2012/05/04 - 2012/05/05
57位(同エリア132件中)
地中海人さん
デルフィ1泊の旅。
パルナッソス山の斜面にあるアポロン神殿を中心とする神域。
ここデルフィは神話時代から歴史時代にかけ大いに栄えました。
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ANAで仙台発着ブダペストイン、アテネアウトを発券後、[http://www.staralliance.com/ja/fares/airpasses/europe-airpass/ スターアライアンス ヨーロッパ エア パス ]を初めて利用しました。
最終「主な行程」
2012年4月25日仙台→ブダペスト3泊(ケンピンスキーホテル)
4月28日ブダペスト→スプリット2泊(マルマン ホテル)
4月30日スプリット→ドゥブロヴニク3泊(ドゥブロヴニクパレスホテル)
5月3日ドゥブロヴニク→アテネ1泊(インペリアルホテル)
5月4日アテネ→デルフィ1泊(アクロポール・ホテル)
5月5日デルフィ→ミコノス2泊(ヘルメスミコノスホテル)
5月7日ミコノス→アテネ1泊(インペリアルホテル)
5月8日アテネ→(機内泊)
5月9日成田→仙台
交通機関
2012/04/25 NH 3232 仙台-東京(成田)
2012/04/25 NH 0207 TOKYO/NARITA - MUNICH
2012/04/25 LH 1684 MUNICH - BUDAPEST
① 2012/04/28 OS 0714 BUDAPEST - VIENNA
2012/04/28 OS 0745 VIENNA - SPLIT
2012/05/01 スプリットからドゥブロヴニクまでバス
② 2012/05/03 OU 0300 DUBROVNIC - ATHENS
2012/05/02-3 アテネ←(バス)→デルフィ
③ 2012/05/05 A3 0378 ATHENS - MIKONOS
④ 2012/05/07 A3 0379 MIKONOS - ATHENS
2012/05/08 LH 1279 ATHENS - FRANKFURT
2012/05/08 NH 0210 FRANKFURT - TOKYO/NARITA
2012/05/09 NH 3235 東京(成田)-仙台
単純往復便ではない周遊コースにより、オーストリア航空と、クロアチア航空、エーゲ航空の3航空会社を利用しなければならないことから、ANA便発券後初めて担当者に電話でお願いすることとなった。
現在ネットまたはメールで依頼できない扱い。従って①②③④全部で発券手数料5、250円を含み71,590円。
上記全て一人、エコノミーで手配。
OS 0745 VIENNA - SPLITのみ、ウイーン空港OS搭乗カウンター担当者によりCクラスにグレードアップされた。
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- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
プレイストス河
プレイストス河が流れていた谷底をコリントス湾に至るまで、オリーヴの大樹林200万本。 デルフィに富をもたらした、といわれています。
あの山の向こうから歩いてきた者は、パルナッソス山の斜面に並び立つトロス、アポロン神殿、諸都市の宝庫を遠くに眺め、荘厳な気持ちを抱いたのでしょうね。
三島由紀夫は昭和27年4月27日アテネから一人バスで訪れました。
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交通機関
バス クテル
往
アテネ中心部ホテル→(タクシー10ユーロ)→リオシオン・バスターミナル
リオシオン・バスターミナル→(バス 2時間後コーヒー休憩)→デルフィ西入り口バス停まで約3時間 往復30.20ユーロ 往のみ座席指定。
復
デルフィ西入り口バス停(バス停向かいのみやげ物屋さんでチケット販売) →アテネ・リオシオン・バスターミナル→同ターミナル近くの数百メーターの距離のメイン通り市内バス停からX93番(5ユーロ)→アテネ空港→ミコノス空港 -
デルフィに午後二時過ぎ到着。
オフシーズンなので遺跡は午後三時閉館という。
そこで入場規制のない「アテナの聖域」と「トロス」を回りました。 -
デルフィが前8世紀に飛躍的に発展したのは、暗黒時代から脱したギリシャ内のポリスが海外への殖民活動の神託を得るため、ここへ通ったからといわれています
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「アテナの聖域」
ここは、博物館や遺跡とは道路をはさんで南側にあります。 -
冬、ここは訪れる人は少なく、ゆったりと回れます。
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トロスは、1995年熊本大学が学術調査をしたところです。
