2017/11/24 - 2017/12/21
40位(同エリア1598件中)
地中海人さん
アテネ滞在記
アテネ滞在の都度、この旅行記に書き足しています。
2017年11月24日から五週間ギリシャに滞在します。
アクロポリス、古代アゴラ、ローマンアゴラ、ゼウス神殿、考古学博物館、キクラデス博物館、シンタグマ広場、リュケイオン(ビザンチン博物館となり)、オモニア広場、アカデミーア・プラトノス、ケラミコスの墓、中央市場を散策しました。
最後のアテネは、2017年11月24日から7泊+2泊+1泊+2泊、2014年6月4泊、2012年3月3泊,2011年12月3泊、****東日本大震災後だけで7回の記録。
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2017年11月24日(金)
仙台空港ANA3232便8.05発→成田空港09.00着
ANA231便同空港発11.00発→ブリュッセル空港15.15着
A3便同空港18.20発→アテネ空港22.30着
アートホテルアテネ 4星 4泊
1 泊料金:¥6,124 ¥3,304税およびサービス料 合計¥27,800
5週間ギリシャ旅行の初日11月24日深夜、今月購入したばかりのエクスペリアXZsをシンタグマ駅に降車した際紛失!
スマホ紛失顛末は口コミをどうぞ
http://4travel.jp/overseas/area/europe/greece/athens/transport/10006568/tips/12918257/
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11月25日(土)
AUにスマホの停止手続きをする。
国立考古学博物館を巡った後クラスィノモフ広場にあるツーリストポリで「LOSS DECLARATION」を発行してもらう。
国立歴史博物館
ランチは「楽」(旧風林火山)てんぷらとビール15.50ユーロ
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11月26日(日)
古代アゴラ、柱廊博物館
ローマンアゴラ(近くでランチ ラム付きスパゲティとビール 15ユーロ)
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11月27日(月)
中央市場、アテネ市博物館
12・30 「楽」でギリシャ在住18年のS女史とランチ
シンタグマ地区の「パブリック」でスマホ購入89.90ユーロ、近くのCOSMEチェーン店でプリペイドSIM購入14ユーロ(30日間有効、ギリシャ国内200分電話無料、WiFi有効、インターネットモバイルデータは1ギガ)
夜ナクソス往復航空機予約、ホテル予約
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11月28日(火)
新アクロポリス博物館 アクロポリス
ランチ(ビーフスブラキとビールで20ユーロ)
11月28日から3泊 アテネ アートホテル 税込み20,268円
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11月29日(水)
ラリッサ駅10.18発→テーベ(THIVA)→(タクシー4.5ユーロ)→テーベ考古学博物館→街歩き→(市内タクシー乗り場から3.5ユーロ)→
THIVA駅14.21発→ラリッサ駅15.24着
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11月30日(木)
PM1.00、S女史とパブリックで待ち合わせ、パブリックの地下でスマホの不具合を修理後(日本語キーボード無し)、中央市場の「EPIRUS TAVERNA」へ、トマト煮ステーキ、臓物煮スープ。
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★12月1日から3泊 ナクソス島 クセニアホテル 税込み18,765円+30ユーロ’(バルコニー付きの広い部屋に変更) 朝食5ユーロ/1
回
アテネ発12・45→ナクソス空港着40分後→(タクシー12ユーロ)ナクソス クセニアホテル
夕食「Maro taverna」 ステーキとご飯 ワインで11.5ユーロ
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6: 2014年 6月8日(日)
トリーアHbf発10.20(RB12219)→コブレンツHbf着12.18
同12.48発(IC2023)→FRA鉄道駅着13.59 (34EUR)
FRA発18.00→アテネATH着21.55 LH5924便 ANApp790
ATH鉄道駅から地下鉄でシンタグマ駅まで(8EUR)
シンタグマ広場から徒歩2分のパンホテルに2泊(8597+8589円 朝食付き WiFi無料)
6月9日(月)
アテネ・ラリッサ駅10.18発→テーベ駅11.28着(12.5EUR)
テーベ・アクロポリスの街歩き、ミケーネ遺跡を巡る。
テーベ14.21発アテネ・ラリッサ駅15.21着(IC53 一等車は6人掛けコンパートメント)で帰る(2等13EUR)。
★ メトロでモナスティラキ駅まで、古代アゴラを散歩。
6月10日(火)
午前 メトロでピレウスへ、街歩き、考古学博物館を訪問
午後 アテネ国立考古学博物館
夜のオモニア広場近辺を歩く。
オモニア駅から徒歩5分のアートホテル2泊(1泊55EUR 朝食付き WiFi無料)
ホテルには元日本語ガイドのミランダさんがおり、相談に乗ってくれ助かりました。
6月11日(水)
★ 午前 メトロでケラミコスの墓 以下記録消滅
- 旅行の満足度
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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アテネ空港から市内に、車でアマリアス大通りを南側から入ると、右側にアドリアノス門が見える。
ハドリアヌス帝は、アテネを三度、124年9月、128年春、131年から132年の冬にかけ建築工事専門の人たちを伴い訪れ、神殿や水道施設を整備補修し、また学術振興に意を尽くしたので、アテネの人たちからはオリュムピオスと呼ばれたと言う。
属州ヒスパ二ア出身ですが、プルタルコスから直に教育を受けたとされているので、「英雄伝」などを読み、ギリシャを特に愛し、また美青年・アンティノウスを寵愛したのでしょう。
皇帝在任中、3度12年間帝国版図内を旅していますので、地中海沿岸のギリシャ系都市のほとんどに足跡を残しています。
ハドリアヌスの凱旋門 史跡・遺跡
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アマリアス大通り、歩道の地下。
ローマ時代の浴場跡。 -
ゼウス神殿です。
アマリアス大通りに面したアドリアノス門からは入れません。
トラムの停留所近くに入り口があります。(2EUR)ゼウス神殿 建造物
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ゼウス神殿
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ゼウス神殿
