2001/05/31 - 2001/06/03
989位(同エリア3768件中)
deracineさん
- deracineさんTOP
- 旅行記202冊
- クチコミ44件
- Q&A回答164件
- 379,593アクセス
- フォロワー38人
この旅行記のスケジュール
2001/05/31
-
飛行機での移動
Air France NRT → CDG乗継ぎ→フィレンツェ
-
車での移動
現地係員とともにクルマでホテルに移動
2001/06/02
-
徒歩での移動
ホテルから徒歩で移動
-
徒歩での移動
ドォーから徒歩で移動
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
2001年5月初めて夫婦で海外旅行に出掛けました 行く先はヨーロッパ、それも添乗員なし!
動機はテレビ番組で高崎一郎さんが「絵のように美しい街フィレンツェ」と紹介していたのに妻が刺激されて決心
また彼女は教会が好きなのでカトリックの総本山バチカン、それから印象派の画家とパリの街並みにかねてから憧れていた私の要望も入ったツアーを探しました
幸いHISに「添乗員なし* 列車で巡るイタリアとフィレンツェ、ローマとパリは空港ーホテル間の送迎のみ現地添乗員が対応 8日間」というフリープランのツアーがあったのでこれを少しアレンジし以下の日程としました。 題して題して「名画と壁画を巡る巡礼の旅」
<全体日程>
フィレンツェ×3泊+ローマ×2泊+パリ×4泊 11日間の旅」
5月31日 成田からエールフランス便でパリCDG経由フィレンツェ
6月1-2日 フィレンツェ市内観光
6月3日 午前中ローマにユーロスターにて移動、午後市内観光
6月4日 バチカン観光
6月5日 パリに空路移動
6月6-8日 パリ市内観光
6月9-10日 エールフランス直行便で成田・帰国
この旅行のため当時まだ高かったデジカメ(=Canon Powershot A20)を購入、またメモリーも64MB(GBではありません! 1個5600円もしました)を2個用意しました
それでも撮影したい被写体が一杯あったためNG写真を消去してメモリーを空ける必要があったような時代でした
また美術館内は撮影禁止が多く訪れた証拠写真もありません
・・・・ということで掲載できる枚数が少ないことをご承知置きください
初ヨーロッパで日本からの添乗員なし*という少し無謀な旅の顛末や如何?
なおラファエロの聖母子画の解説を書くにあたり以下のTV番組内容を参考にしました
1)2002年12月7日テレビ東京 「美の巨人たち?ラファエロ 大公の聖母」
2)2010年4月24日テレビ東京 「美の巨人たち?ラファエロ 小椅子の聖母」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
旅行時期は5月31日〜6月10日に決めた。
昼の時間が長いので観光に便利なこと、6月に入るとツアー料金が高くなるなどを考慮した結果だ
写真は帰国後、旅行中に撮り貯めた写真を使って作ったスライドショーDVD
大好きな「大公の聖母」とフィレンツェのドォーモをカバー写真にした -
添乗員なしのツアーなので自分たちで歩かざるを得ない。 この日に備えてイタリア語、フランス語を猛勉強した
写真に写っている下の4冊は持参したが思わぬ場面で役に立った
やはり個人旅行には辞書(今なら電子辞書)は必需品かも -
2001年5月31日、東京は雨だった。
パリまでのフライトで印象に残ったことは眼下の景色が変化に富んで見飽きないこと
ロシアのツンドラや凍ったバルト海、オランダの干拓地など目にするのもすべてが新鮮で機内誌の地図と首っ引きで眺めた(当時は今のように液晶モニターで飛行位置を確認することはできなかった) -
パリ・シャルルドゴール空港への到着は少し遅れた。
乗継ぎは1時間の余裕しかなく幸いフィレンツェ便も遅れたので間に合ったが今から考えるとヒヤヒヤものだった
フィレンツェ便のゲートに急いで向かうとさすがに日本人の姿も少なく急に心細くなった
搭乗機は100人乗り程度の小型でいまどき珍しく救命胴衣の装着実演をやってくれた。往復とも若くて可愛いCAだった(2001年の話です!)