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レストラン・エピクロス
デルフィ村メイン通り中間にある。広々として、谷、海までの眺望。
シーフードリゾット、冷えた生ビールがこれまでで一番おいしかった。
アクロポール・ホテルから10%割引券有り。
店主は学者風で英独語堪能。
このレストランの一本谷側にある通りに面したアクロポール・ホテルに一泊。
メイン通り1本の小さな村の三つ星ホテル、小規模、家族経営、居心地がよい。バルコニー付き。
朝食付き、WiFi無料 一人1泊 5200円 -
翌日、九時開館、一番乗りです。
ローマ時代の小規模なアゴラ。
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アテネ人の宝庫
大理石、ドーリア式、、幅6m、奥行き10m。
アテネ人がマラトンの戦いの戦利品によって建て、1903年から1906年アテネ市の資金で、フランス考古学会が復元しました。
メトープ(複製)を飾るのはヘラクレスの偉業(北側と西側)とテセウスの偉業(南側)、そしてアマゾン族との戦い(東側)。
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150の碑文が彫られており、ピティア祭でアテネ人が勝利したことを記念するもの。
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ディロス島で生まれたゼウスの子・アポロンが生後4日後にしてデルフィに至ったといわれ、この二つの地は、同時期に栄えました。
ディロス島は前1世紀に侵略され滅びましたが、デルフィのアポロンの神託は、381年デルフィが東ローマ帝国によって閉鎖されるまで庶民に支持され続けました。 -
アポロン神殿は前7世紀の神殿の上に前4世紀建立。
紀元前370年頃の遺構があり、6本の柱が復元されている。
幅23メートル、長さ60メートルのドリス式の神殿には、「昔の英雄的な男子の言葉」約150の箴言、
「少年のときは礼儀正しく、
青年の時には情熱を制御し、
中年になれば義者であり、
老年になればよき助言者であれ
死ぬときは悔ゆることなかれ、」
が彫られたものがあったはずですが。
この箴言は、5000キロかなたのアムダリア河岸のアイハヌム遺跡出土の石碑にもみられ、ギリシャ文明世界のあらゆるところにギリシャ的道徳基準が浸透し、ギリシャポリスの街作りと共に、そこに住むギリシャ人の精神を際立たせています。 -
古代ギリシャで最も重要な神託所となった。
神殿の地下室で巫女と神官により神託が告げられたといわれていますが。
神殿の壁には1000を超すメッセージが記されていたという。
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奴隷に関するものが多かったといわれており、ポリスのみならず庶民の精神的な駆け込み寺の役割をはたしていたかも知れませんね。
1987年に「デルフォイの考古遺跡」として世界遺産(文化遺産)に登録された。 -
水路にしては傾斜が。
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前582年から4年ごとに竪琴の演奏、演劇の競演、詩の朗読の競演が行われる、ピュティア(巫女)祭が10日間繰り広げられました。
合唱団が舞い踊ったオルケストラの後ろにあったと思われる舞台は今は無いが、アポロン神殿や渓谷を背景に、舞台無しでも違和感はありません。
ギリシャ演劇はアテネ・アクロポリスにあるディオニソス劇場を本拠とする演劇集団が最古の歴史を誇りトップだったのでしょうね。 -
ローマ劇場と異なりギリシャ劇場は斜面を削って作るので、必ず後ろは山に護られています。
タオルミーナの円形劇場など、前には海を見下ろすところが多いですね。 -
日本でも、筑波山では、古来、農閑期の行事として大規模な歌垣が行われ、近隣から多数の男女が集まって歌を交わし、舞い、踊り、性交を楽しむ習慣があったとされていますが,共に天に近く、酒が入ると神様に捧げる人間の行いは同じということでしょうか。
写真中央の白く見えるのは、オイディプスがテーバイへとたどった道か?父と知らずに殺人を犯した運命の三叉路はここから20キロ。 -
野外劇場から急坂を上ると、縦177.5m横25.5mの前5世紀に作られた競技場です。
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ここでも、演劇の競演だけでは物足りず、後に競技が行われるようになり、オリンピアに次いで、重要な古代ギリシャの四大祭典の一つとなりました。
7000人収容、かなりよい状態で残っています。 -
デルフィ考古学博物館
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紀元前4000年−3500年の人類史上最古のシュメール文明。