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ゼウスの聖域に、紀元前415年に着工、紀元2世紀ハドリアヌスが完成させたゼウス神殿は、104本あった列柱は今15本。89本は今やどこに。
ローマ帝政期に建てられた神殿では最大のもの。オリンポスの最高神であり、ギリシャ一のポリスですので。
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アクロポリスが見えます。
紀元前174、建物のデザインもドーリア式からコリント式に変更され、円柱も短辺に3列×8本と長辺に2列×20本の合計104本を建てる計画変更。
円柱の高さは17m、直径は2m -
ゼウス神殿
共和制ローマ支配化のスッラの時代には、大きく破壊され、ローマへ持ち去られたと言う。 -
ゼウス神殿の南側、一段下がったところは発掘中。
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ゼウス神殿
神殿の建設開始から638年もかけ、ついに132年、旅行でアテナイを訪問した皇帝ハドリアヌスが完成させた。
神殿にはハドリアヌスの像が置かれ、本殿にはゼウス像が祀られていたと言われている。
425年、東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世はキリスト教以外のローマ神やギリシア神を祀ったゼウス神殿を否定し、5世紀から6世紀にかけて神殿は破壊され石材は周辺のキリスト教の聖堂の建築に再利用されたと言う。 -
シンタグマ広場の夜
左側に五つ★のホテルが三軒並んでいます。 -
空港からX95番のバスに乗るとシンタグマ広場を一周してこの写真の右側がバス停。
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シンタグマ広場
独立記念日にはパレードが行われる左側の通りの地下がメトロ(ラリッサ駅やオモニア駅を通る2号線、空港とピレウスを結ぶ3号線)のシンタグマ駅です。 -
上の写真の奥にはトラムの始発停留所があります。
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シンタグマ広場
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シンタグマ広場
奥の建物が国会議事堂。国会議事堂 (旧王宮) 城・宮殿
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メトロの入り口
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シンタグマ広場(ホテルからアクロポリス遠望)
この広場の全体がほぼ古代、アリストテレスの「リュケイオン」だったところです。
ここに、彼はアレクサンダーが遠征の旅に出た前334年、リュケイオン体育場(ギムナシオン)や学芸の女神・ムーサイの神殿などを利用し学校を開きました。
師のプラトン同様、対話を重んじ、彼はここの散歩道で逍遥しながら教えたといわれています。
西北の隅に境界石があるとのことですが。
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シンタグマ広場
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シンタグマ広場
道路を渡るとエルムー通り -
通りを渡ったエルムー通りの入り口
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エルムー通りの夜
2014年6月10日 -
エルムー通りの夜
2014年6月10日 -
エルムー通りの夜
2014年6月10日 -
エルムー通りの夜
2014年6月10日 -
プラカ地区の夜
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プラカ地区の夜
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プラカ地区の夜
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プラカ地区の夜
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プラカ地区の夜
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アテネ国立考古学博物館
ギリシャの先史時代からローマ時代にかけ、クレタ島除くギリシャの重要な遺跡出土品があり、ギリシャ滞在の最初に数時間、帰国時は半日訪ねたいところです。
ポセイドン、馬に乗る少年、マラトンの少年像など男性像が目に付きますね。ギリシャ彫刻の美の粋、原点をオリジナルで味わえます。
ホモ・サピエンスの文明グレートジャーニーをたどる上で、ここは外せません。まさに宝庫ですね。
時代的には、ギリシャ最古のキクラデス文明、エーゲ海文明最後のミケーネ文明に興味を持ちました。部屋番号4番5番です。
2011年12月14日,2014年6月10日訪問。
シンタグマ広場からタクシーで5?6ユーロで行けます。繁華街を観光案内してもらいながら遠回りしても10ユーロ。国立考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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エーゲ海文明のうち、同じ青銅器文明の他の二つ(クレタとトロイア)と異なり、ミケーネ文明は、エーゲ海から大陸に進出し、先住民を攻略しつつ、小国分立していったといわれ、城壁も他と異なって堅固なものとなり、独特の円形墳墓を残しています。写真はその中から出土した黄金のマスク。
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大量の黄金を保有していたミケーネ文明は、紀元前1200年前に滅び、その後全く記録が残されていない暗黒の400年間があったにもかかわらず、ギリシャ人にその記憶をとどめ、紀元前8世紀のあのホメーロスが「黄金のミケーネ」と歌ったといわれています。
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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ティリンスの玉座
ナフプリオン近くにある遺跡から
(ギリシャ遺跡巡り ④ ナフプリオンに3泊、エピダウロス遺跡、ミケーネ文明遺跡のミケーネ、ティンスへ http://4travel.jp/travelogue/10749686) -
アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
アルカイック期の彫像は特徴的で、一目でわかりますね。微笑と左足前。 -
アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
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アテネ国立考古学博物館
サントリーニ島の発掘品