フライトが遅れフィレンツェには深夜に着いたが日本と異なり夕暮れの感覚だった
写真はフィレンツェ行き搭乗機から見えたスイスアルプス -
小さな到着ゲートを出て出迎えを探したが見当たらず、大いに焦った
15分以上も待っただろうか、やがて中国系と思われる若い女性が近づいてきた。 これが出迎えだった
車に乗り込みホテルに到着するとフロントとなにやら口喧嘩を始めた。 そばでその様子を見て、果たして今夜はここに無事泊まれるのか心配になってきた
あとでフロントに尋ねると料金のことでもめたそうだ
写真は駅のそばでドォーモにも近く便利だった ホテル•レックス -
この中国系女性は飲食、みやげ物やT/C(=トラベラーズチェック 今ではこんなもの使いませんが、、)の店は熱心に推奨した(キックバックの関係?)
ところがパスポートについては「そんなもの狙われない」など、日本人の感覚からずれたことを言う
現地係員はやはり日本人の方が望ましいとつくづく思った
ホテルの設備はいろいろ勝手が違うことが多く、慣れなかったが長旅の疲れが出てすぐ爆睡した
写真は座って入るバスタブ?で何かの紐も垂れ下がっていたが恐ろしくて触らなかった -
泊まったホテルは部屋の中に階段があるという何とも不思議な造りのホテルだった(決して新婚旅行カップルにはオススメできません!)
-
興奮がまだ冷めていなかったのだろう、翌朝早く目が覚めた。 朝一番にするべき仕事があった。 T/Cの現金化だ
アメリカ旅行ではT/Cを愛用したがこれがヨーロッパでは間違いと気づかされた
いろいろ道に迷ってやっとの思いで銀行にたどり着いたらパスポートのコピーではダメという、、、(米国はOKだった)
ブチ切れて英語で悪態をついても効果なし。いろいろ苦労して街の両替屋を利用するのが一番簡単ということが分かった
ついでに街の詳細な地図をもらった。 フィレンツェの街並みは景観を重視しているため目立つ目印がなく道を覚えにくい
よく調べると街角の建物に必ず通りの名前が書いてあり、これを頼りに歩けばよいことを習得した
地図を見るとホテルは便利なところにあり、駅もドォーモも至近距離だった。 今まで歩きまわったのが馬鹿に思えた -
初ヨーロッパで見るもの全てが珍しかった。 添乗員がいない悲しさで見ている建物が何か分からないまま写真を撮って帰国後ネットなどで調べる始末
写真はシニョーリア広場近くにあったオルサン・ミケーレ教会。 これも帰国後調べて知った -
まず最初にウフィツィ美術館を訪れた。
事前にHISに手配し見学予約を入れていたがそれでも入るまでに20分も待たされた大人気の美術館だ -
館内は撮影禁止で貴重な絵(ボッティチェリの春、ビーナス誕生など)は前面にガラスがあり反射して見難かった
美術の授業なのだろうか小学生が絵の前で先生の説明を聞いていた
近くの係員に "Dov'e l'uscita ?" (出口はどこですか)と聞いたらイタリア語をしゃべる東洋人がよほど珍しいのだろうか、みんなサルでも見たかのような顔をしてこっちを向いた
子供はどこでも好奇心旺盛で元気そうで可愛かった
旅行前に語学の才能のない妻には scusi(すみません)、grazie(有難う)、 bagno(トイレ) の3語のみ覚えさせた
その妻がトイレに行きたくなってイタリア人に"Bagno?" と聞いたら指差して教えてくれた
そのときは切迫していて礼を言うのを忘れたのであとで引き返して "Grazie !" とお礼を言ったら大きな声で笑いながら "Grazie~!" と言ってくれたそうだ
陽気なイタリア人気質を垣間見た気がした
館内の廊下からヴェッキオ宮殿の高い塔とドゥオーモが見えた -
次にミケランジェロ広場に向かった
テレビ東京のレディズフォーという番組で軽妙な語り口で有名な高崎一郎さんが「絵のように美しいフィレンツェの町を一望できる場所」としてミケランジェロ広場の紹介があった
元来ケチなのでバスで行こうとしたが乗り場が分からず、迷っていると運良く現地在住の日本人に出会い路線バス乗り場を教えてもらった
運転手にミケランジェロ広場に着いたら教えてくれるようイタリア語で伝えたが口笛を吹いてそのような気配なし。 そのうちそれらしき風景が見えたので慌ててバスを降りた
