。                       1604年築城に着手し、1608年に完成し「毛利輝元」の居城になった萩城。

  •  萩城のお堀。

     萩城のお堀。

  •  萩城のお堀。

     萩城のお堀。

  •  夏ミカンとNHKのアンテナ。

     夏ミカンとNHKのアンテナ。

  •  萩・白壁の城下町。

     萩・白壁の城下町。

  •  ちょうど9時になり、団体客が来ています。

     ちょうど9時になり、団体客が来ています。

  •  城下町には、萩焼の陶器店が沢山あります。

     城下町には、萩焼の陶器店が沢山あります。

  •  重要文化財 菊屋家住宅の入り口。

     重要文化財 菊屋家住宅の入り口。

  •  菊屋家の長屋門。

     菊屋家の長屋門。

  •  御成門。<br /> 長屋門から入られた「御上使」は、この門を経て、<br />書院に通された。

     御成門。
     長屋門から入られた「御上使」は、この門を経て、
    書院に通された。

  •  庭を眺めながら、係の人が説明しています。

     庭を眺めながら、係の人が説明しています。

  •  駕籠置き石。<br />庭の中央にある大石に、御成門を経て入られた御上使等の駕籠を置き、縁側から入室されたとされている。

     駕籠置き石。
    庭の中央にある大石に、御成門を経て入られた御上使等の駕籠を置き、縁側から入室されたとされている。

  •  駕籠置き石から、飛び石を歩いてで縁側に行けます。

     駕籠置き石から、飛び石を歩いてで縁側に行けます。

  •  菊屋家の見学コースの出口が、菊屋横丁の通りになっています。

     菊屋家の見学コースの出口が、菊屋横丁の通りになっています。

  •  木戸考允(きどたかよし)旧宅。<br />維新の三傑で、江戸に出るまでの、約20年間過ごした家。

     木戸考允(きどたかよし)旧宅。
    維新の三傑で、江戸に出るまでの、約20年間過ごした家。

  •  高杉晋作誕生地。<br /> 久坂玄瑞の勧めで「松下村塾」入塾し、松陰の影響を受けた。<br />文久3年(1863年)に身分を問わない我が国初の軍事組織<br />「奇兵隊」を下関にて挙兵。<br />

     高杉晋作誕生地。
     久坂玄瑞の勧めで「松下村塾」入塾し、松陰の影響を受けた。
    文久3年(1863年)に身分を問わない我が国初の軍事組織
    「奇兵隊」を下関にて挙兵。

  •  受付で観覧料を払います。

     受付で観覧料を払います。

  •  敷地は、始め500坪の広さがありましたが、現在は、南半分で、現存する当時の建物として、6畳が3部屋・4.5畳と3畳の部屋が各1部屋と、玄関と台所があるようです。

     敷地は、始め500坪の広さがありましたが、現在は、南半分で、現存する当時の建物として、6畳が3部屋・4.5畳と3畳の部屋が各1部屋と、玄関と台所があるようです。

  •  晋作の写真。

     晋作の写真。

  •  晋作の妻、雅子さんの写真。

     晋作の妻、雅子さんの写真。

  •  晋作の父と母の写真。

     晋作の父と母の写真。

  •  松陰神社の参道。

     松陰神社の参道。

  •  松下村塾が見えてきました。

     松下村塾が見えてきました。

  •  「松下村塾・しょうかそんじゅく」の全景。<br />名前の由来は、松陰の叔父、玉木文之進が天保13年(1842年)萩・「松本村」にあった自宅の一隅で始めた塾で、松本の「本」は下(もと)とも読めることから、「松下・まつもと」を中国風に「しょうか」と読んだとのことです。<br />

     「松下村塾・しょうかそんじゅく」の全景。
    名前の由来は、松陰の叔父、玉木文之進が天保13年(1842年)萩・「松本村」にあった自宅の一隅で始めた塾で、松本の「本」は下(もと)とも読めることから、「松下・まつもと」を中国風に「しょうか」と読んだとのことです。

  •  右奥の建物が、最初の建物です。

     右奥の建物が、最初の建物です。

  •  8畳一間です。

     8畳一間です。

  •  この部屋で講義が始まりました。

     この部屋で講義が始まりました。

  •  こちらが増築された「10畳半の建物」。

     こちらが増築された「10畳半の建物」。

  •  奥に、塾生の写真飾ってがあります。

     奥に、塾生の写真飾ってがあります。

  •  吉田松陰を始め、木戸考允・高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文等の写真が飾ってあります。

     吉田松陰を始め、木戸考允・高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文等の写真が飾ってあります。

  •  手前の三畳は、控え所。

     手前の三畳は、控え所。

  •  玄関の土間に見える二畳ほどに所で、寄宿生が寝泊まりしていたようです。

     玄関の土間に見える二畳ほどに所で、寄宿生が寝泊まりしていたようです。

  •  松陰神社。<br />明治40年(1907年)、松下村塾出身の伊藤博文等・野村靖が中心となって、公の神社として創建・整備が進められた。

     松陰神社。
    明治40年(1907年)、松下村塾出身の伊藤博文等・野村靖が中心となって、公の神社として創建・整備が進められた。

  •  松陰神社の本殿。

     松陰神社の本殿。

  •  昭和30年(1955年)新しく建て替えられた社殿。

     昭和30年(1955年)新しく建て替えられた社殿。

  •  伊藤博文旧宅の門。

     伊藤博文旧宅の門。

  •  伊藤博文14歳のときより13年間住んだ家。

     伊藤博文14歳のときより13年間住んだ家。

  •  伊藤博文が、明治元年(1868年)新政府(兵庫県知事)に出仕する、28歳までの生活の本拠。

     伊藤博文が、明治元年(1868年)新政府(兵庫県知事)に出仕する、28歳までの生活の本拠。

  •  庭に建てられている伊藤博文像。 台座に比べ少し小さめな伊藤博文像。<br />萩焼きで出来た像(陶像)。

     庭に建てられている伊藤博文像。 台座に比べ少し小さめな伊藤博文像。
    萩焼きで出来た像(陶像)。

  • 日本の「初代 内閣総理大臣」で、あと5代目・7代目・10代目と4度の内閣総理大臣を務めた。

    日本の「初代 内閣総理大臣」で、あと5代目・7代目・10代目と4度の内閣総理大臣を務めた。

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