(地中海エーゲ海の島 ⑤ サントリーニ島へ高速船でミコノスから。フィラ3泊滞在中イア、アクロティリ遺跡 http://4travel.jp/travelogue/10764997) -
リカヴィトスの丘までケーブルカーで、 2012年3月17日訪問。
ヴィクレスティウー通りへアマリアス通りから曲がると、ショッピング街です。
緩やかな傾斜を上り、数回検討をつけて左折右折を繰り返し、一度道を尋ねケーブルカー駅にたどり着く。
30分間隔。往復6ユーロ。頂上にカフェがあります。 -
リカヴィトスの丘から
南西、アクロポリスを遠望。
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南、晴れればピレウス、海まで見えるというが。
リカヴィトスの丘 散歩・街歩き
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標高273mのリカヴィトスの丘から東方面、 コンサートが開かれるリカヴィとス劇場が見えます。
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プルタルー通り
南側へ、ケーブルカー駅からプルタルー通りの階段を降り、コロナキ広場へ。 -
コロナキ広場にはカフェ、レストランが集っています。
土曜日昼、カフェ・ダカーポは満席。数十人待ちである。向かいのWiFi無料を表看板に掲げたカフェも満席。 -
コロナキ広場で休憩。
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広場から南へ下る通りとヴァシリス・ソフィアス通りとの角に、ベナキ博物館はあります。
綿花業エジプト人アンドニス・ベナキスがコレクションを寄贈、1930年に設立され、べナキス一族が所有していた19世紀の邸宅を改築、ネオ・クラシック建築、白亜の美しい建物です。
ベナキ博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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初めてでした。すばらしい展示です。
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古代から近代にいたるまでの遺跡発掘品、金細工、工芸品、宝石、民族衣装などの見応えのある膨大なコレクションを、ギリシャの歴史や文化を交えてわかりやすく、時代別に一階から順に陳列されています。
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この博物館は、リスボンのグルベンキアン美術館と同じく、個人収集とは考えられないほどの膨大さでありますが、国立考古学博物館とは違ったわかりやすさ、優雅さ、身近な感じを与える展示です。
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なお、中近東から集められた美術品は、ベナキ博物館の別館として、ティシオにあるイスラム美術館( Agion Asomaton 22 & Dipilou 地下鉄一番線のティシオが最寄り駅)に展示されているとのこと。
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3月25日の独立記念日を控え、独立戦争時代の写真特別展示がなされ、混んでおりました。
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べナキ博物館内カフェ
3階にテラス付きカフェがあり、特別展開催中とあって満席でした。
従業員、来館者双方とも雰囲気がよい。
広いバルコニーがあり、内部及びテラス席とも満席。遅い朝食をテラスで取るのもよいかもしれません。
シンタグマ広場及びコロナキ広場に近いので、観光客も買い物ついでに徒歩で行くことができ、また、食事もおいしいのでカフェだけ利用する地元客もいるとのことです。 -
近くに、キクラデス博物館があり、寄ってみました。
キクラデス博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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キクラデス博物館
ギリシャ最古の文明・キクラデス文明は紀元前3200年から2000年ごろ。
人類最初の食糧生産は紀元前8500年、人類最初の文字を持った都市文明は紀元前3500年、ともに古代メソポタミアで、現イラク南部から始まったといわれています。
ギリシャは紀元前6500年には狩猟採集から食糧生産へ移行したといわれており、線文字Bによって古ギリシャ語が書かれたのはコリントス沿岸でミノア文明時代といわれています。 -
「デイロス島を囲んでいる島々」という意味のキクラデス諸島からの発掘品3000点を展示している。
このキクラデス諸島における文明はギリシャ系によるミノア文明前の時代。
このような鑑賞に堪える陶器を日常生活に使用していた文明を担った人たちはどこから来て、どんな言葉を話していたのでしょうか。 -
キクラデス博物館4階です。
(某ガイドブックには、べナキ博物館の写真として掲載されているとか?) -
紀元前432年完成のパルテノン神殿の北側出口から、いくつかの階段状の歩行者道路を下ると、紀元前1世紀から紀元後2世紀の世界、ローマン・アゴラに出ます。
その東北側にチケット売場があり(共通券12ユーロ)、入り口をはいるとすぐ、高さ12m、直径約8mのTower of the Winds (風の塔、風神の塔、別名アンドロニコスの時計塔(ホロロゲイオン、Horologion)があります。
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ローマンアゴラ
アテネ市民は、隣の古代アゴラの隆盛、その後のアレクサンダーによるギリシャ世界拡大、分立、を見た後、ローマに飲み込まれることとなり、純血主義から他民族多文化の世界に組み込まれることとなりました。
決してアテネ在住の外国人や奴隷に対し全く権利を認めない文化から、ローマ市民権を与えられ恩恵を享受することとなったので、ずいぶんと戸惑ったかもしれませんね。
ローマに屈し、あの議論好きなアテネ人は自尊心を傷つけられたかもしれませんが、ローマ元老院の子弟は皆ギリシャ語などをギリシャ人家庭教師から学び、シーザー、キケロ、ブルータスまでも皆若い頃ギリシャに留学し、ギリシャ語で手紙を書いているところから、独立を保持できなくなっても、学問芸術上の優越感を持ち続け、啓蒙思想に奮い立ちついに近年に至って、対トルコ独立戦争に至ったのかもしれません。ローマン アゴラ 史跡・遺跡
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風神の塔です。
大理石で作られ、八角形、東西南北、北東、北西、南東、南西の方角を指しているという。紀元前50年頃に天文学者が建てたとか、紀元前2世紀に建てられたに違いないとかいわれている。
塔の上には、風が吹くと、すぐ下にある8人の風神のどれかを指して、風の向きを示す仕組みになっていた風見鳥ようのものは今は無い。9つの日時計あり。
内部にあるとされる水時計(アクロポリスから流れ落ちてくる水力で動く)は確認できなかった。
この風の塔に基づき、18世紀以降にロンドンやセヴァストポリに類似の塔が作られたという。
