2013/03/24 - 2013/03/24
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morino296さん
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今年1月5日にオンエアされたテレビ東京の「美の巨人たち」は、葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」でした。
富嶽三十六景は、富士の姿を描いた世界に冠たる浮世絵の傑作ですが、
その中でも「神奈川沖浪裏」は、最高傑作と呼ばれる一枚です。
また、北斎の作風は、ゴッホをはじめとする芸術家の作品に取り入れられるほど衝撃的であったと伝えられます。
この「神奈川沖浪裏」の原風景となった彫刻が南房総いすみ市の行元寺にあるとのこと。
彫刻の作者・武志伊八郎信由は「波の伊八」と呼ばれ、波を彫らせたら右に出る者がいないと言われます。
「波の伊八」でネットを検索すると、いすみ市、鴨川市に多くの作品があることが分かりました。
暖かくなるのを待って、南房総へ「波の伊八」の作品を求めて出掛けました。
残念ながら写真撮影ができないものが多く、パンフレットや看板などを使っていますのでご容赦ください。
またコメントは、パンフレットなどを参照しています。
この日のコース:
茂原駅→(いすみ市)行元寺→飯縄寺→(鴨川市)郷土資料館→金乗院→鏡忍寺→薬王院→茂原駅(走行距離144Km)
<これまでに彫刻を楽しんだ旅行記>
2012.2.12 寅さんの街・葛飾柴又:帝釈天の彫刻に魅せられて
http://4travel.jp/traveler/morino296/album/10645407/
2012.4.21 越後のミケランジェロを訪ねて:永林寺・西福寺
http://4travel.jp/traveler/morino296/album/10663112/
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JR茂原駅 9:00頃到着(横浜からはJRで2時間以上かかります。)
この日は、仲良くしていただいている先輩3人と、ここでレンタカーを借りて回ることにしました。 -
行元寺 駐車場に咲いていた桜
千葉県いすみ市荻原2136
東京の桜は満開となりましたが、ここの桜はまだ5分咲き程度でした。
茂原駅からここまでは車で約35分。 -
行元寺 参道入口の看板
華麗な寛永の美 闇を照らす瑠璃の光
日本一 幻の彫師「高松又八」
絢爛豪華 桃山文化
平和のシンボル「獏」「牡丹に錦鶏」
天下一 「波の伊八」 波図彫刻
北斎「神奈川沖浪裏」の原点
ピカソ以上のうねり、ひねり -
行元寺 参道入口の看板
北斎が南総にやって来た
ゴッホ、ピカソ、クールベ、ドビッシーなどに影響を与えた北斎「神奈川沖浪裏」の図
原点、波の伊八「波と宝珠」 -
行元寺 参道入口の看板
天下一 伊八の波
元祖 高松又八の錦鶏
北斎と兄弟弟子の等随作 土岐の鷹
等随と北斎
行元寺にはまた提等琳の弟子である五楽院等随の「土岐の鷹」の杉戸絵が現存します。
等随とかの葛飾北斎は、共に提等琳に絵を学んだ中です。
北斎が伊八の彫った波に出会ったことで、かの名作『神奈川沖浪裏図』が生まれます。
これはやがてゴッホやクローデルの波に転生し、またドビュッシーの交響曲『ラ・メール』(海)の 誕生となったといわれています。 -
行元寺 参道入口の看板
伊八の代表作「波と宝珠」
この波が北斎の神奈川沖浪裏の原点と言われます。 -
行元寺 参道入口の看板
「移動視点法」からなる伊八の彫法が、北斎の「神奈川沖浪裏」の画法に強く影響を与えたとされます。
いろんな角度から見た波や船を混在させることで、立体感を表現できているそうです。
この神奈川沖浪裏に影響を受けた西洋の画家の画法が変わったと言われます。
波しぶきに感動したゴッホは点描法を、そしてピカソは複数の視点で描き始めたのだそうです。 -
行元寺 参道入口の看板
伊八の彫刻から北斎、そして世界の巨匠セザンヌへ
コンパスと定規で描く幾何学的手法「規矩方円法」 -
行元寺 山門(別名、慈雲閣)
享保20年(1735)建立、平成19年から4年をかけて極彩色に復元。
