2013/03/09 - 2013/03/11
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■想い出さがしの車旅~古都奈良の町
~梅の花が満開!春の訪れを感じて~
あおによし 奈良の都の咲く梅の
匂うがごとく いま盛りなり
(盗作だぎゃ~)
≪1日目≫
◆自宅出発~♪
◆住吉大社/大阪市住吉区住吉
◆大海神社/大阪市住吉区住吉
◆大仙公園/大阪府堺市堺区
◆堺市博物館/大阪府堺市堺区
◆堺市内ホテル泊
≪2日目≫
◆叡福寺/大阪府南河内郡太子町
◆道の駅「近つ飛鳥の里太子」/大阪府太子町
◆新沢千塚古墳群/奈良県橿原市
◆橿原神宮/奈良県橿原市
◆飛鳥歴史公園/奈良県高市郡明日香村
◆天武・持統天皇陵/奈良県高市郡明日香村
◆亀石/奈良県高市郡明日香村
◆石舞台古墳/奈良県高市郡明日香村
◆橘寺/奈良県高市郡明日香村
◆川原寺跡/奈良県高市郡明日香村
◆伝飛鳥板蓋宮跡/奈良県高市郡明日香村
◆飛鳥資料館/奈良県高市郡明日香村
◆大和郡山城/奈良県大和郡山市
◆喜光寺/奈良県奈良市菅原町
◆菅原天満宮/奈良県奈良市菅原町
◆平城京跡/奈良県奈良市佐紀町
◆奈良市内ホテル泊
≪3日目≫へつづく・・・
■太子町叡福寺~想い出さがして
叡福寺は、太子の没後、聖武天皇の勅願により、太子の墓を守り霊を鎮めるため神亀元年(724年)に建てられました。
■新沢千塚古墳群~想い出さがして
越智岡丘陵の西北部、県道戸毛久米線の南北両側に見られる丘陵上には、約350基からなる古墳群がみられます。
きわめて顕著な古墳群であるところから新沢千塚[しんざわせんづか]とも川西千塚とも呼ばれて来ました。
350基前後の古墳のうち大部分は径10メートルから30メートルを計る円墳ですが、9基の前方後円墳、1基の前方後方墳、12基の方(長方)墳を含み、その多様な墳形の存在が1つの特色となっています。
内部施設は、大多数が木棺直葬ですが、粘土槨、礫槨、横穴式石室をもつものまで確認されています。
古墳の大部分は中期末から後期に属するものが多いが、若干、前期に含めうるものもみられます。WEBサイトより。
【手記】
想い出さがしの車旅2日目の早朝、堺市から太子町へやってきました。2日目の訪問地はかって妻と訪れたことのある地ばかりです。
途中途中、梅の花と想い出をさがしながら奈良の町をウロチョロして参りました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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-
■叡福寺/大阪府南河内郡太子町
~自由気ままな車旅③
想い出さがしの車旅2日目の早朝、堺市から太子町へやってきました。 -
■太子町叡福寺
叡福寺は、太子の没後、聖武天皇の勅願により、太子の墓を守り霊を鎮めるため神亀元年(724年)に建てられました。
-
■太子町叡福寺
1998年3月に妻と訪れた思い出の場所です。堺市から奈良への道中でしたのでつい立ち寄ってしまいました。 -
■太子町叡福寺
わたくしは2007年08月に再訪しています。以来、3度目5年半ぶりの訪問になります。
石段の上に山門(南大門)が建っています。 -
■太子町叡福寺
南大門は天正2年(1574年)の兵火で焼失したようですが、慶長年間に再建され、更に、昭和33年(1958年)に再建築されました。 -
■太子町叡福寺
太子は二十七歳の時、この叡福寺の地を御廟の候補地とし、周囲を寺院地とされ、四十七歳の時、廟をお造りになられました。 -
■太子町叡福寺
<南大門 仁王像>
太子没後、聖武天皇の勅願により太子のお墓をお守りご追福を祈るため、神亀元年(724年)七堂伽藍が完成しました。 -
■太子町叡福寺
<南大門 仁王像>
このゆえに叡福寺は、太子寺、御廟寺、聖霊院などと呼ばれています。 -
■太子町叡福寺
<多宝塔>
南大門を入って、直ぐ左側に多宝塔があります。
現存の「多宝塔」は1652年(承応元年)建立。 -
■太子町叡福寺
<金堂>
金堂には本尊の如意輪観世音菩薩が祀られています。
現存の「金堂」は享保17年(1732年)に再建されたものといわれています。 -
■太子町叡福寺
-
■太子町叡福寺
<聖霊殿(太子堂)>
聖霊殿は後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が慶長8年(1603年)に再建したものであるとされています。 -
■太子町叡福寺
<二天門>
南大門から真っ直ぐ奥に「聖徳太子廟」があり、山門と聖徳太子廟前にある「二天門」との間を遮っている建物は何もありません。 -
■太子町叡福寺
<二天門>
二天門をくぐると目前に「聖徳太子廟」があります。
廟の背後は磯長山が迫っており、廟は山の丘陵を利用して造られているようです。 -
■太子町叡福寺
<二天門>
-
■太子町叡福寺
<聖徳太子廟>
15年前の1998年3月、この位置で妻の写真を撮っています。想い出の地なんです。 -
■太子町叡福寺
<聖徳太子廟>
廟の正面、扉の上には阿弥陀三尊のご来迎をあらわした木彫りの額がかかっています。三骨一廟の意味を表していると言われています。 -
■太子町叡福寺
<見真大師堂>
見真大師堂は他の堂宇と同じ慶長8年(1603年)に再建されたといわれていますが、現存の建物は明治45年(大正元年:1912年)に再建築されたものです。
自身が刻んだといわれる親鸞聖人の坐像が祀られています。 -
■太子町叡福寺
<見真大師堂>
太子は敏達天皇の元年、飛鳥の地に誕生。
20歳のとき、日本最初の女帝で叔母に当たる推古天皇の摂政に就任、31歳で日本最古の成文憲法『十七条憲法』を起草した。 -
■太子町叡福寺
<見真大師堂>