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日時計、水時計、風見。
8面あり、この神様は? -
他にアゴラ内に、石柱跡、古いモスク跡がある。
2011年12月13日(火)昼訪問した。観光客全く見当たらず。 -
ローマンアゴラから南へ、プラカ地区の階段状の道路を上ります
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プラカ地区
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前門
ギリシャ内にあるアクロポリスで、このように前門までよく保存されているのはここだけでしょうね。
また、この上のいくつかある神殿のうち、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿が、アテネ神殿ではなく、パルテノン神殿と呼ばれているのもここだけですね -
いつも修復中なので、いつどこが修復されたのか、どこが修復中に訪れたのかもわからない方が多いかもしれません。
ぺリクレスの命により、15年で完成したのですが、修理は延々と続いています。 -
このパルテノン神殿( Parthenon)は、前454年デロス同盟の金庫をアテネに写した後に、ペリクレスの指揮の下、紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われたといわれています。ちょうどアテネの最盛期の頃です。
戦と智恵の神アテネに守護されたアテネ人がペルシャ人に打ち勝った記念碑なのでしょう。 当時の文明世界帝国ペルシャの辺境にあった、都市国家とも到底いえない超弱小ポリス町村をまとめ、よくぞ跳ね返したものです。 -
アクロポリスからリカヴィトスの丘を遠望。
この丘へは2012年3月17日に訪問。
遠くに見えますが、シンタグマ広場からは徒歩の距離。 -
猫も見守っています。
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よく見ると、所々修復の跡が見えます。
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建築指揮は、彫刻家・建築家のフェイディアスが執ったとされ、総大理石製で、2万2千トンのペンテリコン産の良質な大理石のみを使用しているという。プルタルコスが「英雄伝」の中で詳細に建築状況を記していますが、数あるギリシャの神殿のなかでもこの神殿は当時から特筆すべきものと受け取られていたのでしょう。
この神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造物の最高峰とみなされ、装飾彫刻もギリシア美術の傑作といわれています。
近代建築のル・コルビュジェも、西洋建築史上これに比肩するものは無い、「光と陰を造形の中に結晶させた」と言う。
ホモサピエンスの文明史上欠かすわけにはいきませんね。
世界遺産に認定されており、皆さんも一度は訪れていることでしょう -
2011年12月修復中
神殿の内陣には入れません。入り口側東に面した前室には黄金象牙の12mのアテネ女神像が置かれていたと言う。
西側は「パルテノーン」といって神殿を司る処女の巫女たちの部屋とされていたが、アテネ及びデロス同盟の宝物庫として利用されたという。
デロス島については「地中海エーゲ海の島 ④ ディロス島遺跡散歩、ミコノス島から日帰り、島内1時間ガイドツアーhttp://4travel.jp/travelogue/10748298」 -
音楽堂
紀元2世紀完成。5000人収容。
現在も、アテネ・フェスティバルのメイン会場として利用されているとのこと。 -
ディオニソス劇場
右上に新しくできた新アクロポリス博物館が見えます。
前5世紀始め作られ、その後何度か改修されたようです。
紀元前4世紀後半は15,000人収容、劇場の南にディオニソス神殿がありました。
ギリシャ演劇は、毎年アテネで春に行われたディオニソス祭から発生し、年に二度演劇の競演(アイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレスの悲劇3作、サチュロス劇1作、アリストファネスの喜劇1作)が行われるようになり、それが前3世紀頃には小アジアからシチリアまで劇の競演が行われるようになったようです。
演劇関係者による「ディオニソスの熟練工たち」という組合が作られ、軍務や税を免除され、「通行証」をもらい巡業に出たようです。 -
アクロポリス頂上にあった博物館は、南へ直線距離で280メートル、メトロ・アクロポリス駅の西隣へ2009年6月下旬移転しました。
広々とした、光を十分に取り入れた3階建てです。
一階の一部や入り口前は、ガラス張りで、地下の現在発掘中のローマ遺跡を見ることができます。
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年代順に展示されています。パルテノン神殿を飾っていたレリーフ、彫像、エレクティオンのオリジナルは見逃せませんね。
国立考古学博物館から少し補充したらよいのにと思わせるぐらい、ゆったりとした展示です。立派さは、観光業で今後もというギリシャの意欲の表れと納得。
いや、もしかしたら、ギリシャ政府は、エルギン・マーブルが大英博物館から返還されると見越しての?? 今は白く輝くレプリカ。
1801年エルギン卿は、オスマン帝国からの許可を得て(イタリア語に翻訳された許可書がある。原本無し。)、イギリスへ持ち出したといわれ、現在もギリシャ政府は返還を求め続けていますが。 -
http://www.theacropolismuseum.gr/
15 Dionysiou Areopagitou Athene
メトロ アクロポリス駅の西隣 営業時間: 8.00?20.00
共通券では入れません。
2011年12月13日訪問。
国立考古学博物館からメトロ・アクロポリス駅までタクシー5?6ユーロで来れます。(この3分の2の距離で10ユーロと言うタクシー運転手も。) -
新アクロポリス博物館前で。
同行者は、必ずいくばくかの。 -
新アクロポリス博物館前で。
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エルムー通り
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キングジョージパレスホテルの朝食会場から。
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ミトレポレオス大聖堂は改装工事中
中に入ることはできます。 -
プラカ地区にあるメトロ1、3番モナスティラキ駅内です。古代アゴラを訪れるにはここから。
プラカ地区全体が遺跡の上にありますので、掘れば出てくるのでしょうね。 -
古代アゴラへ
パルテノン神殿入口の向かい側から高校生の一団とともに入る。
引率の先生は、やはり[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B2%E6%96%87%E6%98%8E/ ウイキペディア以下引用]*