左右に仁王像が安置されています。
柱や板壁などは、水銀朱と丹からなり、彫刻などの顔料はラビスラズリ(瑠璃)をはじめ、孔雀石、トルコ石などの宝石(粉砕)などの岩絵具が使われています。 -
行元寺 山門の彫刻 二頭の麒麟
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行元寺 山門の彫刻 鳳凰
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行元寺 山門の仁王像
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行元寺 山門の彫刻 虎
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行元寺 山門の彫刻 波と菊花(上)、羅漢(下)
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行元寺 本堂
天正14年(1586)建立、天台宗の寺。
建立されたのは安土桃山時代ですが、元禄時代に拡張改造した房総屈指の大建造物です。
拝観は事前に電話連絡をお薦めします。 -
行元寺 本堂前の石塔籠
第18世 亮運僧正の石塔籠と解説がありました。
亮運僧正は、天海僧正とともに徳川家康の講師を務め、功により「関東天台法度」を成立。
天海が徳川秀忠・家光から上野忍ケ岡を拝領し東叡山寛永寺を創建開山、亮運は東叡山凌雲院を開基し、東叡山初代学頭職となり、関東各地に壇林を置き学徒の教育に努めた。天海が亡くなった後は、亮運が家光の師となったそうです。 -
行元寺の寺報 北斎「神奈川沖浪裏」の原景 波の伊八「波に宝珠」
巨大な波の彼方に見える富士、波を下から見上げ、舟を上から見下ろす。
これまで波の背は多くの人々が描いてきたが、浪裏つまり波を下から描いた人は稀。
波の伊八の彫刻「波に宝珠」も浪裏をを描いており、ともに覗き画法で得意を極めた堤等琳の影響によると考えられ、キュービズム(立体派)の典型と言える。
しかも、北斎の波しぶきも、等琳の点描法によると考えられ、名画の原景が、堤等琳や波の伊八にあると言っても過言ではない。 -
行元寺 本堂の向背蟇股の龍
元祖御用彫師 高松又八郎邦教の作(宝永2年(1705))
徳川家御用をつとめ、弟子11人が活躍して、根本家・小沢家・石川家・後藤家などに多くの流派を興し、高松家は彫刻界最高の地位にありました。
主な仕事として江戸城改修工事に、彫り物棟梁として活躍。
上野寛永寺に徳川4代家綱・5代綱吉の廟、及び芝増上寺に6代家宣の霊廟に彫り物を遺しましたが、 第二次大戦で戦災によって焼失してしまい、他に作品の存在は確認されていませんでした。 -
行元寺 本堂の彫刻 唐獅子と獏
元祖御用彫師 高松又八郎邦教の作 -
行元寺 本堂の彫刻 唐獅子と獏
元祖御用彫師 高松又八郎邦教の作 -
行元寺の本堂欄間に「宝永3年(1706)彫物大工 高松又八郎邦教」の銘があることから、大きな発見となりました。
欄間には、躍動する「龍」、牡丹を中央に雌雄の錦鶏が左右に配された「牡丹に錦鶏」(パンフレット右側がその一部)があります。
岩絵具を駆使し、漆や金箔などかみ合わせた優雅な彩色と、豪華絢爛の桃山文化の雰囲気が漂っています。
初代伊八は本名を武志伊八郎信由(1751〜1824)といい、現在の鴨川市打墨の生まれ。
島村丈衛門貞亮の弟子となって、文政7年に73歳で亡くなるまで多くの欄間彫刻などの名作を遺しました。
特に行元寺の彫刻から、「波を彫らせては天下一」と言われて『波の伊八』の異名で知られるようになりました。 -
行元寺 客殿
享和2年(1802)建立
本堂の右手にある江戸時代に建立された旧書院で伊八の「波図彫刻」などがあります。
残念ながら館内は写真撮影ができません。
約1時間にわたり、丁寧に説明をしていただきました。
それが、最後まで時間が押すことになってしまいました。 -
伊八の「波と宝珠」(行元寺のパンフレットから)
北斎の「神奈川沖浪裏」(行元寺参道の看板より)
「波と宝珠」の宝珠を富士山に置き換えています。
「神奈川沖浪裏」では、波にもまれる舟は複数の視点から描かれています。
また、赤い線を入れてみましたが、富士山と相似形の波を描くことで奥行(遠近感)が強調されているそうです。