苦労してたどり着いたミケランジェロ広場、そこからの眺めはそれだけにひとしお感慨深いものがあった -
その標高104mのミケランジェロ広場で撮ったのが上の記念写真
娘から「お母さん、ファッションの国に行くのだからもっとオシャレしないと」と言われて買ってもらった服を着てまさに "Top of the World" の気分で写っている
おそらく彼女の人生最高の笑顔のひとつかも知れない -
翌日は街歩きにも慣れたので更に精力的に効率よく歩き回った。
回ったところは時間順に次のとおり
1)メディチ家礼拝堂 2)ドゥオーモ(花の教会) 3)サン・マルコ修道院(美術館) 4)アカデミア美術館 5)ボーボリ公園(ピッティ宮殿内) 6)パラティーナ美術館( 〃 )
まず早朝8:30過ぎにホテル近くのメディチ家礼拝堂を見学した 礼拝堂を出ると人ごみがあった
よく見ると何やらお祭りのようだ
-
知らなかったが6月2日はイタリア共和国建国記念日で1946年6月2日国民投票により王政から共和制になった
統一広場で何やらキレイな衣装を着て式典を行なっていた -
次に昨日は時間がなかったのでゆっくり見られなかったドゥオーモをじっくり心行くまで味わった
我々がゆっくり眺めているとH交通社のグループが慌しく風のように駆け抜けていった
以前からこの教会の美しさに憧れていた妻はうっとりと飽かず眺めていた
イタリア国旗と同じ赤、白、グリーンの3色の大理石を使った壁は本当に「花のように」美しく「花の教会」(正式には花の聖母マリア大聖堂)と呼ばれる理由がよく分かった -
特にタンパン(=扉の上の三角部)の彫刻は細やかで「石のレース編み」という表現がピッタリだった
タンパンの細やかな彫刻、見たことはないが日光東照宮の陽明門のように参拝客の目を引くためかも知れない -
内部に入った。 華やかな外観に比べ、内部は暗くて大人しめだった
丸いステンドグラスの下にはウッチェロの24時間時計があった -
クーポラには「最後の審判」の天井画が描かれている
-
華やかな外観に比べると内部は地味で特に強烈なインパクトもない
ステンドグラスもあり、そのときは美しいと感じたがフランスのそれを知った後は印象が薄れた
やはりステンドグラスは大きさ、華やかさともフランスが一番だと思った(個人的見解です) -
内部を見学して外にでて右の側廊を見ると長い行列が出来ている
ドォーモのクーポラに登るための行列だったそうだがその長さを見ただけでセッカチの自分は気分が萎えて次の予定地に向かった -
ドォーモのそばにあるサン・ジョバンニ洗礼堂にあるギベルディが作った「天国の門」
-
「天国の門」の上にある彫刻
-
何もわざわざ苦労して個人旅行したのには訳があった。 妻はサンマルコ修道院(美術館)、私はアカデミア美術館を訪れたかったのだ
いずれもややマイナーなスポットだがこだわりがある
サンマルコ美術館には有名なフラ・アンジェリコの受胎告知が、アカデミアにはミケランジェロのダビデ像の本物があるのだ
ダビデ像はシニョリーア広場等でも見られるがそれらはレプリカでやはりイタリアまできて本物を見過ごす手はない・・・・・ということで2つのややマイナーな美術館を回った
いずれもホテルからは徒歩圏内でサン・マルコ広場を挟んで隣接しているので好都合だった -
アカデミア美術館に着くと行列ができていた 並んでいるとアメリカ・テキサスから来たという中年女性に話しかけられた
アメリカ人らしくおせっかい、好奇心旺盛で今何しているのかと尋ねるので早期退職したと答えると
You're too young to retire.(引退するのには早すぎるのでは、、、)といったので
I'm too old to be hired.(雇われるにはトシ過ぎます)と笑って誤魔化した
このおせっかいにもいいところがあってパリに行くと言ったら是非サント・シャペル教会に行けと推奨してくれた これには感謝している
さて肝心のダビデ像だが完成当時「中に人が入っているのでは?」と疑われたというエピソードが残っているくらい恐ろしくリアルだった
特に手の血管が浮き出た様子など大理石でここまで表現できるのかと思えるくらい まさに天才だ!