政治、宗教、文化的施設が集中したところで民主主義発祥の地、古代ギリシアの市場はポリス内部の地域市場と対外用の市場に分かれ、アテネのコインが主な共通通貨となり、対内市場の例としてアゴラ、対外市場にはエンポリウム、アゴラは食料の再配分を行なうための制度となり、民衆に食物を供給し、新鮮な食材や調理ずみの食品が売られ、アゴラには、カペーロスという小売人が居住していた、アテネの指導者・ペリクレスは自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテネは商業的なアゴラを各地で推進した・・・・・・・・・などと説明しているのでしょう。 -
写真の、標高150mのアクロポリスから北側に降りてきます。
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ここは、ローマン・アゴラとは異なりかなり広く、毎朝散策に来て、この時代に浸りたいものです。雨が降ったらオりーブの樹やアタロス柱廊博物館の列柱に逃げ込めます。
遺跡との間をメトロが走るアドリアノウ通りに面した北出口からはタベルナが並んでおり、モナスティラキ駅は数分。 -
1931年から発掘が始まった古代アゴラ。
そこは紀元前6世紀からローマ時代の世界。古代アテネ市民の日常生活の場でした。
ここで、ふいに、小田実の古代アテネを舞台にした小説を思い出しました。きっと、ここで構想を練ったのでしょうね。
「深夜特急」の前の世代は、小田実の「何でも見てやろう」を読んで、横浜から極東海運の船に乗り、ナホトカ、ハバロフスク、モスクワ経由で10日後ヘルシンキへ着く旅に出たと聞きます。同コースの団塊の世代によく出会います
彼は亡くなる6ケ月前、トルコ旅行をしたとのことですが、ギリシャ哲学専攻だったのできっと小アジアのミレトスを訪れたに違いありませんね。
ミッテランは亡くなる直前、孫のような娘を連れエジプトを旅したという。
このころから、私も最後の別れを告げる場所探しをするようになったのかもしれません。
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ペリクレス、ソクラテスなど歴史上の人物がこの辺を歩き回っていたと思うと、変な気分ですね。
アゴラは、ミケーネ文明が紀元前1200年頃崩壊した後、400年の暗黒時代を経て、ポリスと共に出現し、群雄割拠するポリス群から有力ポリスのアテナイが紀元前5世紀最も隆盛を誇ったとされ、最も有名なアゴラがこのアテネの古代アゴラです。
純血主義の各地のポリスそしてその中心となるアゴラは、間違いなくミケーネ文明の小国分立を受け継ぎ、そして恐らく文字を持たない民族に滅ぼされ支配された400年間練りに練ったギリシャ人の成果かもしれませんね。
紀元前3500年前から始まるホモ・サピエンスの歴史時代文明グレートジャーニーの最大のターニングポイント、西洋現代文明の始まり。
その後小国分立、排他的な制度のためスパルタも廃れ、あのアレクサンダーが登場し、ギリシャ世界を一気に拡大することとなりました。
小国分立からペルシャ帝国をはるかに超えるアレクサンダーによるギリシャ文明の伝播、純血主義からローマ帝国による多文化多人種受容、この二つの大転換をこのアグラではどんな議論が沸騰したのか。
暗黒400年を脱した紀元前8世紀から2600年後、ローマ帝国属州となってから様々な民族に支配され続けること2000年後、この地に住む人々は、今度はオスマントルコによる支配400年を脱し、小国分立ではなく、初めて統一ギリシャ国家を形成することとなりました。
市民は、これまで、、統一ギリシャ国家としては・・・・・。
などなど、次々と、ギリシャにのめりこんでいる私は、勝手に想像してしまいます。
外すことはできない重要な遺跡ですね。 -
古代アゴラ博物館(アタロス柱廊)
古代アゴラの北側アドリアノウ通り側入口から入るとすぐ左に、写真のように実に美しいドーリア式の列柱が115メートル並んでいます。 -
古代アゴラ博物館(アタロス柱廊)
ここは、古代アゴラから発掘した勝利のニケ像、コインなど展示しています。
ギリシャで唯一復元された建物です。
あまりにも美しいので、遺跡ファンには若干違和感がありますが しばし、列柱に包まれ、佇み、刻々と代わる光の演出を楽しみましょう。 -
古代アゴラ博物館(アタロス柱廊)
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古代アゴラ博物館(アタロス柱廊) 二階
2017年12月現在、二階はクローズ -
古代アゴラ博物館(アタロス柱廊)
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古代アゴラ博物館(アタロス柱廊)
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古代アゴラ博物館(アタロス柱廊)二階から
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古代アゴラにあるトリトン像
地図上「アグリッパの音楽堂」と記載されていますが、イロド・アティコス音楽堂のようには現場にはありません。
音楽堂の基礎のみであり、その北側正面にトリトン像があります。
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古代アゴラにあるへファイトス神殿
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古代アゴラにあるへファイトス神殿
アテネ神を乱暴しようとした神様ですが、その後アキレウスのため剣を作ったり善行を積んだためか、とても保存状態がよいです。
奥にあるこのへファイストス神殿 は、紀元前5世紀、現パルテノンの建築直後(古パルテノンはペルシャ戦争時破壊)作られたといわれています。
このへファイトスは、トロイ戦争時代、アキレウスの武具を作った鍛冶屋さんです。
ゼウスとヘラの間に生まれたが、足が悪く美貌ではなかった(12神の内でも珍しい)が、あのアフロディテを妻とした。
鍛冶場があるリムノス島が守護神としています。そこに生まれた時、両親によってオリンポス山から投げ捨てられ落ちた由来がありますね。
ちょうど写真の左の人達は建物の測量をしていた。パルテノン神殿と同様に、列柱の間隔、太さなどが巧妙に作られているのでしょう。
パルテノン神殿と同じくドーリア式で、幅約14m、奥行き約32m。幅約31m、奥行き約70mのパルテノン神殿の半分。
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へファイトス神殿
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古代アゴラにあるへファイトス神殿
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古代アゴラにあるへファイトス神殿
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へファイトス神殿の南側には、評議会議事堂(前6?5世紀)、その東に公共掲示板(前4世紀)、南にトロスがあったというが。
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ピレウスへの道とあります。
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ここがソクラテスが入ったといわれる牢獄でしょうか?