今日でもなお新鮮さを失わないこの憲法には、第一条に「和をもって貴しとし、忤うことなきを宗とせよ」という有名な言葉が書かれ、第十条には「われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず」とある。 -
■太子町叡福寺
<見真大師堂>
人間は誰でもすぐれたところも、愚かなところも持った平凡な存在なのだから、重要なことについては和をもって互いに議論し合って決めようではないかという主旨の、現代の民主主義の先鞭ともいえる言葉である。WEBサイトより。 -
■太子町叡福寺
<見真大師堂>
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■太子町叡福寺
<見真大師堂>
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■太子町叡福寺
<見真大師堂>
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■太子町叡福寺
<浄土堂> -
■太子町叡福寺
二天門から境内 -
■太子町叡福寺
<金堂と多宝塔> -
■太子町叡福寺
15年前もこの下の広場に駐車したな・・・。 -
■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
ところかわって橿原市の新沢千塚古墳群までやってきました。
越智岡丘陵の西北部、県道戸毛久米線の南北両側に見られる丘陵上には、約350基からなる古墳群がみられます。
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■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
きわめて顕著な古墳群であるところから新沢千塚[しんざわせんづか]とも川西千塚とも呼ばれて来ました。
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■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
350基前後の古墳のうち大部分は径10メートルから30メートルを計る円墳ですが、9基の前方後円墳、1基の前方後方墳、12基の方(長方)墳を含み、その多様な墳形の存在が1つの特色となっています。
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■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
13年ぶりに来てみました。細かいことは忘れておりますが、なんとなく懐かしい気がします。 -
■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
2000年3月に訪れたときこの位置から妻を撮っている写真が残っています。
景色は変わっていない。 -
■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
夫婦そろって歴史・遺跡関係が好きなもんでこんなところによく来ていました。 -
■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
内部施設は、大多数が木棺直葬ですが、粘土槨、礫槨、横穴式石室をもつものまで確認されています。 -
■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
古墳の大部分は中期末から後期に属するものが多いが、若干、前期に含めうるものもみられます。 -
■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
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■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
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■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
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■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
整備されてきれいになっています。周囲の景色が記憶とずいぶん違っています。 -
■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
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■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
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■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
ここだったんだな・・・。13年ぶりでした。 -
■新沢千塚古墳群〜想い出さがして
福祉センター横にスイセンが咲いていました。
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■亀石
次の旅日記は「想い出さがし、橿原神宮・飛鳥散策」です。
それでは、また〜。 THE END.
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