伊八は、いすみ市の太東崎近くの海岸から馬で海に入り、波を横から見て波の形を研究したと言われています。
今でいう、サーフボードに乗って波を見るのと同じような感じではなかったかとの解説でした。 -
飯縄寺(いづなでら) 仁王門 11:42頃到着
千葉県いすみ市岬町和泉2935−1
行元寺から車で25分ほど。 -
飯縄寺(いづなでら) 仁王像
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飯縄寺 鐘楼
平成22年改修
四面に花鳥風月の彫刻が施され、大木飛弾藤原綱行の作。 -
飯縄寺 鐘楼の彫刻
四面に花鳥風月の彫刻が施され、大木飛弾藤原綱行の作。 -
飯縄寺 鐘楼の彫刻
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飯縄寺 本堂
江戸時代に栄えた飯縄寺には、古い彫刻や美術品がたくさん残っており、「天狗のお寺、おいづなさん」とも呼ばれています。 -
飯縄寺 本堂(寛政9年(1797)再建)
大同3年(808)慈覚大師開山、天台宗・明王山無動院飯縄寺。
飯縄大権現を祀る。
飯縄大権現は白狐に跨った烏天狗の姿で火防・海上安全・商売繁盛・無病息災など十三のご利益が」あるそうです。
神仏融合の寺で天海とも縁が深く、江戸中期には上野寛永寺直轄となる。 -
飯縄寺 本堂
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飯縄寺 本堂
伊八は、本堂再建の約10年間滞在し、当時の金2千両余で彫刻の他にも総合的に係ったとされます。 -
飯縄寺 本堂
堂内での撮影は禁止のため外から。
正面の欄間は、高さ1m、横4mの大作「天狗と牛若丸」と、左右に「波と飛龍」があり、伊八壮年期の最高傑作の一つとされます。
飯縄寺には義経伝説が残されており、伊豆半島からこの飯縄寺に寄って、奥州に船で逃れたという伝説に基づいているそうです。
「天狗と牛若丸」の彫刻は、こちらのサイトで拡大されたものがあります。
http://www.taito-todai.jp/index.php/blog/80-summerevent/73-nami2012.html -
飯縄寺 本堂には烏天狗の彫刻も飾られています。
12:10過ぎに、飯縄寺を出発、次の目的地は鴨川市郷土資料館(距離は約46Km)です。 -
地魚磯料理 うおまさ 刺身定食
鴨川市天津3280-5
13:30過ぎ、遅い昼食となりました。 -
鴨川市郷土資料館 14:15頃到着
こちらで伊八の資料をいただき、いろいろ教えていただきました。
この資料館にも伊八の作品が展示されていますが、残念ながら撮影禁止。 -
鴨川市郷土資料館
「鴨川の石造物100選」展が開催されていました。
写真は、馬頭観音(複製) 貝渚 嶺岡林道脇 江戸時代後期 -
鴨川市郷土資料館 1階展示室]
・農家のくらし、農業の道具、漁業の道具、商業の道具など、江戸時代から昭和時代前半までのようすを再現しています。 -
鴨川市郷土資料館 1階展示室
2階展示室には、波の伊八の作品が展示されていますが、こちらは撮影禁止でした。 -
金乗院 仁王門
鴨川市打墨709
郷土資料館から車で10分余りですが、レンタカーのカーナビ通りに走ると寺の裏側の行き止まりに着いてしてしまいました。 -
金乗院 仁王像
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金乗院 仁王門
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金乗院 仁王門の彫刻
蛙股の中にある法螺貝。
真言宗の寺であることからモチーフとして使用したのか。 -
金乗院 大日堂
平安時代初期に、弘法大師ゆかりの大日如来像を安置するために建てられたといわれ、現在の建物は昭和7年再建。 -
金乗院 大日堂 向背の龍
裏面に「武志伊八郎信由」の刻銘があり、市内では「信由」と名乗った作としては最も早い時期の作例だそうです。
表面がかなり風化しているため、製作当初の状態とはかなり異なっていると推測されています。 -
金乗院 大日堂の正面欄間「酒仙の図」