前399年、「青年を腐敗させ、国家の認める神々を信じず、新しい神霊を信じた」とされ、死刑に処せられた。ソクラテスは、人間の徳と知を初めて哲学の対象とし、プラトンや若者たちと対話、議論を重ねただけなのですが。
弟子のプラトンは、ソクラテスの死刑判決に失望し、政治参加を断念したといわれています。 -
へファイトス神殿の南側
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へファイトス神殿の南側
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へファイトス神殿の南側
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モナスティラキ広場です。
近くではストア学派の本拠地・ストアーポイキレー(彩色柱廊)の発掘が進められており、大部分は民家の下にあるとのことです -
モナスティラキ広場
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モナスティラキ広場
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モナスティラキ広場
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モナスティラキ広場
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プラカ地区 地下は全て遺跡が埋まっています。
オフシーズンなので。 -
ブズキの小型を購入。
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アドリアノス図書館東側から、アクロポリスへ上ることができます。
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アドリアノス図書館
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アドリアノス図書館跡
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アドリアノス図書館跡
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アドリアノス図書館跡
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ローマンアゴラ近くの遺跡
ここにもトロス? -
12月13日(火)午後3時過ぎ、パルテノン神殿北側から降りプラカ地区のタベルナを捜し歩くも、なかなか同行者のOKが出ない。
オフシーズンなので閑散とした土産品店がならぶアドリアノウ通りから左へキダシネオン通りに入って、ネクタイ姿の地元ビジネスマンを認めたのか、ようやくOKが出たのがビザンティノだった。
店の前でメニューを持った上品な店主自ら呼び込みをしていた。
日本語メニューがあり、セット定食の中から
グリークサラダ1皿
ムサク1皿(なすとじゃがいも、ミートソースにパルメザンチーズを重ね焼きした)
スブラキ1皿(炭火で焼いた牛肉の串焼き)
果物を選び、
アラカルトから
スープ1皿
フェタサガナキ1皿(出てきたものは生チーズだった。単にサガナキというとチーズを揚げたもの)
水1本、地元ビール2本 (全部で33ユーロ)
スープ1皿だといって最初に、たっぷり二人分2皿に分けてシチューに近い思ったより薄味のおいしいスープが出された。ムサカは量が多い。地元ビールは甘い。スブラキはやはりおいしい。
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翌12月14日(水)午後3時頃
分厚い本をどんと置いた哲学者風の地元客の隣、全く同じ席に着く。
呼び込みは別の男がしており、昨日の老人が店主らしく、挨拶に来る。同じボーイがさっとメニューを置いていく。注文したのは、二人で、
本日の仔牛料理1皿
たこの炭火焼1皿
スープ1皿
エスプレッソ1、ビール1本(全部で32ユーロ)
前日と同じようにスープ2皿、たこは、塩コショーだけで味付けされおいしい。やはり、二人でも1人分注文で満腹となった。 -
フェタサガナキ
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ギリシャのビールはFIXのヘラスか黒がおいしい。
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エルムー通りから左へEvangelistrias通り
帰りに、Evangelistrias通り角近くにあるビル6階に日通ペリカントラベル・ギリシャ店(トラベルワイド)の日本人Nさんを訪ね、イラクリオンのホテル手配のお礼を言い、ギリシャ情報をたくさんいただいた。アテネ在住20年、机の下のかわいい犬までが尻尾を振り、歓迎していただいた。
アクロポリス周辺、ギリシャ各地を何度も歩き回り、現代ヨーロッパ文明の揺籃である古代ギリシャ文明、地中海沿岸に雄飛した民族の歴史、現代ギリシャ人に思いを馳せ、ホモサピエンスの文化文明の変遷の複雑さ、奥深さに、捕らえられた。
三島由紀夫はギリシャ内戦終了3年後である1952年に訪れ、「日本の縁日のような物侘しさ」を感じ、また「ギリシャは私の眷恋の地」であるというが。(同著旅行記「アポロの杯」) -
2014年6月11日 ケラミコスの墓を訪問しました。
古代はアゴラから西北へ聖なる道を進むと市壁を出たところに、紀元前12世紀から前1世紀までの墓があった。
日の沈む西側に冥界を意識したのはエジプトと同様ですね。 -
ケラミコスの墓
メトロ3号線ケラミコス駅の北側ピレウス通りにあります。 -
ケラミコスの墓
ここで、ペリクレスは、前431年ペロポネソス戦争初年度の戦没者国葬の際、あの有名な演説を行っています。
「少数者の独占を排し、多数者の公平を守る民主主義」
「質朴なる美を愛し、柔弱に堕することなき知を愛する」
「身の貧しさを認めることを恥とはしないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる」
全く、アテネは、いやギリシャは、前5世紀ペリクレス時代が軍事的にも学術的にも絶頂期だったのでしょうね。
彼が亡くなってから、内は民主、外は帝国主義を強めるアテネに反感をもつポリスがますます増大し、ギリシャの覇権はスパルタ、テーベと移ることとなります。
ギリシャのポリスがペロポネソス戦争により疲弊し、それに乗じたアレクサンダーによって、ギリシャ文明世界がヘレニズム文化文明世界へと進化し、遠く中央アジア草原を渡り日本へも影響を与えることとなる、ことは皆さんご承知の通りですね。
19世紀建てられたアカデミーにはプラトンとソクラテスの彫像が左右を飾っているが、ペリクレスの彫像はどこにあるのでしょう?
ローマ帝国は、アテネとスパルタの市民には属州税を課さず、両市のギリシャ歴史に対する貢献に報いたが、アテネ市民は?