とこで実物を下から見上げるとどうしても目は「男性の気になる部分」に注がれてしまう
あちらの人も同じらしく、これを強調したパロディのグッズがミュージアム・ショップに売られていたのは面白かった
そしてダビデ像の鍛えられた肉体美を見て思わずわが身を振り返り、慌ててたるんだ腹を引っ込めた -
このあと隣のサン・マルコ修道院(美術館)に行った
サン・マルコ修道院内部は撮影禁止なのでサン・マルコ教会内部の写真をどうぞ! -
隠れキリシタンの妻はここにある「受胎告知」のフレスコ画をかねてより見たがっていた。 美智子皇后が30分も凝視されたというフラ・アンジェリコの作品だ
受胎告知 (Annunziata イタリア語) はよく描かれる新約聖書からのテーマのひとつで、処女マリアが神の子イエスを身ごもったことを天使ガブリエルが知らせる場面
ウフィツィにあったダビンチの作品よりもマリアの顔が緊張しているように見える。また天使ガブリエルの翼が丁寧に描かれて、いかにもマジメさが伝わってくる作品
男には分からない受胎というシーンを描いた絵を妻は皇后様と同じくらい長い時間飽きずに眺めていた -
フィレンツェでの自分のこだわりは聖母子の画家と言われるラファエロの聖母子画を見ることだった
「イタリア紀行」というレーザーディスクで彼の作品を見て以来その慈悲深く人間味あふれるマドンナ像を是非この目で見たかった
絵は宝飾店が並ぶベッキオ橋を渡ったところにあるピッティ宮殿内のパラティーナ美術館に展示されている
ベッキオ橋を越えると観光客も急に少なくなり少し安心できる
さて宮殿2階のパラティーナ美術館に入ると雑然とコレクションが展示してある。 お目当ての聖母子画は都合よく並べて展示されていた
ラファエロ(Raffaello Santi 1483-1520)はルネサンスの三大巨匠の一人で特に多くの聖母子画を描いている
上の「大公の聖母」はトスカーナ大公が旅行にも持ち歩いていたことから名づけられた
師匠のダビンチのスフマート(ぼかし)技法を模倣しているが背景を思い切って省きマリア様が浮き出るようにしたのは彼のオリジナリティである
彼のマリア像は少し伏し目がちに描かれることが多いが、これにより聖母マリアが慈悲深さを表すと同時に我が子キリストの運命を案じる一人の母としての姿をこの絵を見る人に訴える効果があるという
ラファエロは9歳の時に母親と死別している。 15歳の時に初めて描いた聖母子のフレスコ画は母の腕の中で安らかに眠る自分自身の姿だった
彼は聖母子画に夭折した母のイメージと母の愛に満たされなかった自分自身を追い求めたのだろう -
豪華な額縁で飾られた「小椅子の聖母」は当時流行した円形画(トンド)と呼ばれる形式を利用して更に母子密着が顕著だ
小椅子に座った聖母マリアが円形に沿うように首を屈め、幼子キリストの額に頬ずりしている。 その姿を見ている預言者ヨハネは何だか羨ましそうにも見える
幸せなファミリー写真のようでもあるこの絵は彼の聖母子画としては珍しく聖母子がカメラ目線のようにこちらを向いている。そのため余計に絵に引きずり込まれるような感覚を覚える
ラファエロの聖母子画の中でもこの作品は特に明るい色彩に溢れている。 聖母マリアの衣装もミケランジェロの「ローマの色」と呼ばれる明るい赤や青を使っている
さらに聖母マリアの近くに緑のショールを描くことで一層顔色が美しく健康的に見えるよう計算されている
ここでは聖母マリアが普通の母として描かれ*ルネサンス絵画の標榜する人間賛歌、母性賛歌が聖母マリアの姿を通して生き生きと描かれている
*偶然街で見かけた幸せそうな親子連れがモデルという噂もある
そして今何故自分も含め多くの人々(特に男性)が彼の聖母子画に惹きつけられるのかが分かった。 多くの男性はマザコンでいくつになってもこの絵のように母親に甘えたいのである -
これとは矛盾しないが別の心も一般的に男は持っている。それはオスとしての心だ
美術館にはティツィアーノ(Tiziano Vecellio 1490~1576)の作品も展示されていた
左の「悔悛するマグダラのマリア」はウッフィツィの「ウルビーノのビーナス」と並ぶ彼の傑作。 マグダラのマリアはキリストの死と復活を見届ける聖人だがもとは娼婦だと言われている
この絵は罪を悔いて熱心な信者になった彼女の姿を描いたもので波打つ髪と豊満な胸が彼女の過去を暗示している
ティツィアーノはこのような官能的描写は天下一品で知らぬ間にこの絵の不思議な魅力に取り憑かれてしまった
ウルウルした瞳、髪の毛や肌の質感など、、、。 あまりにも食い入るように見ていたのだろうか、学芸員が警戒して近寄ってきたので慌てて離れた -