酒仙、二百年の宴は、安永8年(1779)伊八28才の作品と推定。
タテ1.02m、ヨコ3.59mの欄間に酒仙の図が彫られています。
酒仙は酒の好きな人、また酒仙童子は酒づくりの神様ともいわれ、7人の酒仙は、この大日堂で二百年間も、舞えや歌えの宴を開いています。 -
鏡忍寺 15:18頃到着
鴨川市広場1413
日蓮聖人「小松原の法難跡」として知られる日蓮宗の寺。
文永元年(1264)11月の日暮れ時、日蓮聖人一行10名ばかりは、天津城主工藤吉隆の屋敷へ向かっていた。花房(鴨川市)の蓮花寺を発って、小松原にさしかかると、かねて日蓮聖人に敵意をいだいていた地頭の東条景信とその手下数百人の伏兵が聖人一行を急襲。剛力無双の弟子・鏡忍房日暁は、かたわらの松の木を引き抜き得物として、良く応戦したが打ち死にし、日蓮聖人も額に三寸の傷をうける。
出迎えに来た工藤吉隆により九死に一生を得るが、吉隆自身は戦死。この法難より17年後日蓮聖人在世中、弘安4年(1281)に吉隆の子・日隆がこの地に妙隆山鏡忍寺を建立し、鏡忍房と吉隆を弔う。(パンフレットより) -
鏡忍寺 仁王門
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鏡忍寺 仁王像
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鏡忍寺 境内の槇(降神の槇)
樹齢が千数百年といわれる槇。
日蓮聖人が襲われたせつな、大樹の上に法華経守護の鬼子母神が出現。
聖人が九死に一生を得たと伝えられる槇の木。 -
鏡忍寺 境内の桜と仁王門
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パンフレット伊八 in 鴨川
(上)鏡忍寺 舞う恵比寿、眠る大黒
真中のタテ79cm、ヨコ426cmの欄間には「舞う恵比寿」。
眠る大黒は、向かって左側。米俵の上にうとうとする大黒様の耳たぶを、毘沙門天が引っ張っているユーモラスな作品。 -
鏡忍寺 祖師堂(平成19年新建築)
伊八の作品はこの祖師堂の正面の欄間三面と、外面の蟇股20面が飾られています。
祖師堂の欄間は、格子窓越しに見せてもらえるだけで、よく見えませんでした。
拝観させてもらえると良いのですが。 -
鏡忍寺 蟇股の彫刻
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鏡忍寺 本堂
既に、15:30を過ぎてしまい、茂原のレンタカー営業所の営業時間である18時までに帰ることを考えると、残り時間は30分ほどしかありません。
他にも回りたいところがあるのですが、近場の1カ所だけしか行けそうにありません。 -
薬王院 境内の石仏 15:45頃
鴨川市粟斗179−1 -
薬王院 薬師堂
正保5年(1648)の墨書があり、このころの建物と見られるそうです。
伊八が活躍した江戸後期のものとは異なり、堂の廻りは装飾彫刻もなく簡素。 -
薬王院 本堂
奈良時代天平年間(729〜749)、行基菩薩の開基といわれます。
本堂の欄間には「竜虎の図」 安永9年(1780)製作がありますが、こちらも窓ガラス越に見るだけです。
竜と虎がにらみ合い、まさに跳びかかろうと身構えている竜虎の図といわれますが、あまりよくわかりませんでした。 -
薬王院 本堂の軒下の彫刻
これが伊八の作品かどうかは分かりませんでした。
まだ、鴨川市には伊八の作品が残る寺社が数カ所ありますが、時間切れとなり、ここで終了です。
カーナビによると茂原駅到着予想時刻17:55、急いで帰ることになりました。
(渋滞もなく順調に走れたため、茂原駅には17:30頃に到着できました。)
今回は日帰りの旅となりましたが、じっくり楽しむためには1泊するのが良さそうです。
またいつか、続きを回ってみたいものです。
(おしまい)
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この旅行記へのコメント (6)
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- はんなりさん 2013/04/03 22:20:47
- 「神奈川沖浪裏」原景
- 296さん
こんばんは
東日本大荒れとのニュースですが
如何ですか?