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ケラミコスの墓
小さな博物館が併設されています。 -
ケラミコスの墓
墓碑の保存はかなりよいですね。
多神教時代の神様の彫像ではないので、キリスト教徒も破壊しなかったのでしょう。
前4世紀頃の墓碑は亡き人の面影をしのぶ浮彫がなされており、すばらしいですね。 -
ケラミコスの墓
博物館の中庭 -
2014年6月12日アカデミーア・プラトノスを訪問しました。
1966年に発見された碑文によって、アカデミアの跡であることが判明。ここはガイドブックに載ってないので、アートホテルのミランダさんに地図をプリントしてもらいタクシーで。(オモニア広場近くから4EUR)
オモニア広場から051番のバスが出ているとのことだが。 -
アカデミーア・プラトノス
ケラミコスの墓からさらに西北へ、古代アテネの聖地・エレフシナへ通じる「聖なる道」沿いに公共体育場があり、プラトン(前427年?前347年)は前387年に自宅と体育場を利用し学校としました。師のソクラテスが前399年死刑に処せられ、ために政治参加を断念、アテネの中心部から退去したか?。
今は全体が公園となっています。
古代、門には「幾何学を知らざるものは入るべからず」とあったようですが、入ってみました。
プラトンは、理性を鍛える最も適切な方法は、数学特に幾何学と考えていたようです。 -
アカデミーア・プラトノス
体育場跡
講義や討論のためのエクセドラーは? -
アカデミーア・プラトノス
対話しながら歩き回り、理想国家を議論したのでしょう。
財産と女子供は皆の共有とする社会を理想とした究極の自由主義であるが、支配者の哲人、その下に戦士、その下に生産を担う奴隷という身分。
時代は、武断主義のスパルタと王政ペルシャの間で、敗戦後貧富の差がより激化していた頃。 -
アカデミーア・プラトノス
ここで、アリストテレスは、18歳から20年間過ごしたようです。 -
アカデミーア・プラトノス
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アカデミーア・プラトナス
プラトンは、「感覚だけの世界に生きていていかん!、それでは輝かしいイデアの世界を知らず、洞窟の陰だけを見て、それを実在と信じている、愚かしい洞窟の囚人ではないのか!・・・・」と叱咤激励しているのでしょうか。
アリストテレスは、これに対し、「理性!、普遍!と言ったって、所詮感覚、経験から個々人の思考が生まれるのでは?・・」 とでも応えたのでしょうか?
時は、アルカイック時代からヘレニズム時代へ移行する紀元前4世紀。
プラトンと弟子のアリストテレスはこのように対話しながら散策したのでしょうね。
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アカデミーア・プラトノス
AD529年閉鎖され、学者の一部はササン朝ペルシャにより招聘されたといわれています。
中世はイスラムのほうが自然科学分野において政界最高水準を誇るにいたった理由は? 同じ一神教世界なのに? 9世紀にはバグダッドにある「知恵の館」ではギリシャ語、そのシリア語訳の本が収集されて、アラビア語に翻訳され、10世紀には医学、哲学の学者が輩出したという。その後コルドバ経由で西欧にギリシャ哲学などが紹介され、ルネッサンスを促すこととなります。 -
アカデミーア・プラトノス
プロメテウスやへファイトトスの祭壇もあったというが。
古代は、パンアテネ祭の松明競走は、ここを起点に、アクロポリス東麓にある、ポリス・アテネの炉があって、不断の火が燃えている市庁舎がゴールとなっていたと言う。 -
アカデミーア・プラトノス
翌日から宿泊したサモス島エミリーホテルのご主人は、今この公園の周りには教師や学生が多く住み、親友がいるから散歩の折に訪ねてみたらという。
この後、ピレウス通りを東へエレフテリアス広場まで徒歩で戻り、A16番のバスで20キロ西へ、古代アテネの聖地・エレフシナへ向かいます。 -
アテネの地下鉄
は、新しいので、
① 重い荷物を持っても大丈夫です。 エスカレーターの上りと下りの電光掲示があります。駅には地上に上がるリフトが必ずあります。
② 乗り換えもわかりやすく、便利で楽です。ホームに立ち、見渡してください。
写真には、Agnios Antonios方面への乗り換え用通路が明示されています。
エスカレータを上るか下るかするとすぐホームが目の前にあります。
パリのように階段を上ったり降りたり、長く歩いたりすることはありません。
2017年11月時には、自動券売機が変わっていました。4台のうち常に2台は故障しており、主な駅では常に行列がありました。
アテネ市内90分間券は1.40ユーロで同じ、空港まで10ユーロと変更。 -
X95番シンタグマ広場終点バス停から徒歩1分の3★ホテル・パンホテルです。
一人リピーター向き。 浴槽有り。朝食付きWiFi無料。
主な観光ポイントは全て徒歩の距離。 -
キング・ジョージ・パレス・ホテル 同行者を伴う場合の定宿
アテネ・シンタグマ広場に面するこのホテルは、両隣の 高級ホテルにはさまれ(プラザホテルとホテルブルターニュの中間)、内外とも豪華さはそれほどなく、中規模の静かな目立たないホテルです。
空港からバス又はメトロに乗りシンタグマ広場で降りると、北側にホテルの電飾看板が見え、徒歩数分です。
パルテノン神殿、古代アグラ、ローマン・アグラ、プラカ地区及びコロナキ地区のタベルナへは全て徒歩で行けます。
朝食会場が七階にあり、パルテノン神殿を遠望することができ、リーダーズ会員証を提示したためか、写真の通り毎晩、赤ワイン1本、白ワイン1本、水1L、果物、お菓子が届けられ、二日目夜はまだ残っていたこともありもったいないからと押し戻したところ、スタッフは目を文字どおり丸くしていました。三度目からは、赤ワイン2本となった。
最初の夜には毎回お土産がある。
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近くの日本人寿司職人がいる店「風林火山」
シンタグマ広場から徒歩数分