美術館に入る前に宮殿裏のボーボリ公園(Giardino di Boboli)を散策した。 斜面に建てられたピッティ宮殿、裏はボーボリ公園で45,000平米もの広さがあるのでとても回りきれず、ネプチューンの噴水辺りを見るにとどまった
-
公園内の一番高いところに着くと裏手にはトスカーナの緩やかな丘が広がっていた。
天気もよく花は咲き乱れ、まさにうららかな春といったまったりした雰囲気を味わうことができた -
その当時はまだ珍しかったデジカメに気付いたのか、イタリアのバンビーナが近寄ってきた。 写真を写して見せてあげると喜んだように思えた
その時は気づかなかったが今改めてこの写真を見るとファッションの国らしくTシャツとコーディネートされた髪飾りを着けていた。 今では Bellisima Ragazza(可愛い女性)になっていることだろう -
ピッティ宮殿裏のボーボリ公園。 中央がネプチューンの噴水
-
ボーボリ公園内からドォーモとジオットの鐘楼が見えた
-
翌朝シニョーニア広場に出ると結婚したばかりのカップルの姿があった
-
見事な胸の谷間に見とれ Auguri !(おめでとう) と声を掛けるのを忘れた
-
今日はフィレンツェを離れ「永遠の都・ローマ」に向かう。 フィレンツェSMN駅のホームは途中駅ではあるが頭端式になっている
写真中央の尖塔がサンタ・マリア・ノベッラ(=SMN)教会 -
ホームには偶然オリエントエキスプレスが停車していた
-
これがイタリア国鉄の新幹線版ユーロスター。これに乗ってローマに向かった
以下「ローマ編」に続きます
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- ぱぶさん 2013/01/13 10:10:55
- フィレンツエの感動に同意します! (*^_^*)
- deracineさん:
ぱぶさんと申します。ぱぶさんもフィレンツエ大好きで2度ほど訪問した
ことが有りますが、もちろんまた行きたいです。
deracineさんの奥さんとの旅行素敵ですね!特に、奥さんがサン・マルコ
修道院の「受胎告知」に感銘を受けられ熱心にながめられたこと(ぱぶさん
の mamasan も同じです!)、deracineさんがアカデミアの「ダビデ」を
見られ、ピッティー宮では ティッツィアーノの「悔悛するマグダラの
マリア」に魅せられたこと等、ぱぶさん家とも一致します!(*^_^*)
(様子を4traに上げていますので、お手すきの折り、クリックご確認下さい
http://4travel.jp/traveler/pabusan/album/10361578/ )
なお、deracineさんは旅行記を DVD に纏められているようですが、
ぱぶさんは通常のアルバムに旅行記をまとめています。更に、現在、
105件ほどあげている 4tra のストーリーを2冊の本にまとめ自費出版
したいと鋭意取組中です。これがなかなか面倒で1年くらいの計画です!
- deracineさん からの返信 2013/01/15 00:33:01
- RE: フィレンツエの感動に同意します! (*^_^*)
- こんにちは、
稚拙な記事にコメントをいただき有難うございます
ぱぶさんの旅行記を拝見いたしますと同じような日程、観光場所、また
感動したところなど驚くほど一致していて興味深く感じました
ただ当方は夫婦二人のみ、またホテル&食事も粗末(なにせHISですから)というところは違っているかなと思いました
初めてのヨーロッパで石の文化に接し花の教会の美しい大理石の外観やパリのステンドグラスの素晴らしさ等に目を奪われ興奮連続の旅行でした
ただ惜しむらくは添乗員なしのため道に迷ったりとロス時間が多く、いつもパックツアーで海外に出掛ける娘からは「11日間も旅行してそれだけしか見てないの?」といわれる始末
負け惜しみを言えば回り道をしたおかげで現地の人々ともふれあい、ナマの
ヨーロッパを味わうことができたと慰めています
その頃は美術に興味があったので名画と壁画を満喫するつもりで出掛け、ある程度目的を達成したつもりです
再度バチカンを訪れ、自然に涙がこぼれたミケランジェロのピエタ像や「天地創造」、「最期の審判」の壁画を見れたら、、、と思っています
旅行記を本にされる由、楽しみですね きっと立派なできばえになると思います
私も折に触れブログやDVDに旅の思い出を残すつもりでいますがあちこち散らかすことも多く未完の作品も多いです
いろいろ参考にさせていただきたいと思いますのでこれからもよろしくお願いします
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 「添乗員なしで初ヨーロッパ!?」と旅行会社に驚かれたシニア夫婦の旅行顛末記
2
40