アッシリア、ヒッタイト、バビロニアなどその後の主にセム語族系の諸王国の民族文化を寛容をもって受継したアーリア系のペルシャ。
そのオリエントの文化全部を受け継いだペルシャ帝国からローマ帝国へ、文化や諸制度の橋渡し役を見事に務めた古代ギリシャ。
奴隷を受け入れながらも共和政、寡頭政、僭主政などを経験し、後世ヨーロッパ文明の源と、今に至るも崇敬されているのも、これらの彫像を見ていると納得できますね。
またまた、梅棹忠夫の文明の生態史観を思い出します。 -
御者の像
前5世紀前半に作られ、前373年の大地震で地中に埋もれた為、1896年にアポロン神殿のテラスの北西角で発見された、デルフィ考古学博物館の作品のうちで最も有名な像。当時の高度な鋳造技術を示す古代ギリシャ彫刻の最高傑作の一つとされています。
この等身大の青年御者像は、前474年のピュティア祭における戦車競争で優勝を記念して奉納された、馬と戦車と御者からなる青銅群像の一部。
目にはガラスと石、唇には銅がはめ込まれ、頭のバンドには銀で模様が入っています。
馬はありませんが、戦車の御者は今も、失われた馬の手綱を持っている、ういういしい青年の御者像です。
戦車競争で優勝することは、競技会で最大の栄誉だったのでしょうね。
三島由紀夫は「勝利に傲らぬ青年の謙虚な晴れやかさ」に摶たれたという。 -
ギリシャ彫刻は、女性のみならず、男性の裸身像も・・・
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ペルシャ戦に勝利したことは、その後のギリシャの歴史にとって大転換ともなったようですね。
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紀元前6世紀を絶頂とし、ペルシャ戦争後更にアレキサンダー大王の庇護もあり、当時の地中海ギリシャ世界(黒海からイベリア半島のギリシャ殖民都市まで)からここに馳せ参じ、祈り、祭り、諸都市の市民達が泊り込みで神託を授かり、交歓し、競技をし、ギリシャ民族の歴史において最高の夢のような時代だったのでしょう。
インダス川からエジプトまでの広大な人類史上初の大帝国ペルシャを、当時の辺境にあって圧倒的に力の差があったにもかかわらず打ち破り、学問的にも、軍事的にもギリシャが世界の中心であり、ここがその精神的なよりどころと信じることができた時代なのですから。 -
アルカイック期の独特な形。左足前と微笑。
左足から一歩前に出すのはここからきたのでしょうか。 -
ナクソスの有翼のスフィンクス
前560年頃にナクソス人が奉納した大理石の像でアルカイック期の彫刻の傑作。
女性の顔、ライオンの胴体、鳥の羽を有する怪物。
高さ9mを超えるイオニア様式の円柱の上に載っていました。 -
アポロン神殿の破風の彫刻
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古代は、黒海から、西地中海沿岸のギリシャ都市から船でやってきたのでしょう。
博物館から町への道すがら、西南方向眼下の谷を見通すと、はるかにコリントス湾のイテアの町と海が見えます。往時はもっと海は近かったことでしょう。
これまで地図を何度も眺め、旅行記を読んでは山奥にあるとばかり思っていましたが、何と古代は地中海世界から船で来て上陸すれば、その日にはここの諸都市の宝庫に泊まれたのでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- yunさん 2013/04/28 19:46:00
- まだ見ぬキリシャ
- 地中海人さん こんばんは
私のパリ旅行記へご訪問・投票ありがとうございました。
まだ見ぬギリシャに魅力を感じております。
デルフィ遺跡 特に競技場に立ってみたいと思いました。
そして、「スターアライアンス ヨーロッパ エア パス」に関心を持ち、早速HPを見てみました。参考になります、UPありがとうございます。
旅の計画がどんどん楽しくなります。
また、訪問させてください。
yun
- 地中海人さん からの返信 2013/04/29 12:36:43
- RE: まだ見ぬキリシャ
- yunさん こんにちは コメントありがとうございます。
ドライブ旅行を楽しんでおられるご様子。羨ましいです。
国内はほとんど車内泊旅行をしていますが、海外は自信がありません。あのロータリーがちょっと。
最近もキプロス、バリは左側通行なので国際運転免許証を持参しましたが、ミニバスが安いので。息子が出かけられるようになったら、ギリシャ旅行は自動車旅行と思っております。
パリに年に一度は立ち寄られて、冬、エッフェル塔が最近ようやくとのこと。
私もです!
今後もyunさんのドライブ旅行記を期待しています。
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