寿司「風」22ユーロ 味噌汁、お茶つき
果物がサーヴィスされるかもしれません。地元ビール3ユーロ
ここには、アテネ滞在の都度必ず立ち寄った。
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アテネ ソフィテル ホテル
ここはトイレが別室、浴槽とシャワーが一室となっており、浴槽から出て座って体をゆったり洗えます。
空港駅の隣、前向かいが空港玄関で、深夜到着、早朝出発に便利。
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写真の右側に行くと空港鉄道メトロ駅、左が空港玄関。 -
アテネ空港~シンタグマ広場
*********
往路
① バス
空港出口のチケット売場で片道5ユーロのみ販売(ここでは72時間チケット は販売せず)
X95番のバスがシンタグマ広場終点行き 約50分
② メトロ
空港出口すぐ向かいにある空港鉄道駅からシンタグマ駅乗り換えでオモニア広場駅、ピレウスまで 8ユーロ
***********
復路
①タクシー(シンタグマ広場のホテルから) 40ユーロ
②地下鉄・シンタグマ駅(ピレウス駅も)から空港駅まで二人で14ユーロ
(自動販売機で二人用一枚で出てくる) 一人8ユーロ
直行便と一部途中乗換えがあります(降りたホームでそのまま待つことになります。)乗り換えある場合最大一時間。
③ リオシオンバスターミナル近くの(数百メートル)バス停から空港までx93番のバス 5ユーロ -
アテネ空港
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ATH ラウンジ
① アテネ空港国際線国内線ターミナルBエリア奥には、エーゲ航空の広いラウンジと狭いLHのラウンジがあります。
エーゲ航空のラウンジでは搭乗券にファーストレーンのシールを貼ってくれます。セキュリティーを待たずに通過できますね。
② アテネ空港国際線ターミナルAエリア奥には、オリンピック航空の広いラウンジがあり、エーゲ航空の搭乗券所有者も利用できます。 -
アテネからの遠距離バス
アテナから各地へ、遠距離バスが出ており、鉄道よりも便利ですね。
[ギリシャのバス・クテルの時刻表 高速船の時刻表]
[https://ssl.4travel.jp/tcs/t/edittips/edit/?tips_id=10604693]
① [http://www.athensguide.com/practicalinfo/busschedulesA.htm] キフィスウバスターミナル(ターミナルA)発着
ペロポネソス半島、テッサロニキ、イオニア諸島方面行き
コリントスへ6:00~23:00の間30分毎
オリンピア へ朝昼夕の3本 9.30発 5H30 29.80ユーロ
ナフプリオン へ 7:30~20:30の間1時間毎 2H30 13.10ユーロ
「アテネの前の首都ナフプリオンに3泊、エピダウロス遺跡、ミケーネ文明遺跡のミケーネ、ティンスへ
http://4travel.jp/traveler/100912/album/10749686/」
パトラ へ7:00~23:00の間30分毎 3H 18.30ユーロ
スパルタへ6:30~20:15の間9本
② 「http://www.athensguide.com/practicalinfo/busschedulesB.htm]リオシオンバスターミナル(ターミナルB)発着
デルフィへ7:30~20:00の間6本、メテオラ方面行き
デルフィ へ 3H 15.10ユーロ
「眷恋の地デルフィ1泊、遺跡散歩、アテネからバスで往復
http://4travel.jp/traveler/100912/album/10757119/」
リオシオンバスターミナルへは、メトロでATTIKI駅(1号線及び2号線)まで、そこから024番のバスで。
広い通りに面した市内路線バス停から、一方通行の狭い道を数百メーター、このバスターミナルはわかりにくいところにあります。
チケット売り場では、行き先別に窓口が分かれています。
(某有名ガイドブック(11-12年版)にはオモニア広場から東南へ数百メーター歩いたところにある「アカデミア」近くの024番バス停からと記載がありますが現在(2012年5月)ここからは出ておりません。) -
アテネ、ギリシャの街歩き図書
以上のデータは下記に依拠しておりますが、感想は妄想が多々あります。
1 「古代ギリシャの旅 創造の源をたずねて」
2002年発行 高野義郎著 岩波新書
あわせて10回、のべ日数にして1年の4分の3ほど東地中海を旅した理論物理学者の思索旅行記です。啓発されました。
2 「ギリシャ文明とは何か」
2010年発行 手嶋兼輔著 講談社選書メティエ
アテネ大学留学、大使館勤務経験あり、古代ギリシャ文明(特にヘレニズム期)をペルシャ、エジプトとの関連、アレクサンドロスや歴史家の文章を引用して解明する。エーゲ海で育まれたと力説しておられます。
3 「古代ギリシャ 11の都市が語る歴史」ポール・カートリッジ著
2011年発行 白水社
紀元前1000年頃から後3世紀末まで、スペイン南岸から黒海までの1000前後の古代ギリシャ都市から11の都市の歴史を通して、著者の興味のあるテーマに光を当てる試み。古代のギリシャ人の海外雄飛衝動はいったいどこから?
4 「エーゲ海 ギリシャ神話の旅」
1998年発行 楠見千鶴子著 講談社文庫
神話とそれに関連する古代都市と現代の町を重ね合わせて訪ね、わかりやすく解説。テーベのガイドブックはこれによるほかありません。
5 「物語 近現代 ギリシャの歴史 独立戦争からユーロ危機まで」
村田奈々子著 中公新書 2012年発行
現代ギリシャ人を理解するための必読書。
6 「古代地中海世界の歴史」本村凌二 中村るい 著
ちくま学芸文庫 2012年9月発行
紀元前4000年から7世紀までの地中海世界の歴史を概観する。
ハドリアヌスの3度のローマ帝国版図巡察旅行の記述がある。またパルテノン神殿の彫刻のその後の西洋美術への影響を力説。
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