お大事になさって下さいね。
さて波の伊八の彫刻
こうして見せて頂いても迫力ありますもの
真近にご覧になっては
さぞやその感が増した事でしょうね。
画家のみならず音楽家にも影響を与えた芸術品
誇らしいですね。
南房総までお出掛けになられた296さんの行動力と詳しいコメントに
拍手!!です。
とても勉強になりました。
- morino296さん からの返信 2013/04/04 07:14:15
- RE: 「神奈川沖浪裏」原景
- はんなりさん
おはようございます。
いつも有難うございます。
ご心配いただき恐縮です。
昨日は、台風のような風雨でしたが、夕方には収まりました。
伊八の彫刻、本当に凄かったです。
絵であれば、修正もきくのでしょうが、彫り物はちょっと鑿が滑っても
ダメになるのでしょうから、よくこんな作品ができるものと感心させられました。
京都の桜も見頃になり、多くの観光客が押し寄せることでしょうね。
また、行ってみたいです。
morino296
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- きーちゃんさん 2013/03/30 11:02:31
- 芸術
- morino296さん、おはようございます♪
自由奔放な生涯を送った北斎の画は、素朴さもあり、繊細な浮世絵もあり。。。
この時代にしてはとっても長生きをした北斎。
波と富士山の絵はとても有名ですが、江戸時代の様子がわかる風景が好きですね〜
飯縄寺もすばらしい建造物ですね!
じっくり、近くで拝見したいものです。
鏡忍寺は日蓮大聖人のゆかりのお寺なんですね。
かなり歴史のあるお寺ですね。
樹齢が千数百年といわれる槇も驚きです! この木の下で拝みたいです(笑)
南房総はとても歴史あるお寺が多いようですが、まさにお寺&芸術ですね!
1泊してじっくり見たくなる気持ちです。
きーちゃん
- morino296さん からの返信 2013/03/30 11:26:18
- RE: 芸術
- きーちゃん
こんにちは。
いつも有難うございます。
こちらは、花冷えの土曜日です。
桜の花は、開花後に気温が低い日が多く、長持ちしています。
房総半島は、あらためて大きいと感じました。
北海道ほどではありませんが。
北斎の神奈川沖浪裏、一度見たら忘れませんよね。
じっくり見ると、確かに不思議な描きかたであることが分かります。
そして、この原景となった伊八の波、実物を見て凄いと感じました。
日蓮聖人も、南房総の生まれなんですよね。
余り知られていないと思いますが、歴史ある寺社も多く、
また、ゆっくり訪ねてみたいものです。
次回は、温泉と海の幸も・・・。
morino296
-
- norisaさん 2013/03/30 07:15:29
- 構図と動体視力!
- morino296さん
おはようございます。
西洋の芸術家に影響を与えた「波」ですが、以前テレビで興味深く拝見しました。(たしかNHK?)
北斎の天才性はその構図と動体視力に最も現れているとのことでしたが、こうして拝見すると実感できます。
こういう迫力のある絵が描けたらいいのですがーー。
norisa
- morino296さん からの返信 2013/03/30 08:43:19
- RE: 構図と動体視力!
- norisaさん
おはようございます。
いつも有難うございます。
北斎の神奈川沖浪裏は、インパクトありますね。
西洋の芸術家が見て、さぞかし驚いたことでしょうね。
その原景となった伊八の波、視点もすごいですが、
欄間の両面に彫ってあるのにも驚きました。
百聞は一見に如かずを実感しました。
morino296
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